橋本治のレビュー一覧
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私は、人生に行き詰まったら、この本を読んでいます。
平易なエッセーですが、日本の問題点とその本質を見事に語っているような気がします。
この本は決して「ああしろ」「こうしろ」という指南本、マニュアルではありません。
「いや、もう日本ってこれから先何も良い事ないよ、でも生きていこうね」
と、さらりと言っているようです。
しかし、氏のスタンスには、厳しさと、そして、優しさがあります。
それらの混ざり具合が、私なんかは、絶妙というか天才的だなと感じています。
「人それぞれ」、「あなたには関係ない」、これらの言葉が巷に溢れているような気がします。
今の社会状態は、相当な病を抱えていると思います -
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最近、「話す」人が増えて、「聞く」人が減った。
「聞く」人は、「話す」人の話しを、ニーズだと思うようになった。
自分にとって、利益があるか、ないか、その功利性が、「話し手」と「聞き手」、
「私」と「他人」の境界を分ける要素となった。
橋本氏は、本当に不思議な人で、「まぁ、とりあえず、俺の話しを聞いてよ、意味ないと思うけど」
と相手に予め言っておいて、相手のために、自分に与えれた知性と獲得した知性をフル活用して、
聞き手や読み手に、贈り物をしてくれる。
その贈り物は、お金を儲ける方法とか人間関係を解決する方法ではなくて、
人間のあり方から生まれる「心のある論理(五章参照)」である。
こう -
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私が、何度も読み返してしまう本です。
出版されて結構年数が経ちましたが、内容は全く古びてありません。
それは、読者に対して、橋本氏の一連の著作のメッセージが、「現在の自分は、どこにいるか?」を
考えさせるものだからだと思います。
橋本氏は、この本できっぱりと、「正解がある時代は、終わったよ」とさらり言っています。
これは、私自身を振りかえっても、痛い一言です。
なぜなら、どこかに「正解」があると思って、
「ノウハウ」や「理論」や「考え方」を、私自身が探しているからです。
橋本氏は、「そんなのないよ」と言ってのける。
もちろん、橋本氏は、根拠がなく言っているわけではありません。
日本そして -
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私が何回も定期的に読み返してしまう本です。
男はどう生きるべきか、という「生き方」に関しての本ですが、
「生き方」自体が、ほぼ死語となっている中で、
こういうテーマで書けること自体が凄いことです。
橋本治氏のような「知性」が、もっと日本にいたらいいのにと、
個人的には思いますが、後にも先にも、出てこないでしょう。
出版されたのは20年前以上も前ですが、
今見ても、全く遜色ありません。
また、氏の著作の多くは、今見ても、
なるほどな、思わせます。
『貧乏は正しい!』など、90年代初頭の作品で
もうすでに、資本主義は終わりましたと指摘していますから、
その慧眼には脱帽です。
20年以上の未来の -
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個人的には、橋本治氏は、業績に比べて、
日本で一番過小評価されている作家だと思います。
作家という枠に、入れてしまうのも、どうかなと思うぐらい、
創造的仕事をしています。
この『貧乏は正しい!』も91年に書かれたとは、
思えないほど、氏の日本に対する批評は当たっています。
この一連の著作では、氏は「資本主義という制度は終わった」と、
昭和が終わって平成になる時に言及しています。
昭和64年そして平成元年と言えば、プラザ合意からバブル崩壊までの間の、
ちょうど絶頂期です。その時期に「資本主義はもう終わってる」と言うこと自体
並外れた知性と分析力、そして創造性を持っていると思います。
出版さ -
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反知性をヤンキーのくくりで考えると、なるほど比較的すっきりくる訳ですね。作者があとがきで書いているように、論旨があちこちに飛んでいくから、なかなか捉えどころのないように感じつつ読み進めていたけど、なるほど最後2章くらいで、だいぶ理解がまとまりました。読みながら思い浮かんだのは”ぼくらの民主主義~”で、共通している部分としては、小さい声にも耳を澄ませようよ、ってこと。ヘイトスピーチに限らず、どうしても幅を効かせがちなのは大きな声なんだけど、自分の知性不足を思い知らされて腹が立つから、声も大きくなるんですね。でもそもそも知性がなければ発言は控えるべきなんですね。せめて無知の知くらいが備わっていれば
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ネタバレけっこう前にスタンダールの『恋愛論』を読みましたが、
それとはまた違ってネイキッドなところのこころを扱った恋愛論です。
話の中心は、著者の初恋です。
それがまた、純真だなあと思った。
実は僕って「純粋」っていうのはあんまり好きではないし、
それにそれは今回のこの事象にたいしては違うと思って考えたら、
純真という言葉が出てきた。
それも、しおしおしたりもするんだけれど、
全体として「陽」に感じた。
読んでいて、これは僕は敬遠してきた領域だという自覚が出てきた。
わかるんですよ、わかるんだけれど、
社会通念上いけないことだとかなり早い段階で意識しちゃうんですよ。
そこを飛び越えちゃってるのが、 -
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福沢諭吉にとって、政府という主体は存在しません。それは代理として仮に存在するもので、主体というのは、政府でなくて人民の側にあるのです。このことを、福沢諭吉は、読者である人民に向かって言っているのですが、このことに耳を傾けなければいけないのは、もちろん、人民ではなくて、政府の方です。
ところが困ったことに、政府の方はいつでも選挙に勝ったから国民の信任をえた!もうやりたい放題だ!の方向に行ってしまいがちです。でも残念ながら、政府は国民の代理なのです。それを忘れて政府の私事に走ったら、もうおしまいです。もうおしまいだということを、今から百四十年間以上も昔に、福沢諭吉は言っているのです。 -
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知らなかったが、過去に読んだ「上司は思いつきでものを言う」「「わからない」という方法」を合わせて三部作なのだということ(著者曰く、何の三部作かはわからない)。
この人の本は「わかりそうでわからない」「わからなそうでわかる」のが特徴だけど、読み進めながら薄々その理由がわかってきた。
自分の理解をいうと、この人は複雑な話をいくつかのセグメントに分けている。そのわけられたセグメントの一つ一つの話は単純なので理解しやすい。しかし、そのセグメントを集めてきた話はいくつもの要素が重なり合っているので難しい。
しかし、複雑な話をする時にはこういう方法をとるしかないと思う。複雑な話を単純にして「まあ、要は金の -
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古典をよくわかっている橋本治が、結局のところ古典を理解できていない近代人である小林秀雄を、その痛々しい本居宣長への自己投影に満ちた”読み込み”を解読していく。
この人のエッセイは、自分の言いたいことを徒然草よろしくのらりくらりと語っていくものが多いのだが、この本は小林秀雄の『本居宣長』という読み込む対象の本があるせいか、作者からの距離がほどよく取れていて読みやすい。小林秀雄とも本居宣長とも、そして著者自身とも、気持ちのよい距離感を保ったまま論が展開していく。モノフォニックなエッセイが多いこの作者にしては、三者の声でできたポリフォニーでできた、重層的な、コクのある評論である。
文庫版の方が、人名 -
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「ものごとを分かりやすく説明する事の天才」と内田樹氏が絶賛する橋本治氏による古典の読みかた。「窯変源氏物語」など、古典の超現代語訳に取り組んだ筆者ならではの、独特な視点からの古典文学の腑分けが実に面白い。
歳を取ってから、なんども古典を読み直そうと試みている。何十年ぶりかで古語辞典を買い、「徒然草」や「方丈記」などをぽつぽつと読んでいたのだが、今ひとつ深く入り込めない。どこかよそよそしく、学校の授業での読解のように感じられて、文学として身に入ってこない。
しかし本書を読んで古典へのアプローチが間違っていたことがわかった。
まず基本にあるのは「昔の人も、我々と同じ人間である」という認識。何に