橋本治のレビュー一覧
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よくわかる、というよりは、古典に対する敷居の高さをぐっと低くするための好著。
古典のよみにくさのカギとなるのは、どう書かれていたかだと筆者は説く。漢文・ひらがなのみ・漢字×カタカナの書き下し文から、漢字×ひらがなの和漢混淆文へ至る文体の変遷を追うことで、上代から鎌倉後期までの文学史が辿れるというわけで。
著者の語り口が巧みだ…と思ったのは『徒然草』について語る第6章。有名だが訳しづらいフレーズ「おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざなれば…」を「思っていることを言わないと腹がふくれる=欲求不満になる」と解きほぐす。で、その"思っていること"が何か、つまり引用箇所の直前に何が書か -
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チャンバラ映画を軸にしてたどる、日本人の文化史・精神史の後編。ネットでは毎日のように「映画は娯楽なんだから!」VS「創作とは政治なんだから!」の論戦が囂しく繰り広げられるが、その辺の答えはこの上下巻に詰まっている。というか、「日本的なエンターテイメントとは何ぞや」という問いの答えは全て詰まっている。
ただ……。
橋本は「テレビは芸が無いヘタクソでも有名人になれるメディア(※要旨)」とテレビを蔑み、「1962年にチャンバラ映画は終わった」と断言している。要はテレビ時代劇を下に見ているので、その辺は割引いて考える必要がある。
実際のところテレビ時代劇とは、クリエイターや俳優が映画につづく新たな -
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高校時代、古文の授業を受けながら「同じ日本語なのになんでこんなにわからないんだ。訳さなきゃ意味がわかんないなんてもう外国語じゃん」などと理不尽さを感じ、よくわからない怒りをおぼえていたものでした。
あれから数十年、大人になってもなおこの思いは持ち続けていましたが、読書を愛するようになった今、「日本語なのに何て書いてあるかわからないのは悔しい!」という思いに変化、「古文をすらすら読めるようになってやる!」と強く思うようになりました。どうやら高校時代のイライラは、日本語なのに理解できない自分への苛立ちだったようです。
古文の文法書を買ってみたり、「近い将来読む!」と決めて原文のみの古典の文庫を -
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著者自ら言っているように、かなり面倒くさい語り口なのですが、あっちにこっちに振り回されながらもページめくる手は止まらない、という本でした。チャンバラ映画を語るということが、青年ということを語るという第四講の立て付けが面白かったから、なのか。ひさびさに出会う橋本治節が、心地よかったから、なのか。観客と時代劇の関係を1964年のNHK大河ドラマの第一作「赤穂浪士」を持って"卒業試験”とする、とか「らしい」見立てと論理展開を満喫した感じです。まさに、あとがきで自ら徳富蘇峰の『近世日本国民史』に張り合って『近代日本国民史』というのは紙数の膨大さ、だけではないと思います。上巻の感想でも書きまし
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塾の保護者向け定期冊子のオススメにあったので読んだ。
古典というものはそもそも難しくて投げ出したくなるものというのは仕方がないことというのがわかって良かった。
今の考え方と全く違う考え方をしていた時代もあると言うことを発見できるという面白さがあるということに共感した。
最近では毒親という言葉も流行っていて、放任主義な親を恨んだりもしたが、そもそも昔の貴族は自分の手では子どもを育てないから親子関係が希薄であったとか、在原業平が詠んだ句の「おもふことはでぞただにやみぬべき、我とひとしき人しなければ」を読んでこんな昔から歳をとるにつれ自分と同じ意見の人ばかりではないから思った事を言わないでおこうと思 -
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長女が古典好きで新古今和歌集を絶賛していて、かーさんも読め読め、定家はすごいぞと勧めてくれるのだが、古典苦手意識が強すぎて、まずはこれから。
新古今和歌集のことだけ書いてるわけじゃないけど、橋本治も定家絶賛でした。
現在の日本語というものが、どういう経緯で出来上がってきたのか。いや、「作られて」きたのか。日本語の成り立ちがわかりやすく書かれている。
橋本治の文章って一見分かりやすいようでなかなか難しい。とても論理的で、でもその論理は普段の人の生活の中に感じる情緒と繋がっている。月を見て、梅の香りを感じて感じるものこそ、生きることを豊穣にする。
あー、でもまだ新古今和歌集には手がでない -
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古典を小中学生向け、少年少女古典文学館シリーズ。監修が司馬遼太郎、田辺聖子、井上ひさし、文章はそれぞれの巻で名作家たちが担当するという贅沢なシリーズ。
古事記の文章担当は橋本治。三部ある古事記のなかで、上巻(天地創造から、神武天皇の登場まで)が入っています。
たしかに「古事記」と言われて有名なのはこの上巻の部分かもしれませんね。イザナミとイザナギ、ヤマタノオロチ退治、オオクニヌシの冒険、海幸彦と山幸彦の争いなどなど。
あとがきでは、この上巻を「まだ人間が一人も出てこない、神様たちだけの物語」としています。もちろん物語には”人”は出てくるのですが、日本の神話における”人”は神様が地上に降りてきて -
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ああ、治さん君を泣く
この方はもう少し長生きして欲しかったなあ!
ヤンキーに本を読んでもらえないと本は売れない
じゃあヤンキーに読んでもらえるのはどういうものなのか
という発想がもう素晴らしい
そしてヤンキーって何?
自分の中のヤンキーを点検する辺り
反知性主義って何か、それが生まれる経緯の考察
そしてそれをいいとか悪いとか言うのではなく、ただそれを放っておくことに対する感みたいなものはある
ヤンキーの持つ痛みを放っておいては解決せず
ただそれと「いやいやそうじゃなくって」と時間のかかる対話をする必要
そう、処方箋はあるんだけど服用するめんどくささはあるんだな
でも、読んでいて元気が出 -
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オードリー・ヘップバーン、マリリンモンロー、ブリジット・バルドーなど、13人のヒロインたち。その魅力について、橋本治が、あらゆる角度から分析する!
解説 で、小藤田千栄子さんが、
高校生のころ橋本さんは「映画評論家になれたらいいな」と思ったという。
、、、そうか、だからこんなに映画に、すごく詳しいのですね。橋本氏の、少女漫画評論「花咲く乙女達のキンピラゴボウ」という本も、読んだことがあるが、「虹のヲルゴオル」のほうが、断トツに面白い、と思いました。
でも、氏も、大好きなはずの、オードリー・ヘップバーンに対して、すごく辛辣なことも、書いている。キビシイ人だ。若くて、美しい人だけに、女優とは、価値 -
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『どうしてかというと、「本を読む」ということは、「読んだ結果をどうするか」ということとからんでいると思うから』―『本の未来、人の未来、社会の未来』
すごいなあ、やっぱり。橋本治は。一見したところ突飛に思える話の流れの裏側で、橋本治の脳内細胞が活発に結合している様が見えてくるようだ。例えばここで引用した「本を読む」という話だって「読むことの動機」という平面ではなくて、「何で人は本を読んだりするのかな」という荒野に立って問いを立てている。そういう思考の方法をする知識人って数が少ないけれど、更にそれをすごく庶民的な平地から考察できる人って他にはいない気がする。
『「ヒット曲の寿命が長かった」とい