重松清のレビュー一覧
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久々の重松清さんの作品
走馬灯の絵師たち?のお話。走馬灯とは死の直前に見るという自身の記憶。そもそも走馬灯とは影絵の細工が施された筒状の紙灯籠のこと。
それを生前に内容を確認して作り直す事ができる人を走馬灯の絵師という、というのが本作品ての設定になっている。
主人公のはるちゃん、その母親のふうちゃん 本当に親子かと思うくらい性格が違っているように感じた。はるちゃんもナンユウくんも優しくて良いなあと思った。
同じ時間をともに過ごした家族でも、各個人によって思い出、なつかしく思うもの、そして記憶に残っているものは違う、確かにそう思う。でも、それはそれでイイ。個人の価値観なので。
さて、自分の走馬灯には何が描かれるんだろうか? -
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重松清の『ステップ』を読み、前に進み続けることの大切さを改めて感じた。主人公の健一は、突然妻を失い、幼い娘のみきを抱えてシングルファザーとして生きていく。彼が娘を抱っこしながらも、どうしても「仕事の延長」のように業務的になってしまう姿は、とてもリアルだった。生活のために働き続けなければならない一方で、みきが求めているのは、抱っこのぬくもりや、母親のような柔らかさだ。そのギャップを埋められないと理解しつつ、それでも必死に寄り添おうとする健一の姿には胸を打たれた。
物語の中で、義理の父が健一に説教をする場面がある。「自分の娘が悲しんだことを他人事だと思うな。自分のことだと思え」という言葉は、読んでいる私自身にも深く刺さった。私も二人の男の子を持つ父親として、家族の涙や痛みを、決して他人事にせず受け止める覚悟を持たなければならないと気づかされた。
『ステップ』は、悲しみの中にある温かさや、家族の絆、そして人が前へ進む力を静かに描いた作品だ。読み終えたあと、自然と心が優しくなり、自分の家族をもっと大切にしようと思えた。小さな一歩でも踏み出せば、幸せは少しずつ近づいてくる――そんなメッセージを強く感じさせてくれる一冊だった。 -
Posted by ブクログ
ホントにもう、重松清さんの本は電車で読んではいけないと思う。またしても涙と鼻水が止まらず…
氏の講演会で隣に座った男子学生が、人気投票1位と予想していた作品だったので手に取った(その講演会での一位は本作ではなかったけど)。
で、これを読みながら思った。
人の内面、感情を描いた作品はたくさんある。
その中でも、例えば三島由紀夫の金閣寺は、吃りの寺の跡取りというある意味特殊な主人公の屈折した感情の動きを、ここまで掘り下げるかというくらい深読みして、格調高い言葉を駆使して表現している、ある意味極北とも言える作品だと思う。ただ、「うん、こういう思い、わかるよ」と万人が感情移入できるモチーフ、表現ではない気がする。
一方、重松清の作品は、大多数の人が感じたことのある、あるいは想像できる場面におけるある意味普遍的な感情を、小学生にもわかる表現で丁寧に描いているから、老若男女問わず多くの人の心に響いているんだろうな。
この本でいえば、娘を亡くした義父が「朋子の思い出はもう増えないんだ。あとは歳をとって忘れていくだけだろ。それが怖くてたまらないんだ。(中略)後から後悔しても思い出は増やせないんだ。仕事なんてどうだっていい。美紀ちゃんと少しでもたくさんの思い出をつくって、子供のことを覚えててやるのは、親の義務だ…」
と酔って泣きながら語った言葉。
話の細部は日本人ならではの背景があったり時代背景に依る話題もあるが、多くの重松作品においては、芯のテーマや表現はおそらく時代に依らず、また国を問わず共感を呼ぶ「永遠の表現」になり得るのではないだろうか? -
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これも涙なくして読めなかった。
それぞれの短編の中で、それぞれの「きみ」の心の奥を見抜いて、端的だけど刺さる言葉を発する恵美さんが、瀬尾まいこさんの「あと少し、もう少し」に登場する先生を思い出した。
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でもさ、青だけの空って、のっぺらぼうじゃん。空の顔つきって雲で決まるんだよ。お日さまだってギラギラして、うっとうしいときもあるじゃん。雲は雨も降らせるし、日差しもさえぎるし、けっこうクセモノだから。
邪魔じゃないよ、雲は。
がんばれ、雲。
私は「みんな」って嫌いだから。「みんな」が「みんな」でいるうちは、友だちじゃない、絶対に。
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「みんな」という人はいないはずなのに、いつの間にか、自分が「みんな」という人になっていることがあるんだろうな。
重松さんは、難しい言葉は全く使わないが、だからこそ大切なメッセージが多くの人に伝わるんだろうな。
どこまでも優しい。 -
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小学生向け「働く」本を探して。これは良書!
絵本サイズですが、内容は普通の小説短編くらいの字のサイズと分量です。小学校の中・高学年から読めるかな。
挿絵も大きくて工場の機械類に温かみを感じる優しさがあります。
新しいゲーム機を買ってもらうために「ゲーム機が壊れた」と嘘をついたエリカは、両親に言われておじいちゃんが働く工場に行くことになった。
おじいちゃんの働いている工場では機械を作るための機械の「工作機械」を作っているんだって。
エリカは「工場」といったら煙がもくもく…のようなものだと思っていた。でも工場長さんに案内された工場は思っていたものとは違っていた。周囲の環境や、働く人たちの快適を考えて建てられ、繊細な機械のための地震対策、床は完全な水平、温度は一年中23度を保っているって教えてくれた。扱う機械の温度が1度違ったら、サイズが1ミリ違ったら、正しく動かすことができなくなってしまう。
エリカは、工場で働いている人たちが命がないはずの機械に愛情を持って接している姿を見る。
そしておじいちゃんの仕事。
おじいちゃんは、金属の表面を削って平らにする「キサゲ」(キサゲは工具の名前)をしているらしい。
機械が削ってもできてしまう髪の毛よりも細かいデコボコを人間が平らにするの!?驚くエリカに「結局最後の最後は人間なんだよ。人間の手による技術で、おじいちゃんはその技術があるから工場のみんなから尊敬されているんだ。そしておじいちゃんの技術を受け継ごうと毎日励んでいるんだよ」と工場長が言う。
すごい!働くって人の役に立つことなんだ。だからあんなに楽しそうなんだ。みんなでなにかを作る人達は仲間なんだ。
エリカは働く人たちのことも、機械や機械で作られたモノたちのことも身近に感じるのでした。 -
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好きな作家は?と聞かれて、必ず答えていたのが重松清。ビタミンFに収録されている短編は、すべて”ある家庭の30代後半から40代のお父さん”の視点の物語である。中学生の頃は、お父さんの生態を解き明かす解剖書のように読んでいただろうか。31歳、妻歴4年目、社会人歴11年目の今、再読すると、30代になった変化、夫婦としての日常、会社の先輩後輩とのやり取りが、あと何年後かの自分の予言書のように思えた。
こんな大人になりたくないになってしまった私達に、そんなもんだよ、だけどちょっぴりでも変えることはできると希望感を残してくれる。人生に希望はあるなんて大仰に説得してこようとする話なんてない。一つ一つのお話が胸に届き、読んだ後は、全ての家庭の裏話を見たような、上手くいくといいなと願ってしまうような優しい気持ちになっているから不思議だ。重松清さん流の全ての家族へのエールなのだと思う。また38歳になったら読み返したい。
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