重松清のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
どんな話なのか知らずに読み始めたら、3.11で被災した家族のオムニバスで読んでて自然と涙が流れた。本当に震災は誰も悪くないし、亡くなった人も、残された家族も、なにも関係の無い遠く離れた人にも多大な影響を与えたし、私自身にもすごい影響があった出来事だったから本当に読んでいて辛かった。
読み始めて2日後に熊本で震度6の地震が起きて、なんちゅうタイミング。。。辛い。
「しおり」の中でのセリフで、行方不明になった男の子に対して死亡届を出して供養した方がいいという主人公に対して母親が「あんたをすっきりさせるために亡くなったわけじゃない」っていうんだけど、本当にそうだなぁって。死体もあがらずにもうダメだと思っていてもそれで死を受け入れるなんて、なんて辛いんだろう。なにをもって自分を納得させるんだろう。あの日、テレビでみた津波の映像の中、水の中には何万人の人が流されていたんだろう。思えば思うほど辛いし、立ち直れなんて簡単には言えないし、言おうとも思わないけど、それでも次の春はくるし、残された人は生きていかないといけないんだよね。なんて残酷で辛い出来事なんだろう。 -
Posted by ブクログ
なんかかわいい表紙に騙されて、ぱっと開いた「すいか」で「!?」となる。エロ話である。いきなり「かっぽん屋」のタイトルの意味もわかるし、「疾走」みたいに1冊これかいな?と不安になったら、短編集でした。エロ話は2本で、少年の熱くてどうしようもないリビドーの話。「疾走」みたいな直接なものではないけど、そこまでネバネバとした表現は必要なんだろうか。
短編をいくつかにわけ、A面とB面にそれぞれ配置。前者は青春のほろ苦い経験を語る純文学。後者は、ちょっと不思議なSFや怪談めいたショートショートみたいな話と、統一感はある。
どれぞれ好きずきあるだろうけれども、いずれもそれなりのクオリティで、重松清らしく嫌なやつがいたり、外面をつくろうために、心にもないことを言わなければならないのはいつものとおり。ただ、短いのもあって、奥歯をぎりぎり噛み締めなければいけないような話までには展開しない。
初期の作品だからか、ちょっと不足気味な読後感であるものの、後半のサラリーマンの話に感情移入してしまうのは、歳だからかねえ。
巻末のインタビューは「俺って特別だから」という意識が垂れ流されているだけに感じたし、読んでない本の解説をダラダラされても面白く無いので途中でやめた。デビュー作が特別なんだったら、そのデビュー作の巻末につけとけよな。 -
Posted by ブクログ
まだ1歳の誕生日を迎えたばかりの息子を失くした父親の旅の物語。
出だしがうまいなあ、
と最初は技術的なところに目を向けて読んでいたのですが、
読み終わる頃にはそういうことよりも
物語に入り込んで味わうというふつうの読書になっていました。
物語の中へと引き込む力に負けたのです。
それに、だんだん、登場人物の動きやセリフが
こなれていったのだと思います。
それで、読んでいて自然に感じられる土台が前半部分に作られて、
その貯金分みたいなもので、
後半の大事なところをスパートをかけているような感じでしょうかね。
こういうのは、長編だからこそ効く「溜め」と「解放」なんじゃないか、と、
長編を書いたことのないぼくは考えるのでした。
第五章では熊本が舞台になります。
なに言ってるんだとおもうひともいるでしょうが、
熊本地震とシンクロしてしまった感があります。
はじめて小説を書いたひと月後に東日本大震災が起きました。
今回、4作目を書きあげてひと月後に熊本地震。
小説を書くと1/2の割合で地震が起こっています。
まあ、ナンセンスな話だけれど、
縁起を担ぐひとならやだなあって思いますよね。
物語のほうはというと、
主人公は、最初は北へ北へと進み、それから西へ西へと進んでいきます。
東京を中心に、です。
幼い息子の死をうまく受け入れることができず苦しむ主人公と、
同様に苦しむ、妻の洋子。
そして、前妻との子である明日香と父親の微妙な距離感での再会。
そしてその前妻の向かっていく死というもの。
全9章のうち、それぞれの章に、
それぞれ個別の、人生の問題や壁のようなものが描かれています。
そうしながら、全体として、主人公たちの問題が、
解決へなのか、消滅へなのか、進んでいく。
人生を省察したその知見からの描写や語りにこそ、
重松清が読ませる力が宿っているように思います。
いろいろと取材にもとづく描写や知識が語られていて、
勉強しているなあと感じさせられても、
そこはやはり二番手の感慨なような気がするのです。
物語の構築上、リアリティだとかをだすための
素材なんだよなあという感じ。
重松さんは、オトナであるだけでなく、
子どもの心理にもよく通じていると思いながら読みました。
ぼくの子ども時代に感じたことを掘り起こされるような
気さえしました。
そういうところが、
重松さんの一番のストロングポイントなのかもしれないです。
おもしろかった。 -
Posted by ブクログ
『泣きの重松』の作品なのである。
彼に家族を描かせたら、
もう自由自在に読者を泣かせることができるくらい
読む者のツボを心得た巧みな作者なのである。
その重松さんが書いた3.11震災の短編集。
なのに、読み始めて2つ目の短編で『あれ?』と思い
3つ目、4つ目辺りで気がつく。
主人公への感情移入が浅い・・・
たぶん重松さんは、あんな悲惨な出来事を
当事者でない自分が書くことに迷い、あえて第三者的な書き方を選んだのでしょう。
『経験してない人にわかるものか』と言われれば返す言葉が無い。
安易に『がんばって』なんて声もかけられない。
自分が何事もなく平凡な暮らしを送っていることさえも
罪悪感を感じてしまった震災後の日々・・・
そんな日々を思い返しながらページをめくりました。
あれから5年、重松さんが描く次の春の物語も読んでみたいです。 -
Posted by ブクログ
自ら被災地を訪れた取材をもとに作られたドキュメントノベル、それはどこから切っても重松さんそのものであり彼ならではの愛と優しさ溢れる作品。
それ故評価も高いのだがそんなメッセージを受けとめつつもどこか引っかかる、その違和感の正体はやはりなぜ不登校の中学生を物語の中心に持って来たのかということだろう。
手法としては定番中の定番なのだが「がんばり」の種類は明らかに違うものであり同じ土俵で括ってしまうのはあまりにも安易で双方に対して失礼なのではないか?
本文の中ではそうではないと否定はしているもののだったらそう描かなくてもいいではないか…穿った見方かも知れないが私はそう感じました
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