久坂部羊のレビュー一覧
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■医療幻想
A.一般の人は、抗がん剤の治療でがんが治ると思っている。
だが、抗がん剤はがんを治す薬ではなく、数カ月程度の延命効果を期待するだけのものである。
B.点滴は脱水症には有効だが、それ以外では意味がない。血液を薄める作用があるため、むしろ有害なことが多い。
C.コラーゲンなどのサプリメントは効果がない。それでも売れているのは、幻想にだまされる人が多いからである。
D.高血圧の診断基準は厳しくなった。かつては収縮期血圧160mmHg 以上が高血圧だったが、今は140 以上で高血圧とされる。その裏には、製薬会社の存在がある。報道によれば、基準を決める学会の委員全員が製薬会社から寄付 -
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私はまだ世間的には、死を意識するような年ではないけれど、思い通りの死に方、について様々な思うところがあるので、読んでみた。
しかしこれが痛快!このふたりの高齢者医療に携わる医者のふたりは、私が常々疑問に思ってたけど、不謹慎かも知れないと感じていたことを、次から次へとバサバサ斬り込んで、膝を打つような話を気持ちよくしてくれた。
例えば、70を(60でも?)過ぎて癌の手術をするなんてのは、本人にも社会にも大いなる無駄ではないか?と、感じていた。医療費の削減の為に必要なことは、ちゃんとヒトをヒトとして死なせる、ということではないかと。
このふたりは、医療費についてはなにも言わないけれど、なにより本人 -
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ネタバレ安楽死の是非をめぐる問題が主題。作者が医者であることもあって、専門用語がたくさん使われており、現場の臨場感を感じることができてとっても面白い作品だった。
医者にとっての安楽死や安楽死を望む患者側の視点や家族の視点に加えて、官僚や政治家・製薬会社まで巻き込んだ論争を描いているのが良かった。ただ、安楽死推進派がカルト的な要素を含んでいるところとかに少し偏見をかんじた。推進派・否定派の論拠もありきたりなものに加えて、あまり言われていないような論拠もあり勉強にもなった。
ストーリー的には、自ら望んでないにもかかわらず矢面に立たされた医師が主人公というものであり、とっても楽しめた。真面目なのだが、 -
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ネタバレ安楽死の是非をめぐる問題が主題。作者が医者であることもあって、専門用語がたくさん使われており、現場の臨場感を感じることができてとっても面白い作品だった。
医者にとっての安楽死や安楽死を望む患者側の視点や家族の視点に加えて、官僚や政治家・製薬会社まで巻き込んだ論争を描いているのが良かった。ただ、安楽死推進派がカルト的な要素を含んでいるところとかに少し偏見をかんじた。推進派・否定派の論拠もありきたりなものに加えて、あまり言われていないような論拠もあり勉強にもなった。
ストーリー的には、自ら望んでないにもかかわらず矢面に立たされた医師が主人公というものであり、とっても楽しめた。真面目なのだが、 -
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ネタバレやはり、衰弱して老死。が、一番幸福なようだと改めて思った。
私の家族で、病院で死んだ人がいないため、実は病院で死ぬとはどんなことなのかを知らなかった。無理やり生かされる、というのがどんなにつらいものなのか。よくわかった。
私の曽祖父・祖父ともに、自宅で看取った。二人とも幸せな最期を過ごせてよかったのだな、と今になって思える。
ただ、自宅で看取ってもらいたい人は、「家族」を大切にしなければならない。愛してもいないものを、たかが「家族」という繋がりだけで面倒を見ることができるわけがない。
病院で死にたくないと思う人が増え、家族を大切にする人が増えてくれればいいと思う。
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長生きはそんなにいいことばかりじゃないよと、悲惨な事例や老人の嘆きがこれでもかというほど紹介される。著者は、老人医療に携わる現役の医師だ。医者の口から、「医療によって無理矢理生かされることは、本人のためにならない」という言葉が聞かれようとは。
アンチエイジングや「スーパー老人」報道に批判的なことなど、著者は現代の欲望肯定主義や、若さを追い求める風潮に違和感を持っている。医師として多くの老人、多くの死を看てきたことも大きいだろうが、同時に、父親が仏教や道教に造詣が深いことや本書でも兼好や良寛を引いていることからして、著者自身が東洋的な死生観に共感を持つ素地があるんだろうという気もする。その意味 -
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大学病院の現実と世間の意識のギャップを的確に著していると思う。
世間の認識を変えることが必要であるという主張にも説得力がある。
医局が崩壊していること、医療がいまや崖っぷちの状況であること。
ジャーナリズムとして客観的によく書き切ったと思う。
オレは理学部出身だけど医学部の一部の連中とは特に気が合ったんで、3年4年の頃には毎週のようにスキーや飲みに行ったもんだ。
しかし、自分が病気にかかったら、彼らだけには診て欲しくないと思ったものだった。
どこも実態は似たようなもんなんだろうけどね。
オレが付き合ってた連中(10人くらいか)が特にバカ揃いだったこともあるけど…
(2008/5/6) -
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同じ自由が認められながら、なぜ今までは日本の医療はまがりなりにもやってこられたのか。それは端的に言えば、医師と時代そのものにモラルがあったからであろう。自由に任せていても、医学生は自分の能力に応じた科を選び、必要とされる場所で勤務し、節度をもって開業していた。医学部がそれほど多くなく、優秀なものが医師になり、世間から尊敬される分、それに見合う責務を果たしていた。
時代のモラルが低下したことも大きい。ルールさえ守れば何をしてもいいという風潮、少しでも自分が得をすることが要領のよい生き方とされ、若者はそのための情報収集に奔走している。
診療にすぐれた医師を優遇せよ
良い医療が優遇されれば、医 -
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心臓移植を巡る物語。
心臓病の専門病院で、臓器移植コーディネーターとして働く立花真知は、将来の五輪金メダリスト候補とされるフィギアスケーター・池端麗を担当する。
心臓移植しかない麗のドナーが見つかったとき、ドナーの家族の中で母親だけが納得してなかったのだが、真知が取った行動が…。
命の横取りをしないでと叫んだ母親だが、臓器提供は命の贈り物だと…
強要そのものは禁忌だが、消極的なままだと助かる命が失われるわけで…
助かる患者の喜びの裏で、別の悲劇を生むことも…
読みながらも複雑な思いに駆られる。
自分ならどうするだろうか…
どちら側にしても直ぐに答えを出せない。
命は重いからこそ、簡 -
Posted by ブクログ
法律上「脳死は人の死」として認められています
脳死後、本人の意思表示で行われる臓器提供(生前に書面で意思表示があれば尊重される)
臓器提供によって救われる命がある
生活状態が大きく改善される人がいる
臓器提供は純粋な善意によって行われるもので金銭の授受は発生しない
このようなことから臓器提供は「命の贈り物」とも呼ばれています
ただ、いきなり大切な人を脳死で亡くし残された家族にとっては、その死を受け入れることができないのも事実である
「脳」が死んでも「心臓」は動いているので、まだ死を納得することはできない
十分に納得できないまま臓器提供を行うと、あとで大きな悔いを抱える家族もいる
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