橋本治のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
正しい敬語とは何か?と考えるために必要な道具を教えてくれる本。
著者が考えまくる人だと伝わって来る。
敬語に限らず、考え方の本としても優秀。
以下、書の内容と、私の解釈が混ざり合ったレビュー。
教科書に載っている正しい敬語。
今の世界で、その正しい敬語を使う。
それは果たして正しいのか。
おかしいに決まってる。
「お召しによりまして
参上仕りましてございます。」
敬語は道具だ。
敬語は、離れた距離にいる人・モノとを繋ぐ。
距離を感じて選べば良い。
偉い人と尊敬できる人は違う。
敬語とは、偉い人には使わないといけないものなんだ。
例え、尊敬していなくても。
尊敬している人→
だから敬語を使う
は成り立つことが有っても
偉い人に敬語を使う→
つまりその人を尊敬している
は成り立たなくても良い。
これを理解していない人は多い。
だから
偉い人を尊敬しないといけない。
というおかしな考え方に、
敬語は巻き込まれている。
敬語を使われてるから尊敬されてる
というのは大間違えだし、
逆に
尊敬してないのに敬語を使うなんて、俺のポリシーに反する
なんて悩む必要はない。
干されてもいいなら話は別だけれど。
尊敬の敬語は
ヨイショ語
謙譲の敬語は
卑屈語
そんな名前にしたら、もっとシンプルなのにね。
難しいと思ってた敬語。
敬語について知れたことで、
どれぐらい難しいのか分かった次第である。
難しいのだから、
難しいことを考えて悩まなくて良い。
距離を感じて、選べば良い。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読む人を選ぶ本である。五十歳代の男性なら、共感できるところが多いだろう。対談集だが、どちらかと言えば、橋本治が主で、内田樹が控えに回っているところが面白い。内田樹といえば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、次々と本を出しまくっている超売れっ子である。
一方、橋本治はといえば、「背中の銀杏が泣いている。止めてくれるなおっかさん。」のポスターで売り出したことを知っている人が今どれだけいるだろうか。それよりも、『桃尻娘』や、その桃尻語で訳した『枕草子』に始まる日本の古典の現代語訳シリーズのほうが今では有名かも知れない。美術、歌舞伎にも造詣が深いマルチ・タレントとして異彩を放つ。
ではあるが、橋本の本はまともに書評されたことがないのだそうな。「小説現代」でデビューした橋本は文芸二に属していて、「文学界」や「群像」のような所謂文芸一との間には、一本の線が引かれているらしく、文二のほうは中間小説と呼ばれ、文一の「純文学」とは同じ扱いをされないのだという。この文一、文二という分類の仕方が可笑しい(橋本と内田はともに東大卒)。
ジャンルを軽々と飛び越え、編み物の本も書けば、ちくまプリマー新書(このシリーズを企画したのも橋本)のように教科書風の本も書くという橋本のような書き手は、批評家としても批評しにくい相手にちがいない。そういう意味では、この対談集は内田による「橋本治」解剖という狙いがあるのではないだろうか。そう考えると、誰にでも喧嘩を売ると豪語する内田のここでの低姿勢ぶりが理解できる。
実際、東大の先輩にあたる橋本に対し、内田は以前から秘かに尊敬の念をあたためていたらしい。評者などは読んだこともない「アストロモモンガ」だとか「シネマほらセット」などというばかげたタイトルの本や「デビッド100コラム」や「ロバート本」などという巫山戯たものまで読破しているらしい。頒価が1100円だったところから『ナポレオン・ソロ』を洒落てみたというが、分かる人がどれだけいたことか。
『窯変源氏物語』九千枚を書く中で、夕霧中将が漢詩を書くのだが、紫式部も実際の漢詩までは書いていないのを平仄から勉強して漢詩を作ってしまったというから、橋本治、並みの凝り性ではない。また、それをごく自然にやってしまうというあたりにずば抜けた才能を感じるのだが、評者などから見れば対談相手の内田樹もそんじょそこらのインテリとは頭の良さがちがうと常々感じていたのに、橋本相手だと内田がただの優等生にしか見えないほど、橋本のパーソナリティはブッ飛んでいる。
橋本の放つ言葉に、「はあはあ」とか「ふーむ」と返事をするばかりの内田に、ファンはいつもとちがう焦れったさを感じてしまうにちがいない。「ひさしを貸して母屋を取られる。」ということわざがあるが、今売り出しの内田センセイが、どこかの知らないご隠居に説教されているような雰囲気が濃厚なのである。
しかし、そこは賢明な内田センセイのことだ。はじめから、そういう狙いでこの対談を受けたにちがいない。素晴らしい才能が世間にまともに評価されていないことに業を煮やし、自らヨイショに出たのだろう。狙いは当たったのではないか。ヨイショに気をよくしたわけでもないだろうが橋本治が結構素顔を見せている。
啓蒙家的な素質を持つ橋本治と大学教授でもある内田樹の対談である。若者や教育について卓見が光る。また、身体論、古典芸能への傾倒ぶりもある年齢を迎えた読者には興趣が深いものがある。喫茶店の隅で、煙草でも吸いながら、頭のいい二人の話を聞いているようで実に愉しい。特に近頃どこでも肩身の狭い思いをしている愛煙家にはお薦め。溜飲の下がる思いのすることうけあいである。 -
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橋本治の言うことに納得させられてしまうことが多いのだが、これもそうだった。
個々の事柄はすでに知っていることでも(実際この本でも、日本書紀と続日本紀という基本中の基本文献に拠って論を展開している)、ちょっと違う視点から照射してみせることで、目から鱗の思いを抱かせる。
女帝は中継ぎなんかじゃない論は結構あるが、天皇の役割を果たせるからこそ中継ぎとして登用されたんだ、と言われて、確かに…(本命が若年で役割を果たせないからすぐに即位させられなかったんだもんね)。
蘇我氏の力が最大の時になぜ蘇我氏と血縁のない舒明の即位を認めたかとか、なぜ天智がなかなか天皇にならなかったかとか、通説などではモヤモヤしていたことが、橋本の説明だとなるほどね。かわいそうな存在ぽく語られることの多い孝徳の権力志向や、逆に「陰謀家」と思われたりする藤原鎌足/不比等父子の非権力志向などの説も納得。その孝徳を挟んでの皇極→斉明の意識の変革も説得力ある。
天武薨去後すでに成人していた草壁が即位しなかったのは、わからなかった。
孝謙(称徳)が道鏡を天皇にしようと思えたのかは、もっと掘り下げてほしかった(父聖武帝から「奴を国王にするのもお前次第だ」と言われたから? ってだけじゃ弱いと思う)。 -
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あとがきを読んで驚いた。
橋本さん、面倒な病気で長く患っているらしい。
地に足のついた並じゃない知性とまっとうさをもった、
日本の知的財産と言ってもイイ人が
「気力が続かなくて物が書けない」というのは尋常じゃない。
その中でぽつぽつと書きすすめたこの本は、分量としては少ないが、
橋本治らしく、たくさんの示唆と、物を考え直すきっかけに溢れている。
「美人は権利になった」
「日本は結論ありきでスタートし、どうするの?ではなくどうなるの?で考える」
「民主主義という究極の政治形態が行き渡り、
何事も簡単に決まらないのは当然の流れ。
力でねじ伏せるこれまでの長い歴史の前提は崩れ、
強いリーダー不在→待望論という形で、独裁者は今は心の中に現れる。
必要なのは自分の為に議論を誘導するディベートの技術ではなく、
みんなのためを考える、といういたってまっとうな道筋」
TPPに関する章を読みながら、安部が再選された現状にうんざりしてしまった。 -
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橋本治は実ははじめて読んだのだけれど、すっごく読みやすくて、おもしろかった。
敗戦後から60年代まで、三人の娘と父親、ごく一般的な家族が、昭和の歴史とともに描かれていて、読みごたえがあった。「公職追放」とかはじめて知った。そういう知らなかった歴史や、あと、大学紛争とかなんとなく知ってる歴史についてもすごく興味深く読んだ。
年代的には、娘たちがわたしの親世代くらいなんだろうけど、ここで描かれている昭和の家族の感じがなんだかすごくよくわかって。父親との距離とか、親戚との関係とか。今とは家族ってものが全然違うような気もするのだけれど。今の若い人が読んだらどう思うのかなあ。
戦後の家族とはいっても、三丁目のなんとかみたいな古き良き時代みたいなノスタルジーはなく、冷静な視線で淡々と描かれている感じで、読後感はむしろ寂しく暗いような……。
橋本治氏の著作をもっと読みたいと思った。 -
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「自分の頭でじぶんなりに考えるということが結構難しい、何故なら人間が他人に育てられるからである。」
自分で考えないことは孤独でない、自分の事をかんがえろといわれて”自分のことを考える人”は孤独である。自分を考える為には全体から孤独になる(切り離す)覚悟が必要。
「人の理解というものは、あるとき一挙に理解へと至る。」
「個性とは一般性の先で破綻するという形でしか訪れない」
「破綻はいきなりやってくるものではなく、じわじわと湧き出るものでもある」
「一般的な達成を得てしまった人間は、いっぺんその達成をぶち壊さなければ個性への道を辿れない。」
「私と他人、私と私たちの問題では、メビウスの輪になるのは正しいあり方である。」
「自分や自分たちのあり方を全体から離れて考えることは、考えてもいいであり考えなければならないこと。」