久坂部羊のレビュー一覧
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ネタバレタイトルが衝撃的だったが、命の横取りではなく、命の贈り物なんだ、と終わって、物語の中で贈り先がわかったからこそ納得ができた部分も大きいのではないか、とも感じた。
本来なら、いいのか悪いのか、贈り先はわからないし、受取先もわからない。
レシピエント側もドナー側もどちらの気持ちもわかるだけ、センシティブで難しい問題だと思う。だから、自己中心的な考えになるのも致し方ないとさえ思う。どちら側へも思いを馳せることはできても、いざそれぞれの立場になったら、臓器を受け取ってまで生きていいのか?と考えるし、すんなり臓器提供の承諾ができるのか?とも考えるだろうと思う。
生きているレシピエントが美談のように注 -
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死に方への提言と指南をする新書
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誰にも訪れる「死」。しかし、実際にどのようにして死んでいくのかを知っている人は少ない。人がどのような末期を知らないと、虐待に等しい終末期医療に苦しみ、悲惨な死を迎えることになりかねない。肉親が迎えたとき、そして自ら死を覚悟したとき、どのような死に方を選べばいいのか。在宅診療医として数々の死を看取った、作家の久坂部羊氏が、人がどのような死を迎えるのかをリアルに描き、安らかな死を迎えるために、私たちが知っておくべきことを解説する。その日に備えて、読んでおきたい「死の教科書」
はじめに
第一章 死の実際を見る、心にゆ -
Posted by ブクログ
脳死と判定された男性からスケーターの池端麗へ心臓移植を、臓器移植コーディネーターの立花真知が担当するが…。
心臓移植手術の描写は細かく真に迫っているので説得力があった。
脳死という人間の死に対するそれぞれの思いを、医師側の視点から描いているので、読者はどうしても脳死を死として受け入れてしまう。
一方通行的な思い込みに少し立ち止まる視点があっても良かったかもしれない。
命の機微に触れる重要な問題であるのに、コーディネーターの立花の幼さが最後まで気になってしまった。
しかし、脳死という科学と心情が責めぎあう問題の難しさを、切実に描いている部分は大変好感が持てた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ考えさせられる内容だった。
今まで、ドナーになることも、ドナーを待つことも、正直意識したことがなかった。
突然の家族の死に対して、哀しみ以外何も感じないまま、他人に臓器を提供することについて考えられる余裕はないだろう。一方で、それが故人の願いなのだとしたら、叶えたいとも思う。
心臓が動いていても、脳死は死であることを意味するのであれば、そこに縋ることは遺された者たちが納得するまでの時間を引き延ばす権利でもある一方で、自己満足になるうるのかもしれない。
反対に、ドナーを待つ側の気持ちも、考えるだけであまりにつらい。誰かの脳死を望みながら、日々治療に耐え、残された時間を数える。残酷にも感じられる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ通称『にんにん病棟』と呼ばれる認知症患者専門の病棟の日々を担当医と看護師の目線で描いた小説。時々クスッと笑えるところもあるが、笑うに笑えない箇所もあったり、現役の医師が描いたリアルな内容でした。
自分が医療を施す側の立場、患者の立場、患者の家族の立場で、読後の印象は全く違うのだとは思うが、久坂部羊さんの小説は本物の医者だけに実際に起こりうることだらけなのかと思う。
本文の中で、患者の足を切断させないためにマゴットセラピー(蛆に壊死した傷口を食べさせる治療)を施す描写がゾッとした…
『老乱』『老父よ、帰れ』等々、久坂部さんの認知症をテーマに書かれた小説を読んできたが、その家族がその時にどう -
Posted by ブクログ
医師で作家の久坂部羊さん。
『廃用身』を以前読んだことがある。
(目次)
爪の伸びた遺体
闇の論文
悪いのはわたしか
絵馬
貢献の病
リアル若返りの泉
6篇の中では「闇の論文」が良かった。
西国大学の生命機能研究科が舞台。
「生検により起こり得るがん転移のリスクについての洞察」
助教授の山極温(やまぎわゆたか)は、丸山の論文を科学雑誌に掲載すべく手を尽くすが、思わぬ壁に阻まれてしまい…。
「研究にはタブーがある。生検による転移の論文は学界にとっての"不都合な真実"なのだから!」
研究医が触れてはならない領域があると、医学の闇の深さを感じさせる一篇だっ -
Posted by ブクログ
はじめにから
この新書の前に上梓した『人はどう死ぬのか』で、私は上手な最後を迎えるためには、死を受け入れることが大事と書きましたが、その「死を受け入れる」ながむずかしいのだという反響を、すくなからずいただきました。
どうすれば、楽に死を受け入れられるのか。
それはやはり悔いのない人生を送ることではないでしょうか。言い換えれば、うまく生きるということです。
高齢者だからといって、手遅れということはありません。残された時間をどう使うかによります。
ということから始まっていて、
来るべき“その日”を穏やかに迎えるために、残された時間をどうすごすのがいいのか。
みなさんといっしょに