穂村弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
通りすがりの子どもたちの会話、(おにぎりの病院…おにぎりはどうやらニックネームらしい)
喫茶店で聞こえてきた会話、(にえゆ)
母と子どもの会話、「今、来月?」
みんなワロタ。やっぱ言葉に対するアンテナはずっと張りまくっているんだろうね。
著者だけがこんな面白い会話に遭遇しているわけじゃないよね。日常に面白い会話が潜んでるんだね。
私も耳をそばだてて生活してみようかな。
著者が「辻」って本名だったのも初めて知ったよ。
ちなみに私も「命冥加」”いのちみょうが”という言葉は知らなかった。
意味は神仏のお陰で命拾いすること。
昭和に時代劇で「命冥加な奴よ」というふうによく使われたしうな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読書日記やガイドブックや書評本を読む時、まず目次からわくわくする。
どんな本を読んでいるのかな?
私が読んだ本はどう紹介されているかな?
今回、目次を見て、あまりの既読本の少なさに驚愕した。
歌人である彼が歌集とか句集とか詩集を紹介するのは当然で、この辺は想定内。
日本の近代文学もほぼ読んでいないので、ここも想定内。
だけど、ニアミスに愕然としてしまったのだ。
「そっちか…」
例えば花輪和一だとしたら、普通は『刑務所の中』だろう。
もちろん私もこちらは読んだ。
だけど、穂村弘が紹介するのは『刑務所の前』の方なのだ。
あづまひでおの『失踪日記』(読んだ)ではなく、『失踪日記2』の方なのだ。
読み込みの浅さが悔やまれる。
既読本だとしても、油断はできない。
高野文子の『ドミトリーともきんす』を、私は科学者の目から見た現実世界の興味深さが面白くて、文系の人も面白く読める理系本のブックガイドとしても重宝しているのだけど、穂村弘のこの本の興味はそんなところにはない。
”それは普段は小説しか読まない人が詩を読む時の感覚に似ていると思う。同じ日本語で書かれているのに、文字の量、意味の密度、言葉と言葉の結びつき方、改行の意図などのルールが小説とは違っていて、磁石を持たずに別世界に迷い込んだ感じがするだろう。戸惑いと緊張を覚えずにいられないのだ。”
それ、私のことですか?というのはおいといて、高野文子の作品を読む時にそのような新鮮な感覚を覚えるというのだ。
同じ本を読んでも、感じる部分が違う。捉え方が違う。
だから面白いのだ、この手の本は。
穂村弘の読書日記をもっと面白く読むためには、私がより詩に俳句に短歌に近づけばよいということがわかった。
…ハードル高いな。
直接この本の感想ではないけれど、阿久悠の『なぜか売れなかったぼくの愛しい歌』の引用から。
”蒸気機関車を、日本を豊かにするために汗みどろで働いた男たちだと考えるとよくわかるだろう。その人たちが、はいご苦労さまで捨てられていいわけがない。
汗をかかない、走らない、力を出さない、汚れない、これだけを求める人間がすべての社会が、活力を発するわけがないのである。不細工に、不細工に、働くとは、生きるとは、そういうことなのである。”
何十年も前から職場で進められてきた、効率化という名前のリストラ。
最近では生活のすべてに、無駄を排し、コスパやタイパを重視し、余白を切り捨ててきた結果が、日本の現状なのだと思う。
あんまりキリキリ絞り切ったら、いざという時の余力がなくなるのでは?と以前から私は思っていたけど(職場でも言ってるけど)、いざという時の余力どころか、今は必要最低限の力すら残っていないのではないかというくらい青息吐息の現実。
無駄は嫌いだけど、余裕がないのも嫌だ。
ほどほどの余裕の中で締めたり緩めたりを自分の判断でできないで、何が一流国だろう。
そして、過去の経緯を大事にしない者は、未来からも受け入れられないのだと思う。
勝ち組のつもりで上へ上へ登ったその足は、今何かを踏みしめているのだろうか。
ってなことを、阿久悠の文を読んで思ったりしたのだけど、それにしても阿久悠、文章下手すぎないか? -
Posted by ブクログ
こんな本が出ていたのを全然知らなかったけど、ふと見つけて読んでみた。精神科医の春日武彦氏と歌人穂村弘、おふたり友達同士で「死」について語る、という。
わたし自身は本当に我ながら異常ではと思うほど「死」というものに対する恐怖が激しく、「死生観」みたいな話も苦手なので、この本を読んだらちょっとはなんとかならないかという思いもあったんだけど、仲のいい友人同士が笑いながらのんびり雑談する感じで、怖くもなく楽しく読めたのはよかったけど、わたしの死への恐怖は別に減りもしないし変らなかった……。でも、こんなふうにいろいろ語り合える友人がいるっていいなあと思った。テーマは死でも、温かいいい雰囲気だったんだよね……。
あと、作家や詩人や歌人の話がたくさん出てきて、おふたりとも本当に知識が豊富ですごいなあとか感心した。
(こんなにたくさん「死」って言葉を書くだけでも怖い…) -
Posted by ブクログ
穂村弘(1962年~)氏は、札幌市生まれ、上智大学文学部卒、1986年に連作「シンジケート」で角川短歌賞次席(同年の受賞作は俵万智の『サラダ記念日』)、1990年代には加藤治郎、荻原裕幸等とともに「ニューウェーブ短歌」運動を推進した、現代短歌を代表する歌人の一人。エッセイスト、絵本の翻訳家等としても活動している。
私は50代の会社員で、近年短歌に興味を持ち始め、これまで俵万智、穂村弘、東直子、枡野浩一、木下龍也等の歌集や短歌入門書、また、いくつかの現代短歌のアンソロジーを読み、1年ほど前から新聞短歌に投稿しており、穂村氏にも数首選んでいただいている。
また、穂村氏の作品では、歌集のほか、入門書の『はじめての短歌』、『短歌という爆弾』、エッセイ集の『鳥肌が』(講談社エッセイ賞受賞)、『蚊がいる』、対談集の『あの人と短歌』等をこれまでに読み、NHK短歌テキスト(月刊)の連載「あの人と短歌」も毎月読んでいる。
本書は、日経新聞で2001年に連載されたエッセイに、他の新聞や雑誌に発表したものや書き下ろしを加えて、2002年に出版され、2009年に文庫化された。
内容は、(執筆当時)40歳を前にして独身で両親と共に暮らしているサラリーマンが、いかに「世界」に違和を感じつつ情けない日常を過ごしているか、ということだけを、執拗かつ具体的に、これでもかと書き綴ったものである。具体的には、寿司屋で注文を無視され、夜中にベッドの上で菓子パンを貪り食い、青汁ビタミンを服用し、ネットで昔の恋人を探し、飲み会で席を移動できず、雪道で滑った恋人の手を「キャッ」と叫んで放してしまい、ホームランが自分に当たるのが怖くて野球場に行けず、自分の部屋の窓を十数年開けたことがない、等々で、唖然として爆笑しつつ、その後に、もしかすると自分もそうかも、と思ってしまうようなものである。
尚、穂村氏は本書の中で、自らの新しいことを怖がる性格から、普通の人が経験することの多くを自分は未経験なのではないかといい、その事柄をリストアップしており(例えば、独り暮らし、結婚、転職、洗濯、海外旅行、献血、選挙の投票、髪型を変える等)、その後、それらをひとつひとつ体験したエピソードを、『現実入門』(2005年)というエッセイ集にまとめている。(私はそちらを先に読んだが、同様に爆笑である)
私は、上記の通り、現代短歌のフロントランナーのひとりとしての穂村氏を先に知り、その斬新的な(より的確に表現すれば「ぶっ飛んだ」)短歌がどのようにして生み出されるのかに大いに興味があるのだが、それは、「短歌作りの仕事の周辺を、季節の変化と絡めて穏やかに綴る」というような歌人の新聞連載のエッセイのイメージをぶち破る本書を読めば、否応なく頷かざるを得ないのである。(残念ながら、一般の人が歌作りをするために真似をするのは難しいのだが。。。)
本書は、単独でも十分に楽しめるが、歌人・穂村弘がどのような視点、感覚で歌を作っているのかを想像するのにも役立つエッセイ集である。
(2023年1月了)