あらすじ
こんな作品は橋本治以外の誰にも書けない。
内田樹氏、欣喜!
人生百年時代に捧ぐ、橋本流・老後賛歌。
一体今日は、いつなんだろう? もうすぐ九十八だ。多分。ゆとり世代(もう五十だけど)の編集者に「戦後百一年」なんて原稿頼まれたり、ボランティアのバーさんが紅白饅頭持ってきたり。東京大震災を生き延びた独居老人の「私」が、老境の神髄を愉快にボヤく人生賛歌の物語。ああ、年をとるのはめんどくさい!
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Posted by ブクログ
2047年、橋本治、98歳、栃木県の日光の杉並木にある被災者住宅にひとり住む。数年前に東京大震災が起こり、家を失ったのだ。
近所の杉林には、プテラノドンが営巣している。どこかのばか学者がゲノムなんたらでプテラノドンを再生させてしまった。この作品中では、自衛隊によるその駆除が行なわれる。
でも日常は日常。老人の日常も、平々凡々とスローに過ぎてゆく。
仕事柄、お金にならなくても、とにかくこの日常を書き綴る。そこに心の声が解説やら突っ込みを入れる。モノローグなのか、ダイアローグなのか。掛け合い漫才よりもおもしろい。それにこの老人がしゃべるトリビアも最高。
橋本治はよく作品中の登場人物に憑依してしまうが、今回は30年後の自分自身。完全に憑依しきっている。抱腹絶倒のエピソード、そして時々苦笑い、もう「すげェ」としか言いようがない。
(蛇足:文庫の解説は内田樹氏。この作品の冒頭は、カフカの『変身』を踏まえているという。そんなんじゃないと思うけどな。)
Posted by ブクログ
九十八歳まで生きたいとは思わないけど、うまく死ねなかったら嫌だなという思いはある。
100歳に近い人の外見は想像できるけど、頭の中は想像したことがなかった。
作者も想像で書いたんだろうけど、こんな感じなんだろうと思えた。
脳の中を駆け巡る思いに反して、回らない口、動かない体
逆にその口と体だけで、他人が判断する自分
お年寄りを見たら、気をつけよ。
Posted by ブクログ
「あとがき」には、雑誌『群像』から「三十年後の近未来」についての小説を執筆してほしいという依頼を受けて、1948年生まれの著者が98歳になったときのことを書くことにしたという本書誕生の経緯が語られています。
98歳になった橋本治は、
50歳の「ゆとり」世代の君塚をはじめとする周囲の人びとに対して、心のなかでぼやきながらも、繰り言めいてくる自分の愚痴にしだいにどうでもよくなっていく経緯などが追いかけられていて、とりあえずおもしろく読めました。
ところで本書には、著者の文庫本にはめずらしく、巻末に「解説」が付されています。執筆しているのは内田樹で、「「脱力」を推進力にしてグルーヴ感のある文章を駆動させる」ところに、本書の魅力があると述べています。この評の着眼点には納得させられたのですが、そうした試みでは小島信夫の先蹤があるのではないかと思ってしまいます。
Posted by ブクログ
2018年の作品。当時70歳になろうとしていた橋本治が、その約30年後、2046年頃の世の中を舞台に、98歳になろうとしている自分自身を語り部として独り語りをする異色の小説。
東京大震災で首都圏は壊滅し、科学者の暴走により甦らされたプテラノドンが野生化していることを除けば、社会のありようは今とそれほど変わっていない。この辺の設定は近未来っぽくって絶妙。
主人公は、社会や若者(といっても「ゆとり世代」が50歳くらいになっているのだが)に対して毒づき、思うようにならない自身の身体、記憶力の低下、至るところの不調に悩まされながら、それでもなかなか死ねないという境遇を愚痴りまくる。
このあたりは、社会や大人に大して文句、不満をぶち撒きまくっていた「桃尻娘」を彷彿とさせ、皮肉とユーモアたっぷりの暴言のセンスは、この人ならではだなと思う。
沸々と湧き出た本質を捉えた感情が、豊かな川の流れになるような、豊かな言葉の流量。表現の水圧が高く、それでいて決壊しない安心感がどこかに漂っている。
こんな小説を書いておいて、その直後に橋本治は71歳で逝ってしまった。それはもう皮肉としか言いようがない。
本作は怪作の部類で、正直評価に戸惑うのだが、もっとこの人の小説を読みたかった、と改めて思わされる。