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本の中で本を読む感覚ですね、たくさんの民話、御伽噺を読めて、何気ない話が実は深い意味があるので。小太郎の話は初めて聞きました。お母さんに会えるのとお父さんに育てのお母さんとみんな意味があるから、自分の使命があるから。草どんが雲上人だったと、それが命尽きると、最後には現代を風刺していて、間違いなんだな、これは人間の行き方ではないのだと確認出来る。LINEとかSNSとかどっぷりハマっている現代人は、どうやって本当の行き方を取り戻せるのかな
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「物語が世界から消える?」
昔、むかしのそのまた昔。
「草どん」が子狐や山姥に語る「昔話」
物語が消えてしまう世界はどうなってしまうのか。
「草どん」の本当の姿は。
雲上から雲下へ降りてきた存在は。
壮大で「語る」ことの大切さを感じる1冊
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ミヒャエル・エンデさんの
「はてしない物語」の中で、
主人公のセバスチャンが、
ある一冊の「物語」を読んでいくうちに、
その物語の中に入り込んでしまって、
あの愛嬌のあるファルコンと一緒に
旅を続けていく中で、
とてつもない経験と、
とてつもない勇気を
身につけていく…
あのセバスチャンの「奇跡」の感覚が
この「雲上雲下」を読みふけるうちに、
自分自身に起きていることに
感動してしまいました。
なんと面白く
なんと壮大な
なんと身に沁みてくる
おもしろき「物語」でありましょう!
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知ってる話や知らない話。昔話を、朝井まかて流に語りなおした作品なんだな……と思って読み進めていったら、やがて、「物語とは何か」という壮大なテーマに流れ着き、満腹になった。ただのほっこり系連作短編集かと思いきや、大満足だった。
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初めのうち、草どんが子狐にひたすら昔話を語るお話かと思ったんですが…読み終えてみたら、いやはや、雄大というか壮大というか、とても大きくて深いお話でした。確かに今の世の中、おばあちゃんのそのまたおばあちゃんから口伝えで伝わったお話を知ってる人の方が少ないでしょうし、元のお話が持っていた残酷さもきれいに削られて「めでたしめでたし」なお話になっているとも聞きます。こどもの育ちのためには多少の痛みやいやな思い、残酷さや少々の毒気も知っておくべきとは思うのですけどねぇ。神様はいないのではなく、人が信じて初めて存在するのだと改めて思いました。
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良い本を読んだ。この本の言おうとしていることに私も共感する。
お伽噺が最初は語られていくが、後半になり語り部の草どんの話へ。日本の古来からある八百万の神などの神々を存在たらしめるものが人々が語り継ぐお伽噺の中にある。それを現代の人間は忘れ、疎かにして神々の存在を儚いものに。
そう言う意味からも「にほん昔話」復活も併せて望みたい。
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子狐が、森の「草」にお話をせがむ。
草といっても、大きな木のような不思議な植物だ。
最初はうるさそうに、短い話をしてやるだけの草。
しかし、なぜか自分の内部から物語がよみがえってくる。
物語内物語が次々と展開する。
贅沢なつくりだ。
これはもう、面白くなるはず。
山姥が、子狐が、最後に「草」が、語る物語を通して、自分が何者であったのかを見つけ出す。
最後はちょっと文明批評のようだった。
物語が、不思議が存在できない現代日本を批判する。
ちょっと『平成狸合戦ぽんぽこ』的な雰囲気を感じたが…。
物語を読む楽しさを思い出させてくれる一冊。
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「草どん」と呼ばれる一本の草が子狐に話をせがまれ、次々と昔懐かしい民話や昔話を語る。
浦島太郎やおむすびころりんとか傘地蔵、かぐや姫や桃太郎も。童話本などで記憶にある話とは少し違い、朝井まかて風昔話集。
かと思っていたら、章の三で、雲上と雲下が交錯し、俄然様相が一変する。
この小説は、お伽噺を題材に、それらの話が現代では歪められたり、忘れ去られていくことへの著者の危機感を著したものだった。
作中人物に語らせる。
「今どき、薪割りや草履編みなんぞと言うても通じねえもの。年寄りも結局、子らの喜ぶ新しいもんを与えて機嫌を取る。若い者らに合わせるので、精一杯だ」
さらに、現代の精神的に余裕のない世情を、現状の雲下の雑音として挙げている。
「サッサト、シテヨ」「ボヤボヤスルナ」「モット効率ヲ考エロ」等々。
「物語こそが、雲上と雲下をつなぐものであったのに」
登場人物の悔いは、作者の悔いでもある。
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草どんの語る話はいずれも魅力たっぷり。
福耳彦命の話はイマイチ乗れなかったですが、天上界に既に神はいないということは、何となく得心出来てしまった。
明日彦は今、何をしているのだろうか。
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章ノ一・小さき者たち
草どんと、子狐/団子地蔵/粒や/亀の身上がり/猫寺
章ノ二・勇の者たち
通り過ぎる者/お花/湖へ/小太郎
章ノ三・物語の果て
草どんと、子狐と山姥/神々の庭/空の下
長い年月、何をすることもなく目の前の景色を眺めて時を過ごしていた草どん。「お話し」を語り始めれば、次々と想いの底から浮かんでくる。
まさかのファンタジーを楽しく懐かしく読んでいたのに、もう終わってしまった。
世界は少しずつ変わっていくけれど、変わらないものが一つでもあれば、それはとても嬉しいことでした。
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どこかのランキング企画で目に留まって、文庫化待ちでチェックしていたもの。本作者の”~西鶴”も面白かったし、ってことで。最初は、良く知られた昔話をちょっとアレンジして、それを作中作風に語り聞かせという体で紡いでいくのかと思っていたら、途中からだいぶ雰囲気が変わっていくことに。語り手自らの物語が最後に描かれて、ラスト、語り継がれるべき童話が失われつつあることに対する警鐘が鳴らされる。壮大な結構。身につまされるものもあった。
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想像していた内容とはちょっと違ったけど面白かった。
2章から話の雰囲気が変わったかなあ。
何個か昔話がでてきて知ってるのもあったけど知らないのもあってふむふむと面白かった。
自分としては最後らへんはちょっと物足りないと感じたかも。
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子狐にせがまれるまま、草どんが語る昔話の数々。
子狐の「あい」という合いの手がほのぼの。
後半からの展開は流石。懐かしくもあり、悲しくもある。
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草が山姥と狐の子に民話をベースにした物語を語って聞かせる物語、と思いきや最後には神の存在を揺るがす展開に。日本昔ばなしも放送されない今、自分の子どもたちもあんまり民話を知らないのかも、と考えたらものすごくもったいない気がしてきました。
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「草どん」を語り手とした、皆がよく知る童話をベースの物語かと思いきや、「草どん」が語る現在進行形で、物語が挿し込まれ、さらに「草どん」を主人公とした物語が全てを包み込む、という複雑な構成。そこには、物語の無くした現代人への問題提議が含まれる。もう一度、じっくり読み直そうと思うさ
Posted by ブクログ
時代・歴史小説の名手朝井まかてさんが挑むのは、物語の根源に迫る物語。ほのぼのした話かと思いきや、話の構造が露わになってくるとともに、物語の壮大さに驚かされました。
始まりは日本昔話と童話を掛け合わせたような、なんとも可愛らしい出だし。永い時間を生きたらしい草の元にやってくる子狐。その子狐は草のことを「草どん」と呼び、何か話を聞かせてくれるようせがむ。記憶もない様子の「草どん」だったが、なぜか徐々に物語が内側から湧き出てきて……
草どんが語る物語はどこか懐かしい。おむすびころりんや浦島太郎といった日本の昔話を思い起こさせるものがあるのもその理由かと思いますが、お経を読む猫、タニシを産んだ老夫婦など、奇想天外な話も、とぼけ具合や、優しさ、善人や正直者が報われる結末など、そうしたものもまた日本の昔話らしさがあるからかもしれない。
そして草どんの元には、子狐以外にも山姥や、小太郎という子どもが現れ、そして草どんの語る物語は変質し、草どんの世界に交差していく。
草どんたちはいったい何者なのか。そして草どんが語る物語たちは、どこからやってきたのか。そして明らかになるのは、今ここにある物語の危機。民話と伝説が一体となったような不思議なこの『雲上雲下』という小説は、最後の最後に読者のいる現実世界にまで舞い降りて、この世界の危機を明らかにしてしまう。読んでいる時は、超展開にポカーン、としてしまったのだけど、読み終えて時間が経つごとに、この物語の真意なるものが、じわじわと心に迫ってくる気がします。
世の中にあまたある情報は便利で効率がいい反面、空想も想像力も、物語にワクワクする心も、物語の登場人物たちに心を寄せる感動すら奪いつつあるのかもしれない。そうした余裕のない心で、どこまで他人を思いやることが、世界を思いやることができるのか。
物語が脈々と受け継がれた意味、それは人が人の心を伝えるためのものなのかもしれない、人は、そして自分はなぜ物語が好きなのか、それを改めて考えさせられる、作品でもありました。
第13回中央公論文芸賞