春日武彦のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
関節はずし猫ダマシみたいな芸風の
精神科医と歌人が
《まっとう》な題材をを語ってみようの対談集。
春日さんは存じ上げなかったのだが
穂村さんいわく「あ、このひとは変」がじわじわ伝わってくる。変なんだけど、社会人として世界に溶け込んでいるように見えて変。
《怒り》
怒り方には人間の品性みたいなものが出るという一文に共感、穂村さんの披露した怒り方は猟奇的で薄ら寒くなった。
《努力》
見つかりさえすれば…スタート地点に立てれば…努力の仕方はおのずとわかるというもの。
だが、そのスタート地点に立つまでが大変で、ほんとうにパワーのある奴は自分の才能に見合うジャンルをも作っちゃうぐらい確信をもってい -
Posted by ブクログ
内田樹を活字で読んだのは初めてかもしれない。精神科医の春日武彦との対談(というか、春日のあとがきに書かれているように「話に花を咲かせた」、あるいは内田という独特の思想を持った患者を春日が医療面接している、というのが適切か)。話のテーマは色々と移り変わるが、普段から自分がぼんやりと抱いていた思いが言語化されていて「あーそういうことか」と納得する場面が多かった。特によかった節を挙げると、『中腰で待ってみよう』『自ら「変人」の不シールドを張る』『ことばの力は身体感覚を変える』『身体は賢い』、そしてタイトルにもなっている『健全な肉体に狂気は宿る』。
今はどうやっても結論が出ない問題を、明日死ぬかもしれ -
Posted by ブクログ
ネタバレ「しつこさ」に目がいって通読。
著者の読みやすい文章にのっていってスラスラ読めた。
テーマは「恨み」。
いやいや、別に誰も恨んではございません。
ただ、「恨み」という感情は誰にだってある。
僕にもある。
この「恨み」との付き合い方が知りたくてね。
主に文学作品『恩讐の彼方に』などのテキストや実際に精神科医としてかかわった人たちとのエピソードから、「恨み」に関して分析。キーワードは「不条理」と「被害者意識」。つまり、不条理な事柄に遭遇してしまった人は、芽吹いた「被害者意識」にせっせと肥やしとやって、やがて「復讐」へと感情を募らせていく。
この「復讐」。ドラマのように、いやドラマであっても、カ -
Posted by ブクログ
ネタバレだいたいおんなじいつものあの話。
まーでも飽きない。
賢いリスクヘッジをしたと思っている人は、
無意識的にリスクの多い選択をしてしまうという例えに、
中古車の話をしている。
「ぶつけても大丈夫なように中古車を買ったら必ずぶつける、
だってそうしないと中古車を買った意味がないんだもの。」
これ至言。
また、
人間が「個人」になるプロセスの話が面白い。
これはラカンの鏡像段階とか、
先ごろ読んだ「ミラーニューロン」にも近いものがあって、
産まれた時、
人は世界全体と溶け合っていて、
自分とそれ以外という分節をしていない状態にある。
だから、
「個人」としての「自 -
Posted by ブクログ
副題に"江戸の仇をアラスカでうつ人"とあります。仇討ちに代表されるような恨みつらみを晴らす行為はしつこさという、ともすれば病気の範疇に入りかねない危うさをはらんでいます。
春日先生は臨床で見られる光景や報道された事件を引き合いに出しながら、登場する人物像を解説します。
また豊富な読書量からあらすじを述べて場面を引用することも多いので、読んだことのない本を知る機会にもなります。実在の人物から架空の人物まで人間ウォッチングが詰まった内容になっています。
その中で臨床経験から述べている次の一説が興味を惹きました。
…精神科医の臨床経験から述べると、自縄自縛で自分を不幸にしていくタ -
Posted by ブクログ
誰でも思い通りにことが運ばないことはある。容易には解決できない問題の前で、蜘蛛の巣に絡め取られたように自由が効かずに、「もう、うんざりだ!」と言いたくなったことは、誰にでもあるはずだ。
そうした時に、大声で「うんざりだ!」と自己主張せずにはいられない人がいる一方で、その場はじっと耐える人もいる。いずれにしても、その鬱屈が澱のように心に溜まっていき、他人からは自暴自棄としか見えない行為に及ぶ人もいる。
本書は、さまざまな小説から自暴自棄に至るまでの状況や登場人物の心の動きを取り出して、自暴自棄について考察している。
「誰でも自暴自棄への誘惑に駆られることがある。ある種のカタルシスが伴うこと -
Posted by ブクログ
ブログ等を見ると精神科医に対する患者の不満をよくみかける。
俗に言う3分診療などというものである。
この本は、あまり表には出てこない精神科医の本音、つぶやきのような事象が多くあり、そのへんの事情についても書かれている。
患者にとっては、医者は唯一の存在だが、医者からみれば大勢の患者の一人であり、全員にカウンセリングを行うことは不可能だとわかる。
個人的には第七章の幸福・平穏・家族の章は大変考えさせられた。
病気という契機以外でも同様の価値観の変化が起こる可能性もあり、ステレオタイプな幸福は本当は大事ではないと皆気がつきながら、逆にそういった幸福がないと本当の幸福に辿り着けないというジレンマは大