久坂部羊のレビュー一覧
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普段考えることを避けてきた死について、改めて考えることができた。他の国や昔の死についての捉え方は、医療が発達した現代の日本とは違っていた。読み進めること医師などの死に慣れている人の考えは、死を避けている一般の人と異なっていることがわかった。人の死は避けることができず、その時になったら医療は無力である。死に慣れていないと、何とか医療でなると思って延命治療をお願いして下手な死に方をさせてしまうそうだ。
読み終えて、少しは死の恐怖が和らいだ感じがした。
死ぬ間際になってもがくのは良くないし後悔が残る。普段から
メメント モリ 死を忘れるな
とカーぺ ディエム 今を生きる
ということを大切にしたい。 -
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末期がん患者と医師、2人それぞれの目線で話が進んでいく中で、両者の葛藤や苦しみ、考え方の違いがありのままに伝わってくる。患者目線では医師からの余命宣告が突き放したように聞こえ、医師の目線では無理な治療はせず残りの大切な時間を有意義に過ごしてほしい思いでの余命宣告、という立場によって全く考え方が違うところが対象的だと思った。患者は苦しみながらも新たな治療法を求め悪戦苦闘し、医師も患者からの「私に死ねというのか」という言葉がいつまでも頭の中に残り心が晴れないまま生きる日々。医療の最善とは何か、患者に寄り添うとは何かを現実的に突き付けてくる内容が心に残る。
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久坂部 羊さんの小説、新書を最近読んでいるが、この本は2006年に出版された本です。
書かれたこの時は、51歳でした。
高齢者医療にずっと携われてきて、人間の死、特に高齢者の死に多く関われてきての執筆活動です。
1955年生まれなので、私より6歳下で、70歳だと思います。
興味があったのは、51歳の時の執筆内容と現在の執筆内容との違いについてですが、主張されている本筋はまったく変わっていませんでした。
今回この本を読んでよかったのは、9月20日に76歳になる自分自身のしっかりとした「死生観」「諦観」を確立しなければならないと思ったことです。
内容ですが、
第1章 長生きは苦しいらしい
第2章 現代の「不老不死」考
第3章 長寿の危険に備えていますか
第4章 老後の安住の地はあるのか
第5章 敬老精神の復活はかのうか
第6章 健康な老人にも必要な安楽死
第7章 死をサポートする医療
第8章 死に時のすすめ
がんを受け入れて死んだ医師
死の達人・富士正晴氏の場合
死を拒否する人の苦しみ
現代のメメント・モリ
病院へ行かないという選択
寿命を大切にするということ
死に時のすすめ
おわりに
でした。
介護保険制度が出来、日本の医療費は鰻登り。
資本主義制度が基本の世の中、節度ある経済活動が必要です。
国として、堂々としっかりとした「死生観」「諦観」を養う教育が求められるでしょう。
しっかりとした「死生観」「諦観」を身につけていない人間の欲望に起因する諸行動から派生する医療経済活動、薬屋もマスゴミも健康産業屋さんもエエ加減にしなくてはなりません。
高給厚生労働官僚が天下っている業界に向かって規制することは不可能でしょう。
騙す方も悪いですが、騙されないようしっかり勉強する必要があるということです。
原因があって結果です。
まぁとにかく、自分自身は残りの人生、しっかりとした「死生観」「諦観」を養い、般若心経の極意に従って、その時を迎える準備に勤しむことにいたします(感謝)。 -
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はじめにの最後の文章から紹介
家族や自分の死が間近に迫ったとき、最良の方法を選び、亡くなったあとに悔いを残さないようにするには、やはり死の実際を知ることが大切でしょう。
だから私はこの本を、「死に関する新しい教科書」のつもりで書きました。
大丈夫。恐くありません。不吉でもありません。慣れます。ときに笑えます。死には滑稽な側面のありますから。
一回きりの死を失敗しないために、多くの人が死の恐怖から解放され、上手な最後を迎えられることを、心より願っています。
とあります。
医者であった父の泰然とした死、そして、医者としての長年の経験、特に高齢者医療に携わって凝られた貴重な経験から感じ取られてことが丁寧に書かれていました。
内容ですが
はじめに
第1章 死の実際を見る、心によとりを持って
第2章 さまざまな死のパターン
第3章 海外の“死”見聞録
第4章 死の恐怖とは何か
第5章 死に目に会うことの意味
第6章 不愉快な事実は伝えないメディア
第7章 がんに関する世間の誤解
第8章 安楽死と尊厳死の是々非々
第9章 “上手な最後”を迎えるには
おわりに
参考にしたいこと
138頁
私は自分の死に、できるだけ希望を持たないようにしています。
私の好きな『老子』の言葉に、「道常無為而無不為(道は常に無為にしてしかも為さざるなし)」というのがあります。
何もしていないのに、すべてをなしているとはどういう意味か。
逆を考えるとわかりやすいでしょう。すなわち、何かをしようとするから、できないことが発生するということ。
死に関しても、あれイヤ、これイヤの気持ちを捨てて、死に向かったらそのまま受け入れるが一番だと思っています。
それだと苦しい死に方をするかもしれませんが、それも自分の死だと心得ておけば、少なくとも死ぬ直前に、なんで自分がこんな苦しい死に方をと、嘆きながら死ぬことだけは避けられるでしょう。
204頁
「新・老人力」のすすめ
発想の転換
年がいって動きがのろくなってきたら、“ゆっくり力”
効率的に動いたりできないのは“のんびり力”
他に“あきらめ力”、“受け入れ力”、“満足力”、“感謝力”
たしかに、満足と不満には絶対的な尺度などなく、自分の期待と現実との比較で決まるものでしょう。
であれば、期待値を下げれば下げるほど、満足感は高まるわけです。
つまり、“満足力”とは“期待値を下げる力”ということです。
などなど人生の終局「死」を迎えるについての準備も書かれています。
また、この新書を読んだら解りますが、久坂部 羊さんの小説のタネ証も書かれています。
次に読み始めているのは、「寿命が尽きる2年前」です。
また、派生的に読まなければならない本も出てきてしまいました(笑)。 -
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長年高齢者医療に携わってきた医師が、さまざまな老いのパターンを見てきた中で、上手に老いる方法や失敗しないコツを伝えている。美貌も健康もいつかは失われ、その時になってからの未練は無駄で抵抗すれば余計に苦しむのでそれを理解して受け入れること、そしてその時がいつ来てもいいように悔いを残さないように生きることが大切だと説いている。また、現代は医療が発達しているので、悲惨な延命治療、苦しい長寿、過酷な介護の問題が深刻になっており、家族も同様の考え方が必要だと力説している。一方で、医師が死の直前の医療行為が本当に必要だと思っていないとか、クリニックの収益の観点から過剰な検査や処方があることも告白しており、かなりオープンな印象を受ける。
本書の中には、はっとするような言葉も多い。「人は不幸には敏感だが、幸福には鈍感」にも納得、日々の幸せに気づくことの大切さを再認識した。また、将来の事を心配して幸福になるためにあくせくしている人は、自分ではそうとは気づかず準備ばかりに追われて、味わうことを忘れているという言葉も身につまされる。 -
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物語の舞台は国立大学の最高峰、天都大病院。そこの病院長が謎の死を遂げたので、次期新院長選挙が行われることになった。主人公は女性ライター、医療崩壊について記事を書こうと取材を申し込んだ…
ところが、新院長候補者は4教授いるが、心臓至上主義の内科・徳富、内科嫌いの外科・大小路、眼科・百目鬼、改革派の整形外科・鴨下。お互いに他の科をとにかくけなしあう。このさまが何とも滑稽でした。シビアな空気の白い巨塔を少しユーモラスにした感じかな、最終章のタイトルは『面白い巨塔』でした(笑)
例えば循環器内科の教授は、医学科にはメジャーな科(内科、外科、小児科、産婦人科)とマイナーな科(眼科、耳鼻科、皮膚科)があると言い切り、その中でも循環器内科は1番エース格。扱う臓器が人間で1番大事な心臓であり、脳や肺、肝臓や腎臓よりも扱いが難しく、心臓部を治す我々が一番偉いと言う。(その理由も長々と書かれているのが可笑しい)
さらに他の科の教授もそれなりの理屈で1番は自分の科で、他の科の悪口が止まらない…
・整形外科なんて骨と皮だけをいじる単なる修理業社
・泌尿器科はシモの臓器を扱う汚い科
・消化器外科は糞をいじるクソッタレの科
・眼科はひとつの臓器だけを診る狭い範囲でコセコセ治療する守備範囲の狭い科(耳鼻科は耳と鼻があると自慢)
・内科や外科は死ぬ病気が多く、救急外来も大変、楽で安全で儲かるのが眼科
担当科の医師が聞いたら激怒しそうな内容ばかり。
もちろん誇張はあると思うが、現役医者の久坂部羊だからこそ、実態に近いのかなあ…と想像できる。(久坂部さんは外科らしい)
果たして誰が院長の座に着くのか…
いつもいく大病院の循環器内科の先生に聞いてみたい。
『やっぱり循環器内科が1番偉いんですかね?』と(笑)
自慢が始まったらどうしよう…
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義父が膵臓癌で亡くなったばかりだったのであまり他人事とは思えず、読み進めました。義父はこの物語の主人公とは性格も選んだ治療法も全然違うのですが、何度もこんなふうに辛かったのかなと思うシーンがありました。
死の直前であっても医者には突き放されたくない、治療法がなくても一緒に考えて悩んでくれる人がいるということが死の淵において、いかに希望になるか。
治療の継続不可が事実だとしても、自分の伝え方でよかったのか、患者はどう思ったのか、もっといい言い方はなかったのか、正解のない答えをずっとずっと考えて続けている医師がいるということを知るだけでも診てもらう側が救われます。言葉の大切さもすごく考えさせられました。 -
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先日読んだ久坂部羊さんの『老乱』がセンセーショナルでしたので、もう一冊認知症の父親のことを描き、話題になった久坂部さんの小説を読んでみた。
今回のお話は自宅(マンション)で認知症の父親を介護する夫婦の物語だ。『老乱』よりも、認知症患者を取り巻く周りの人の感情などに焦点を当てているような感じでした。
マンションにはいろいろな人がいて、隣近所の方も皆んなが認知症の老人に理解があるわけではなく、徘徊したり、大声を出したり、糞尿を撒き散らしたりされたら迷惑だから、早く老人ホームに入れろとまで言ってくる人もいる。この話ではマンションの理事会で認知症問題についての話し合いまでされる(結論は平行線となる)そのあたりのことが非常にリアルで、実際に問題として直面している人もいるだろうな…と想定する。
数学の教員をしていた父親は厳格できれい好きだったのに、今は自分のこともわからずに、オムツをして、あちこちを徘徊し、他人に迷惑をかける…それだけでも息子としては胸が痛む。でも現実を受け入れるしかない。人はいつかは最期を迎える。
我が身に照らし合わせ、なかなか考えさせられる内容が盛りだくさんで、綺麗事にならずラストシーンまで現実的な小説でした。 -
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なかなかズシっと精神的に重い本でした。しかし読んだ価値はある貴重な小説。
妻を亡くし78歳で独り暮らしをしている幸造さんが主人公であり、ヒシヒシと押し寄せてくる認知症への恐怖と、彼を取り巻く家族の心理状態の描写が非常に細かくリアルでした。久坂部羊さんは医師でもあるので、よく分かった上で執筆しているのだろう。
幸造さんが単に老いを感じ始めてから、どんどん認知症が進行していく様が、彼の毎日書いている日記にあらわれはじめ、漢字が書けなくなったり、車をぶつけたり、孫の名前が思い出せなくなり…徘徊が始まり、免許や預金通帳を取り上げられ、家族がわからなくなり…病院に入院…その後、施設に入居する費用を捻出するために、息子夫婦が妻との思い出がたくさん詰まった家を売りに出す…仕方のないことだが、儚いものだ。
これから老いを迎える人、そしてその家族…生きている以上避けられない定めがあるが、心の準備をしているかどうかでも多少は違うのだろうか。問題作ではあったが、読んでよかったと思える小説でした。
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マジか!すごいな!
見るだけで病気や助かるかどうかも分かる町医者
養護施設で働くシングルマザー
その母親をストーカーするクズ男
養護施設に入所した14歳の少女
同じ見るだけで病状が分かる大きな病院の医院長
その病院で働く無痛症の男
街中で次々と子供たちが通り魔に襲われる
とある家族の惨殺事件が起こる
刑法39条をテーマに想像もできないことがそれぞれに起こる
生々しい描写やこちらが顔を歪ませてしまうほどの言動が衝撃的すぎる
でもただリアルなわけじゃなく、登場人物たちの動きが読めずのめり込んでしまう
目の前で映像を見ているくらいあっという間だった
そしてラストの1行
なんとっ!!
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結婚して新築マンションを買ったけど、手続きの関係でなかなか入居できず、「今死ぬのは本当に嫌。望んでいるものが手に届きそうで届かない時に人生終わるのだけは勘弁!」と思ってた時に、この本を見つけた。
お医者さんとしてたくさんの人の死に関わってきた視点から、死とどう向き合うべきか書かれたエッセイ。
結論の死との向き合い方は、難しい方法ではあるが、本当にその通りだな、そうしてみよう、と思える内容だった!
自分が、何となく死を怖がっていて、何となく今を生きていて、感謝や足るを知る心が充分じゃなかったんだと感じた。
また死が怖くなった時、生きるのが嫌になった時に読みたい。