吉田修一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ書評にも何回か掲載されたこともあるみたいで
吉田修一のなかでも代表作なのかな?
地方都市に住んでいる小百合
ちょっと美形の弟・耕治がいる
だけど弟の彼女・めぐみが平凡すぎて似合わないとイライラ
そんな時、同窓会があってそこであったのは
憧れの先輩・聡史
イライラしてる小百合に先輩からお誘いがあって
東京に向かおうとする小百合だけど
前に本屋であったある一人の青年がいて・・・
という話なんですが(大雑把すぎやわ)
個人的にめぐみと小百合が話してる時
めぐみが言ってたこと
”耕治と付き合う前の自分は燦々たる結果で
どうしてこんなに男の縁がないのか
自己分析したんです”
その分析結果が
何か自分にめっちゃ似てて笑ってしまった
ああ、そうだよね、Mayoもそういうタイプやわ
って・・・何かちょっとだけ勇気をもらいました
最後に小百合が言ったひと言
『私も1度くらい間違ったこと、してみる』
上手く伝えられないけど
恋愛に悩むヒトにはちょっといい薬かも? -
Posted by ブクログ
ネタバレ≪内容≫
大宮の地にそびえたつ地上35階建ての超高層ビル。それはフロアがねじれながら、巨大な螺旋を描くという、特異な構造をもっていた。設計士・犬飼と鉄筋工・隼人、ふたりの毎日もビルが投影したかのように不安定になり、ついにゆがんだ日常は臨界点を超える。
≪感想≫
そびえ立つランドマークとそれに関わる2人の男の日常。Number10から始まりNumber1で終わる各節のタイトルは、歪みの臨界へのカウントダウンとなっている。結末が明確でないことに不満を感じる方もいるのかもしれないが、徐々に歪みに耐えられなくなっていく2人の不安や焦燥感と、その捌け口となる行動がとてもリアルに感じられ、現代の閉塞感を巧みに描き出している点もさすがと思った。建設中のランドマークの各階に貞操帯の鍵を埋め込んでいくという理解し難いはずのその感覚に惹きつけられるのは、僕だけではない、はず。 -
Posted by ブクログ
主人公の一人、隼人は鍵を埋める
作り手として自分だけが知っている秘密を残したいのか
それ以上の意味があるのか
隼人のそれまでの行動がとんでいるのでわかりがたい
もう一人の主人公、犬飼は愛人部屋で
“グローバル経済と現代奴隷制”という書籍を見つける
この本が気になって(実際にある書籍のため)購入
現代奴隷制という相反するような言葉が連なって
ひとつの単語を形成していることはなんだか不思議な印象
最後、これで終わり?と思う終わり方になっている
吉田さんのお話はあくまで生活の一部を切り取ったもの
という形になっている気がする
何か大きなことが起こったとしても
わかりやすいハッピーエンドも哀しい結末もなく
ただ、その後にも続く生活の余韻を感じるよう
それが素敵なんだけど、吉田テイストの余韻は
(あまり明るくもなくカラッともしていないので)
積極的には味わいたくないかも…と思ってしまいます(笑) -
Posted by ブクログ
会社の上司の奥さんが高校時代の知り合いの亜希子だった。
自分が中心にいないと気がすまない彼女は
私を観客に仕立て上げて高校時代は聡史と、
今は安藤さんとの仲を見せつける。
しかし同窓会をきっかけに亜希子と聡史が再燃。
聡史を好きだった私は今日も7月24日通りを歩く。
写真:畠山直哉 装丁:新潮社装丁室
自分の町がリスボンの造りと似ているって知ったら
いつもの景色が全然違った風に見えるんだろうなあ。
絶対絵描きの彼といた方が幸せになるのに、と思いつつも
彼がいたからこそ間違いに踏み出せたのかも。
章題がいまいちだと思ってたんだけど最後のリストとつながってて
うまい!と思った。そっくりだよ本当に。 -
Posted by ブクログ
好きな作家はと聞かれたら、必ず入れるであろう作家の一人です。
文学界や芥川賞を取るなど純文学の作家ですが、この「ランドマーク」は彼の作品の中でも特に純文学っぽい作品だと感じました。
舞台は大宮。大宮駅前に建設中の地上35階建ての超高層ビル。
その建設に関わる設計士・犬飼と、鉄筋工の隼人という二人の毎日が描かれます。
犬飼が設計したビルはフロアが捩れながら積み上げられる螺旋の構造を持っている。
そのビルの設計が進むに伴って交互に描かれる犬飼と隼人の毎日も少しずつずれていき・・・、というお話。
舞台が東京でなく九州でもなく、大宮であることには意味があるんですが、個人的には、大宮には一年間予備校に通っていたことがあり、描写される街の風景も所々目に浮かんできたり、そこらへん妙に感情移入できて良かったです。
捩れていく二人の生活が徐々に緊迫感を増していく描写はさすがです。
吉田さんの作り出す会話は本当にリアリティがありすぎて、時々ゾッとしてしまいます。
ただ、交互に描かれる二人の生活がどこで交わるのかと思いながら読みつつそこを裏切られるっていう。これは何だろう。別のとこに着目してもう一度読むべきなのか。
スパイラルしたビルの柱はいつまでも交わらずに上へ上へと続いていくということか。不思議な感じ。
二人の男の捩れていく生活から僕が感じたことは、
鬱々としていること、退廃的であること、やるせないこと、うまくいかないこと、不安であること、イライラすること、などなど。
そういう負の感情の認識や共感。
それが世の中に、というより一人ひとりの人間の中に存在するのである、ということ。
それはきっと人によっては難しく考えなくとも意識できていたり、普段の人間関係の中で消化できるのかもしれないが、そうでない人にとってはそういう感情の存在の認識はきっと生きていくために必要なことであり、きっとそこらへんが純文学たる所以なのかなぁ、と取りとめもなく見当違いに思いをめぐらせた本でした。
吉田修一に興味がある人は別の本から入る方が良いかもしれません。 -
Posted by ブクログ
読み始めはなんて温度が高い小説かと驚いた。そして、主人公である瞬が、小1、小5、中1、中3、そして高校2年で中退し、最後には最初は赤ん坊に近かった弟が大学生となり、主人公ではなくなった兄をあきれた目で見るようになるまでの、どんどん温度が低くなっていく過程に悲しくなった。一話一話進むごとに、三村家の人間がいなくなっていき、比例するように確実に温度が下がっていく。悠太が瞬を見る視線に遣る瀬無さがつのった。幼くして父親を亡くし、たくさんの男たちを見てきた瞬は、何も覚えてない悠と違い、ずっと「男」の姿を模索し続けてきた。「なんもせんで生きとるのも、なかなか難しかとぞ」と言う瞬に涙が出そうになった。最後に瞬は解放されたのだと、信じたい。