橋本治のレビュー一覧
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橋本治の性愛論ですが、中高生向けのきちんとした性教育の本です。「セックスは恥ずかしいことではない」というごまかしがないところに好感が持てます。
「男」として、あるいは「女」として、身体が成熟し、性的な関心を持つようになるプロセスを、「恋愛」や「性愛」という形で相手との関係を築いていくプロセスとして解説しています。
ただ、自分が中高生のときにこの本を読んだとして、きちんと理解できただろうかと考えると、首を傾げざるをえませんが。やっぱり、とつぜん自分の身体の中に生じた「性欲」というものを、「自分」の問題としてしか理解しようとしていなかったなあ、と思ってしまいます。 -
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表題作の「恋愛論」のほか、3つのエッセイを収録し、カバー・デザインを手がけ、さらに「解説」まで著者本人が書いています。
「気むずかしい赤胴鈴之助」は、ヒーローに憧れた少年時代の回想、「誰が彼女を殺したか?」は有吉佐和子論、「セーター騒動顛末紀」は『橋本治の手トリ足トリ男の編み物』を出版したことをめぐって、技術を自分の知識の中に上手く位置づけられないインテリに対して、身体を甘く見ているのではないかと批判したもの。
そして表題作の「恋愛論」は、1985年の講演で、著者が自身の初恋(同性愛)を赤裸々に語っています。本書を読むまで、この人ほど人間が見えてしまっている人に、いったい恋愛ができるのだろ -
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民族の思想のルーツは、その国の文字や「話し言葉」に現れるということから、このごろ古典の重要さを感じるようになった。言語学者や民俗学者の本を1冊読むのも骨が折れるのに、この入門書はサクサク読める。
対象がこれから古典を学ぶ中高生向けだと思うので平易に書かれているのだけれど、その中でも『漢字しかない中国で、日常に起きたことをそのまま表現する日記のような文章を書き記すのは大変なことで、どうしても表現が「白髪三千丈」みたいに極端になってしまう』など、言葉の違いが根本的な考え方の違いに繋がるような本質的な筆者の指摘が新鮮だ。
古典で和歌がらみになると途端に点が取れなくなった自分は、和歌の根本的な意義 -
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相変わらず目からウロコな洞察。
「自分とは余りであり、自由とは2つの義務とセットとして存在する。友人の重要さは義務の中にある許しであり、自由の容認である。」というのを、愛のために2つか3つの丸を書いてみようとか肩の力を抜きながらもズバッと言ってのける。
すごく共感したのは、「自己主張」についての言及。自己主張とは、他人の存在する日常の中で、相手に侵略されたり自分を埋没させないために行われる、「地道な」ものだということ。日本人は普段から自己主張することに慣れていないので、自己主張の「度合い」もわからない。ちょうどいい自己主張には「美意識」が必要で、その美意識を育てるには自己主張がノーマルに存在 -
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こないだ読んだ『わかりあえないことから』に引き続き、
「わからない」がどう方法になりえるのか、
興味を持って読んだが、それはわからなかったのだ。
しかし、新書を読みながらこんなにくすくす笑ったのは初めてだった。
途中からの内容は、正直よくわからないことが多かったが、
出だしから著者の脱力した文体に引きこまれて、最後まで一気に読んだ。
「わからなくて、これでいいのだ」
的な脱力感には、老子に通じる居心地の良さを感じた。
あとがきにあるように、著者はからだを使って思考する人である。
現代は多分に脳化しすぎていて、「俺には全てわかっている」という前提で話す人が多すぎる。
そしてそういう人の話は -
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ネタバレこれで古典が分かったか?と言われれば「?」ではあるが、
古典の成り立ち、日本語の成り立ちなど、
文学史の要素が大きい本であった。
奈良時代には中国から伝来した『漢字』のみで文章、つまり漢文を書かなければならなくて、
古事記や日本書紀は漢字のみ、万葉集も万葉がなが使われていたが、漢字のみ。
どうしても堅苦しい感じが否めないし、読みづらい。
そこから、万葉がなが変化していく中でひらがなが生まれ、
分かりづらい漢文を読みやすくしようと、当時の学生が漢字の一部分を切り取ったことでカタカナが生まれ、
それを補助的に用いた漢文書き下し文が生まれた。
平安時代には漢文だけの文章とひらがなだけの文章が対 -
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なんだかよくわからなかったけど面白かった。
後書きを読むと、まさに「よくわからないけど魅力的」でありたいと著者も思っていたようなので、これでいいのか。
*語り口はあまり整然としていない。
*豆知識的に、素直に「へ~」と思えることもたくさんあった。
*江戸時代と今とでは、根本的にものの考え方とか、そりゃあ違うよなあ、と再認識。そして、今の歌舞伎(観賞)の常識とされていることが、明治以降の常識でしかなかったりすることも、まあそりゃそうかあと認識。
*例えば、江戸時代には自我という意識がないから客観という視点もなくて、江戸の町人たちは、歴史というものを英雄たちのエピソード群として把握している、とか -
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正しい敬語とは何か?と考えるために必要な道具を教えてくれる本。
著者が考えまくる人だと伝わって来る。
敬語に限らず、考え方の本としても優秀。
以下、書の内容と、私の解釈が混ざり合ったレビュー。
教科書に載っている正しい敬語。
今の世界で、その正しい敬語を使う。
それは果たして正しいのか。
おかしいに決まってる。
「お召しによりまして
参上仕りましてございます。」
敬語は道具だ。
敬語は、離れた距離にいる人・モノとを繋ぐ。
距離を感じて選べば良い。
偉い人と尊敬できる人は違う。
敬語とは、偉い人には使わないといけないものなんだ。
例え、尊敬していなくても。
尊敬している人→