橋本治のレビュー一覧
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古典をよくわかっている橋本治が、結局のところ古典を理解できていない近代人である小林秀雄を、その痛々しい本居宣長への自己投影に満ちた”読み込み”を解読していく。
この人のエッセイは、自分の言いたいことを徒然草よろしくのらりくらりと語っていくものが多いのだが、この本は小林秀雄の『本居宣長』という読み込む対象の本があるせいか、作者からの距離がほどよく取れていて読みやすい。小林秀雄とも本居宣長とも、そして著者自身とも、気持ちのよい距離感を保ったまま論が展開していく。モノフォニックなエッセイが多いこの作者にしては、三者の声でできたポリフォニーでできた、重層的な、コクのある評論である。
文庫版の方が、人名や難読漢字にルビがきちんと振ってあって、おすすめ。 -
Posted by ブクログ
「ものごとを分かりやすく説明する事の天才」と内田樹氏が絶賛する橋本治氏による古典の読みかた。「窯変源氏物語」など、古典の超現代語訳に取り組んだ筆者ならではの、独特な視点からの古典文学の腑分けが実に面白い。
歳を取ってから、なんども古典を読み直そうと試みている。何十年ぶりかで古語辞典を買い、「徒然草」や「方丈記」などをぽつぽつと読んでいたのだが、今ひとつ深く入り込めない。どこかよそよそしく、学校の授業での読解のように感じられて、文学として身に入ってこない。
しかし本書を読んで古典へのアプローチが間違っていたことがわかった。
まず基本にあるのは「昔の人も、我々と同じ人間である」という認識。何に喜び、悲しみ、嫉妬し、愛したのかは、意外に変わっていない。
そこに知識としてその時代背景からくる特異性を加えて解釈する。恋愛はどういう形で行われたのか。歌(和歌)が果たした役割とは。身分制度はどうだったか。など。
また各作品の書かれた年代をしっかり把握しておくことも非常に重要である。例えば和歌の世界では「本歌取り」という技法があるが、「万葉集」から「古今和歌集」、「新古今和歌集」と続く勅撰和歌集の間に何年の開きがあって、その選者や詠み手の置かれた身分や立場、社会情勢を知ることで、どういった背景でその歌が詠まれたのかが分かり、はじめてその本当の意味を探ることが出来る。もちろんそれは解釈のひとつなので、どれが正解なのかは永遠に分からないのだが、受験勉強ではなく教養のための読書であるから寧ろ「こうした背景から作者はこう書いたのだろう」という自分なりの解釈を見つけることが重要で、かつ楽しいことなのだと知らされた。そうした意味で、目から鱗が落ちるような、今までの蒙を拓かれたような、新鮮な驚きがあったのが有り難い。
大学受験を控えた娘が読んでくれたのが嬉しい。 -
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ネタバレ著者のことは私昔からかなり尊敬していたんですけど、この本を読んだらなおさらその気持ちが強くなりました。
橋本先生やっぱり素晴らしい!知の巨匠だ天才だ!
この本は、著者の代表作のひとつである「双調平家物語」を書くにあたり橋本先生の歴史考察をまとめた本です。
平家物語についての考察のはずなのに話は古墳時代まで遡ります。
というのも、双調平家は裏の主題として「平安時代的な政治構造の終焉」を描いているから。
平安時代的な政治構造とは、藤原氏などの有力者が天皇に娘を贈り、これを后にして皇子を得、この皇子を天皇と立てるという構造のことを言います。
院政の時代にこの構造は一時あやふやになりますが、清盛の時代に復活する。それが「幕府」という朝廷とは別個のシステムがつくられることにより、この平安時代的な構造が消滅するのです。
で、その構造の始まりが古墳時代なのです。。
面白いのは、当時日本人が手本にしていた中国の政治にはそんな基本原則はないそう。 この構造は日本オリジナルなんですって。
ということで、このゴールに向かって橋本先生の長い長いお話が展開されるのですが、あまりにも長く、あまりにも面白く、けれどもあまりにも話が広がりすぎ登場人物が多すぎるので、今回は大化の改新あたりまでの私のなるほどポイントを書き留めておくことにします。
(かなりきざみます)(続きは再読時に)
とにかく脱帽モノなのは、先生ったら、年表とともに重要人物の年齢表を1年刻みで作ったそう。なんと、700年分も!
更に、母方まで書き込まれた天皇家系図を作成して、時代ごとに年齢をあてはめると・・・
系図が示すものは、ヒトが作られていくプロセス、ではなく・・・権力が作られ維持されていくプロセス、なんですね。
(普通の系図は男系を主として作られるので、母やその祖父が誰かがよくわからない場合があるのだけど、摂関政治というのは、藤原氏が天皇の外祖父になることによって実権を握るシステムなので、祖父がわかる系図でなければ意味がないのです。)
そこでわかったことは、皇女の力、でした。
次の天皇になる皇子は傍流の天皇である父の子であることよりも、嫡流の皇女である母の子であることがより重要視されているのです。
だからたとえば一旦皇統が絶えた場合、かなり昔の天皇の血縁を探し、その正統性を強固なものとするため嫡流筋の皇女を后とし、その后から生まれた皇子を皇太子に立てるということをして、豪族達から天皇として認めてもらうということをしています。
だから逆に、力があったはずの推古天皇でさえ、血統が(蘇我氏系の)傍流筋との理由で皇位継承に関する発言権は弱く、自身の血統である山背を推挙することもなく、押坂彦人系本流に戻そうと言う動きに繋がるのです。
平安時代的な政治構造の土壌が飛鳥時代あたりまでには出来上がっていたんだよ、というお話。女帝の役割の基盤もこの時代に出来上がっているし。。
小説家ならではの想像力を加えた見解がとても良かったです。 -
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本書で著者は、「美しい」とは「合理的」ということだと主張します。ただし、「美しい」が自分のなかで生じる感動なのに対して、「合理的」は「他人の立場からの説明」である点にちがいがあり、それゆえ「合理的」ということは「他人の声」として理解されるものだとされます。「感動してしまった自分自身」を納得させようとして、ことばに出して説明するとすれば、それもまた「他人の声」です。
そして著者は、「美しい」という感動に打たれてしまったとき、ひとはそれを理解するためのことばにたどり着くまでに「時間がかかる」といいます。「美しい」とは、合理的かどうか判断するまでの時間のなかに存在するのです。しかしその一方で、対象が自分にとってどのような利害をもたらすのかという「合理的」な判断をおこなう以前の、「美しい」という体験は、「自分とは直接にかかわりのない他者」に出会うことを意味していると著者は述べます。
「自分はこれを美しいと思うが、あなたはどう思うか?」という話をするとき、人は「おどおど」するということから、「美しい」と「孤独」をめぐる考察に進んでいくところなど、著者らしい繊細な視点が示されていて、興味深く読むことができました。 -
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ネタバレ「美しい」がわかる人と、分からない人。
「美しい」を実感するということは、「シンボリックに自分を語ってくれるものを発見する」ということで、それは理解されない孤独を癒す友達のようなものである。
そして、そもそもの始めに「美しい」を実感するためには、他者の愛情という「豊かさの力」が必要である。
しかしながら、人は「孤独」という「自由」に安住することなく、成長=自立に向かわなければならない。センチメンタリズムなどという言葉で孤独からの脱出をひとたび放棄(=時間の囚人)してしまえば、それは「美しいをわからない」ことなのだ。
「美しいを実感すること」は敗北を知ることに似ていて、その「実感」の先には「他者に対する敬意」がある。
「美しい」は、「存在する他者を容認し、肯定すること。」
注がれた愛情が「美しい」を生むのだとすれば、そういう気持ちで日々を過ごしたいものだと思う。 -
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ネタバレ三島由紀夫の作品をロクに読んでいない自分だが、橋本治の迫る三島由紀夫像に引き込まれた。他者と関わりたくて、仮面の下の彼は「無」である。「塔の中にいて、塔の外を望みながら、塔の外に出ることは拒む」という感覚に、身につまされる思いがした。
同性愛、マッチョ、右翼、自殺という表層的なイメージで三島を捉えるのは間違いで、作品から滲み出ている彼のベースはとても繊細で中性的である。
ただし、橋本の捉える三島像では、結局のところ彼は肥大した自己のためにコミュニケーションをうまくとれなかった人ということになるのだろうか?美意識や感情の拒絶、愛の表現方法など、一読では消化不良なことばかりで、三島作品とともに再読が必要であるとメモ代わりに。 -
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良い問いは人を成長させる。
やなせたかし氏は、かつて書いた「まんが学校」のなかで、こんな問いをしていたそうだ。
「あなたは馬のさかだちが描けますか?」
いくら馬のデッサンがうまくてもそれは漫画ではない。
現実にありえない馬のさかだちを描けるかどうか。
さて、橋本治の書く文章は、ひたすらに問いが進んでいく。
よくありがちなつまらない答えに着地することなく、出かかった答えに対して、なぜその答えが出たのか、あるいはその答えは本当に正しいのか、ひたすらに問い続けて話が進んでいく。
ビジネスでは「結論から書きなさい」と言われる。
その観点でみたら、決して良い文章ではない、ということになるだろう。
いつまでたっても結論が出ず、問いばかりが進んでいく。
でも、この本は面白い。
自分では立てることのできない問いが次々と登場する。
問いを立てるというのは、一つの能力であり、その能力(才能)の深さに打たれながら読み進めていく。
才能というのはこういうものか、と思う。
ぜひ「この問いは、いままで自分が立ててきたことのある問いだろうか」ということを考えながら読み進めてみてほしい。 -
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初版の日付を見て驚く。こんな前の本だったのか。
書いた当時よりも状況はもっと悪くなっていると思うが
今読んでも至極まっとうな内容が詰まっている。
橋本さんは本当に頭が良い。
戦国武将の時代から話を始め、
バブル後の「勝ち組負け組」の単純な言葉の裏にあるめんどくささを一つ一つほどいてみせ、
経済とはもともとなんなのか、と根本に帰り、
今や「フロンティア」は「欲望」にしかない、まで来た時は
素晴らしすぎてひっくり返りそうだった。
恐ろしい話だ。
「必要」はもう十分に満たされ、
それでも発展していくにはもはや「欲望」というマーケットに進出する以外の場所はない。
「欲望」には具体的な形がないし終わりがない。
作って売って稼ぐのはまどろっこしい。
作って稼いでいるやつに乗っかって金を動かす方が早い。
ダメだと思ったら手を引けばいい。
もはや投資先なんてないのに、
エコノミストと投資家によって動かされる世間の欲望というマーケット。
「(昭和30年代に「商店街」という日本経済を成り立たせていた)日本人は
"我慢”という現状に抗する力を、まだ持ち合わせていた」
の一節を読んだ時は、目というか全身のウロコが落ちるような刺激。
最終章でもう一度この「我慢」についての一節が入るところが橋本さんです。
これだけの複雑な状況について、過去と現在とをまっとうさで繋げ、
シンプルに人間の力を掘り起こす文章を書ける人はそういない。
今橋本さんは難病を患って長く深く物を考えることができないそうだが
こうした本が読めなくなるのは大きな損失だと思う。
というか、もっと橋本さんの本は読まれないとマズイと思う。 -
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ネタバレ橋本治の最新短編集。どこにでもいる家族や男女の肖像と日常を、そのディテールまで繊細に描かせたらこの人の右に出るものはいない。
そして今作は、震災を通して人間の心理変化や関係性の変化を切り取った作品が多い。「助けて」や「海と陸」で描かれた「震災後」の情景の1つは、どこまでも続く「無」への恐怖であり、「在」であった陸が震災によって「無」になったことの絶望感が人間心理を通して情景とともにヒリヒリと伝わってくる。
「海と陸」で描かれる、自分の感情に正直に生きる強い女の葛藤と、そんな女が「どうとも思ってない」男だから馴れ馴れしく抱きつくことができるという不思議さ、というのは男と女のリアルな関係性。「小舟に乗って海に出る女を陸から見ている男」。男って悲しい。
そんな男女の関係をもう一歩進んで描いているのが「枝豆」。「草食系男子」の定義についてあーだこーだ言いながら、男は自分の中に眠っている性欲という「内部的な暴力」をどう扱って良いのかに悩む。草食系優位の世の中では、男は「動物」と「社会的人間」の狭間で、自らの内部的な暴力を「自制」することをデフォルトとするため、「女性に対して性的関心がある」という事実を裏付ける「内的欲望」が育たない。なるほど。社会的な生き物として「人間」を見るとき、女性は内的に「愛着」を持っている。オキシトシン出すしね。一方男性は内的に「動物的欲求」という爆弾を抱えている。現代は、そういう動物的欲求を自覚するまえに否応なく社会化が進むよう要請されるということかなあ??
このへんは、2丁目あたりのオネエの生態やメンタリティーの時代変化とともに考察すべき問題のような気がする。ポストマツコ世代、ね。
で、最後の書き下ろし「団欒」。この短い小説の中には大事なものがギュッと詰まっていた。家族であることと家族になることを噛みしめた。
決して大きな話に回収せず、小さな小さな物語を丹念に編んで行く作者は「体力がないから長編は書けない」と謙遜するが、もっともっと短編が見たい気もするのである。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ軽いタイトルと軽い表現の裏に濃厚な味がする本でした。
古典の内容よりも、漢字・漢文という外国語が日本に到来して、それをいかに日本人が悪戦苦闘の末、克服して現在に至ったかを、古典を通じて、橋本流の面白い比喩を駆使した解かり易く丁寧な説明で、楽しく読むことが出来ます。
漢文だけで書かれた『古事記』や『日本書紀』、漢字を使った万葉仮名の『万葉集』、そして「ひらがな」だけで書かれた『源氏物語』『枕草子』などを経由して、鎌倉時代にはいり『方丈記』をへて『徒然草』の和漢混淆文の完成にいたり、現代使用されている日本語に近づいたとの道筋をチョコチョコと寄り道をしながら楽しく読ませてくれます。
カタカナは漢字のカンニング用に考え出されたという話、句読点や濁点がなく、ただだらだらと連続した「ひらがな」だけで書かれた源氏物語というのも想像すると壮絶ですし、男女の関係がイスラム原理主義のような時代に、唯一男女を取り結んだ「和歌」の話も楽しく、またその和歌が近代になり「生活必需品」から「教養」へと「転落する」という表現もなるほどと思わせる。
この本を読み終えて、以前に読んだ「おどろきの中国」の中で橋爪大三郎が中華文明としての基準を『中国>韓国>日本』と評価していたのを思い出しました。
わが国の先人の苦労を知るにつけ、漢字の発祥の中国やその模範生である韓国から見れば、漢文や漢詩の下手くそな東の海の向こうの野蛮な国が、如何に自分たちの独自性を崩さずに独立自尊の精神で苦労してきたかを誇りにすら思えます。