あらすじ
開発から30年、年老いたニュータウンで迎えた定年。途方に暮れる山崎さんに散歩仲間ができた。「ジャージーは禁物ですぞ。腰を痛めます。腹も出ます」先輩の町内会長、単身赴任で浦島太郎状態のノムさん。新天地に旅立つフーさん。自分の居場所を捜す四人組の日々の哀歓を温かく描く連作。「帰ってきた定年ゴジラ」収録の完成版。
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Posted by ブクログ
元々涙腺緩いけど、途中で涙が溢れた。
『定年ゴジラ』は、定年という人生の節目を、単なる終わりではなく「もう一つの始まり」として描いた作品です。家族や自分自身との関係を見つめ直すきっかけとなる、優しくも鋭い物語でした。現代の日本社会において、多くの人が直面する「定年後の人生」というテーマに対し、重松清は真摯かつユーモラスに向き合っています
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都内から2時間のニュータウンにマイホームを持つ主人公が、定年退職後の生き方に悩み、葛藤と試行錯誤を繰り返しながら、自身の生きがいを探す物語。
本書は小説でありながら、主人公目線の記述になっていないところがユニークでした。
会話以外の記述においても主人公のことを「山﨑さん」と終始「さん」付けで書かれている等、ストーリーを少し俯瞰した立場から眺めているような、不思議な錯覚を覚えます。
無事に定年まで勤め上げ、自宅のローンも完済。娘2人は元気に巣立ち孫にも恵まれている。
一見すると幸せな60歳、悠々自適な第二の人生の始まりだが、作中では『平凡なサラリーマン生活を終え、残ったのモノは都心から2時間の古くなったマイホームだけ』というやや陰りのある雰囲気が漂います。
間違った選択はしていないけれど、何故だか虚無感がある。
自分は何者なのか?
残りの人生をどう過ごすべきなのか?
同じニュータウンに住む定年仲間や家族との交流の中で、その答えを見つけていく。
・共感できる!
・自分はこうはなりたくない
・とは言え、幸せな人生じゃん
等々、読者の年齢や立場よって多様な捉え方・感じ方ができるユニークな作品でした。
ぜひ読んでみては。
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60歳になり、定年を迎えた男として、夫として、また父親として。そして、家族とは。
山崎さん、町内会長、野村さん、藤田さんが教えてくれた。
定年はまだ先てすが、私ももうすぐ60歳を迎えます。
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神本だと思う。2000年代前のニュータウンを舞台にしているが、その,心の動きは今と同じ。35歳でこれを書いた重松清の凄さも感じる。あとがきも良い。
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定年を迎え、第二の人生を歩み出す…なんて華々しいものではなくて、もっと現実的な定年後の生活の短編連作。
家族のために、職場まで近いとは言い難い郊外にマイホームを構え一生懸命頑張ってきたお父さん4人。定年まで頑張ってきた達成感と仕事を離れた一抹の寂しさと、これからの不安と、各々の夫婦、家族の問題やら…日々色んな事があるけど、定年ゴジラは今日も頑張って生きている。
定年は大きな節目だけど、そんな事で何かが全く変わってしまう訳じゃないですよ。と言われた気分になった。
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時代は少々古いが、ニュータウンの定年世代のオヤジ達の物語。
自分の家を建てるという事は、現役世代で働いている時間をすべて捧げ無ければ普通の家庭には難しい。
定年まで健康で働けるか、職は失わないか。リスクだって当然あって不安にもなる。けれど家を建てたいと考えたとき「子供が伸び伸びと笑顔で暮らしてくれれば」とその一心で決断してきたのだろう。私だってそうだ。子供が思いっきり遊べて、自分の家を好きになってくれて、時に家を疎ましく思いながらも、自分が当たり前に帰れる場所と思ってほしい。物語のニュータウンに家を建てた当時のお父さん達は、皆きっとそう思って長年働き続けてきたはずだ。
ローン組んだ直後に不安で不安でどうしようもなかった時に、父が言ってたな。
土地と建物を買う為だけに、ローンを組んで莫大な負債だけ負うんじゃないんだ。家族みんなが過ごせる居場所を買うんだ。それは土地と建物以上の価値があるんだ。
ってね。家建てて良かったって今ならハッキリ言えるよ。
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私もこの3月末で定年退職でした。
だから、手に取ったというわけではないのですが・・・
本書の主人公たちは、60歳での退職でしたが、私は65歳になりました。
主人公たちの行動が今の自分にも近いものと思えた。
何のために、通勤時間をかけてまでマイホームのためのニュータウンに住まなければならないのか?
いずれ、子供たちは、成長し、巣立ってゆくのに・・・
それでも、男たちは、家族のためそして自分の為に頑張ってきたのだ。
そんな定年ゴジラたちの日々が綴られていた。
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重松清さんの24年前の作品を読みました。タイトルまま。東京郊外のニュータウンで定年を迎えた4人のおじさんを軸に、さまざまなストーリーが描かれています。とはいっても、おじさん達だけの内容ではありません。それぞれの家族とのやり取りが丁寧に描かれていて、パートナーや子どもとのコミュニケーションについて考えさせたり、共感するシーンも多いです。特に、主人公である山崎さんと奥さん、2人の娘さんとのやり取りは心に響きました。4人のうちの1人、野村さんの破天荒なキャラも大好き。ふうまん、雪かきのシーンも印象的でした。
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定年を迎えたニュータウンで暮らすおっちゃんの日常を描いた小説。自分も数十年後にはこんな感じになるのかと思いながら読んだ。
まぁまぁ面白い。男性の方が読んでいて共感できて面白いかもしれない
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なんだか心に沁みました。
世代的にも年代的にもちょっと前の頃のお話にはなるんだけど、、、自分にもいずれそういうことが起こるのかなぁとか、親の世代はそういう気持ちだったのかなぁとか。切なくなる場面もありましたが、でも最後には元気が出てくる1冊でした。
Posted by ブクログ
目次
・定年ゴジラ
・ふうまん
・きのうのジョー
・夢はいまもめぐりて
・憂々自適
・くぬぎ台ツアー
・家族写真
・帰ってきた定年ゴジラ
この本を手に取った時、既読の本じゃないかと思った。
カバー裏に書かれたあらすじの「ジャージは禁物ですぞ。腰を痛めます。腹も出ます」は確かに記憶にある。
でも、中身ではなく、そこだけを読んだのかもしれないしなあ。
パラパラと中身を眺めても、なんとなく覚えがあるようなないような。
そもそも重松清の本は、たいていが同じような読後感になるのだから。
一応ブログや読メに感想を記録していないか検索してみた。
どちらにも登録記録がない。
ということは、やっぱり未読なんだ。
と思って読んだのだけど、やっぱり既読でしたわ。
最初の一編だけなら、アンソロジーで読んだのかと思ったけど、最後まで全部読んでた。
記憶にあった。
ただの登録漏れだと思われます。やれやれ。
感想は、自分が定年退職したことによって少し変わったかもしれない。
でも私は、主人公の山崎さんのように暇を持て余してはいない。
作中、町内会長が、「余生っていやな言葉だ。余った人生ってなんだよ。余るくらいなら、働いているときにその分時間を使いたかった」という部分があるのですが、私は余生って、おまけというか、頑張ったご褒美くらいに思っています。
頑張らなかったから早死にをするということではなく。
定年まで勤めあげたらお疲れさん。
あとは自分のために時間を使っていいよ、って。
でも解説の鷺沢恵が、「木口小平よ、ラッパを放せ!」って書いてて、どちらかというと私も木口小平のように死んでもラッパを放さないタイプかもなあ、なんて思ってしまった。
「頑張らない」ができない。
だって、普通「頑張る」でしょう。
この作品は、定年を迎えた主人公たちの日常を描いたもので、いかにも私にはタイムリーな作品でしたが、実は古い作品なので、主人公たちは私の親世代。
高度経済成長を支えてきた世代の人たち。
高齢化が進むニュータウンの中に自分の居場所を見つけられないもどかしさは、頭では理解できる。
でもまだ私には、実感できない。
自分の居場所って、自分がいたい場所のことじゃないのかな。
自分がいても許される場所のことってわけじゃあ、ないと思うのだけど。
Posted by ブクログ
年老いたニュータウンを舞台にした作品です。
高齢化や世代の違いなどの課題はあるが、そのなかでも定年を迎えた人々が“自分”を見つける温かい物語です。若い頃には分からない(感じない)こともあり、世代を超えて新しい発見ができる作品だと思います(*^^*)
Posted by ブクログ
購入後に奥付を見ると21年前だった。当時の定年は60才。まだまだカラダが充分元気な頃と思う。
孫にブラブラしていると言われるとショックを受けると思う。作者もまだ若く、自分の父親世代を書いたとのこと。戸建のニュータウンは建て替え等あり、まだマシかも知れない。古い団地などは老年の家庭が増え、建て替え出来ずにゴーストタウン化しているとも聞く。内容的には、良くあるホームドラマに近い。
都会の割に緑があり、数年前に男性長寿日本一になったところに住んでいて、私も主人公達と近い世代だが、どこの集まりに行っても60代の男性に会わない。定年すぐ後、皆んなは何処で何をしているのだろう?
Posted by ブクログ
1.著者;重松氏は、出版社勤務を経て、フリーライターとして活躍。ドラマ・映画・雑誌等で手広く活動した後、執筆活動に入りました。「ビフォア・ラン」でデビュー。「ビタミンF」で直木賞・「エイジ」で山本周五郎賞・「十字架」で吉川英治文学賞等を受賞、他にも著書多数。矢沢永吉(歌手)、広島カープのファン。
2.本書;郊外のニュータウンで定年を迎えた山崎さん(主人公)が朝の散歩を通じて、知り合った地域の定年仲間4人と共に自分の居場所を探す日々の哀歓を綴った小説。七章構成(第一章;定年ゴジラ~第七章;家族写真)。仲間達(元広告営業マンで世話好きな町内会長の古葉さん、元転勤族で今は物産巡りを趣味とする野村さん等)と交流する中で、それぞれの人生がリアルに語られています。人間描写の機微に好感。定年ゴジラは、用済みのニュータウン模型を踏み潰していく様子が由来。
3.私の個別感想(心に残った記述を3点に絞り込み、感想と共に記述);
(1)『第二章;ふうまん』より、「本人達にはそんなつもりはないのかもしれないが、山崎さんにはきっと野村さんにも、わかる。現場の第一線で働く若手の冷ややかな視線にさらされてきた。考え方が古いんですよ、時代が違うんですよ、もうあんた達の仕事は通用しないんです・・まなざしに乗って、声のない言葉がいつも聞こえていた」
●感想(1)⇒私も若い頃には、先輩に仕事のやり方を否定されると、「考え方が古いんですよ、時代が違うんですよ、もうあんた達の仕事は通用しない」と、心の中で反芻したものです。所で、良い仕事をするには、ハード面とソフト面の技術が必要と考えます。ハード面は道具、ソフト面はやり方です。パソコン等の道具は訓練である程度修得できます。しかし、仕事の進め方等の道理は書物だけでは難しいと思います。やり方・考え方は、先輩が実務を通じて身に付けたノウハウを伝授して貰うのが一番です。私も、“現地現物第一”、“気を見て森を見ず”・・などを体験事例を交え、仕事のコツを沢山教えて貰いました。若い時には感情に走る時もあるでしょうが、「人皆師匠(学ぶ)」の気持ちが大切です。
(2)『第五章;憂々自適』より、「定年退職後、暇を持て余し人恋しさを募らせて、妻の出かける先々へ用もないのについていく、車のボンネットに貼りつく濡れ落ち葉のような夫。妻にとっては最もうっとうしい存在なのだという。山崎さんも常日頃から『濡れ落ち葉にだけはならないでよ』と奥さんに釘を刺されている」
●感想(2)⇒昭和前半生まれの定年退職者は、“月月火水木金金”状態で働いてきた人が多いと思います。会社中心の生活で、いきなり定年を迎え、自由時間が一杯出来て、さて何をやろうという人もいます。定年後の生活は、趣味なし人間には、辛いかもしれません。しかし、現役時代に思い描いた自由を手に入れた事に喜びと感謝を込めて、一日ボーと過ごしても良いと思います。五木寛之氏は言います。「孤立を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半期のすごく充実した生き方」だと。一方、奥さんは永年家庭を守ってきたのです。夫としては、いつまでも召使扱いせず、やりたい事をやらせてあげるのが恩返しです。自分の下着の在り処もわからない旦那さんは、言語道断。自分の事は自分でしなければなりません。
(3)『第七章;家族写真』より、「娘たちはまず最初に母親に相談した。山崎さんに対しては、いつも相談ではなく報告だった。『お母さんはいいって言っているんだけど』と前置きして、話がこじれそうになると『お母さんちょっと来てよ、もうお父さん全然話がわかってないんだから』と援軍を求め、最後は奥さんが山崎さんをなだめて納得させる、その繰り返しだった。
●感想(3)⇒仕事人間と言われる人には厳しい話です。父親の留守がちな家での母娘関係、気持ちが通じる同性同士等の理由で、娘が母親を頼るのはもっともな話です。仕事に傾注し過ぎた父親に、積年のツケが回ってきたのです。しかし、何かしら侘しいですね。母娘も少しは父親の立場に配慮して、何でも両親に相談する素振り位して欲しいものです。男は意外と繊細かつ単純な生き物です。嘘も方便と言います。家族から、「お父さんあっての我が家だからね」の一言を期待するのは高望みでしょうか。
4.まとめ;本書は、定年後の散歩仲間との日常生活をを温かく描いています。彼らは人生の勝ち組の人達でしょう。恵まれた老後を送れる人々です。所で、私は勝者・敗者と区別するのは良くないと思います。世間には様々な生き方があるのです。身の丈に合った生活と幸福があれば、誰もがそれに感謝し、好しとすべきです。書中人物は、必死に働き、仕事の為に犠牲にしてきたものを回顧しつつ、自分の居場所を模索する日々です。しかし、先ずは定年退職で仕事・時間に追われた生活から解放された幸福感を噛みしめるべきです。そうしたくても出来ない人もいるんです。本書は、中高年だけでなく若い世代にも高評価の作品だそうです。男性の気持ちへの理解を願い、女性にも読んで欲しいと思います。
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日本が経済成長期で沸いた時代、その最先端の担い手達が住む街だった郊外のニュータウン。
その街は住人と共に老いていき、その住人は定年を迎えた。
その時まで必死で仕事をしていた彼らの定年後の生活は決して華々しいとは言えなかった。
仕事という大きな責務を果たした今、労りどころか煙たがられる日々。
しかし、そんな中でも日々を生きる主人公達の姿に悲しくも、何か温かなものを感じることが出来た。
…とりあえず今から考えるのもおかしいけど、自分の定年後が心配になる作品です笑
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およそ20年前に書かれた本なので60歳定年のことや、家族の通信手段が家電であることなど、時代の流れを感じる内容が散見されるものの、サラリーマンが定年後の生活をどう過ごすかといった問題は未だに尽きないテーマです。
ここに登場する人物たちは 、高度成長時代に東京の郊外に造成されたニュータウンに、移り住んだ人々のその後の物語でもあります。定年後の夫、父親の典型的な悩みである家庭内の居場所を模索する過程も面白かったのですが、ニュータウンという街の在り方も一方では取り上げていて、自分たちの育った頃を思い出して感慨深いところでした。ニュータウンと言われた街がオールドタウン化していく様は、拡大から縮小していく日本という国の有り様も写し出しています。あの頃は、老いていく自分たち、そして街もそうであることに気づかないで過ごしていたのです。
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あらすじ
開発から30年、年老いたニュータウンで迎えた定年。途方に暮れる山崎さんに散歩仲間ができた。「ジャージーは禁物ですぞ。腰を痛めます。腹も出ます」先輩の町内会長、単身赴任で浦島太郎状態のノムさん、新天地に旅立つフーさん。自分の居場所を捜す四人組の日々の哀歓を温かく描く連作。
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定年後のおじさんの、定年仲間、奥さんや子供、とのたわいもない日常、時にはちょっとした事件、を描いた作品。
人の心の機微や弱さを丁寧に表現しているので、共感しきり、また、将来への教訓と受け止めることしきり、だった。
率直に言えば、盛り上がりのない話だったので、読む速度は上がらず、ちょっと読み進めるのは大変だった。
が、終わってみればオチらしいオチはなかったのだか、人生について何か深い問いをもらったような、フランス映画のような不思議な味わい深さを感じた作品だった。
仕事に熱中している若者というより、仕事の意味、生きがい、家族について考え始めたような、そんなおっさんが読むといいと思う。まさに私、、、
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高度成長期に開発されたニュータウンは、住民とともに歳をとり、現在の社会の中では時代遅れ感がある。この小説では、何十年も前に希望をもって引っ越してきた住民の人生と重ね合わせて、ニュータウンの現状をうまく描いている。現在の否定的な見解を「後出しじゃんけん」と表現している住民が印象的で、あとから批評することは概して楽であるが、問題の解決策を探るのは難しい。
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作者はおやじ殺しだ。おやじの機微に触れる数々の場面と交差する思い。読みながらつい相槌を打ってしまう私。
一般サラリーマンの多くは、会社勤めが終わると新たなコミュニティで自分の在り処を探すことになる。いわゆる第二の人生のスタートなのだが、コミュニティの最小単位である家族からしてなかなかに厄介だ。
家族を想い、がむしゃらに頑張ってきたはずなのに、気付けば家族の輪から疎外されてる感ありあり。周りに悪気がないから始末に困る。することもなく家でゴロゴロ、行くあてもなく外をブラブラ。
定年おやじの背中から漂う哀愁は、身の置き場を探し求める心の放浪の象徴だ。
定年ゴジラ達が踏み潰した我が街のジオラマはこれまでの人生の縮図だったのか。
ご家族の皆様、お父さんは頑張りました。定年したら居場所を作ってあげてください。
本作、楽しく読ませていただきました。
Posted by ブクログ
少し前の昭和のお父さんが仕事を定年で引退した後のお話。
出てくるお父さん達皆さん60で引退されてて現在からすると、ある意味羨ましく思える時代。
仕事一筋で生きてきた人たちの哀愁を感じます。
お父さんファイト!って思いました(╹◡╹)♡
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大人になっても幼馴染みとつるんでいるのっていいなあ、と思っている。転校とかあってホントに小さい頃からの友だちっていない。ガキたちにはこの家で長く付き合える友だちがたくさんできるといいなあ、と思っていた。二人ともあまり友だちを連れてきたことはないけど、まあ地元で遊んでいるところをみるといるんだと思っている。娘も学校を卒業してもここにいるのかわからないし。あと数年で夫婦二人暮しになる。きっとガキたちが帰ってくるのが楽しみで仕方ないんじゃないかな。自分が定年を迎える歳に近づいてることもピンとこないけど、心は輝かしていたい。オイラは簡単に定年退職できる余裕はないからまだまだ働かないといけない。だから山崎さんたちの愁いを知るのは彼らの年齢よりもあとになる。その時のオイラのココロとカラダがピンピンしていますように!
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時代背景が2000年前後くらいのかな。そう思うと今の時代では60歳で定年退職して完全リタイアって少なくなってそうな気がする。この年代の方々は急速な日本の経済成長期を生きた人達だと思うので、リタイアした後の反動も大きそう。働き盛りをもっと楽しむべきなんだろうな。
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今年の10月末で定年を迎える自分にとって、何か参考になることがあればと思って読んだが、ほとんど得るものはなかった。設定が約20年前とあまりにも古いことが大きな理由だ。みなさんも指摘されているように、この20年間でシニア雇用をめぐる環境は大きく変わっている。60歳で悠々自適の生活に入り、日々散歩に費やす方はほとんどいなくなったのではないか。今月からは、70歳定年を企業の努力義務とする高齢者雇用安定法が改正されたが、ますます、この小説が描いた時代は過去のものになっていくだろう。さらに、インターネットが勃興期で、主人公がPCのネットの設定に四苦八苦しているシーンも古臭さを感じた。昨年、92歳で亡くなった私の父も最後までPCで株取引をしていたが、高齢者世代へのIT機器(PC、スマホ、タブレット)への浸透の度合いは目を見張るものがある。現在なら、この小説で描かれる主人公の娘夫婦が50代前半に差し掛かるとみられる。もう少したてば、著者の重松清さんには「定年ミニラ」(笑)のようなテーマの小説を書いていただくことを切に希望する。重松さんはほぼ私と同世代。この小説は父親の世代をテーマにしていたが、同世代をテーマにするなら、どのように健筆を振るわれるだろうか。
Posted by ブクログ
戦中世代が高度経済成長期においてニュータウンに家を買って、猛烈サラリーマンとして成長を担ったあと、定年で一気に居場所を失ってしまったが、同じ定年仲間や家族との日々の中で試行錯誤しながら居場所を見つけていく、という感じの話。
なんか時代設定古くない?と思ったら、実際古いんですね。90年代に書かれた本でした。定年やってきて一気にやることなくなる、というのは多少労働市場の流動性が出てきた今でもままあることだと思うけれども、インターネットやSNS、スマートフォンがここまで浸透してくると、朝起きてさて何しようかとポツネンとする人は少なくなってきてるのではないかとも思います。それでソシャゲにはまってもどうかなとは思うけれども。
しかし、30代の今はあまり懸念もないけれど、実際仕事が終わって、年金もあるよという年代になる前にちゃんと考えないといけないよね。老害になってはいけない、さりとて何もすることがなくてすぐにボケてしまうのもいやだ。適材適所を信じて、自分になにができるのか、働きながらもライフワークを見つけていかないといけないよね、という教訓か。