吉田修一のレビュー一覧
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横道世之介が大学入学からの1年間の話。
青春話になるのかなあ。
バブル期の時代背景描写が
自分の経験と重なり懐かしさがこみ上げる。
それにしても世之介って。
両親の名前のセンスっ!
世之介のやる気があるんだかないんだか、
ふわふわっとしている雰囲気のような
つかみ所があるよな、ないような
流される性格のような、そうでないような、
独特の雰囲気を醸し出している感じでもあるが
どこにでもいるような平々凡々な男でもある。
ひょうひょうとているようで、熱いものもあるような
なんだか憎めないやつ。
20年後ふと思い出したときに
笑みがこぼれてしまう不思議な人。
当時つきあっていたお嬢様の祥子ちゃん曰く
(彼女もかなり独特なひとでしたw)
「いろんなことに、「YES」って言っているような人だった。・・・・もちろん、そのせいでいっぱい失敗するんだけど、それでも「NO」じゃなくて、「YES」って言ってるような人」
しっくりくる表現だ。
最後の母の手紙も、世之介の人柄が偲ばれる。
なんだか温かい気持ちがわいてくるのだ。 -
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断捨離をしているうちに吉田修一さんの本が結構出てきて、また読んでみようかと。本屋さんに行くと最近の作品=映像化されている作品があり、つい手にとった。
地理的に琵琶湖の風景が脈々と解るので余計リアル、薬害問題、戦時中の人体実験、介護施設の事件もかなり知見しているのでリアル
人間とは賢くもあり愚かである。
この物語
圭介と佳代のなんとも言えないインモラルな描写に妄想も加わり一気読み。
「湖は自らを波立たせることが出来ない。だからこそ静かで美しい」
波立った湖は物語の終わりに何事も無かったように静かなり、より一層美しくなる
ちょっと車を走らせて湖岸に向かおうかなと言う気持ちだ。
もし白衣の子供たちがいたらどうしよう
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映画化もとっくにされていて昔から存在を知ってるお話を、前知識無しで今更ながら読んだ。
結果、なぜ今まで読まなかったんだろう?!と思うくらいには好きなテイストの本だった。
調べてみたら、なんと続編も2つくらい出てるんですね。全然知らなかったです。
物語は、バブルの頃の大学1年生男子の1年のお話。田舎から上京してきた、横道世之介。名前もなんだかふざけているし、本人も(至って真面目なのだろうけれども)飄々としていて面白い。
周りのキャラクターも濃くて、学生ならではのゆるっとした空気のまま、ひと月ひと月が過ぎていくような一冊。学生の時ってそうだったなと思い出しながら読み始める。
そんな何気ない日々の中で、登場人物たちは人生を変えるような出来事をそれぞれが実は通過し、そしてそれもまた日常のひとつとして同じトーンで描かれているのが興味深い。実際に人は、あれが実は自分の人生のエポックメーキングな出来事だったなんてことはあとから振り返ってわかるわけで、そのときはただ一日一日をたんたんと生きている。それがこの小説でも表現されていて、登場人物たちとともに疑似体験しているみたいだった。
作者吉田修一の本では、国宝が好き。あれも一人の人の日々、人生がじっくり描かれている。しかしあちらは人間国宝の人生を追ったもので大河的、こちらは市位の人である横道世之介の物語で言うなれば朝ドラ的?
対比的に感じた。
合間合間で、二十年後ぐらいの登場人物それぞれのシーンが挟まっていて、そこはかとなく不穏な感じが徐々にしてくる。そうして少しずつなにが起こったのかを読者は知る。人生って諸行無常、関わった人たちとの関係も変わっていく。でも関わったことにより、お互いの人生に多かれ少なかれ影響している。そういうことが、多層的でグラデーション的につくられている物語から、じんわり伝わってくる。
主人公、続編ではなにが描かれてるんだ?読んでみます。
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日雇いのアルバイトを無断欠勤でクビになり、無職でだらだらと暮らしていると、以前に付き合っていた圭子のことを思い出す。圭子は職を転々とするろくでなしの自分と付き合ってくれていたが、実は医者の卵であったことが判明。身分も違うことから別れようと言う話になったとき、腹をすかせた兄弟に出会う…。
繋がっていないようで、あるところから繋がる5本の掌編。人生の分岐点で出会う、得体のしれない親を探す兄弟が、普通ならば人生を変えるきっかけになるようなものだが、本作ではそんなことはない。2本目を読んでいるときに「あれ?さっきも出てた?」とひっかかる程度というのが、なんとも良い重み付けをされている作品である。
全体には、いろんな職業でそれぞれうまく行かない、だいたい孤独の人間模様が描かれており、転職だったり仕事をやめたりというよくある人生である。
全体にエンターテインメントとして読める作品で、それぞれは記憶に残るだろう。そこにスパイスとも言えない程度の違和感。読み終えて振り返ると、芥川賞的な純文学の要素もあるんだなと思える程度で、小難しいブンガクなどと気合を入れるほどではないバランス感覚が良い。
すごくいい、傑作(と裏表紙に書かれている)と称えるような話ではないかもしれないが、なんかいい。手元においておきたくなる1冊だ。 -
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映画の原作ということで読みました。
既に劇場公開されてしばらくした頃、書店で原作を見かけて吉田修一の作品であること、琵琶湖が舞台になっていることを知って、慌てて原作を読みましたが、鑑賞当日(6/11)は夜勤明けであったこともあって50ページを残して鑑賞となりました。
一日一上映になって木曜日が最終上映になってもいたので、この日を逃すと劇場で見れなくなるので、仕方ないかって感じです。
ただ鑑賞後に残りを読みましたが、クライマックスの部分以外は読めていたし、そこまで読んでイメージしていたそのシーンの映画の中の佳代の姿に違和感を感じたのですが、その違和感は外れてはいなかったと残り50ページを読んで得心がいきました。もちろんその違和感が、佳代を演じた松本まりかの凄さを減弱させるものではないです。
この作品の映画サイトでの評価が、僕が思っていたよりも低くて正直驚いているのですが、多分、この作品に何を求めるかによって鑑賞後の感想も変わってくるかと思います。一つの事件を巡るミステリーだと期待して観れば、その結末の中途半端さに疑問を抱かれるかと思うし、社会悪に深くメスを切り込んで世に問う作品と思われれば、そこまで深く闇に立ち入るわけでもない。けっきょのところ、人々が内包している闇の部分を、主人公である濱中圭介と豊田佳代を中心に、モザイクのように描いた物語なのかなぁと思いました。
今まで爽やかなイケメンを演じてきた福士蒼汰と、まさに体当たりという言葉の通り新たな境地を開いたかのような松本まりかの演技は、ちょっと引きずってしまうほどの凄みがあって、それだけでもこの映画は観る価値があったと思わされました。
原作を読んでいなければ、圭介と佳代の関係にいろいろ疑問を生じるだろうことは想像できます。
でも、今作ほど原作に忠実であらんと苦労したであろうことも察せられ、変に解説めいたストーリー展開にしなかった分、難解な要素も生まれてしまったのだろうと思いました。
吉田修一はデビュー作を当時読んで、この人来るかもって思ったことを覚えていますが、その時も圭介や佳代のような性的人間が出てきて、それが社会通念や常識を無視したような描写が印象に残っています。その後、あまり読む機会がなくて今日に至りますが、圭介や佳代のような人物の登場には、彼の作品ならと想定の範囲ではあったかなぁと思います。
原作では雑誌記者の池田は男性ですが、福地桃子の女性記者は映画的な改変ながら、結構いいなと思えました。
大森立嗣監督は『星の子』の監督でしたか。この監督の作品は結構好みかもです。
琵琶湖を舞台にしていますが、作者が実際にあった滋賀県での事件にインスピレーションを得て描かれたということです。実際の事件をご存じの方も多いと思いますが、今作で起こる事件とは似て非なるものなので、あくまでも作者の創作なのだと納得して読みました。舞台となる西湖は琵琶湖の湖東側にあるのですが、映画では住所が高島という湖西の地域であったりロケであったりと滋賀に住む者として違和感あるのですが、まぁ、これは土地勘あるせいで、大筋には全く関係ないので、そんなことを感じながら観れるのは特典かなぁって思ってました。
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楽しい。この描写の奥深さ。
たとえば、腕をつたう洗剤の泡、だとかそのかゆみが全身にうつる、とか細かな描写から人物の心の内をのぞかせてくれる。宮部みゆきさんとかもそう。余韻というのか、想像の余地を少し残してくれている。
よくファミコンなんかが再評価される時に使われる、表現しすぎないというプレイヤーの自由。
ああ、吉田修一さんは『国宝(上)(下)』に震撼させられた方じゃないか。本作もまた、シーンと深い思索に落ちていくような感覚を味わった。
祈るしかないようなフィナーレの迎え方が、人間という余韻すら残してくれる。
うん、なんかいいこと言った気がする。
生きたという余韻。 -
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ネタバレまさに橋を渡るような読書体験だった。春、夏、秋と橋を渡った先には奇妙な冬の景色がある。それは虚構に違いは無いが、我々自身の選択によってはある意味有り得る未来図とも言える。
初めの三篇は極平凡な純文学的作品に見える。iPS細胞、東京都議会野次問題、雨傘革命、マララ・ユスフザイ、東京オリンピック等等、当時としてはタイムリーだったのだろう、リアルと地続きの距離感と世界観で物語は展開する。日常に潜む言語化し難いモヤモヤを抉りながら。人間ってこういうところあるよね、みたいな。それぞれの掌編の繋がりは稀薄で、態々一つの作品としてやる意味あるのかな、なんて考えたけれど……。
最終章「そして、冬」に於いて物語は一気に七十年後の未来へと飛躍する。そこはユートピアともディストピアともつかない「不感の湯」のような妙な心地のする世界だった。まるで承前三篇の答え合わせのようだが、果たして正しく解答は導き出せたと言えるだろうか。
文明は発達し、寒暄を忘れ、もはや不感症のようになってしまった冬を抜けると、再び祝福の春が巡ってくる。
善人なおもて往生を遂ぐ。況や悪人をや。独り善がりの正義は時として取り返しのつかない過ちを犯す。然しそんな過ちを回避する為には、自分の信じる正しさを貫き、時に世界すら敵に回して戦う勇気が必要にもなる。正義とは利己や保身ではなく、利他と公共の為に戦う力だ。
而して戦う為に必要な武器は殺意でもミサイルでもない。一冊の本が、或いは一本のペンがあればそれだけで人間は戦える。そうして戦う人は皆、子供も教師も関係無く、一人の気高い兵士だ。
本書を読み了え、今一度橋を渡り、虚構から現実へと帰還を果たせば、橋の向こうには違う景色が見えていることだろう。 -
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いずれも実際に起きた事件を題材とした短編5編。どの作品もラストに曖昧さを残すが現実と創作の差異を読んで想像する。
誰しも犯罪者となる隙間が見える。
「青田のY字路」
北関東連続幼女誘拐殺人事が題材か。
そのうちの一件「殺人犯はそこにいる」で取り上げられた冤罪事件“足利事件”を意識したかな。
それだけでなく類似犯罪も取材の上かと思う。
少女達の誘拐殺人は許せるものではないが、
犯人であろうと地域住民から追い詰められる男の行先。数々の状況や生い立ちそのものへの不信感。
「曼珠姫午睡」
弁護士の妻英里子の中学の同級生が殺人犯で捕まる。内縁の夫の保険金殺人。目立たなかった少女の中学卒業後の変貌。中学のちょっとした関わりからか、彼女は自分の店名に中学の思い出を源氏名に英里子と名乗っていた。
犯罪とは無縁の英里子がふと踏み外す日常。
後妻業などかな。
「百家楽餓鬼」
バカラ、ギャンブルに堕ちていく御曹司。
今、タイムリーな話題。記憶に残る上場企業創始一族の社長がカジノで多額の借財を重ねた事件。
寝食を忘れて没頭していく様子、本人はすでに思考できない状態が背筋が凍る。
「万屋善次郎」
62歳善次郎が限界集落で5人の高齢者を殺人放火。善良な男が、集落で孤立、高齢者たちからの軋轢で追い込まれていく。
田舎暮らしでの孤立は過酷。余所者、上下関係と理不尽な掟もある。
「白球白蛇伝」
家族の希望を背負いプロ野球選手となった青年。貧しい家庭だったが、家族は才能ある青年に協力を惜しまない。
華やかな活躍は短かったが、一度経験した贅沢を引退した後も続けていく。そこには破滅しかない。
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6人の作家さん毎に色が異なる厚手の紙の本。
写真はもちろんカラー。
角田光代さん
「トト」は2冊フォトエッセイを読んだので知ってる。
「トトが来る前は自分中心で、辛いことがあると全身で向かい合っていたのでしんどかった。」が、
「トトが来てからは、とりあえずトトにご飯をあげなきゃ、といった気持ちの逃し方ができた。」そうだ。
角田さんは犬が好きで、「トト」は犬の要素を持っていると言っていたのを思い出した。
他の猫よりも人懐っこいのかな。
村山由佳さん
猫が大好きなんですね。
「もみじ」に対する想いは尋常ではなく、エッセイを何冊も出しているみたい。
「もみじ」の生まれる瞬間にも立ち会ってるし、亡くなる時まで17年も一緒にいたら、そりゃ愛情だらけになりますね。
「犬は子供で猫は対等な大人。」と言ってたが、子供は従順で大人は自分勝手ということか?
逆に犬は大人で猫は子供とも言えそうだな。
柚月裕子さん
「呼んでも来ないし、抱きしめても、するりと腕から抜け出す。」
「でも気がつくとそばにいて、いつも同じ瞳でみつめてくれる。」
猫との接し方は、養老孟司さんと似てるかな。
養老孟司さん
子供の時からずっと家に猫がいるようだ。
あまりかまわないで好きなようにさせている。
寄って来るのは餌が欲しくなった時。
人に手間をかけさせるのがペットの仕事。
猫は生きることのモノサシ。必要な物を手に入れたら、あとは寝ている。
毎日お互いに生きてますな、と顔を合わせてお終い。それでいい。
皆さん、猫に見られている感があって、自分以外で自分のことをよく知っている存在と捉えている。
猫はいつでも自分のことを気にしてくれているありがたい存在なんですね。