あらすじ
敬語は「人と人とのあいだの距離」ということを前提にして考えるとよくわかる。そのことをはっきりさせ、相手と自分との「距離」を認識すれば、敬語はもっと使いやすくなり、使い分けの難しい「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」もこわくない! さらに歴史や成り立ちを知ることで、現代生活での「ちゃんと話すための」敬語を身につけることができる。敬語は決して面倒なものではなく、コミュニケーションをより良くできる表現力豊かな日本語だ!
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Posted by ブクログ
"ちゃんと話すための敬語 = いいかげんにテキトーに使う敬語"
敬語というものは、人と人との間に距離があることを前提とした言語である。
それ故に、人と距離を縮めたたいと感じたとき矛盾が生じる。
目上の人と仲が良くなりたいために敬語を崩して会話すると、相手からは敬語が聞けない無礼者という認識を持たれてしまう。
元々、敬語というものは、日本で身分制度があったときの名残であり、言わば古い時代の言葉である。
身分制度や階級制度がなくなった比較的フラットな現代において、「自分よりえらいか、えらくないか」という序列を元にした敬語というのはコミュニケーションの足枷になりかねない。
言葉というものは、時代によって変化する。
それと共に、敬語も時代によって変化していく必要がある。
日本人は時代に応じて、敬語という言葉と親密なコミュニケーションの落としどころを考えていく必要がある。
Posted by ブクログ
橋本治氏の考える力、構成力に舌を巻く一冊。
十代前半向けとして書いたというが、敬語に納得できない経験のある人ならだれにでも面白く読めるはず。
とくに十五章「日本語には豊かな表現がある」、十七章「やっぱり敬語が必要なわけ」、十八章「大昔の中国人は丁寧という楽器をボワーンと鳴らした」は本当に面白いです。
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すごく読みやすい本でした。敬語の歴史や成り立ちから今一度敬語の使い方を勉強できました。
自分のことに置き換えると、目上の人には敬語を使っているけど、目上でも親しければ親しいほど、尊敬しているほど丁寧語になっている気がします。それが心の距離なんだと感じました。
敬語を勉強するためには、知らない人たくさん話すこと。というのはそのとおりだと思いました。
Posted by ブクログ
誰でも読める簡単な新書が実はめちゃくちゃ深い話だった。
敬語が好きか嫌いかで言うと自分は嫌いで別に無くてもいいのになと思って使ってはいます。ただ使い方がどうのこうのではなくなぜ敬語が存在するのか敬語そのものに焦点を当てた話になってます。結論から言えば敬語は古典の時代それこそ身分で分けられた時代からある言葉で人との心理的な距離感を演出しているのにすぎないのかなと思いました。尊敬しているからとか能力が高いから低いからなどの相手ベースではなく自分のために敬語を使うことができる、そんなメッセージ性の強いお話しでした。
敬語は相手のためではなく自分のために人間関係の効率化を図る道具だと思えたら少しは好きになれるはずです。
Posted by ブクログ
10代向けに書かれた内容であるが敬語の成り立ちや違い(尊敬・謙譲・丁寧)がよくわかる.敬語は人と人には距離があることを前提とした言葉である.「距離がある」と好き嫌いや尊敬とは違うというのは納得.
Posted by ブクログ
「敬語」は目上の人を尊敬するための言葉ではなく、人と人との間にある距離を確認して、人間関係をきちんと動かすための言葉であるという観点で書かれた本。
特に、敬語というと、相手を敬う”尊敬語”と、自分をへりくだる”謙譲語”の使い方ばかり取り上げられてしまうが、実は相手のランクと関係ない”丁寧語”がきちんと使えることが必要だということに、改めて気づかされる。
2人称呼称の歴史的変遷にもふれてあり、違った観点で敬語を考えるのには面白い本だと思う。
Posted by ブクログ
正しい敬語とは何か?と考えるために必要な道具を教えてくれる本。
著者が考えまくる人だと伝わって来る。
敬語に限らず、考え方の本としても優秀。
以下、書の内容と、私の解釈が混ざり合ったレビュー。
教科書に載っている正しい敬語。
今の世界で、その正しい敬語を使う。
それは果たして正しいのか。
おかしいに決まってる。
「お召しによりまして
参上仕りましてございます。」
敬語は道具だ。
敬語は、離れた距離にいる人・モノとを繋ぐ。
距離を感じて選べば良い。
偉い人と尊敬できる人は違う。
敬語とは、偉い人には使わないといけないものなんだ。
例え、尊敬していなくても。
尊敬している人→
だから敬語を使う
は成り立つことが有っても
偉い人に敬語を使う→
つまりその人を尊敬している
は成り立たなくても良い。
これを理解していない人は多い。
だから
偉い人を尊敬しないといけない。
というおかしな考え方に、
敬語は巻き込まれている。
敬語を使われてるから尊敬されてる
というのは大間違えだし、
逆に
尊敬してないのに敬語を使うなんて、俺のポリシーに反する
なんて悩む必要はない。
干されてもいいなら話は別だけれど。
尊敬の敬語は
ヨイショ語
謙譲の敬語は
卑屈語
そんな名前にしたら、もっとシンプルなのにね。
難しいと思ってた敬語。
敬語について知れたことで、
どれぐらい難しいのか分かった次第である。
難しいのだから、
難しいことを考えて悩まなくて良い。
距離を感じて、選べば良い。
Posted by ブクログ
敬語の成り立ちの説明が、とても「腑に落ち」てしまった。なぁるほど・・・という感じ。だからどうすれば使いこなせるのか、というのではないけれど、日常生活で悩まされる敬語というのは、実はこんなヘンなものだったんだということがよくわかった。で、私たちはいつまでこのヘンな敬語をつかいつづけるのだろう。と思う。これも「文化」といえば、そうなのかもしれないけれど。
Posted by ブクログ
職員室に呼ばれて、先生に「来たよ」と言うのか、「お召しによりまして参上仕りましてございます」と言うのか、どっちがどうなのかを考えましょうという本でした。
敬語は、人と人との「上下関係」や「距離」をしっかり認識し、TPOに応じて人間関係をスムーズに動かすためのものだと、改めて気づかされました。
「あなたとの上下関係はわかっていますよ」と示すのが尊敬語、謙譲語で、「あなたとは距離がありますよ」と示すのが丁寧語なのかなと感じました。
昔どおりに正しく使いすぎると時代劇みたいになりますが、社会人として重要な敬語。硬直的にならずに、現代版の敬語をスマートに使いこなしたいものです。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
敬語ってむずかしいよね。
でも、その歴史や成り立ちがわかれば、いつのまにか大人の言葉が身についていく。
これさえ読めば、もう敬語なんかこわくない。
[ 目次 ]
「先生がいらっしゃった」と言いますか?
「ねェ、先生」はいけないのか?
敬語がはやらなくなったわけ
三種類の敬語
正しく使うとへんになる敬語
見上げれば尊いけど、見上げないと尊くない先生
「目上の人」ってどんな人?
「えらい人の世界」はたいへんだ
敬語ができあがった時代
尊敬したくない相手に「尊敬の敬語」を使う理由
えらい人はなぜ「先生」と呼ばれるのか
「えらい人」がえらそうなわけ
だれがだれやらわからない日本語
「えらいか、えらくないか」しか考えなかった日本人は、「自分のこと」しか考えられない
日本語には豊かな表現がある
敬語は時代によって変わる
やっぱり敬語が必要なわけ
大昔の中国人は「丁寧」という楽器をボワーンと鳴らした
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
橋本治の面目躍如。
前著『これで古典がよくわかる』でもそうだったのだが、
一見苦手な人用のノウハウ本と思わせておいて
(橋本治が単なる実用書を書くわけはないのだが)、
日本語を通した日本文化論へと持っていく、
その手際と透徹した視点は見事の一言。
Posted by ブクログ
敬語の使い方をそのまんま教えてくれる本では無いです。
敬語の成り立ちを歴史的経緯から学べます。
10代前半が対象なので、とても分かりやすいです。
敬語の本質を知った上で、それをどう運用するかは、
読者の良識に委ねられます。
その辺が著者の本らしいところです。
Posted by ブクログ
著者は、「敬語は人と人とのあいだにある距離を認める言葉だ」と指摘します。それから、歴史を遡り、かつて日本には「身分のある人」と「身分のない人」がおり、「身分のある人」の話の中ではお互いの身分関係によって複雑な敬語が用いられていたのに対して、「身分のない人」どうしの横の関係に関しては、決まった言葉遣いがないと言います。
だから、私たちの人間関係には「自分よりえらい人」と「命令口調ですませられる人」の二種類しかなく、「えらいとかえらくないとかとは関係ない、親しい人」というのがいないと著者は述べています。そのことは、英語のYouのようなニュートラルな二人称がないことに現われています。
しかし著者は、このことが日本語の構造的欠陥だとは考えません。むしろ、相手と自分との距離をよく考えて、仲良くなれるのだったら仲良くなるために努力をすることと、相手の呼び方を考えることとが密接に結びついていることを示していると、著者は主張します。「「相手によってどう言っていいかわからない」という日本語の欠点は、じつは、「人はそれぞれに違うから、違う相手にはどう接すればいいのかを考えなさい」ということでもある」と、著者は述べます。
敬語をはじめとする、相手との距離を考慮しながら話される言葉を用いるということは、相手との距離をきちんと考えて付き合うことと別のことではないというのが、おそらく本書の主張だと理解しました。タイトルの「ちゃんと話す」というのは、敬語のルールに頼るのではなく、ちゃんと相手に向き合って話すべきだということでしょうか。
Posted by ブクログ
わかるような、わからないような、そんな感じの本でした。煙にまかれた感じ。
ただ、敬語をきちんと学びたい方にはおすすめではないです。
敬語を、もっと、広い目線でとらえたい方におすすめです。
Posted by ブクログ
中学生くらいを対象に、って書かれているけど、確かにそのくらいの時期に読むのがベストな本。プリマー新書、大人が読んでも十分楽しめるものも多いけど、これはさすがに物足りなさの方が上回る。ってか逆に、これ読んでハッとするような大人って…と思ってしまう。
Posted by ブクログ
非常に読みやすくて、文体が柔らかく丁寧で、
かゆいところに手が届くような内容の本でした。
「ちゃんと話すための敬語の本」というタイトルですが、
本文中に書かれているとおり、
「正しい敬語の使い方を教える本」ではなくて、
「みなさんでそれぞれ、正しい敬語の使い方を考えてください」という本です。
そうやって、敬語の使い方を考えるための、
言葉というものや尊敬の気持ちや、敬語がうまれた背景としての
身分というものについての説明をしてくれています。
つまりは、「敬語を実践するための準備を整えてくれる本」なのでした。
面白い本だなぁと読んでいたら、最後の方に、読者の対象を10代の初めにした、
なんて書かれていました。そのくらいがちょうどいいのよね…。
そうなんですよねぇ、小学校の高学年にでもなれば、
それまではなんともなかった場面が、敬語を使う場面に変化したりする。
敬語使用の荒波に放り出されてしまうにしては、敬語というものの知識や背景、
そしてそれを要求してくる社会というものに対する知見が足りない。
きっと、著者の橋本治さんは、「それじゃ、フェアじゃないじゃないか」と
考えられて、この本を書いてくれたのかもしれないですね。
この本が説く、敬語のあり方のカギは、他人との距離にありました。
距離によって、言葉の使い方は変えるものなんだっていう姿勢で
説明されています。
ただ、やはり、世の中はこの本のとおりの、
「距離感だけで言葉を使い分ける社会」ではありません。
本文中にも書かれてはいますが、社会による人のランク付けというものを、
今でも信じて疑わない人たちは山ほどいるでしょう。
そして、そういう社会通念みたいなものって、
すごく堅い壁のようなものだったりしますね。
個人の力では打ち破れなかったりする。
そこを、こういう本が、読む人の共感を呼び、静かに波紋を広げて、
その波の力によって壁を共振させて崩していくことになることもあるでしょう。
僕はそういうのを見てみたい人です。
敬語の技術に関しては、他の本で勉強するのが良いです。
尊敬の敬語、謙譲の敬語、丁寧の敬語、それぞれの種類については
この本では勉強できません。
ただ、かえすがえす書きますが、敬語を使う一人の人としての、
足元を固めてくれる本ではあります。
スタートラインに立たせてくれる本です。
よーいどんで走り出す時に、適切なスタートの姿勢を教えてくれる本です。
そういう意味で、とても価値のある本だと思いました。
全127Pと、ちょっと薄めの本ではありますが、内容が薄いことはありません。
著者が対象とした小学校高学年の人はいざ知らず、
中学生でも大学生でも、大人でもおじいちゃんでも、いつ読み始めても遅くはないです。
敬語というものはなんなんだろうと一度でも感じたことのある人、
他人との言葉の使い方に息苦しさを一度でも感じたことのある人は、
手に取ってみるといいでしょう。
Posted by ブクログ
敬語の機能について、十代の読者を想定して書かれた本。敬語には人と人の間にある「距離」を意識させる機能があり、どのような場面でどのようにに敬語を使えば適切なのかということについて考えさせる本。敬語の使い方に関するハウツー本ではない。
敬語とは敬意を表すためのことばである、という単純な考え方ではなく、敬語とは話し相手との距離を意識するために使う日本語の豊かな表現の1つであるという考え方を紹介している。ポライトネスの考え方に通じると思った。日本に「えらい人」と「えらくない人」の階級差が出てきた結果、「えらい人」たちの間で特別で複雑な表現が使われ始めたということや、関西方言の「自分」=相手という二人称表現の考察など、興味深い。別に十代の読者ではなくても十分に考えさせられる面白い本だと思った。(10/08/27)
Posted by ブクログ
敬語の話し方じゃなくて、敬語はどういうものかという本質的なもの。
相手との距離を測る手段であると同時に、隔ててしまうものにもなりえます。
敬語がなんで存在するのかを理解して、素敵なコミュニケーションを取りたいものです。
Posted by ブクログ
言葉の遊び手、言葉の実験人。橋本治ってそういう印象がある。
そんな人が、尊敬・謙譲・丁寧語がどうやって形成されてきたのかを非常にわかりやすく書いている。
読み始めてすぐ、どうして私がこんな本を読もうと思ったのか判った。
私って敬語が上手く使えない。
というのは、本当は使える、使えるんだけど、使わない。
会社の偉い人とか、目上の人とかでも、実際かなりフランクな話し方をしてしまう。そのフランクさは知り合ってからの時間がたてばたつほど増してゆくんだけど、まぁそれは友達とかだと当たり前だけども。
で、そんな自分がちょっとヤだったというか、なんでこんな友達に対する話し方みたいな言葉を常務さんあたりに使っちゃうんだろうと、我ながら不思議に思っていてそのことが頭に引っかかっていたのですね。
で、この本を読んだらそのことの意味がきちんとわかった。
それから、よく喧嘩をしたときなんかに「そうですか、わかりました」なんて普段では絶対につかわないような丁寧な言い方をしてしまうってことが誰でも思うんだけど、あれが不思議だった。喧嘩しているのにどうしてその相手に丁寧な言葉を使うんだろうって。
で、そのことの意味もちゃんとわかった。
非常に面白かったけど、内容的にはもう少し濃くてもよかったかな。