橋本治のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ああ、治さん君を泣く
この方はもう少し長生きして欲しかったなあ!
ヤンキーに本を読んでもらえないと本は売れない
じゃあヤンキーに読んでもらえるのはどういうものなのか
という発想がもう素晴らしい
そしてヤンキーって何?
自分の中のヤンキーを点検する辺り
反知性主義って何か、それが生まれる経緯の考察
そしてそれをいいとか悪いとか言うのではなく、ただそれを放っておくことに対する感みたいなものはある
ヤンキーの持つ痛みを放っておいては解決せず
ただそれと「いやいやそうじゃなくって」と時間のかかる対話をする必要
そう、処方箋はあるんだけど服用するめんどくささはあるんだな
でも、読んでいて元気が出るのでそういう意味で私にとってとってもいい処方箋
他には
ロシアの苦しさは軍事と言うファンタジーにお金をつぎ込んだせい
拡張して侵略して搾取して、そういう構造に限りがあることは分かってもどうすればいいか分からず困っている人たち
身の程以上のものを持たなくても生きることはできる
そこに幸せを感じることができるかどうか、よね~
ずばり分かりやすく、しかも楽しい語り口で語ってくれるとことか -
Posted by ブクログ
オードリー・ヘップバーン、マリリンモンロー、ブリジット・バルドーなど、13人のヒロインたち。その魅力について、橋本治が、あらゆる角度から分析する!
解説 で、小藤田千栄子さんが、
高校生のころ橋本さんは「映画評論家になれたらいいな」と思ったという。
、、、そうか、だからこんなに映画に、すごく詳しいのですね。橋本氏の、少女漫画評論「花咲く乙女達のキンピラゴボウ」という本も、読んだことがあるが、「虹のヲルゴオル」のほうが、断トツに面白い、と思いました。
でも、氏も、大好きなはずの、オードリー・ヘップバーンに対して、すごく辛辣なことも、書いている。キビシイ人だ。若くて、美しい人だけに、女優とは、価値があるのか、と、心の中で、ツッコんだりもするのだが、私、橋本氏のこういう文章、とても好きだったりする。「いつも二人で」という映画に対して、
こういうすごい映画を撮って、オードリー・ヘップバーンというスターは、自分のそれまでに立派なピリオドを打ったんだ。
だから、それから先の彼女のことを、僕はしらない。
、、、ときどき出てくるスター達の写真も、素敵な写真ばかりでした。
それから、マリリンモンローに対する評論が、優しい感じで好きでした。
とても良かった。
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Posted by ブクログ
『どうしてかというと、「本を読む」ということは、「読んだ結果をどうするか」ということとからんでいると思うから』―『本の未来、人の未来、社会の未来』
すごいなあ、やっぱり。橋本治は。一見したところ突飛に思える話の流れの裏側で、橋本治の脳内細胞が活発に結合している様が見えてくるようだ。例えばここで引用した「本を読む」という話だって「読むことの動機」という平面ではなくて、「何で人は本を読んだりするのかな」という荒野に立って問いを立てている。そういう思考の方法をする知識人って数が少ないけれど、更にそれをすごく庶民的な平地から考察できる人って他にはいない気がする。
『「ヒット曲の寿命が長かった」というのは、「その曲を所有したい」と思う人と、「その曲が流れたら聞いてしまう」という人の両方がいて、それが咀嚼され消化吸収されるまでの時間が長かったからだろうと思う。「その曲を所有したい」の人が多くなったら、その人達がCDを買ったり、曲のダウンロードをした段階で「ヒット」は終わってしまう。「咀嚼する」という時間が不必要になる』―『「本」はもう閉ざされているのかもしれない』
ね、こういう考察って、出来そうで出来ないと思うよ。問題と正面から向き合っていないように見えて実のところ本質的な洞察が行き届いている。余りに切れ味の鋭い刀で切られるから、切られて血が流れているのに痛いと感じることも出来ないって感じかな。
この時事批評のアンソロジーは、リーマンショックや民主党による政権交代の予兆から始まって、東日本大震災とご自身の闘病の話までが時系列に綴られているものだけれど、今更ながらに「自分の頭で考える」ってことの重要さを思い知らしめてくれるものばかり。もし橋本治が現在進行形のコロナ禍の状況を見たらなんて言うのかなとつい想像してみたくなるけれど、きっと『分からない時は焦ってもしょうがない。「えーと、なにが分からないんだ?」と悠長に構える――すると、分からないことだらけなのに、妙に落ち着いてしまう。「眠れない時に羊の数を数える」というのと同じことかもしれない』ー『焦ってもしょうがない』なんてことを言うんだろう。それにすぐに法律で規制しろとか基準を示せとか言う声に対しても、自ら考えない、自明のことをあたりまえと思えない人の多さに何か一言あったに違いない。
本の背景のことを備忘録的に書いておくと、この時事批評は朝日新聞出版の「一冊の本」に2001年7月号から2012年4月号まで計130回にわたって連載されたものをまとめた『橋本治という生き方』『橋本治という考え方』そして『橋本治という立ち止まり方』の三冊の最後の掲載分。その後は、発表の場を筑摩書房の「ちくま」に移し「遠い地平、低い視点」として連載を続け、2014年7月号から2018年8月号までの掲載分を『思いつきで世界は進む ――「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』として出版。「遠い地平、低い視線」は2019年1月号の第54回「観光客が嫌いだ」で断筆となっている。出版されていない連載4回分の最初の第51回の2018年10月号は「闘病記、またしても」で、著者自身も振り返っていたように、多くの読者は本書の中に収められた2010年12月号分の「闘病記」のように再び執筆活動を続けるものと信じていた筈。因みに「観光客が嫌いだ」では『「東京オリンピックになったら、そういう観光客に東京の街は占拠されるんだろうな」と思うから、東京オリンピックもいやだ。自分の知っている町がある日突然バカの群れに埋め尽されているのを見るのはいやだ』と言っていた橋本治だから、コロナ禍の状況下で静けさを取り戻した街には、安らぎを覚えたかも知れない、などと夢想してみたりする。
(「遠い地平、低い視点」の第35回以降の連載は、この時点でまだWebちくまから読むことが可能です)
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Posted by ブクログ
サラリーマンが言う愚痴の代表格である「上司が思いつきでものを言い、自分たちは振り回されている」というところに着目して書かれた本。面白いです。
面白すぎて第一章など数秒で読んでしまったのではないかと思うほどでした(そんなわけはないのですが)。
何がこんなに面白いのだろう? と考えてみて思い至ったのは、語り口でしょうか。(良い意味で言っているのですが)まるで落語を聞いているかのように、”文章”という感覚なくするすると読み進めることが出来る本なのです。
内容はいろいろなところへ二転三転しながら、日本のサラリーマンを取り巻く状況や今に至る歴史など、様々な角度から「サラリーマンというもの」を見ています。
当の本人なら気づけないようなことでも、作家という第三者視点から見ているから良く気付けるというものなのでしょうか。
個人的に特に面白いなと思ったのは、埴輪の会社を例に語るくだりです。埴輪の会社というととても突飛なことのように感じるのですが、内容を見てみるとありがちというのか、まさにサラリーマンの直面している苦悩(のうちのひとつ)を切り抜いてみた感じで、実際の状況を例にとるよりも分かりやすかったです。
この本のタイトルを見て、「じゃあその上司をどうしたらいいのか?」という本だと勘違いしてしまう人がいるといけないので言っておきたいのですが、上司は変えられません(笑) でも、この本を読めばその背景がより分かりやすくなって、自分の置かれている立場が明確になってくると思います。場合によってはやるべきことも見えてくるかもしれません。
久しぶりに夢中になって読んだ新書でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ橋本治と内田樹の2004~2005年の対談本。「私的なところがなく」「自分のことなんかどうでもいいと思っている」(ただし自己犠牲的な意味では全くなくて)とにかく天才としかいいようのない橋本治の魅力が浮き上がる内容になっている。早世といってもいい年齢での逝去が惜しい。
興味深い対話がたくさんあったが、今読んで特筆だなぁと思うのは、能力を必要とする「参考にする」という行為がだんだんできなくなり「参加」するしかなくなってきて、「全員参加型社会になる」という兆しを指摘している点。15年後のいま、まさに参加する/しないの二択しかないかのような世の中になっているが、中間である縁側を設けてそこに身を置き、ひととの距離を置いてひとを参考にしてひととの関係を深める、そんなありかたへの回帰の必要性に気づかされる。
多神教と神仏混淆に対する解釈も目鱗である。
P48 (橋本)「橋本さんの小説ってえが見えるんですよね」とか言われて、「おうやった!」とかって思って。そうしたらそういう言い方してくれる人ってビジュアルの仕事してる人だけだったんです。(内田)そうなんですか。僕は橋本さんの書いたものではむしろ音が好きですけどね。ものすごく音響的に非常に響きがいいんですよ。
P61 (内田)1950年代ってなんかね、まだ江戸時代の尻尾を引きずっているような感じだったじゃないですか。
P69 (内田)僕は橋本さんのその能力が多分ものすごく貴重な部分だと思いますね。歴史的に過去にも拡大して行けるけれど、多分同時代でも、水平方向に、性別とか年齢とか職業とか関係なしに、想像力で体感を追体験できる。
P78(橋本)アルバート・フィニーの時代って、男に天然が入ってるじゃないですか、エキスみたいな。[中略]今の人ってみんなそう(人工的)なんですよね。男も女も。だから、何かしない限り、その人工から脱せられないというのがあるんじゃな
いかなあ。だからえぐい役やりたがるっていうのがあって。
P89(内田)世の中というのは、向こうから「おいでおいで」って言ってこなきゃ入れないもんなんだから。誰かがどこかで「おいでおいで」してるから、それを探しなよっていうんです。(橋本)「入れて」って言って「だーめ」って言われるっていう経験を積んで、何回か後に「いいよ」っていう「承認を得る」っていう経験をしてない子はなんか人間関係が根本でダメですね。(内田)共同体というのは向こうからしかドアが開かない。どうやって開けてもらうかそれを考えなよっていうんですけれど。
P104 (橋本)技術ってある程度のところに行くと余分なことをしたくなるものだっていうことをわかってない人ってとっても多いですよね。[中略]でもできない人って「その余分は要らないから基本だけ教えてください」っていうんだけど、それは絶対に技術と結びつかない。余分という開花のしかたをしないから、決して幸福にならないんですよ。
P121 (内田)先生っていうのはね「君は才能があるよ。それはみんな気が付いてないけど」っていう、一種あれですよね、愛の告白と同じで。[中略]「この人だけしか、わたしの本当のいいところを知ってる人はいない」って思わせるのが先生の大切な仕事ですよね。(橋本)先生ってそういう意味で愛人じゃないから、「あなたの本当のいいところを私だけが知っているのよ」っていうことを、わからないようにいうんですよね。だから言われたほうはね「本当かな、嘘かな」って怯えてね、それで勉強するようになるっていう。
P124(橋本)こっちの体力から言ってもね、そんなにすべての人の中に潜り込んでその人のいいことを発見するってことはできないですよ。それはその人を好きになることなんで。嫌いになったまんまでいたい奴っているんだもん。
P156(橋本)「時代遅れになっている。けど当人は一向に気にしていない」みたいな。あ、それは素敵(笑)と思って。
P158(橋本)カミソリの小技はないんだけど、ナタ振り回して円空仏みたいのを作れるような、大技と小技の区別がないみたいな、そういう感じというのは年寄りになるとあるなぁと思いましたね。
P188(内田)橋本さんてすごくパブリックな人だっていう話をしたじゃないですか。基本的にあんまり「私的なところ」がないんですよね、橋本さんて。
P219(内田)ボランティアとか介護したいとか、スクールカウンセラーになりたいとか、その子たちの体が動いてないんです。動くんじゃなくて、まず観念があって...(橋本)あんたにその能力あるの?というそこから始まらなきゃいけないんです。役に立ちたいとしても役に立てないんです。(近所のうちで鳥にハコベを食わせるという話を聞いて)一生懸命摘んで「はい」って渡したんです。そのときに、「どうもありがとう」と言われたことが、すごくうれしかった。道ばたでハコベが咲いているのを見ると、柔らかくて鳥が好きなんだなと摘んで、自分の手で握り締めてて茎が萎れてた感じまで思い出すんです。
P228 (橋本)俺はパブリックな人だから自分の仕事の範囲は責任をもってやるけど、それ以外は他人の仕事で他人がやるもんだと思ってる。他人を信用してそこをやらないでいるというのがパブリックでしょう、と。
P241(橋本)偉い人は意地を張ってでも偉くなくちゃ駄目。[中略]なんか若い人に色目を使う年寄りって嫌じゃないですか。若い人に慕われてもピンとこない年寄りのほうが素敵でしょう。
P259(橋本)参考にするということができないから、参加するしかなくなってしまったんですね。(内田)「全員参加型の社会」ですか。(橋本)参考にするためにはある種の器用さみたいなのがなくちゃいけないし、上手な人のを見ながら自分もうまくなってみたいなことがあったけれども、参加というのは行くだけでしょう。「私には参加をする権利がある」と言ってしまえば、そういう、うまくなるもへったくれもないじゃないですか。
P283(橋本)戦うと戦うほうも戦われたほうもみんな傷つくじゃないですか。本当に戦う力があったら、モノを作っていけばいいのに。
P285(橋本)モーゼが杖をかざせば紅海が2つに割れるというのはあるけれど、そういう時代ではどんどんなくなって来てる。今は小さな人たちが何か能力を持っていなくちゃいけないんだけど、その能力の使い方を間違えているから、プライドだけ高くなって、統合障害になるみたいな方向に行くだけの話。やっぱり参加じゃなくて、何かを参考にしなきゃいけないんですよね。それで、参考にする以上、縁側なないと困るという、そういうものだと思う。人と人との間に微妙な距離を置かない限り、人との関係は深まらない。
P298(橋本)わたしは批評が要らないんです。ちゃんと紹介してくれれば。ちゃんとした紹介が最大の批評だと思ってるんです。「私がこう読みましたというのが紹介になっているけれども、それじゃ感想文じゃん。「これはこういう本だから読むべきです」というのがちゃんとした紹介文なんです。
P310(内田)使えるストックって「おや、こんなところにこんなものが。いやこれはラッキー、なぜか今しているこの仕事にぴったりだわ」というものですからね。
(橋本)わかるのは具体的なことだけで、わかったら一度忘れるんです。膨大な具体的なものでも「こうなのか、こうなのか、」と飲み込んでいったらすとんすとんと入っていって、その時に忘れていくんです。忘れたことによって自分の中で一変発酵して、「結局はこんなんだ」というわかり方をするんですけれども。
P314(橋本)拾えるものは拾えるのになんでいきなり(宗教に)救いを求めるんだよっていう。(内田)救いってよくないですよね。(橋本)貧乏ったらしいよね。
P315(橋本)「(古事記の最初は)結局自分の必要なものに一つずつ神様というものを存在させていく。そこのところがとても感動的だったんです。「初めに光があった」とかというんじゃないんですよ。[中略]でも一つだけ欠けているものは何かというと、「自分自身に対応する神」なんですよね。自分が病気になったときに助けてくれる神様がいないんですよ。病気を起こす神様はいるけれども。そうすると仏教は薬師如来が対応してくれるんです。人に対応する神が外国からやってきたから、地域共同体という前近代の中に近代がすっぽり入るという形で神仏混淆は起こるんだと。
P319(橋本)(アメリカに)王様がいないということと吸血鬼がいないということは同じですね。[中略]もう状況的にアメリカが馬鹿だみたいなところになっちゃってるけど、アメリカってかわいそうなんです。ものがなさ過ぎて。 -
ネタバレ 購入済み
気持ちが楽になりました。
色々な悩みに、どの悩み相談にも的確にユーモアのある回答で楽しく読めました。
そもそも、人は悩むのが好きなんでしょうね。解決する事など少なく、また、解決しても次の悩みが出てくる。あとがきにあった通り、解決しない事は悩まない、バカになって楽しむのが一番と言うのが正しい気がします。
下手な考え休むに似たり、ですね。参考になりました。 -
Posted by ブクログ
短編9編を収録しています。
著者はみずから執筆している「解説」のなかで、本書に収録されている作品についての発言を引用するという手の込んだことをおこなっているのですが、そこで著者は「人生の断片は、それ自体が美しい断片であってしかるべきだと、私は思うんですね」と語っています。本書に収められているのは、まさに市井に暮らすごくふつうの人びとの人生の一コマを拾いあげて、そこに映されている輝きをていねいにえがいた物語です。
いずれの物語も、登場人物がヴァラエティに富んでおり、作品の内容も一つひとつが異なる印象をのこすものでありながら、どれもが総タイトルである「生きる歓び」を感じさせる内容になっています。「生きる歓び」といっても、大きな声をあげて表現される歓喜ではなく、静かに滋味を噛みしめるようなあじわい深さがあって、心があたたかくなるような内容でした。
評論を執筆すれば、えんえんとどこまでも御託がつづくかのような書きかたをする著者ですが、本書はうって代わってとてもシンプルな小説です。それも、それぞれの物語の着地があまりにもきれいすぎて、「もうひと工夫ほしい」と、かえってもの足りなさまで感じてしまうほどです。「解説」で上のようなもってまわった遊びを試みたのも、著者自身がだれよりもそうしたもの足りなさをおぼえていたのかもしれない、という気になります。 -
Posted by ブクログ
氏は、宗教は、もう日本人には、あまり必要とされてないと言う。自立して考えればいいじゃんと、もうとっくに、そういう時代だよと言う。
日本人が自分自身に対してプリンシプルを持たない、持てないというのは、今だからこそ、より深刻な問題として日本を覆っている。何が良いのか、悪いのは、他人をキョロキョロ見ないと、自分の行動を決められないのは、近代をとっくに過ぎても、日本人に重くのしかかっている。
現状は、ますます日本人は、自立した思考、行動、立場をはっきりさせず、存在全てを何かに依存させている。氏の問題提起は、旧くて新しいが、オウム以後でも、日本人は、変わっておらず、何かにすがり付きたい態度が、社会を蝕んでいる。
自分の人生をよりよくするために、自分達は、
あまりに物事を深く考えずに決める。
氏は、故人となってしまったが、
氏の問題提起は、今でも、多くの日本人が考えなくちゃいけないことだと思う。氏は、決して答えを言わなかった。ここまで、考えたんだから、あとはよろしくね、この態度は一貫しているが、果たして、自分達は、宗教を超えて、自立した思考、行動を実践出来ているだろうか。