橋本治のレビュー一覧
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「あまでうす」などと名乗っているくらいだから私は西洋の音楽が大好きで、とりわけモザールのオペラなどを見聞きしていれば上々の気分なのですが、それよりも好きなのがなにを隠そう浄瑠璃なのでありまする。
浄瑠璃、すなわち三味線の調べに乗って太夫が「語る」江戸時代の音曲、あるいは歌舞伎の下座音楽に耳を傾けることが出来れば極楽極楽で、あとは何も要らないと断言する著者には我が意を得た思いでした。
著者によれば、そもそも日本の音楽はメロディラインではなく「拍子」を軸にしているので、例えば人形浄瑠璃の三味線と太夫の語りも(小澤征爾の死んだ音楽のように縦と横の線を顕微鏡的に合致させることなく)それぞれが勝手に演奏しているのに、結果としてなぜだか1つになっている。そして「この本来バラバラであるはずのものが、1つになっているというスリリングなところが、日本の伝統芸能の妙味なのだ」とあざやかに喝破しています。
もちろんこの本は「浄瑠璃を聴こう」ではなく「浄瑠璃を読もう」なので、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」「本朝廿四孝」「ひらかな盛衰記」「国性爺合戦」「冥途の飛脚」「妹背山女庭訓」という本邦の代表的な人形浄瑠璃(及び歌舞伎)作品を文学テキストとして深く読み込み、その解釈と鑑賞について私たち読者の蒙を徹底的に啓いてくれるのですが、それはそれ、本書をつらつら読んでのお楽しみということで。 -
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橋本治さんの思考は、とても粘り強くて、とても深くて、とても色んな道があって、とても恥じらいがあって、とてもしなやかです。
だからとてもゆっくりです。
橋本治さんは、この本の中で小林秀雄さんのことを
「おじいちゃんのよう」と表現されています。
そしておじいちゃんである小林秀雄の恵みとは
「学問は面白いんだよ」
とおっしゃってます。
最初からそのことを分かって書かれたのではなく、
書いてるうちに、調べているうちに
「どうやらそんな感じなんだ」ということが分かったという過程は、
「そもそもこの本を書いたのは、小林秀雄賞という賞をもらって、ならば小林秀雄について何か書かなければ申し訳ない」
という橋本治さんのとても正直な性質と直線で繋がっているように感じられます。
こういう正直さは誰でも気持ち良いものです(多分)。
日本は、橋本治という作家がいるだけでも、幸せな国なのだと思います。
僕のこの本から「橋本治の恵み」を受けたのです。 -
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相変わらず、日本社会に対する批判の書であろうとは思う。そして、相変わらずわかりにくい。結局、何をいいたいのかよくわからない。そんな印象もある。
橋本治の本は、筆の向くままにいろいろなテーマが繰り出される。それに対して、丁寧に説明したりしなかったりする。しなかったテーマはそのまんま宙ぶらりんである。
橋本治という人はユニークな思考パターンを持っている人だ。それは世間に流通する「常識」とされる考え方によらず、自分自身の思考を積み重ねてきた結果なのだろうと想像する。
最も印象に残ったのは民主主義のこの先について語っている終盤の次の言葉だ。
『自分の利益ばかり求めていた王様は、その結果すべてを失いました。「王様」になってしまった国民だって、それは同じです。だから、「自由すぎる王様」になってしまった国民は、自分以外の「国民のこと」を考えなければいけないのです。しなければならない議論の方向を「自分に有利になる方向」に設定しないことです。「自分の言うことは、みんなのためになることなんだろうか?」と、まず考えることです。「自分の言うことはみんなのためになっている」と言って、それが「利害関係を同じくするみんな」のためだけになっていないのか、と考えることです。
私の言うことは本当に、小学校か中学校の先生みたいですが、「無私」とか「無私の精神」という言葉は、昔から当たり前にあって、私はそれを言っているだけです。』
うーん。ここに結論くるとは思ってもみなかった。
「どうやって?」という問題(つまりは実践方法)は残るのだが、「みんなのために」が答えだ!といわれれば、「いやまあそれはそのとおりですね」と返すしかありません。
これから先に目指すべきは「無私の精神」か。
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バブルがはじけた後、どうしたらいいかわからない日本人はそのまんまだった。そんな時に、”勝ち組”と呼ばれる人は、既存秩序の外にフロンティアという未開の市場を拓き成果をあげた。
初めはそんな”勝ち組”に反発したその他大勢も、勝ちが確定するとその下にぶら下がることで生き残りを図った。結局、何も変わらない。
日本は利権を分け合う完成された安定したシステムであり、その利権が減り、システムが破綻しかけていても、内側からそれを改革する力は生まれない。完成されているから。
それはつまりそれを構成する構成員が完全にシステムに同化しているから。みんな、「他人になんとかしてもらいたい」としか思っていないから。
「市場原理は嘘かもしれない」という言葉はでてこない。それは日本には競争なんてなかった。という解釈で当っているだろうか?みんなで分け合うことが前提のシステムの中には、市場原理なんてものが介在する場所は実はなかったのだと。
我々は「民主主義」というものをまだちゃんと自分のものにしていない。だから、「自分はどこにいて、自分のポジションはなんなのか」ということがよくわからない。我々は「我々は主権者である」という考え方に慣れていない。
それは二十世紀のある時期まで、我々は一方的な支配を他人から受ける「地方」というところに住んでいる「戦火に踏み躙られる農民」であるという思考習慣が残っていたから。
ECONOMYの翻訳である経済とは、経世済民の短縮形であり、経世済民とは「世を治め、民の生活を安定させること」。しかしその主語は国民、民衆ではなく為政者、支配者、統治者。
「経世済民」を背後に持つ日本の「経済」は、だから簡単に「国家が経済を指導する」や「国家が経済を考える」になってしまいます。「経済」という言葉自体が、「国家のすること」を前提にしてしまっているからです。「民間経済」は「民間の経済」という特別のもので、「経済」の本筋は「国家の管轄するもの」なのです。
日本の社会はそんな風に他人任せで誰かにぶら下がることばかり考えているようなオヤジたちによってできていた。システムのパーツであることに安住してきたような。
そしてそんなオヤジたちには、”個”としての欲望さえない。
カラッポなピラミッドに支えられてきた戦後日本はそして今もどうしたらいいかわからないまんまだ。
日本が変わる可能性は、「社会の基本単位であろうとする義務感」なんてものを持たない、オヤジたちの次の世代にある。
・・・かもしれない。 -
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おもしろい論考です。難しいことを平明な文章で語らせたら橋本さんは本当に巧い。三島は全作品読んだわけではないのですが、幸い本書で取り上げられているいくつかの作品は既読で、何とかついて行けました。こうなると「豊饒の海」シリーズ読みたいですよね〜。三島の文体が装飾過剰なのは「それはそんなもの」とアッサリ考えていて深く追求したことはなかったのですが、「真実を隠すために言葉を尽くさずにはいられなかった」とは。ここまで微分された考察を提示されると唸ってしまいます。余談ですが、カバーデザインもユーモアというかシャレがきいてて素敵です。「春の雪」は妻夫木くん主演で映画になってましたが、ほかの三作品は映画にして下さらないんですかね…行定監督。
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全巻大人買いしちゃいました。まずは一冊目。とてもおもしろかったです。この本を初めて知ったのは遥か昔「小学六年生」という雑誌の付録小冊子で、荒俣宏さんが選ぶ百冊みたいな企画でした(チョイスがものすごく大人向けだった。「日々の泡」や「楢山節考」など。辛口チョイスで実に渋いです)。
手に取るまでには実に二十年(…)くらいかかりましたが、本当いいですね〜。原文は語り手不明ですが、この橋本源氏では光君の一人称という明快さです。何だか光君がとても著者に愛されてると思いました。橋本さん光君に萌えすぎというか。「雨夜の品定め」のシーンでは光君の少しシニカルなものの見方が女性的で興味深いです。
あと小君とのシーンが少女漫画的でいいですね。BLです(?)。空蝉の凡庸なれども頑なな存在感がリアルだなーと我が身に重ねて思いました。一般職の地味系OLさんみたいな。夕顔はかわいそうですが…。個人的には頭中将が大好きなので、彼が今後どれだけ活躍してくれるかを期待したいです。私は非常に好きな訳(?)ですね。源氏物語は女たちを通じて男たちが結びついている物語のように常々感じていたのですが、この本でも「頭中将は(中略)女から女へと渡り歩き、しかしその実、暗闇の中で女達の父親達と手を握る」という比喩があり唸りました。この時代、女性との付き合いは戦略的なものがありますね。続きが楽しみです。 -
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ネタバレいつものように、橋本治の思考過程を追いながら、小林秀雄は何を考え、当時の人はそんな小林の文章を何故ありがたがったのかが分かります。
けど、この本の中で、私が、一番好きなのは橋本治が小林秀雄の『本居宣長』を読んで「そうか、学問とはいいものだったんだ」って思ったってところです。
愚かな孫は小林秀雄の『本居宣長』を読んで、「そうか、ちゃんと学問をすればじいちゃんが言うみたいに、自信をもってなんでもやることが出来るのか学問というのは、そういう自信を与えてくれるのか』と思ったのである。だから「もう一度ちゃんと学問をしてみようかな」と思った。
(橋本治は小林秀雄の孫ではありません。念のため)
これは、37歳の時に筆者が思ったことであり、本書は50を超えて精読しなおしたものなので本論ではないのですが……。 -
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ネタバレ大好きな橋本治と、最近興味を持った内田樹の対談集ということで読んでみました。
橋本治が自信を持ってあちこち話題が飛ぶのを、内田樹が常識でつなぎとめようという感じの対談でした。
たとえば、橋本治は桃尻娘を書くときに、
俺が知っている十二年分、彼女が知らないんだな。そういう引き算をしちゃったんです。
と、主人公のキャラクターのパーソナリティの作り方を明かすと、内田樹が、
先生は誰でもそういうことができると思ってるんでしょ。引き算が。あえてしないんじゃないんです。「できない」んですよ。引き算なんて。
と応じてみせる。うん。全般そんな感じのやり取りが続く本です。
★★★
また、内田樹が自身のブログの敷居が高いと言われたけど、敷居の下げ方が分からないとこぼすと、インターネットをしていない橋本治が、
簡単ですよ。書き手の個性をもろ出しにしてしまえば、敷居は低くなるんですよ。テヘッとか、入れるとか。
(snip)
普通に書くということが、偉そうであるということに、もうなってしまったんですよね。
この回答が内田樹の役に立ったかどうかは分からないけど。ww
★★★
あと、これは大切だって思って思わずツイートしてしまったのだけれど、
内田 壊すのは簡単なんですよ。物を壊すのって。作るのは壊す百倍くらい手間がかかるから。
橋本 でも何かを作ると、ちゃんと壊れるんですよ。最大の破壊は建設なりと思っていますから。
内田 すごい、これは名言! そうか、そういうことを考えるんだ。
橋本 だって新しいものがあって、古いものあったら、もういらないな、となって、古いものって完全に捨てるじゃないですか。中途半端な捨て方は、捨ててないんですよ。破壊なんかされると、破壊しちゃったけれど、ちょっと惜しかったんじゃない? といわれますから。
内田 ほんとうにそうですね。批判なんか、あまりしても意味がないんですよね。批判するくらいなら、批判されているものよりもいいものをこっちで作っていれば、自然に不用品は捨てられちゃうんだし。
ということで、おもしろいですよ。おすすめ。