あなたは、何のために『ダイエット』をするのでしょうか?
コロナ禍で外出機会も減った2022年。体重計で有名なタニタが『ダイエット』に関する意識調査を行っています。それによると、”ダイエットの必要性を感じる機会が増えた”と答えた方が全体の31.6%、10代と30代の女性では4割を超えたという結果が報告されています。外出自体が減り、在宅勤務が進んだコロナ禍。仕方ないこととは言え、当然ながら、私もそのことによる運動不足はとても気になりました。
そんな『ダイエット』の目的は人それぞれだと思います。スポーツ選手の場合、試合に出るための基準があるでしょうし、漠然と痩せなきゃ…という思いのままに突き進む場合もあるでしょう。そして、こんな理由もあるかもしれません。
『美しく服を着るため』
さてここに、『理想の体型美を作るため』の『コルセット』に光を当てる物語があります。『苦しい下着を女性たちはこぞって身につけて、少しでも美しく見せようとした』という西洋の女性たちの思いを今に残された『コルセット』に見るこの作品。傷んだ『コルセット』を『当時の姿に戻すこと』に情熱を注ぐ補修士の”お仕事”を見るこの作品。そして、それは「クローゼット」という書名が暗示する、ある出来事に端を発する物語です。
『変わった子ね、あなたは』と言われながらデパートの『婦人服売り場』を『母親について』歩くのは主人公の下赤塚芳(しもあかつか かおる)。『婦人服売り場から靴売り場…』と『どこもキラキラしていた』という光景が好きという芳は、『あんな服が欲しい、と指』をさすものの『あれはね、女の子の服だから』と言われてしまいます。『でも、きれい。欲しい』と縋るも『芳は男の子でしょう』と言われてしまいます。しかし、『高い天井を見上げて大声で泣』く芳に母親は『お父さんに内緒よ』と、『リボンが可愛』い『水色のワンピース』を買ってくれました。『人前で着ては駄目と言われ』たものの、我慢出来なくなって外出した芳に『砂糖菓子に群がる蟻のように寄ってきた』『団地の女の子』。一方で『気持ちわりい…男女』と『下の階のタカシ君』にものを投げつけられ尻餅をついた芳は、『服が汚れてしまう』と思います。そんなところに『大丈夫、お洋服は洗えば落ちるから』と『大人びた喋り方』の女の子が現れ助けてくれました。そんな過去を思い出す今の芳はデパートで働いています。そんなある日、『イベントホールで何かを設営しているの』を目にした芳は『「ラグジュアリーな下着」の文字』を目にします。『特別展示で下着の歴史展みたいのもするらしいよ』という『内巻きの女性』の声を聞いた芳が近寄っていくと『人手が足りてないんだ。手伝ってあげて』と男性社員に声をかけられます。そんな時、一人の『女の人が顔をあげ』、『凄い美人だ』と思う芳は、『なんか手伝いましょうか』と訊くも『誰でも触っていいものじゃない』、『破損された場合、そちらで修理できる保証はありますか?』と言われます。『十八世紀から二十世紀のコルセットたちのレプリカよ』、『地味に見えても超高級品よ』と続ける女性。それに『触れないんですよね。服って着れなかったら意味なくないですか…昔の人が着ていた、もう死んだ服ばっかりなんでしょう』と言う芳。そんな言葉に女性は目をむき、『勢いよく立ち上が』ります。『ぱっと手があげられ』『叩かれる、と思った瞬間、「晶!」と後ろから細い声がし』女性の動きが止まりました。『青柳さん、ごめんなさい、遅れてしまって』と言う言葉に会話を始めた二人。結局、『あなたには無理。手伝いなんて要らない』と言うと二人は作業に入りました。
場面は変わり、次の朝、『イベントホール』へと赴き、展示台の『女性の細い腰からひろがっていくスカートのライン』を見ていると『クリノリンといってね、スカートを膨らませるためのものだ』と言いつつ『杖をついた老人』が現れます。『綺麗な鳥が羽をひろげたみたいだ』と言う芳に『面白いことを言う』と返す老人は、展示の説明を続ける中、ふと『君の着ているブラウスは女性もの?』と問います。それに『あ…まあ、そうです。肩を落としたデザインのものだったし着れるかなと思って…』と理由を説明する芳。そんな芳に『興味があったら見にいらっしゃい』と老人は名刺を差し出します。そして、場を後にした老人。そんな名刺に記された『青柳服飾美術館』という文字を見て『美しい服が見たい。もっと、もっと見てみたい』と思う芳が一歩を踏み出す先に運命の出会いが描かれていきます。
“服飾美術館を舞台に、洋服の傷みと心の傷みにそっと寄り添う、新たなお仕事小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。表紙に描かれた独特な雰囲気を漂わせる造形物に一瞬疑問符が頭の中に浮かんだ私ですが、これはこの作品の中で色濃く描かれていく『コルセット』が描かれたものです。「クローゼット」という書名を冠したこの作品はどの家庭にもあるであろう文字通りの「クローゼット」が象徴的に語られる一方で、『十八世紀から二十世紀のコルセット』の世界が魅力たっぷりに描かれていきます。
では、まずはそんな『コルセット』の世界を見てみましょう。私はこの作品を読むまで『コルセット』に関する知識はほぼゼロでしたが、あなたはどこまで知っているでしょうか?
● 『コルセット』について
・『矯正下着』
・『西洋の服はね、まず身体なの。この下着たちは理想の体型美を作るためのものよ』
・『西洋の女性がコルセットをしなくなったのは一九二〇年代』、『それまで五百年以上、コルセットは当たり前のものとして着られていた』
・『化粧でいったらファンデーションみたいなもの。ここに色をのせていくの』
・『きつく締めすぎて気絶したり、肋骨が下すぼまりになって内臓を圧迫したり、健康には悪かったでしょうね』
・『女性たちはこぞって身に着けて、少しでも美しく見せようとしたの』
・『可憐な拷問器具』
この説明と表紙のイラストによって一気にイメージが自分の中に出来上がってきましたが、『可憐な拷問器具』とは上手く言ったものです。『美しい服を着るために』は、現代の世の中であっても『ダイエットをしたり、脚を長く見せようとヒールを履いたり』します。『美の基準も時代によって変わる』という中にかつて『西洋の服の基礎』を形作ってきた『コルセット』。そして、まさか!と予想外な記述も登場します。
『あのコルセットがあった時代はね、刺繡はむしろ男性のためにあったんだよ』
『レースも男女共に使っていた。男性服の刺繡はね、それは見事だよ』
物語には、上記した主人公の芳が老人からもらった名刺に記されていた『青柳服飾美術館』へと訪れ、そんな場で働く人々に深く関わりをもっていく姿が描かれていきます。そして、舞台が『青柳服飾美術館』だからこそ、そこにはさまざまな『服飾』の世界が描かれていきます。そこに『刺繍が男性のためにあった』というまさかの知識が語られます。中でも私が特に印象に残ったのは『アンティークレース』です。
・『手作業で作られた当時のレースは貴族や聖職者しか身に着けられない高級品だった』
・『特に十七世紀から十八世紀のフランスの宮廷では、男女ともに豪華なレースが服を飾っていた』
そんな風に紹介される『アンティークレース』。千早さんは絶妙な文字の表現で読者にイメージを伝えていきます。『ベルギーのアンティークレースが好きだ』と言う白峰纏子(しらみね まとこ)は、その魅力をこんな風に説明します。
『小さな小さなバラの花がミモザのように寄り集まっているロザリンレースは何時間でも眺めていられる。ビーズをちりばめたような、名の知らない花々も可愛い』
『拡大鏡を使わなくてもよく見えないものもあるくらい細かい』というレースに魅せられていく纏子は、そこに『息を呑むほどに密やかな世界がひろがっている』と考えます。
『こんなに美しく完璧な世界を自分の手で作れたらどんなに幸福だろう』
そんな風に願う纏子。物語では、この纏子がもう一人の主人公として謎めいた存在感を見せていきますが、そこに纏子が魅せられていく服飾の世界の魅力も存分に感じられる仕上がりとなっています。千早茜さんというと、言葉を発しない”植物”の不気味な静けさを描き出す「ガーデン」、文字の上から”香り”が漂ってくる「透明な夜の香り」など何かしらに徹底的にこだわった描写が独特の魅力を放つ作家さんです。千早さんはこの作品では『服飾』に徹底的なこだわりを見せられていきます。この作品を執筆するにあたって京都服飾文化研究財団(KCI)を訪問されたという千早さん。これから読まれる方には千早さんがこの作品で魅せられる『服飾』にまつわる描写の数々に是非ご期待いただきたいと思います。
さて、そんなこの作品には面白い工夫がなされています。その一つが構成です。この作品は明示的に章だてはされていませんが、ハンガーとトルソーのアイコンが章区切りのように描かれています。そうです。この作品はこの二つのアイコンに先導されるように二人の主人公に交互に視点を切り替えながら展開していきます。
・下赤塚芳(ハンガーアイコン): デパート内にある『婦人服売り場のカフェ・ベルベーヌ』のアルバイト
- 『昔から、男の集団の中にいるよりは女性といる方が楽だった』
- 『女性になりたいわけじゃなくて、自由が欲しいんです。着られる服の選択肢がもっとあったらいいなって』
・白峰纏子(トルソーアイコン): 『服飾美術館で補修士として働く』
- 幼少期のある出来事をきっかけに『男性恐怖症』となる
- 『わたしの仕事は眠り続ける洋服たちの時間を止めること。傷んでしまった洋服たちを当時の姿に戻すこと』に情熱を捧げる
物語はデパートが催した『ラグジュアリーな下着』の展示会の準備の現場で芳と纏子が出会い、その先に、纏子が働く『青柳服飾美術館』に芳が出入りするようになった先の物語が展開していきます。
『美しい服が見たい。もっと、もっと見てみたい。そう思った』。
そんな心のままに『青柳服飾美術館』に収蔵された数多くの『服』を目にし、その奥深さにどんどん魅せられていく芳。そんな場で『服』の『補修士』として働く纏子。二人は次第にそれぞれを強く意識しあってもいきます。
『わたしは、どうやらひとつのことしかできないようだ。それも、ひどく顕著に』。
自らをそんな風に認識する中に、『男性』を恐れビクビクしながら生きてきた纏子。そんな纏子にやがて変化が訪れていきます。そして、そんな二人の関係の中に書名の「クローゼット」という言葉に光が当たります。『むかし、むかしの話。クローゼットの中は秘密の隠れ家だった』という過去の記憶の先にそんな場所が特別な場所に位置付けられていく二人。
『クローゼットの中は自由だった。そこではなりたい自分になれた。ひとつの閉じた完全な世界があった。けれど、クローゼットから一歩でると、現実の自分がいて、ガラスの靴は粉々になった』。
物語は幼き日の記憶をベースにその先に続く今に光が当たっていきます。『服』に囲まれる「クローゼット」という場所。『青柳服飾美術館』という『完璧かクローゼット』の中で物語はこの二人にその関係を取り持つかのように関係していく学芸員の青柳晶の三人が物語を引っ張っていきます。そして、独特な雰囲気感に包まれた物語は過去の「クローゼット」の記憶の先の今を生きる主人公たちが見る世界を鮮やかに写しとってもいきます。そこには、『服』にこだわる千早さんの『服』への深い想いを見る印象深い物語が描かれていました。
『わたしの働くこの白い建物の中には、大量の服が眠っている。その数、一万点以上。十七世紀から現代までの、主に西洋の服たち』。
そんな『服たち』を収蔵する『青柳服飾美術館』を舞台に展開するこの作品。そこには、『服』の世界が秘める奥深い物語が描かれていました。これでもかと記される『服』の歴史やマメ知識に、『服』の世界に魅せられるこの作品。『服』の『補修士』という職業の”お仕事小説”でもあるこの作品。
極めて千早さんらしい雰囲気感漂う物語の中に、「クローゼット」に眠る『服たち』のことを思う、そんな作品でした。