橋本治のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
何とも不思議な本だ。読み始めの頃は『経済に明るくないないならこんな本書かなきゃいいのに』と感じたのだが、次第にこの著者は経済について書きたい訳ではないことがわかってきた。経済成長を前提とした社会システムや人々の思考様式では地球も経済活動ももたなくなっていて、ではどういう世の中にしたらいいのかを考えるために本でも読んでみましょうよ、ということらしい。特に共感を覚えたのは、生産量が地球に降り注ぐ太陽エネルギー量に制約される農業こそが経済活動のペースを決める基準となるべき、という点。sustainabilityの本質は農業だったのだ。
ではどうしたらいいのか、という疑問には『本を読んで考えろ』としか書かれていないが、著者には既に答えが見えている気がするのは深読みしすぎだろうか? -
Posted by ブクログ
どうして古典文学をむずかしいと感じてしまうのか、その理由を解き明かすことで、古典にアプローチする方法を語った本です。
漢字かな交じりの日本語が、鎌倉時代、とくに兼好の『徒然草』あたりになってはじめて生まれたと、著者はいいます。それまでの日本語は、男性のための漢文と、女性のためのひらがなに、はっきりと区別されていました。漢文は「教養」であり、ひらがなは「感情を伝えるもの」であって、このニつは明確に分けられていました。日本人がふつうに「日本語の文章」を書き、それがじゅうぶんに自分の考えを伝えられるという事態は、まだ生まれていなかったのです。『源氏物語』に、玉蔓が物語を読んでいるのを見た源氏がフィクションをバカにする発言をする場面がありますが、このことは、教養人である源氏が、ひらがなで書かれた「物語」を認めていなかったということを表わしています。
だから、漢字かな交じりの日本語の出現は、「教養ある大人の男が平気でマンガを読む」ようになったのとおなじような事件だと、著者はいいます。漢字で書かれた文章は「書き言葉」の元祖だとすれば、ひらがなで書かれた文章は「話し言葉」の元祖です。だから、漢字かな交じりの文章の出現は、「硬直化した書き言葉の中に、生きている話し言葉をぶちこむ」ことだったのです。
著者は、現在の日本語も話しことばをないがしろにしてきた結果、硬直化してしまっており、それを再活性化するために、現在の日本語の骨格をなす古典に立ちもどる必要があると論じています。
「受験生用の分かりやすい文学史」を書きたい、ということからこの本の執筆が始まったと著者は述べていますが、語り口こそやさしいものの、内容はけっこう読みごたえがあります。また、こういう視点から現在のことばのありかたを見なおすこともできるのか、と教えられることも多かったと感じています。 -
Posted by ブクログ
「貧乏は正しい!」シリーズ(全5巻、小学館文庫)の続編とも言えるような内容の本です。
バブル後の不況を「失われた十年」と呼ぶことがあります。しかしこの言葉には、本来あるべきものが「失われた」のであり、どこかに「奪って行った」犯人がいるかのようなニュアンスがあります。著者は、そうした考え方そのものを批判します。
これまで多くの人びとは、「カイシャ」の中で生きていくことを当たり前のように考えていました。彼らは往々にして、同僚や上司という「身内」だけしか見ておらず、「カイシャ」の外にいる「他者」に目を向けようとしません。著者は、グローバル化によって「カイシャ」の外に貧困が広がりつつあるにもかかわらず、人びとがいっこうに貧困に目を向けようとしないことの理由を、こうした「カイシャ」本位の考え方に求めています。しかし現実には、「カイシャ」の中だけで生きていくことがしだいに難しくなってきています。
こうした状況を、あるべきものが「失われた」と考えるのではなく、「他者」と向き合い「他者」の呼びかけに答えていかなければならない、当たり前の現実として認めることで、やっと私たちは自分と他者の共存する「社会」について考えるためのスタート・ラインに立つことができるという考えが、著者の主張の根幹にあるように思います。
どこまでも経済成長が続くという神話を超え出ていったとき、私たちはいかなるユートピア社会に到達できるわけでもなく、ただ面倒な他者と粘り強く向かい合っていかなければならないという現実がある、というだけでは希望がないようにも思えますが、「「希望がない」ということが、そのまま「希望がある」になる」と著者は言い、しかし「自分の真実を見つめる目がありさえすれば」と付け加えることを忘れません。
著者に心酔している読者の一人としては、ほとんどページごとに「まったくその通り」と思いつつ読んでいたのですが、ただ一つ気になるのは、どうして自分を含めて多くの人はこんなにたやすくユートピア思想に絡め取られてしまうのだろう、ということです。翻って考えなおしてみると、著者の説く「失楽園の向こう側」に広がる「現実」を眺望したいと願う今現在でさえも、「失楽園」というテーマ・パークを新しいユートピアのように見ているにすぎないのかもしれません。あるいは、自分が身体知に関してはまったくのオンチというほかない人間だからではないかとも考えるのですが。 -
Posted by ブクログ
同年代、というか、僕より年下の小説家さんで、津村記久子さんという人がいます。
もう6年くらい前に友人に本を勧められたのがきっかけで、新刊が出るたびに愉しみに読んでいる、大好きな小説家さんです。
その津村記久子さんが、橋本治さんの「人はなぜ「美しい」がわかるのか」について、
「最近読んでとても面白かった」と昨年おっしゃっておられたのがきっかけで、この本、読んでみました。
橋本治さんの、2014年の本。
いわゆる新書本ですね。
表題通り、どうして「美しい」という想いをひとは抱くのだろうか?というのがお話のはじまりです。
なんですが…まあ、65歳も過ぎて、橋本治さん、知とことばの地平線を自由わがままに爆走、という感(笑)。
●美しい、というのは、何の得にもならない観念でしかない。当然ながら、知識偏光の受験エリート的な考え方では、「美しい」という感じ方はあまり育成されない。
●美しい、というのは、ある種の合理性、ヒトの体、世界の成り立ちの合理性から感じられるところもある。
●美しい、というのは、ある種の余裕、精神的余裕、愛情に恵まれたゆとり、みたいな隙間から生まれるものであろう。
●そして、美しい、という判り方は、自分の都合だけで回っていない世界を認識することと重なってくる。他者を、世界を受け入れる、という受容性や寛容性が無いと、育まれない。
●つまり、美しい、というのが分からない人、判っているつもりでも、判っていない人と言うのも大勢いる。
と、言うような考察部分は、いつもながらの橋本節の剛腕さと相まって、楽しめるところでした。
そこから話は、飛ぶというかどんどん発展していきます。
●美しい、というのは、かつて王侯貴族が権威づけに使っていたもの。現代になっても、結局は美術品を始め、それと変わらない部分も多い。
●いわゆる民芸運動などは、人間の歴史ではごくごく最近のマイナーな、それこそ観念的な運動に過ぎない(だから価値がない訳ではないが)。
●美しい、と感じる心の動きには、孤独みたいな個人性が絡んでいる。
●そして、孤独の歴史。近代以前は、「孤独」という観念は存在できなかった。生きるために共同体が必要で、そこからこぼれおちて個人になることは、生きていけないこと。それが狂乱として芸術では記録されることになる。これ、かけおちものを含めて、前近代の日本の物語論とも相まって。
●結局は、20世紀もずっと、前近代の制度を否定しようとして、新しい制度を作れずに前近代制度に組み込まれていく運動に過ぎなかった。例として、全共闘世代が会社員になっていく、的な。
●21世紀になって、恐らくは経済等のグローバル化から、外部的に「前近代の枠組みでは立ち行かなくなる」という状況に現れて、「次なる枠組みは見えないけど、今の制度では立ち行かない」という変革受難期に入っているのでは。
●そこから話は「美しい」が判ることから教育論にも足を踏み入れる。内田樹さんの「修業論」じゃないけれど、「基礎」を会得しないとそこを超えていけない、そして「基礎」はつまらないし理不尽なものだ、みたいなオハナシ。
●そこから、ぐぐぐっと「清少納言と吉田兼好」に。「美しい」を享受する枕草子と、「美しい」の彼岸で世をすねる徒然草。この考察は、桃尻娘の作者的感性爆発で、前後の文脈関係なく面白い。判りやすい。
と、いうような内容が実に相前後して語られて、
●ひとはなぜ「美しい」がわかるのか、…というか、なぜ私橋本治は「美しい」が分かるのか、という、幼年期まで回想しての自分史が自由に語られます(笑)。いやあ、自由だなあ。
その例が、「例えば若い青年の友人がウチに泊まった時に、キスまでして…」みたいな言及があって、内容結論以前にそのたとえに「ちょっと待ってちょっと待って」と読みながら慌てたりしたり(笑)。
いやあ、ほんと自由だなあ(笑)。
というような感じでさくさく淡々と読みこなせちゃった一冊。
…ですが…総論としては、面白くなくはなかったし、部分的に「へー」はいっぱいあったけど、読み物としては比べれば小説の「結婚」の方が全然、破壊力がある一冊だったなあ、という感じ。
自由に語る、橋本治さんの人生論的な一冊、そのつもりで斜めに愉しみながら読めば、愉快なのではないでしょうか。 -
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13人の映画女優の魅力を語る映画評。
読み終わったあとは、橋本説にそって取り上げた映画を観たいと思う気持ちがわき上がってくる。
もちろん橋本説は映画評のひとつであり、それだけが正しい見方とはならないんだけど、きっと映画を観ればそれぞれのヒロインの美しさが感じられ、それはこれまでに語ってこられた魅力とは違っていて、「美しい女性」というものの存在がオッサンである自分にも理解出来るんじゃないのかと思えるんだな。
本当のところは知らないけれど、映画というものには、監督にも女優にも自分の背景を込めた思惑があって、だからこの映画を作った、この映画に出演したという「物語」を著者は書く。
だから本書は橋本治が作った「物語」だと思うんだよ。
美しい女性の物語。 -
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タイトルからすると「読書のススメ」のようにも思えるが、内容としては橋本さんの思想を数年前の経済に当てはめたもの。「不況」を議論の端緒として「読書」をはじめとした教養論へと発展していく。
現状、とくに政治や経済に対するアンチテーゼを産業の発展や歴史を絡めて論じている。よくありがちな「このままいくとヤバイよ」という指摘が主だったものだが、その過程で今の世の中の仕組みを解りやすく説明してくれているので、経済至上主義を肯定するにしても否定するにしても非常に有益な知識を得られる。出版時の2009年の状況よりも、選択肢がある程度変化している2014年現在のほうが実感を持ちやすいように思う。
次々と現れては消える様々なファクターを操作することによって最終的な結論まで飽きさせない。こうした技術は小説も書ける作家ならではだろう。「景気が良くなればみんな幸せ」というエコノミスト的論調に対する反論は、橋本さんの思想をある程度知っていれば予測できる。それは思考の高度な体系性を証明するものといえるのではないか。
終盤には橋本さんによる「読書論」も展開。他著でも聞いたような気もするが、本書では「対策としての読書」とでもいうような実践的な「意義」をレクチャーしてくれている。「読書」と表してしまうと、なんとなく仕事の合間に行う「趣味的」なものという印象があるが、本を読むことは「情報収集」の一方法であることは間違いない。情報収集は生きていくうえで必要不可欠な活動であることを否定する人はほとんどいないだろう。そうした点も含めて本書の結論を受け止めてみたい。 -
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読書録「「わからないという」方法」4
著者 橋本治
出版 集英社
p99より引用
“そして、初心者にとってなにが一番いやか
と言えば、「基礎を確実にマスターする」の
間のチンタラした時間である。”
目次より抜粋引用
“「わからない」は根性である
「わからない」という方法
なんにも知らないバカはこんなことをする
知性する身体”
小説・評論・演出など多方面で活躍する著者
による、挫折の乗り越え方や物事の上達に対す
る方法を記した一冊。
わからないことを知ることから身体を使って
覚えることについてまで、著者の実地をもとに
書かれています。
上記の引用は、わかることと納得することに
ついて書かれた項での一文。
一足飛びに都合のいいところだけつまみ食い
するような物のやりかたでは、その場限りの
やり過ごしになってしまうのかもしれません。
自分にしっかりと言い聞かせておきたいところ
です。
何かをわかろうとするならば、自分で一から
始めなければいけないということなのでしょう
ね。
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Posted by ブクログ
著書すべてを読んだわけではないが、本書は橋本さんの思想エッセンスがすべて盛り込まれているのではないかと思えるほどの完成度。集英社新書のシリーズも良かったが、本書の守備範囲のほうがより幅広い。
世の中、あるいは自分に何かしらの「ひっかかり」があるとき、橋本さんの考え方はとりあえずの解決を導く「とっかかり」となる。あくまでも「とっかかり」であって、そこから先は個人の選択肢が残されている。良質な思想とはそういうものなのだろう。
橋本さんの文章は突然自分の中に入ってきて、次の瞬間に考え方のベクトルが大きく動く。それほどの威力がある言葉を持つ思想家はそれほど多くはない。各著書がすべて有益な文章で埋め尽くされているというわけではないが、1つ2つの自分が求めている言葉を探す目的をもって一冊まるごと、あるいは年代を追って読む価値が大いにある著述家であると思う。
難しい概念を並べるでもなく、特異な経験を語るでもなく、ごく日常のごく普通の光景を描きながら発せられる鋭い考察は、自らの思考の発展に大いに役立つはずである。