橋本治のレビュー一覧
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1970年代末頃に書かれた著者のエッセイをまとめた本です。
中森明夫が「解説」の筆を取っているというのも時代を感じさせますが、そこで中森は、「80年安保」についての意見が橋本と一致したというエピソードを紹介しています。中森は、「80年初頭、物質的豊穣さと精神的寂漠さの間で現実の理性の抑圧をすり抜け感性のプレイグラウンドで遊ぶ一群の少年少女たち」が築いた、「不可視の感性のバリケード」ということばによって、そのことを表現しています。
たとえば著者は、なぜ『現代詩手帖』や『現代思想』、『ユリイカ』といった雑誌で「特集・杉良太郎」という企画がおこなわれないのか、という問いを立てて見せます。そこには -
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「20世紀は理論の時代だったが、それはもう終わってしまった。」
つまりは、いまや世の中のことは、体系立てて整然と解き明かして
説明できるものではなくなったということです。
そして、そのわからない状態に加えて、
どうわからないのかもわからないくらいややこしさを増している。
そんな世界になって、それをどうでもいいとするか、
それとも少しはわかりたいとするか。
本書の態度は後者で、その未来はどうなんだ?という形式にあてはめて
論じていくものとなっています。
著者の橋本治さんはこの本を書き始める前からご病気になり、
どうにも集中力の続かない「頭の停止した」状態からこれ以上回復しないのではないか、
と -
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高度成長を迎えた1970年代にウーマン・リブの運動が起こり、フェミニズムが男性による女性の差別を告発してから40年が経った現在から振り返って、なぜ男女をめぐる問題はこのような状況に立ち至ったのかを考察している本です。
著者はまず、男性は「自分の恋愛の対象になる女」と「自分の恋愛の対象にならない女」を選別しており、前者だけが「女」で後者は「どうでもいい」と思っていることを指摘します。そして、男性にとってフェミニズムは、「どうでもいい」女が、何を「女」とするかは私たちが決める、と主張している運動だったと言います。「どうでもいい」女が、従来の社会の男性優位を告発し、女性の社会参加や社会進出を口にし -
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いじめ問題や格差問題、環境問題や経済問題など、さまざまな題材の周りをめぐりつつ、「日本の行く道」について著者が論じた本です。
「いじめ」問題が「学校化社会」の閉塞感によって深刻化しているという指摘は、とくに目新しいものではありません。ただ著者の議論のおもしろいところは、こうした問題を格差社会の問題に結びつけているところです。
著者は、現在の日本が「格差があるから格差社会だ」という同語反復の中に閉じこもっていると指摘しています。「このままでは生きていけない」という崖っぷちに立たされている人びとへの想像力を、「格差」という言葉が隠蔽してしまっているというのが、著者の着眼点です。そして、「さっさ -
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「勝ち組」「負け組」という二分法が、経済的な勝利だけを唯一の指標とする考え方を前提としていると著者は指摘し、その前提の外側の世界があるということを疑うことさえしない怠惰な知性を批判しています。
著者は、「経済」という語が「経世斉民」に由来することを指摘して、「生きることが幸福でありたいという感情。これこそが経済という人間行為の本質ではなかろうか」と述べています。とはいえ、竹中平蔵でさえ「エコノミー」がギリシア語の「オイコノミア」に由来する語だということに触れつつ、経済学がほんらい人びとの幸福の実現をめざす学問だということを語っており、著者の指摘にそれほど目新しいものはないように思います。
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著者は、「敬語は人と人とのあいだにある距離を認める言葉だ」と指摘します。それから、歴史を遡り、かつて日本には「身分のある人」と「身分のない人」がおり、「身分のある人」の話の中ではお互いの身分関係によって複雑な敬語が用いられていたのに対して、「身分のない人」どうしの横の関係に関しては、決まった言葉遣いがないと言います。
だから、私たちの人間関係には「自分よりえらい人」と「命令口調ですませられる人」の二種類しかなく、「えらいとかえらくないとかとは関係ない、親しい人」というのがいないと著者は述べています。そのことは、英語のYouのようなニュートラルな二人称がないことに現われています。
しかし著者 -
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20世紀は、どこかに「正解」があるのが当然であり、「わからない」というのは「正解」を知らない、恥ずかしいことだという理解が蔓延していたと著者はいいます。しかし、最初から「正解」がきまっているということが成り立たなくなったいま、「わからない」ということをスタート地点にして考える時代がやってきたと著者は考えます。
本書で著者は、「わからない」という方法にもとづいてこれまでおこなってきたさまざまな仕事振り返っています。『男の編み物―橋本治の手トリ足トリ』(河出書房新社)から、テレビ番組のために執筆されたドラマ・シナリオ「パリ物語―1920's 青春のエコール・ド・パリ」、そして『桃尻誤訳 -
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「男の自立=家事を手伝う」になってしまう短慮を批判し、本当の「男の自立」とは何かを論じた本です。
「あんたは自立してない」と男を批判する女は、「じゃ、どうすればいいの?」と男がたずねると、往々にして、「男は威張っているだけで、私がするような家事をロクにできない」という答え方をしてしまいます。その結果、男が家事に精を出すようになったとしても、それは「息子に家事を手伝わせない母親への従属」から「夫に家事をさせる妻への従属」に代わっただけで、「男の自立」はどこにもないと著者は喝破します。
そこから、「大人」「子ども」「家庭」をめぐる長い議論を経て、「できない、わからない、知らない」を認めようとせ -
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シリーズ第5弾。本書は、「この先を考えるうえで必要な過去のこと」がテーマとなっていて、資本主義の仕組みとバブルの崩壊後の社会のあるべき形が論じられています。
著者は、資本主義の根幹は借金であると言います。資本主義では、起業したい人間は借金をして、それを元手に新たな事業へと乗り出します。株式市場で、事業をおこなう企業に株主が金を貸し出し、それによって多くの企業が事業をおこない、空前の豊かさが実現しました。
その結果、日本には「金余り」という事態が起こることになりました。これは深刻な問題だと著者は言います。なぜなら、事業を始めたいけれども金がないという人間と、金はあるけれども事業は始めたくない -
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シリーズ第4弾。本書は、「現在の社会を成り立たせていた原則」がテーマとなっていて、日本史の中で「家」と「土地」がどのように扱われてきたのかが論じられています。
伝統的な「家」というシステムは、現在の「会社」と同じようなものであり、昔の人びとが「家」の中で生きていたのとほぼ同じような仕方で、現在の人びとが「会社」に勤めていると、著者は言います。ところが、「家」を相続するにはかなり多額の税金を納めなければなりません。著者は、どうして相続税というものがかかるのかを明らかにしながら、これまでどおり親の家に暮らしているのに、どうして国に税金を納めなければならないのか、と不平をとなえる息子の甘えを批判し -
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シリーズ第3弾。本書は、「現在を成り立たせる地域と社会」がテーマとなっていて、イナカとは何か、東京とは何かが論じられています。
著者はイナカの過疎問題を、これまでの「当たり前」が通用しなくなった現代社会の縮図として捉えています。イナカに暮らす老人たちは、「ここはこんないいところなのに、どうして若者は出て行ってしまうのだろう」と言います。しかし彼らは、老人中心の暮らしやすさが若者にとっての暮らしやすさと同じなのか、という問いには思い至りません。
一方で、イナカを出て行く若者たちは、都会が魅力的だから都会に出てきたわけではないと、著者は言います。過疎問題とは、都会に出た若者がイナカに帰ろうとし -
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シリーズ第2弾。本書は、「もう古くなった今までの若者像」がテーマとなっていて、当時の大事件である阪神淡路大震災とオウム真理教事件を皮切りに、従来の若者像がいまや無効になってしまったことが語られます。
オウム真理教のような宗教に引かれる若者たちは、「あの人の言うことは絶対正しい」として「批判」というものを放棄してしまったのだと著者は論じています。なお、そうした主張がなされているのが、『貧乏は正しい』というタイトルの本の中だということにも留意しておくべきなのでしょう。著者は、言わなければならないことは言わなければならないのに、大人が責任を放棄したから、自分がこの本の中で言わなければならないのだと -
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シリーズ第一弾。「バブルがはじけた」といわれた1991年から『ヤングサンデー』誌上で連載されたコラムをまとめた本です。バブルの崩壊によって、それまで当たり前とされてきたことが終焉を迎えたと著者はいい、そのときにどうするかを考えてほしいと若者たちに語りかけています。
第一弾の本書は「現在の自分」がテーマとなっており、「若い男は貧乏である」というテーゼからはじまって、ソ連の現状分析やサブカルチャー論などの長い迂回を経て、現在の日本社会の中で生きるということはどういうことなのか、という議論へともどってきます。
ソ連の分析では、現在自分が感じている不便さを、あるべき社会のかたちへと想像力によってつ -
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橋本治が、オウム真理教事件について語った本。
オウム真理教事件について、著者はその「幼稚さ」を指摘しています。麻原彰晃のお面をつけた選挙運動から、彼は「権力者」になりたかったのではなく、「人気者」になりたかったのだ、と論じ、さらに彼の語尾の下がる話し方から、この人は「人と対等に話をする」ということをしてこなかった人だ、と喝破します。
ただし、麻原やオウム信者の「幼稚さ」を指摘するのは、それほど独創的な主張ではありません。著者の独創性は、そこから翻って、このような麻原やオウムについて私たちが「分からない……」とつぶやくしかなかったのはどうしてなのか、という方向へと問いを向け変えるところにあり