あらすじ
『水戸黄門』も終了し、もはや瀕死の時代劇。衰退の原因は「つまらなくなったから」に他ならない。「自然体」しか演じられない役者、「いい脇役・悪役」の不在、マンネリを打破できない監督、説明ばかりの脚本、朝ドラ化する大河……いずれもが、その“戦犯”である。はたして時代劇は、「国民的エンターテインメント」として復活できるのか。長年の撮影所取材の集大成として、ありったけの想いを込めて綴る時代劇への鎮魂歌。
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Posted by ブクログ
内憂外患でゾンビと化した昨今の時代劇について、その衰退の歴史をわかりやすく記した好著。昔の時代劇って、ホントにめちゃくちゃ面白かったんだぜ(過去形になるのが悲しい)。
Posted by ブクログ
熱い、熱すぎる・・・!
著者の時代劇への溢れんばかりの想いの丈が、
詳細かつ丁寧に綴られている良書。
「水戸黄門」のくだりなどは、なるほど、
と目から鱗が落ちることばかり。
Posted by ブクログ
いまも細々と作られ続けられてはいますが、凋落した「時代劇」の現状に至った理由を辛過ぎる眼差しで次から次へと指摘するとともに、逆にそこから著者の「時代劇」に対する深い愛情が感じられる一冊です。
自分もこどもの頃から時代劇は大好きでして、よく観ていた記憶があるのは大川橋蔵の『銭形平次』、東野英治郎の『水戸黄門』、中村梅之助の『遠山の金さん』『伝七捕物帳』、里見浩太朗の『大江戸捜査網』、杉良太郎の『遠山の金さん』『新五捕物帳』、高橋英樹の『桃太郎侍』などで、そのほか観ていた憶えがあるのは中村敦夫の『木枯らし紋次郎』や勝新太郎の『座頭市』、萬屋錦之介の『子連れ狼』『鬼平犯科帳』などがあります。また、NHK大河ドラマも記憶がある加藤剛の『風と雲と虹と』以来、毎年ずっと見続けていまして、こうやってみると自分もかなりの「時代劇」ファンであることを再認識しました。(笑)
振り返ってみると、錚々たる俳優による時代劇ドラマを、昔は数多く放送していたのだなあとしみじみ思うところでありますが、著者の言う通り、いまでは演技もおぼつかない、自分の知らない若手俳優陣ばかりが主役を張っていて、明るい画面でアットホームな雰囲気のドラマをたまに見せられても、ちっとも面白さに浸ることができないです。
著者は「時代劇」とは時代設定を過去にすることでファンタジーな世界として魅せることができる現在進行形のエンターテインメントであるとしていますが、自分も全く同意するところで、かつての多作や脚本のマンネリ化により、時代劇=ワンパターンなドラマと捉えられてしまったのは、製作の怠慢であり誠に残念なところであります。
本書では時代劇の構造、役者、監督、製作などといった様々な切り口にて、「時代劇」の問題点を小気味よいほどに明らかにしていますが、これは日本のテレビドラマそのものの問題点であるといってもよく、ドラマ制作に携わる人々の大いなる欠陥を示したものであるともいえます。「時代劇」に限らず、このような質の劣化がところどころでみられるのも構造的であるがゆえに、今後もテレビ界では繰り返されていくのでしょうね。
個人的には『水戸黄門』を成立させていた構造とか、京都撮影所の話とか、NHK大河ドラマの路線変更の話や、使えない俳優の名指しなどがとても興味深く面白かったですが、特にNHK大河ドラマについては、昨今のファミリー路線はまあほどほどなら許せるとしても、刹那的な楽しみのみ追求するアホな評論家の口車に乗ったのか、演出の大仰化、脚本のご都合化や不自然な物語展開、主役不在の若手大量投入など、ドラマそのものの質の低下を苦々しく感じていまして、1話完結のもはや「大河」なドラマとはいえない状況に暗澹たる気分となっています(特に『天地人』『江』あたりは酷過ぎて噴飯ものだった)・・・。いや、昔の大河も脚本のご都合化や不自然さはあるにはありましたが(山岡荘八原作の場合は特に目立った)、これは主演俳優の演技力というか魅力というか器量でカバーされていたものと思いますが、いまはそのようなこともないですね。(泣)
気が付いてみると、いまもCSで時代劇専門チェンネルを観ていることが多く、著者の示す通りやはり昔の時代劇は面白さが満載されていたと思います。多様化の時代に「復活」ということまでは無理としても、せめて質の高いドラマの提供だけでも何とかならないものだろうか・・・。
Posted by ブクログ
数年前にテレビ時代劇、「水戸黄門」が最終回を迎えた。これで時代劇のレギュラーテレビ番組は全滅した。かつて「銭形平次」、「遠山の金さん」、「大岡越前」、「暴れん坊将軍」などテレビ欄を占めたこともあった時代劇は滅びつつある。なぜそんな状況になったのか。著者の分析によれば、視聴者側と製作者側の問題がある。
視聴者側の問題とすれば、近年になってテレビ視聴率が年代別に算出されるようになったことだ。時代劇はそれなりの視聴率を取っていたが、その視聴者は50代以上であることが数字上はっきりしてしまった。企業は、お金を使いたがらない高齢者しか見ないテレビ番組には提供したがらない。スポンサーがつかない番組が消えていくのは必然だ。
そして、製作者側。著者いわく、時代劇とは一種のファンタジーであり、時代考証はほどほどにして悪い奴を正義がやっつける。そんな単純な展開が観る側に爽快感や感動を与えるのだ。それは、テレビ時代劇もクロサワや勝新の映画もそうだ。しかし、今はリアリティーにこだわり、当時の社会を忠実に再現し、悪役の都合までも描いてしまう。「正義は勝つ」ことにこだわらなくなった時代劇は、それだけを望むファンも失ってしまった。
と、冷静な分析をする著者だが、時代劇愛があふれるあまり、実名で俳優や監督、作品を貶しまくってるのもご愛嬌か。岸谷五朗に対しては、相当お怒りのようだ。
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時代劇がマンネリ化していった原因、大河ドラマが平板化していく過程、時代劇が陥っていった衰退の渦をひとつひとつ解きほぐし、唇を噛み締めながら詳述した本。論評対象が実名なのも素晴らしい。
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タイトルのとおり、時代劇衰退の要因を抉っている本。
もう見応えのある時代劇の新作は出てこないのかもしれない。そうならないことを期待はするが。
しかし、本書が指摘した諸問題は、時代劇だけに留まらず、現代劇にもかなりあてはまる。
だから、最近の地上波ドラマは見る気がしないのである。
Posted by ブクログ
自分の記憶にある時代劇といえば暴れん坊将軍くらいで、なぜかと言うと父親が見ていたから。気になっていたのはなんだかいつもみんな服やら何やらピカピカだったので、本当にこんなに綺麗だったのかなーとは思っていた。それがファンタジーと言われればそうなのか、単に手を抜いていたのか。
とかなんとか、時代劇の諸々の裏話みたいなものが書いてあるので、時代劇ファンじゃなくても楽しげ。ジジババが見つからいつも同じ展開になったわけじゃないのかー。
この本から時は流れて、今はハリウッド経由で時代劇が注目されているらしいので、また新しい時代になったら面白いのかもしれぬ。でもほっとくと中国になってたりするから気をつけんと。
しかし岸谷五朗への評価がやたらと手厳しい。
Posted by ブクログ
画時代劇を考察した本。 国民的エンタメだった時代劇が瀕死の状態だという。 要因は、エンタメの多様化、制作側の甘え、表現の制約、時代考証の厳格化、役者の不在、監督の質の低下、プロデューサー脚本家の問題など。 時代劇はある意味、過去の出来事を題材にしたファンタジーなのだが、時代劇ファンは高齢化し、オタクはより正確でリアリティのある表現を求めるようになった。 制作側は、世代交代が進まず人材育成制度がない、予算などの制約も多く、企画はマンネリ化してしまう。 視聴者に飽きられたのが現状だ。著者は、時代劇研究家だがその将来は悲観的に見ている。 この本は、2014年発行で人気時代劇水戸黄門が終了した後に状況を考察したものだ。 著者が危惧していた通り、その後も時代劇の人気番組は登場していない。 自分も時代劇を見ていたのは1990年ごろまでで、その後はほとんど見なくなった。 理由は、この本に書かれている通りで、勧善懲悪のストーリーに飽きてしまったからだ。 でも実写版の時代劇は廃れても、アニメの世界ではまだまだ生き残りそうだ。 鬼滅の刃のヒットは新たな時代劇表現に先鞭をつけたと思う。でも 実写版は、中国や韓国の時代劇作りに習って勉強し直した方が良さそうだ。
Posted by ブクログ
多作は「新進気鋭が腕試しをする試験場」でもあり、「粗製濫造で視聴者離れを引き起こす要因」でもあった。
かつて全盛を極めた時代劇の凋落はいつから、なぜ始まったのか。現状に至るまでを時代劇・映画史研究家が解説する。
1955年の時代劇映画は174本。50年代は毎年150本以上あり、1960年にも年間168本が製作されたが、わずか2年後の1962年には77本に、1967年には15本まで減少する。50年代は他に娯楽が少なく映画館入場者数が10億人を超えていたが、60年代に入って急激に落ち込み、東京オリンピックに合わせて普及した家庭用テレビの影響がさらに重くのしかかる。そこから半世紀以上続く、時代劇映画の「不振」が始まった。
著者は時代劇の危機を「映画での時代劇の危機」「テレビでの時代劇の危機」「京都での時代劇製作の危機」「表現手段としての時代劇の危機」に分類し、それぞれ抱える背景が異なると指摘する。確かにこの手の話ではよく混同される所であって、冒頭でそれを明確に区分けしたのはわかりやすい。
あえて加えるなら「映画そのものの危機」「テレビそのものの危機」なんてものも時代劇を取り巻く環境に拍車をかけているのかもしれない。
「時代劇は年寄りの娯楽」と思われがちなのは、「時代劇が面白かった時代を知っている人」の大多数が年寄りになってしまうほど最近の時代劇が面白くない、ということでもある。面白かった記憶をよすがに、なんとなく惰性や愛着で時代劇を見続けている、そんなイメージだろうか。
新しい時代に沿った作りをすれば、若い人でも十分に楽しめるのが時代劇であるし、実際往時の時代劇は若者も含めて楽しまれていたのである。
著者は近年の大河ドラマについても苦言を呈している。特に「江」が決定的に酷かったと名指しで指摘する。「利家とまつ」に始まる女性の活躍を無闇に押し出す製作姿勢が大河ドラマのホームドラマ化を招き、陳腐で軽薄なものに成り果てた。
2016年の大河「真田丸」はネットでもかなりの好評を博したが、本書は2014年の発行であり、著者は果たしてどう評価したのだろうか。本書の中では寺島進を実力不足と酷評しているものの、彼は真田丸ではかなりの高評価を博している。この辺も著者の言う「喜んで謝罪したい」という誤算であればよいなと思う。
さて、粗製濫造とも言われがちな状況から一変、本数が絞られる状況となって、しかも連続ドラマでなく一話完結のスペシャルものが主流となると、製作陣としても失敗が許されず、自然と「固い」構成になる。監督も脚本も役者も皆ベテラン(役者についてはアイドルなど人気だけで選ばれる場合も)で固め、演出も無難なものになる。新人が挑戦する機会は減り、また撮影も単発になるため「腰を据えて新人を育てる」という環境でもなくなる。
とにかく「余裕がなくなる」のである。プロデューサーの果たす役割と責任は大きいが、このプロデューサーも雇われ根性というか、時代劇への思い入れの有無とは関係なく、予算その他のしがらみで、とにかく枠を埋めることを最優先にせざるを得ない。
細かいことは本書を読んでいただくとして、時代劇の苦境はアニメの製作現場に通じるものも感じる。大きく違うのは「本数だけはとにかく多い」という点である。確実に視聴率を見込める人気俳優、アイドルを配役するとギャラで制作費を押し上げてしまう実写ドラマと違い、制作費を低く押さえ込めてしまうために本数だけは増やせるようではある。
「本数が多い」というのは、先述の通り新進気鋭が挑戦できる機会も増えるということである。一方でアニメーターや声優などの待遇改善が叫ばれ、制作費が増加していけば自然と本数は減る。時代劇はこの「本数の減少」によって多様性を失い凋落した。アニメでいえばジブリとドラえもんとワンピースなどといったビッグネームしか残っていないという状況である。
将来性を含めたクオリティを維持しつつ製作者達へ還元していく仕組みをどう構築していけるかが課題であろうが、主戦場であるテレビの製作環境に改善の兆しは薄く、管轄である経済産業省の「クールジャパン政策」とやらはそれ自身がお寒い状況である。アニメの明日はどっちだ。
Posted by ブクログ
時代劇が滅びた原因の一つに、今の俳優の力不足を挙げているが、その中で特定の俳優の名前を挙げられて、「時代劇なのに自然体の演技をするとは何事か!」的な、事を書かれているが、実にごもっとも。小気味よい文体で楽しめました。
Posted by ブクログ
基本的には、この本、映像関係の職業に関係が無い人がどういう興味を持って読めるのか、面白いのかしらん。そこはサッパリ判りません(笑)。
207頁、一気読みでした。
春日太一さんというと、ここのところ活発に活動していらっしゃる、「2010年代の邦画評論家」。まっとうな意見をお持ちと思いますが、それもそのはず、映画評論家と言うよりも映画史研究家。
映画史をちゃんと勉強されているので、日本や世界の近現代史もそうそうは踏み外さずに把握していらっしゃると見えます。
蓮見重彦的な、総毛立つような興奮、フランス現代思想直輸入的な刺激はありません。一方で実に地に足着いた意見と活動だと思います。
要点で言っちゃうと
●時代劇の滅んで行った足跡を、テレビ番組の枠数など、客観的なデータから振り返り、分析する。
●96年の視聴率調査方法の変動。個数から年代別まで分かる人数への変更により、「時代劇=超高齢者」が露見。以後凋落。
●水戸黄門の特殊事情。パナソニック劇場の舞台裏。松下幸之助の希望で生まれた「水戸黄門」。その後の例外的な松下広報部の直接支配。 ※これは知らなかった。「へえ」と思って面白かった。
●一方で、「時代劇の典型が水戸黄門だ」という誤解。昔はそうじゃなかった的な、過去の時代劇礼賛。
●じゃあ、いつそうなったのか?というところで、「1980年代~1990年代前半にマンネリ化した」という仮説。半分くらい納得です。
●結局は、「自社制作ではなくなる」⇒「下請けになる」⇒「予算の余裕はない・時代劇は金がかかる」⇒「目先の視聴率が欲しい」⇒「70年代以降、世代ごとの好みの分裂化」⇒「80年代、若者文化が経済の余裕と共に開花」⇒「若者たちは、大人たちと異なるものを求める」⇒「時代劇を今、見てくれている人に媚びる」⇒「高齢者に媚びる」⇒「制作の保守化」⇒「つまらなくなる」。
●一方で、仕事がなくなる訳だから、京都時代劇産業の衰退。 ※これについて、フィルムコミッションによる、新しい関東産時代劇、という視点があるのは、非常に的を得た指摘だと思った。
●相も変わらず、時代劇を担える演出が、プロデューサーが、俳優が、脚本家が、スタッフが、いない。という人材の欠如の嘆き節。ただこれも、「どうやっていなくなったか」という解説はやや詳しい。
※また、この本の過激部分の白眉?ともいえるのは、具体的な個人名を出しての攻撃(笑)。岸谷五朗さんがボロボロに貶されています。
●全く別線で、NHK大河ドラマへの、非難と評価。内容はともあれ、この章に限らず全体に是々非々の理性的な語り口が魅力ですが、特にこの章は、考察としては正しいと思いました。
※「利家とまつ」以降の、おばさま向け大河ドラマの魅力の無さ。
※その一つの悪しき頂点としての「江」
※女性を主人公にすることで、何かと偶然や立ち聴き、強引な設定。
※「平和を願う戦国武将」みたいな、お子ちゃま的甘口ドラマの詰まらなさ
というあたりなんですが。まあ、むつかしい。それで視聴率取っちゃったら勝ちだもんなあ、とか思ったり。
まあでも、評論と言う地点から、ロングスパンな理想論を、客観的な歴史の分析に基づいて述べることは、大事なことですね。
全体に、「時代劇が凋落しているのは事実だけど、時代劇がある時期以降、面白くなくなったのも事実だけど、ジャンルとしての時代劇が面白くない訳じゃない!」という情熱、伝わりました。
まあでも、アメリカにおける西部劇も同じなんですよね。
軽く読めて、まあ大まか知ってることなんですけど、多少の「へー」があって素敵な本でした!
Posted by ブクログ
いいね。
視聴率至上主義、まあ、スポンサーが付く以上しょうがないところはあるが、そこからスタートして、あらゆるレベルので人材不足を招いてしまった。
何が起きるかというと、受け取る方の質の低下と、均質化ではないかという気もする。
そのフィクション仕立ての考え方はSFと通じるところがあると思うのだが、日本の映画、ドラマがもうちょっとマシになるためには、この分野で鮮やかな何かが起きることが必要なのではないかと思わせる。
Posted by ブクログ
時代劇を深く愛するがゆえの痛烈な批評。
もはや死に体の時代劇を延命するよりもむしろ介錯することを選択した筆者の断腸の思いが伝わってくる。
費用対効果ばかりを追求し、目先の数字(視聴率)にとらわれるあまり、小手先で制作され続ける時代劇の劣化再生産のサイクルは、現代社会のシステムそのものにも当てはまると思った。
Posted by ブクログ
内容こそは時代劇について書かれていますが,エンターテイメント業界の盛衰について幅広く適用できる書物です。
例えば今はイケイケでクールジャパンとまで呼ばれているアニメ業界ですが,低賃金で酷使されるアニメーターや売上重視の会社など,問題がそのまますぎて,時代劇の歴史をトレースするのでは!?と思います。
時代劇と言う一分野に長く身を置いてきた作者だからこそ,このように深く考察した本が書けるのだな,と思いました。
時代劇好きじゃない人でもお勧めです。
Posted by ブクログ
時代劇は好きだったが,観なくなった.今でも骨太の時代劇があれば,観ることもある.この本に書かれていることは,何となく時代劇に魅力を感じなくなっていた自分の感覚とすごくフィットする分析だった.
Posted by ブクログ
日本映画の盛衰と一蓮托生だった時代劇。失われたものへの憧憬を綴るのでなく、実証をあげて羅列された多くの問題点は強い説得力を持って存続の危機を訴え、エンターテインメントとして維持するための処方箋にもなっている。なにより行間には時代劇への愛着が溢れんばかりだ。
Posted by ブクログ
いやあ、久しぶりに熱いのを読んだ! 高野秀行さんが「こんなに悲しくも面白いレポートは珍しい」と紹介していたのだが、まさにその通り。著者の悲憤がストレートに伝わってくる。
著者は1977年生まれ。おやまあその若さで時代劇研究家?と思うのだが、その「時代劇=高齢者向け」という状況こそが今日の惨状を招いたのだと著者は言う。若者が見ない番組に大手スポンサーはつかない。何故若者は時代劇を見ないのか? ずばり「つまらないから」。じゃあ、何故時代劇はつまらなくなったのか?
撮影所が下請け化し技術も停滞している・時代考証をやかましく言い立てることで表現が窮屈になっている・人気者に頼るドラマ作りで、時代劇をやれる役者がいない・プロデューサーも監督も脚本家も、時代劇というものをよく知らない人が多くなっている……、著者のあげる理由にはすこぶる説得力があって、こりゃほんとに時代劇は瀕死だなあと思わされる。
確かに近年の時代劇といえば、「水戸黄門」に代表されるお約束的ワンパターンのものばかりが思い浮かぶ。かつてはそうではなかった、現在を舞台にしたのではありえない絵空事になってしまうような、ギリギリの厳しい状況での人間ドラマを描ききった秀作が数多くあった、滅びようとしている時代劇について、ノスタルジーではなく語りたい、この思いを共有したい、という気持ちがほとばしる一冊だ。
俳優や監督、番組等について、名前を挙げて厳しく批判している。でもそれは「ためにする」ものではないから、イヤな感じがない。最終章に書かれた、このところのNHK大河への批判には、うなずくところが多かった。まったく「江」はひどかった。上野樹里ちゃんが主演するというものだから久しぶりに大河を見る気になったのに、なんじゃこりゃ~!これ本気?ギャグじゃないよね?って感じで。まあテレビドラマが見るに堪えないのは時代劇だけではないわけだけど。
このままだとそう遠くないうちに時代劇は死ぬと著者は言う。それでも自分なりにこの状況と闘いつつ、「春日。お前は間違っている!」と現場から(作品という形で)声が上がることを願っていると書かれていて、心からの言葉なのだと思った。
Posted by ブクログ
著者の時代劇に対する熱い気持ちがひしひしと伝わる。気がつけば時代劇を見なくなっていた。単調でお決まりにのパターンで飽きたことに理由があるが、その原因がよく分かった。監督、脚本家、役者の不在…。
技術の承継ということも念頭において頑張って欲しい
Posted by ブクログ
なぜ時代劇は滅びるのか
著者 春日太一
2014年9月20日 発行
新潮新書
水戸黄門が終わり、時代劇のレギュラー枠が消えた時(大河ドラマと毎週ではないNHKの時代劇枠を除く)、マスコミは「時代の変化」と言っていた。演歌が廃れたのと同じ、時代劇を若い人が見なくなった、とつい思ってしまいがちだが、この本を読むとそういう単純なことではないようだ。著者は今、40才手前の時代劇・映画史研究家。芸術学博士の学位を持つ。高校生の時まで再放送を含めた時代劇の放送がとても多く、大好きで見ていたそうだ。
1950年代、時代劇映画は全盛だったが、60年代に一変。成長経済でレジャーが多様化した上、64年の東京オリンピックでテレビが普及、映画が斜陽産業になった。時代劇を撮ってきた各映画会社の京都撮影所は、60年代半ばからテレビ時代劇を積極的に手がけるようになり、下請化していった。
テレビの時代劇全盛は、1991年正月。1月2日には、民放4局が大型スペシャル時代劇を同じ時間帯で放送し、激突した。しかし、90年代後半になると事態は一変、時代劇枠をなくすことをまず決めた局、サラリーマンの帰宅前である午後7時からの枠に繰り上げてわざと視聴率を落として終わらそうとした局など。理由は1996年に始まった視聴率調査の世帯視聴率から個人視聴率への移行。自動車など大口スポンサーが、購買力の弱い高齢者が多い時代劇を嫌い始めた。
この本は、プロデューサー、監督、俳優、脚本家など、実名をじゃんじゃんあげて批評をしている。その一つとして、2003年にフジテレビの編成局長に、時代劇に何の思いもない山田良明が就任したことで「何かが終わった」という記述がある。山田は、時代劇のレギュラー枠を外し、不定期放送のスペシャル化へと持って行った。この流れが、大変な負のスパイラルを招いた。時代劇をつくってきた京都のスタッフは、レギュラーを失って普段は他の仕事をしなければならない。大がかりなセットを年に何回かのためだけに維持するのは非常にお金がかかる。かといってやめるわけにはいかない。後継者も育てられない。
一方で、それまでに、つくる側の甘えもあった。テレビでレギュラーを持っていれば、予算がテレビ局からもらえる。当たるか当たらないかというギャンブル性のある映画と違って、どうしても緊張感がなくなる。
時代劇がパターン化していったのも、そのあたりに原因があるようだ。安定して視聴率を取るためには、無敵のヒーローが最後に決めぜりふを言ってやっつける、というパターンでフォーマット化することが、一番よかった。撮影準備の時間も、お金も節約できる。80年代のそういう動きが、時代劇は年寄り臭いものという雰囲気にしてしまった。
役者も、かつては映画会社の専属や新劇の劇団出身者が中心だったが、芸能プロダクションがイニシアティブを取るようになってから、芝居の基本を練習させないで人気があるだけの俳優を出してくるようになった。芸能プロダクションは拘束時間が短くて儲かるCM契約を重視するので、好感度をあげることに力を入れ、異世界を演じる時代劇にはふさわしくない俳優が並ぶようになってしまった。
監督もいなくなった。黒沢明に象徴されるように、かつては監督が俳優を徹底的にしごいて育てたが、今やそんな構図はなく、俳優を育てられる監督がいない。俳優はますます素人化する。
プロデューサーもいなくなった。だから、テレビ時代劇制作の手順、プロデューサーが大体の筋書きを決めて、脚本家と打ち合わせて書かせるということもなくなった。
最後に、大河ドラマがなぜダメになったかという考察も行われているが、これはあまり面白くなかった。著者がいうには、大河をダメにしたのは2002年の「利家とまつ」らしい。この年、大河立て直しのため、女性にうけるホームドラマのような内容で「利家とまつ」を制作。視聴率も取れてヒットした。しかし、それ以後10年、これにならって優しい大河ばかりが作られてきた。それ以前は、独眼竜政宗、徳川家康、信玄など、ダークサイドの部分をも描いてきた戦国ものだったが、天地人や功名が辻など、いわばきれいごとばかりが描かれる大河になった。しかし、最近、また戻ってきてはいるとのこと。
なお、著者が、近年、最悪の大河としてあげているのは「江」、最悪の役者は岸谷五朗。どちらも、私と意見が一致する。
なお、もう一つ忘れていけないのは水戸黄門。これだけはちょっと事情が違う。あの放送枠は、TBSが一切内容に口を出さないという約束のもとで放送しているパナソニックの買い切り枠であり、プロデューサー自身が、パナソニックの社員、逸見稔が務めてきたためである。最後まで残ったというのは、そうした事情によるものであり、この本に詳しく紹介されている。
時代劇が廃れていったいきさつがちゃんと紹介されていて、大変ためになる一冊でした。
Posted by ブクログ
スバラシイ
著者にリスペクトだぜ❗
時代劇 懐かしい思い出も。 憧れもあり。 何よりも一番がなくしてしまった。 いままでの経験があるのではないだろうか。
水戸黄門 ストーリーの固定性が良かったよね。
Posted by ブクログ
時代劇は古臭いという印象がある。この本を読むと、本来の時代劇は、ファンタジーを作ることであり、作り手としては挑戦的なものであったことがわかった。そのような、本来の時代劇が復活して良質なものをつくれば、私を含めた視聴習慣がない層が食いつくかもしれない。この著者に、大河ドラマを復活させるサポートをしてほしいと感じた。
Posted by ブクログ
どこの国でも歴史劇(時代劇)は、人気ジャンルだし傑作もある。なのに何で日本だけは衰退しているのか。それは今の日本社会の姿そのままだったんだ・・と理解出来た1冊です。
Posted by ブクログ
時代劇がなぜ終わったのか。
とにかく演者、スタッフともに人材不足。
これにつきると思いました。
ただ現代劇やバラエティも同じことなんですけどね。
著者の岸谷"SET"五朗の評価はまことにその通りですが、火野"チャリ"正平の評価はちと高すぎませんか?
TV時代劇はもうNHK以外は新作はムリでしょ、なんて思ってたら水戸黄門復活のニュースが⁉︎
しかもまさかの金八っつぁんですって。
TBSも無茶しますね〜。
金八っつぁんには昔世話になったからですかね?
きっと印籠出してから長いですよ、説教入りますからね
Posted by ブクログ
時代劇を瀕死に至らしめた人々への訴追状。著者が自らの一生の生業として名乗っている時代劇研究家としての心の底からの叫び。この熱さは一絡げで時代劇と呼んでしまっているものを成立させてきた人とシステムを徹底的に現場で取材しているからこそ、そしてそのクリエイティブを愛してしまっているからこそ派生しています。誰もやっていないことを選んでいる男の覚悟も感じます。ただ、本書が滅びゆくものの挽歌としてではなく再生への檄文として書かれている印象からすると、今後、著者は研究者としてではなく当事者としてこの芸能に関わるのではないか?と予感するのですが…
Posted by ブクログ
時代劇の危機の原因は何なのか、ひとつずつ整理されている。
「今のプロデューサー・監督・脚本家が『七人の侍』を作ったら、野武士個々の生活背景や内面・彼らの内部の細々とした人間関係まで丁寧に描きかねない」(169P)
本当にありそうで怖い…。
大河の迷走っぷり(6章)は今も(花燃ゆ)なので、いやはやその通りですね、という感じ…。
Posted by ブクログ
時代劇がほとんどやらなくなった今どうしてこんなに衰退したのかどうか論じた本。役者と制作サイドを経済的な支えみたいなものがなくなったせいでどんどんとクオリティーが下がったという意見はほぼ同意。まあ、それは時代劇だけじゃなくて、他のテレビ番組に言えることだけどね。あと、大河がどんどんと朝ドラ化している、主人公中心過ぎてつまらなくなっているという批判も頷ける。特に去年の軍師官兵衛はとてもひどくて見れなかったよ。