春日太一のレビュー一覧
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戦後日本で多く作られた戦争・パニック映画から見る映画史。基本的には有名作品がほとんどだが、黒澤明と三船敏郎、小林正樹と仲代達矢、田中友幸と田中収、橋本忍、長坂秀佳ら、人間関係や人間像に焦点化しつつ作品を読み解いていく視点はとても勉強になる。個人的には、『兵隊やくざ』シリーズの勝新太郎にしても、初期黒澤映画の三船敏郎にしても、戦後日本映画は、じつは〈かわいい少年のような純粋な男たち〉を一貫してヒーローとして描いてきたのだ、という発見もあって、面白かった。
かねてから、戦後日本の戦争映画が作ってきた「戦争」の表象と記憶について考えてみたいと思っていたが、本書はその入口として相応しい内容と思う。岡本喜八の『独立愚連隊』『血と砂』への注目にも、膝を打ちたくなった。これらの作品は、田村泰次郎の小説と並んで、戦後における日中戦争表象を考えるうえできわめて重要。どこかに先行研究は出ているのか? -
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文庫化してからようやく入手できました。文庫に追加された内容もあってラッキー。
当初、サンキュータツオが指導者、春日太一が受講者として出発したBL講義が、途中春日さんのナニカが開眼してあるカムアウトをすることで、一瞬攻受が逆転し、後にお互いがお互い対等な関係になっていく姿に心打たれました。
(タツオ×春日→春日×タツオ→タツオ⇔春日)
BLという現象(とあえて書く)についてロジックを学ぶと共に、共著の二人の関係性の変遷を通してBLがどういうものか間接的に読み取れる、二倍おもしろく読めました。
…しかしつくづく自分の中では、オリジナルなカップリング妄想する種というか元が枯渇したんだなー…と実感したりもした一冊でした。
そんな中で創作妄想していた時の自分のBLポリシーを思い出してみると、確かにその中に自分の他人との関係性で理想とする形を投影していたなぁ…と再確認も出来た事もよかったかな。その辺をもうちょっと突き詰めて考えてみたい。 -
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ベテラン俳優インタビュー集、第2弾。
「週刊ポスト」に連載されているが、かなりカットされている。春日太一はあまり登場せず俳優の言葉をつなげているスタイル。春日太一が深い知識と愛情があるのでこれだけの言葉を引き出させているのだということが分かる。スターにはスポットライトがあたるが、こうした名バイプレーヤーの言葉を集めたものがなく、もったいないことがよく分かる。含蓄ある言葉のなんと多いことか。
今回は、織本順吉、加藤武、宝田明、山本學、左とん平、中村嘉葎雄、上條恒彦、山本圭、石坂浩二、藤竜也、橋爪功、寺田農、江守徹、西郷輝彦、武田鉄矢、火野正平、勝野洋、滝田栄、中村雅俊、笑福亭鶴瓶、松平健、佐藤浩市、中井貴一(生年月日順)が登場。亡くなっている人もいる。織本順吉さんは先日亡くなり、貴重なインタビューになったのではないかと思う。
「ことの破るるは得意の日にあり」「私の家に雨戸があるんたけど、閉める時、慣れた感じで雑に閉めようとすると指にトゲが刺さってしまうことがある。だからあまり得意がっちゃダメよ」-沢村貞子by中村嘉葎雄
「『このようにやりたい』があまりあると、それに束縛されてしまう。束縛されると、いい芝居はできませんから。そんなのは作らないで、自分のその時の感覚で『こうだ』っていうのを出した方がいいと思います。」-上條恒彦
「座右の銘は『人の芝居がヘタに見えた時は、自分がヘタになっているときだと思え』です。ダメな人ばかりに目がいって、上手い人に目が行かなくなったら、自分の感性が落ちているということだと思っています。」-山本學
「でも、お互いに傷つかないような、つまらない恋じゃ意味がない。心中してやろうかというくらいに、のたうち回るような恋じゃないと」-寺田農
・ 織本順吉「最近になって思うのは、呼吸の合間に言う言葉がセリフなんだということです。ですから、想いを託してセリフを言う時は、その前に息を吸い込むようにしています。息を吐く時は、極端に言うと『てめえ、この野郎』と喧嘩をする芝居ですね。」
「僕らが録っているセリフというのは、『日常的なセリフ』なんですけど、『日常そのもの』ではないわけです。フィクションの中のリアリティが必要です。」
「住大夫師匠が杉村春子さんの芝居を観ていみじくも言ってました。『あの人は芝居をせんと芝居してはりまんな』と。名人が名人を称した言葉で、ずしっと来た。『芝居をしないで芝居をする』って、俺はとてもできないけど、永遠のテーマですね。追い求めていくしかない。」-加藤 武
「声にもメシャーの音、マイナーの音、つまり長調と短調があると知りました。」
「『シルクロード』の時も音楽がすべて入っている上記要で録音しました。『調』を合せながら、音域の間に声を入れていくような感じです。ナレーションというのは、音楽と微妙に合って、観ている人たちが聴きがならスーッと流れて消えてくようでないといけません。やっぱり残るのは映像であって、ナレーションが残ってはダメなんですよ」-石坂浩二
武田鉄矢の語る「幸福の黄色いハンカチ」での高倉健さんの心遣い。 「お前たちとのロケはこれで終わりだけど、楽しかったな」 -
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春日太一『仁義なき日本沈没』再読
昨年シネ・ヌーヴォで行われた「生誕百年 追悼 橋本忍映画祭』で恐らく40ン年ぶりにスクリーンで観た『日本沈没(1972)』に激しく心を揺さぶられたので『日本沈没』の製作過程を追体験したくなり本書を久しぶりに紐解く。
全六章の内『日本沈没』そのものについて語られるのは実は第四章のみ。
本書の主眼は東宝と東映の栄枯盛衰を俯瞰で線状に記録していく事にある。
だからこそこの第四章における現場の声の記録が生々しくて面白い!
特に特技監督中野昭慶(30代)が橋本忍(50代)に語る言葉のカッコ良さと言ったら‼️
2018年3月に大盛堂書店で行われたイベント
「これまでの全20冊の制作秘話」
では本書の完成度に満足されていない(執筆過程を含む)趣旨の事をおっしゃっていた。
しかし今回再読してみる東宝、東映という二大メジャーの視点からの戦後日本映画概史として結実していると感じたし、何より個人的には「東宝争議」の概略が非常に解り易く記されていた事を再発見出来たのも収穫。
春日さんの本は時々再読しないとあかんなぁ。 -
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著者のトークイベントで購入。
時代劇研究家である著者が、自らの映画遍歴(「泥沼」体験)を語るエッセイ。週刊文春のコラムが元になっている。この手のコラムは往々にしてセンチメンタルな自分語りになりがちだが、本著は研究者らしくあくまでもドライな文体だ。その中で、作品への熱い思いがかいま見えるのがおもしろい。また、著者と自分が同じ歳なので、同世代人の記録として共感する部分も多かった。
文末のライムスター宇多丸との対談では、「映画ファン」である自分と「映画の有識者」である自分の葛藤や、読者・リスナーとの距離感の話が興味深い。
本職である時代劇研究の取材の裏話も豊富。ラジオを中心とした著者の語り仕事しか知らない人がこれを読むと、本職である研究書が読みたくなるんじゃないかな。 -
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仲代達矢…
重厚という言葉を天下一品のこってりスープで十日間煮込んだような濃厚な味わいの演技。
同世代の俳優たちが次々と天国へとログアウトしていくなか、いまだ延々と地上界にインし続けるアプリ廃課金者のごとき生命力。
彼が語る名優・名監督の逸話が実におもしろいです。
本書を読むとまた彼の映画が観たくなります。
「人間の條件」「殺人狂時代」などがアタクシのフェイバリットでございます。
唯一の汚点は市川崑の「女王蜂」冒頭部分の学生服姿でしょうか。
どう見ても浅草のコント芸人にしか見えないのです。
彼の演技力をもってしてもこれだけの年齢的なギャップはいかんともしがたく…痛々しいかぎり。
やはり学生姿はあっさり風味のほうが口当たりいいね。
まだのかたは是非一度ご賞味あれ。 -
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多作は「新進気鋭が腕試しをする試験場」でもあり、「粗製濫造で視聴者離れを引き起こす要因」でもあった。
かつて全盛を極めた時代劇の凋落はいつから、なぜ始まったのか。現状に至るまでを時代劇・映画史研究家が解説する。
1955年の時代劇映画は174本。50年代は毎年150本以上あり、1960年にも年間168本が製作されたが、わずか2年後の1962年には77本に、1967年には15本まで減少する。50年代は他に娯楽が少なく映画館入場者数が10億人を超えていたが、60年代に入って急激に落ち込み、東京オリンピックに合わせて普及した家庭用テレビの影響がさらに重くのしかかる。そこから半世紀以上続く、時代劇映画の「不振」が始まった。
著者は時代劇の危機を「映画での時代劇の危機」「テレビでの時代劇の危機」「京都での時代劇製作の危機」「表現手段としての時代劇の危機」に分類し、それぞれ抱える背景が異なると指摘する。確かにこの手の話ではよく混同される所であって、冒頭でそれを明確に区分けしたのはわかりやすい。
あえて加えるなら「映画そのものの危機」「テレビそのものの危機」なんてものも時代劇を取り巻く環境に拍車をかけているのかもしれない。
「時代劇は年寄りの娯楽」と思われがちなのは、「時代劇が面白かった時代を知っている人」の大多数が年寄りになってしまうほど最近の時代劇が面白くない、ということでもある。面白かった記憶をよすがに、なんとなく惰性や愛着で時代劇を見続けている、そんなイメージだろうか。
新しい時代に沿った作りをすれば、若い人でも十分に楽しめるのが時代劇であるし、実際往時の時代劇は若者も含めて楽しまれていたのである。
著者は近年の大河ドラマについても苦言を呈している。特に「江」が決定的に酷かったと名指しで指摘する。「利家とまつ」に始まる女性の活躍を無闇に押し出す製作姿勢が大河ドラマのホームドラマ化を招き、陳腐で軽薄なものに成り果てた。
2016年の大河「真田丸」はネットでもかなりの好評を博したが、本書は2014年の発行であり、著者は果たしてどう評価したのだろうか。本書の中では寺島進を実力不足と酷評しているものの、彼は真田丸ではかなりの高評価を博している。この辺も著者の言う「喜んで謝罪したい」という誤算であればよいなと思う。
さて、粗製濫造とも言われがちな状況から一変、本数が絞られる状況となって、しかも連続ドラマでなく一話完結のスペシャルものが主流となると、製作陣としても失敗が許されず、自然と「固い」構成になる。監督も脚本も役者も皆ベテラン(役者についてはアイドルなど人気だけで選ばれる場合も)で固め、演出も無難なものになる。新人が挑戦する機会は減り、また撮影も単発になるため「腰を据えて新人を育てる」という環境でもなくなる。
とにかく「余裕がなくなる」のである。プロデューサーの果たす役割と責任は大きいが、このプロデューサーも雇われ根性というか、時代劇への思い入れの有無とは関係なく、予算その他のしがらみで、とにかく枠を埋めることを最優先にせざるを得ない。
細かいことは本書を読んでいただくとして、時代劇の苦境はアニメの製作現場に通じるものも感じる。大きく違うのは「本数だけはとにかく多い」という点である。確実に視聴率を見込める人気俳優、アイドルを配役するとギャラで制作費を押し上げてしまう実写ドラマと違い、制作費を低く押さえ込めてしまうために本数だけは増やせるようではある。
「本数が多い」というのは、先述の通り新進気鋭が挑戦できる機会も増えるということである。一方でアニメーターや声優などの待遇改善が叫ばれ、制作費が増加していけば自然と本数は減る。時代劇はこの「本数の減少」によって多様性を失い凋落した。アニメでいえばジブリとドラえもんとワンピースなどといったビッグネームしか残っていないという状況である。
将来性を含めたクオリティを維持しつつ製作者達へ還元していく仕組みをどう構築していけるかが課題であろうが、主戦場であるテレビの製作環境に改善の兆しは薄く、管轄である経済産業省の「クールジャパン政策」とやらはそれ自身がお寒い状況である。アニメの明日はどっちだ。 -
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市川崑は脚本家の奥様、和田夏十の内助の功に支えられていた。
監督は奥様の没後は迷走…。和田夏十さんのすごさももっともっと検証されるべきでしょう。
「木枯し紋次郎」の主題歌、上條恒彦「だれかが風の中で」の詞まで書かれていたとは。すごいね。
吉永小百合を「監督クラッシャー」と断言するのもツボ。
戦後の日本の映画界の駄目っぷりも露わに。「東京オリンピック」は人選ミスって駄目じゃん。
角川が仕掛けた金田一耕助ブームがミステリへのめり込むきっかけだっただけに、石坂浩二インタビューは嬉しいおまけ。
見たくなる映画やTVが一杯出て来て、それだけでお釣りが来る一冊ですね。