青姫
著者:朝井まかて
発行:2024年9月30日
徳間書店
初出:「読楽」2020年9月号~2021年1月号、2021年5月号~12月号
時代小説の市井ものとしてはナンバー1の人気作家、朝井まかての新作。徳川の治世が始まって30年、寛永年間のある山里が舞台。おそらく日本海に面したエリア。新潟あたりであろうか?当初は市井小説かと思えたが、その特別な郷は一人の少女風の女性が頭領を務め、武家の出のものたちが側近に仕える。主人公は農民だが、皇族、武家なども絡む。単純な市井小説とは違う。このジャンルはなんと表現すれば?
甲斐国の名主の四男、杜宇(とう)が主人公。次男と三男が若死にしているので、嫡男になにかあった時の代用要員でもあり、教養や武道も一通り身につけている。しかし、土井久四郎という郷まわりの役についていた若い武士と悶着を起こし、出奔した。たどり着いたのは、干し草のある小屋。そこは年齢不詳の満姫が頭領を務める郷で、いわば自治の村でもあった。方針は籤で決められる。それが神の意志だと考えられている。頭領ですら三年に一度の籤引きで決められていると称している。ここではどのようなことをして生きていってもよく、そのかわり自らの得意なことで得た物を現物または金子にかえて年貢として納めなければならない。杜宇は1反(300坪)の田んぼを拓き、1石の米を納める義務を籤引きにより負わされた。籤の結果次第では、その場で切られるという事態もあったのだった。米作りの元手として、質商で10両の借金もさせられた。
郷には市庭(いちば)があり、いろいろな店があってなんでも買えた。飯屋もある。もちろん、何かを持っていけば、買ってくれもする。自由経済が成り立っている。
館の一角に住まわされた杜宇は、適地を見つけ、若い男たちを雇って木を切らせ、根を抜いた。最初はよく働いた男たちも、次第にサボるようになり、最後は一人での作業となった。なんとか田んぼをつくり、水を引いた。そして、春に田植え。ところが、日照りが続いて枯れそうに。水の経路づくりに失敗したところがあると気づいたが手遅れだった。結局、初年度はたったの4合しか収穫できなかった。
約束が果たせなかったとして、次の年に3石の年貢が課せられた。謝金は残るどころか、さらなる借金もしなければならなくなった。なんとか年貢を納め、自由の身になりたい・・・そんなとき、運命を変える病人が運び込まれてきた。
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(以下、ストーリーメモ、ネタ割れ)
薬師の分麻呂が、重病人の男を担ぎ込んできた。流行病かもしれないので、お前が面倒を見て判断しろ、と置いて出て行き、部屋から出られないようにしてしまった。自分に移るかもしれない恐怖と闘いながら、看病する。回復してきた男により、流行病ではなく大量発生した黄蝶に襲われた毒にやられたのだった。一安心もつかの間、その男が襲ってきた。よくよく見ると久四郎だった。仇討ちにやってきたのだった。しかし、腕は杜宇が上でねじ伏せた。甲斐国での悶着も、稽古をつけたときに勝ち、久四郎に恥をかかせたのが原因だった。
久四郎が言うには、上司に訴えたけれど、お前が悪いということになり、逆に仕事を失ったという。杜宇の兄も強気に突っぱね、無事に名主を続けられているという。だから仇討ちに来たという。
この久四郎に関しても、満姫による籤で処遇が決まった。来年、一緒に米をつくること。そして、3石納めること、となった。以後、久四郎は態度を変えて妙に協力的になった。年貢として納めた4合の米を、姫飯として振る舞うという約束をしていて、その炊き方も久四郎が知っていてうまく調理した。当時の米は蒸すおこわが主流で、精米して炊く姫飯は珍しく、贅沢な食べ物だった。満姫はじめ館の者や郷の者も、大喜びだった。
満姫の側近は、武士出身の朔(さく)という男だが、久四郎はなにをたくらんでいるかわからないので、よく監視するようにと杜宇に言ってきた。ところが、久四郎は唐の農政書もしっかり読み、翌年の米作りをリードし、大きく貢献した。そして、見事に義務である3石の年貢を納め、借金も返し、さらに米も余った。
ここまでの展開は、朝井まかてらしい、市井小説としても楽しめる。
ところが、お祭りの時に、種籾とともに久四郎が行方不明になってしまった。裏切られた、と杜宇らは思った。朔が調べたところ、黒雲衆のところにいるという。彼らは山の流浪民で、平素は杣人として暮らすが、突如として群れ、山を越える。村落を襲って銭、米、麦、紙衣(かみこ)一枚も余さず奪い、女子供を攫い、男は一人残らず殺戮するのだった。あとに何も残さぬ稲子の大群、黒い雲霞(うんか)のごとき衆。そこに種籾を持ってこの郷を売りに行ったに違いないと考えた。
ところで、この郷には秘密の場所があった。実は、草生水(くそうず)が出る油井があったのだった。石油である。そのまま燃やすと強い臭いと煤が出るので使えない。なんとか精製して、それをもって都に行き、満姫の地位を取り戻したい、という計画があった。このことは秘密にされていて、ちゃんと認められた者にだけ教えられた。杜宇は教えられたが、久四郎には教えられなかった。まだ、仲間だと認定されていなかったからである。なお、精製法は、薬師の分麻呂がついに開発した。
そんな久四郎が郷を売った。そして、黒雲衆が襲ってきた。待ちかまえていた郷の人々が応戦した。責任者は朔である。
杜宇と久四郎が再び相まみえ、杜宇が勝つ。全体的にも朔が率いる郷側が優勢なのだが、最後は油井に火がついてしまい、郷は全部燃えてしまうことになる。その中で、久四郎は、黒雲衆に対して、こんな甘言で誘って襲わせたことを話した。「この郷を制服いたさば公儀に掛け合うて、姓(かばね)と身分をもろうてやる」。黒雲衆たちは、女が子を産んでも山中の暮らしに堪えられず死んでしまうため、そんな甘言を信じ、幻想を抱いてやってきたのだった。
一方、満姫の正体も明かされた。実は上皇の娘であり、天皇の妹だった。小説には具体名は出てこないが、寛永年間の上皇は、後水尾天皇→上皇であり、天皇は女帝の明正(めいしょう)天皇ということになる。後水尾帝は何十人も子がいたため、おそらく腹違いの妹ということになる。
満姫は、早老症のような病気であった。5歳の頃にすでに12歳のように見えた。怪しき姫、卑し姫と呼ばれ、父帝にも乳母にも、実の母親からも忌まれ、「早う死ね」とまで言われた。だが、満姫は怪しくはなく、病であることを見抜いた者がいた。地位の低かった薬師の分麻呂だった。満姫は尼寺に預けられ、そこで朔と知り合った。そして、近江の坂本の地からこの郷へとみんなでやって来た。
郷は燃え、恩人でもある分麻呂を救おうと火の中に飛び込んだ満姫と朔も死んでしまったようだった。実は、分麻呂は久四郎と通じ合い、油井のことなども話してしまっていたのだった。それで精神状態がおかしくなり、火から逃げようとしなかったのだった。
命からがらなんとか逃げた杜宇は、籤引きにより、飯屋のおせんを江戸まで送ることになっていたが、崖で滑落して大けが。ただ、救出されて一命は取り留めた。おせんは子をはらんでいた。その時点では誰が父親か分からないと言っていたが、実は、久四郎の子だった。2人は一緒に暮らし、子を育てた。その子は専業農家になり、名主になった。