これで古典が分かったか?と言われれば「?」ではあるが、
古典の成り立ち、日本語の成り立ちなど、
文学史の要素が大きい本であった。
奈良時代には中国から伝来した『漢字』のみで文章、つまり漢文を書かなければならなくて、
古事記や日本書紀は漢字のみ、万葉集も万葉がなが使われていたが、漢字のみ。
どうして
...続きを読むも堅苦しい感じが否めないし、読みづらい。
そこから、万葉がなが変化していく中でひらがなが生まれ、
分かりづらい漢文を読みやすくしようと、当時の学生が漢字の一部分を切り取ったことでカタカナが生まれ、
それを補助的に用いた漢文書き下し文が生まれた。
平安時代には漢文だけの文章とひらがなだけの文章が対立して、
公式文書は漢文じゃないとダメ!とか、漢文は男だけが使っていいものだ、女はひらがなで書いてろ、とか、今思えば不毛、しかし当時の人々にとっては確固たる常識だった概念があった。
役人の文章が分けわからないのは、古くからのことだったんだな・・・と思う。
(公式文書が漢文じゃないといけないというのは、おそらく外交のこともあっただろうが)
そんな中で、男なのに女として『ひらがな』を用いて土佐日記を書いた紀貫之や、
女なのに漢文の教養があるなんて変人だ、と思われても気にしないあけっぴろげな清少納言は、
度胸があるなぁ・・・感心する。
その後、鎌倉時代になって平家物語や方丈記、徒然草などが代表的な和漢混淆文が生まれ、
現代に通じる日本語の基礎ができた。
私がこうやって当たり前のように漢字とひらがなを使って文章を書くことができているのは、
そういった経緯があったからこそ成り立っているんだな、と思う。
漢字のみだったら分かりづらいのは当然であるが、かといって、
ひらがなのみでぶんしょうをかけばわかりやすいといえばそうでもない
なぜならくとうてんももとはかんぶんをよむためのほじょとしてつかわれていたからひらがなにくとうてんのがいねんはないのだ
過去の人々の工夫があってこそ、いまの日本語が成立して、
漢字とひらがな、そしてカタカナを、程よいバランスで用いながら文章を書くことができている。
ありがたいことだ。
古典を学ぶ・読むことは、日本語のルーツを知ること。
そして、今の日本語が出来るまで、人々はどのように世界を表現してきたのかを感じることだ。
私がもっと早い段階に読書に興味を持ち、
この本を読んでいたら、古典をワクワクしながら楽しんでいたことだろう。
まぁ、今からでも遅いということはないし、もっと読もうと思うのだが。
平安時代が目と目を合わせただけでセックスをしたのと同じ、ととらえられていたのは驚きだ。
だから、文章が果たす役割は大きくなり、和歌という文化が発達して、凄まじい表現力を誰もが持っていたのだろう。
当時の「人を好きになる」と、現代の「人を好きになる」を比較して考えたときに、
相手に思いを伝える努力は、平安時代のほうが大きかったのかもしれない。
源実朝、青年ウラベ・カネヨシ君の話はぷぷっと笑ってしまった。
あまり今の若者と変わらないんだなと思ったと同時に、
しかしそれでも、周りに屈することなく突き進む精神は、私に今の日本に必要であろう。
これから生きていく上で、
そこらじゅうに存在する綺麗なものに目を向けて、同時に古典を読んで、
この世界を楽しんでいきたい。