春日太一のレビュー一覧
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数年前にテレビ時代劇、「水戸黄門」が最終回を迎えた。これで時代劇のレギュラーテレビ番組は全滅した。かつて「銭形平次」、「遠山の金さん」、「大岡越前」、「暴れん坊将軍」などテレビ欄を占めたこともあった時代劇は滅びつつある。なぜそんな状況になったのか。著者の分析によれば、視聴者側と製作者側の問題がある。
視聴者側の問題とすれば、近年になってテレビ視聴率が年代別に算出されるようになったことだ。時代劇はそれなりの視聴率を取っていたが、その視聴者は50代以上であることが数字上はっきりしてしまった。企業は、お金を使いたがらない高齢者しか見ないテレビ番組には提供したがらない。スポンサーがつかない番組が消え -
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ネタバレ勝新太郎が、ここまでの“クリエイター”であることは、まったく知らなかった。テレビの「座頭市」で勝が口伝いに演出プランを練っている音声が残されている。次から次へと口をついて出てくる市の世界観、ストーリー展開はすごい!と思った。まわりのスタッフはヒヤヒヤものだと思うけど…。それだけに、名監督はなかなかうまくいかず、黒澤明の「影武者」から降板させられる。現場で当時流行したホームビデオを回していた、というのが最終的な理由というのも面白い。完成しそうになると壊してしまう。そんな勝新太郎の生まれついての性が彼の人生を湾曲させまくる。とても読み応えのある評伝でした。
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こういう本を読むのは好きだ。その割には邦画は見ないんだけど。
150本超出演しておられるが黒沢映画と華麗なる一族、二百三高地、他数本しかみていない。
初めて仲代達也の名前を意識したのは、この本の終わり近くになってやっと出てくるNHK大河ドラマ「新平家物語」だ。
大河ドラマ史上の傑作のひとつと思うんだけど出演を決めた理由が面白い。お母さんが近所の人達に息子が落ち目だと思われるのが悔しいと泣いて電話してきたから。(昭和47年の大河ドラマだが既に世間は役者はテレビに出るものという認識があったらしい)
ここはひとつ親孝行しようか!という理由で出演を決めたとの事。
黒沢明、小林正樹、岡本喜八、五社英雄等 -
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~1973年1月公開の「仁義なき戦い」は「『昔』の終わり」であり、年末に公開された「日本沈没」は「『今』の始まり」だった。~
映画は昔から大好きです。母の話によると私が初めて見た映画は「渚にて」(グレゴリーペック主演)で、私をおんぶして見に行ったそうです。流石に1970年以前の映画界については良く覚えてませんが。戦後の混乱期から『今』に繋がる1973年に至る東宝と東映の盟主争いをテンポよく説明していきます。流行を作ってはそれに固執して飽きられていく・・・。全くこれの繰り返しなんですね。巻末の最終章によると今の映画産業は衰退した後の成熟期なんだそうです。「三丁目の夕日」にも映画館のシーンがありま -
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小さな時に、勝新が「影武者」から降ろされた!!ってお袋が騒いでいたときからが僕の勝新に対する記憶なんだけど、全盛期ってそんなに知らないんだよな、ビデオの中でしか。三味線を弾いてる姿がエライ格好良かった記憶があるけど。
彼が「影武者」を降ろされたってのには、彼が演出家だったからって要素が強いんだね。ただの俳優だと思ってたんだけど、プロデューサーであり、演出までやってただなんて、正にスーパーマンだよ。僕も「座頭市」は何本か見てて、殺陣や演出がスゴいなあと思ってたけど、それも一手に引き受けてただなんて。
著者はまだ若いんだけど、当時のことをよくヒアリングしてるし、何より自分の時代でないことに、それも -
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自分の記憶にある時代劇といえば暴れん坊将軍くらいで、なぜかと言うと父親が見ていたから。気になっていたのはなんだかいつもみんな服やら何やらピカピカだったので、本当にこんなに綺麗だったのかなーとは思っていた。それがファンタジーと言われればそうなのか、単に手を抜いていたのか。
とかなんとか、時代劇の諸々の裏話みたいなものが書いてあるので、時代劇ファンじゃなくても楽しげ。ジジババが見つからいつも同じ展開になったわけじゃないのかー。
この本から時は流れて、今はハリウッド経由で時代劇が注目されているらしいので、また新しい時代になったら面白いのかもしれぬ。でもほっとくと中国になってたりするから気をつけんと。 -
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01
東映は映画の製作,配給会社である.戦後の一時期に台頭した,その最も盛んな活動を見せた時期が描き込まれている.年代で言えば1950年代から60年代にかけてだろうか.東映の全てではなく,その特徴が最も現れていた京都撮影所(02)が中心的な舞台となる.出入りするのは俳優に限らない.この撮影所から吐き出される映像作品には,監督,助監督,プロデューサー,撮影,照明,美術といった面々のほか,大部屋の斬られ役たちも出入りする.その胡散臭さと柄の悪さには舌を巻く.違法すれすれと言わず,戦後のどさくさに紛れた不法もあっただろうことが示唆される.また,警察組織や反社会組織とも連携したなかに東映の映画が生み出