橋本治のレビュー一覧
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美しいの正体に近付けた気がする
「過去の自分が知っていながら、現在欠落している幸福」という表現が一番腑に落ちた
それの良さを理解し、自分にそれがないことに気づいているから、外の世界へ関心を向けることができる
人間を落ち着かせるのは人間関係
人間が擬人法を使えるように、人間は人間以外とも人間関係を作ることができる
その前提をもとに、
美しいと感じるものの一つに夕日が一番始めに思い出されるがその理由を考えた
人は夕日と今日の終わりを結びつけていて、きれいな夕日や充実していた今日にもう一生会えなくなる寂しさや、太陽や時間という大きすぎるどうしようもないものへの憧れ、なのかなと思った
孤独と敗北 -
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後白河院はお聴しにならない。御世の帝を擁し給い、お主上の朝廷をもまた御掌の内になし遊ばされる院にとって、武者とはただ「人に仕える下司」なのである。乱世に下司は力を得るーであればこその「乱世」である。ならば、その世のありように従って、下司はいくらでも官を上せればよい。成り上がった下司を、人は嗤う。陰で嗤い、表で持ち上げ、それが腐り落ちる時を、黙って待つ。平氏はそれで、腐って落ちた。ならば、東の源氏だとてー
「武者が武者に仕える、武者が武者の上に立つ」などというあり方を院には表立ってお認めになることばかりは、お出来にならない。それは、武者というものの朝廷からの離脱であり、王朝の時を支える基盤の崩壊 -
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新興の一族の周りには、目に見えぬ標が結い渡されている。己が分際を忘れ、その境から一歩でも踏み出しさえすれば、ひそやかな嘲りがたちまちに襲いかかる。栄華の大海に乗り入れた一族には、この攻撃に対処する術がなかった。新興の一族を呑み込もうとして盛りあがる大波をかわし、進むべき航路を指し示す者はなかった。この哀れな一族を導きうるお立場にあられたのは、御世の頂の更にその上の高みにましまされる、法皇ただお一方ばかりだった。法皇がどのようなお力をお持ちであられるのかを、哀れな浄海入道は、わきまえずにいた。であればこそ入道は、摂関家に抗することも恐れず、法皇に対し奉っても抗そうとした。その父の哀れな振舞が、ご
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東国の武者は、我が身を利するため、我が身を活かすために戦うが、都の武者は、「戦え」と命ずる声に従って戦う。東国の武者が、「我が身の益」を思って戦うのなら、都の武者は、「我が身の益」を思って戦わない。「戦え」と命ずる上からの声は、武者として生きる都の男達の利害とは一致しないのである。彼等を動かす官は、武者の利害を前提として出来上がっていない。朝廷とは、朝政に列する者達の利害によって出来上がっているからである。保元の乱で戦った義朝は報われず、戦わなかった清盛は、報われた。その理由はただ一つ、義朝が朝廷の序列から遠く、清盛が近かったからである。
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Posted by ブクログ
表題の「原っぱ」は飲み屋の酔っぱらいみたいな、ある意味橋本治らしい、とりとめのない講演録で、共感するものはあまりない。それより「近未来」は鋭い洞察に思わず唸ってしまった。
明治の開国で始まった近代化は、昭和で欧米諸国に追いついて近代を達成して、バブル崩壊とともに終わる。続く平成は「時代」そのものがなくなったと言う。個の社会への移行、中心を持たないネット社会へのリアルの組み込みなどにより、それまでの世の中のあり方が全く変わってしまった。昭和の終わりに大学に入った身としては、当時の空気感がありありと浮かんできて、確かにそんな時代だったな、と。
ネット社会の影響は別に日本に限った話ではないんだろうけ