穂村弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
私もレビューを拝見して読み始めました。
毎晩一人ずつの対談を読むのが楽しく、第2弾があると良いのに!と思ったほどです。それほど穂村さんのホストぶり(?)お話の引き出し具合が素晴らしかった。
16人の気になる人と歌人穂村弘さんが短歌談義を繰り広げています。
作家の北村薫さんを始め、マンガ家の里中満智子さん、翻訳家の金原瑞人さんなどなど。三浦しをんさんも短歌されるんだ、と驚きました。
気になった人は、圧倒的に歌人の鳥居さん!それと小説家の高原英理さん。
壮絶な生い立ちから短歌に出会い救われ歌人になった彼女の歌は、はっきりした輪郭があってカッコいい。歌集読みたいなと。
高原英理さんは澁澤龍彦さん中井英夫さんが選者であった幻想文学新人賞の第一回受賞者だそうです。
あと「月に吠えらんねえ」の作者、清家雪子さんとの対談!あのマンガを読みたくて全巻揃えるまで待機中です。作者さんのこと、作品の生い立ちなどを知ることができますます読みたく…
でもまずは穂村さんの歌集、まだ読んだことがないので読んでみたいです。 -
Posted by ブクログ
日常の幸せ云々を謳った帯がついていたので癒されたくて読んだけど、なんだか悲しくなってしまうエピソードが多かった…
不器用さやちょっとしたぽんこつ具合に共感しつつにっこりできるかと思ったらなんだか少し落ち込んでしまったな。私自身のせいかしら。
穂村さんのことは相変わらず好きだ。
等身大の自分を見せられてかっこいい。ファンにナメられているのがなんか辛いが…
ずっとエッセイばかり読んできたけど、紹介されていた短歌があまりに素晴らしく、そっちにも興味が出てきた。
出版されるまでのエピソードも相まって魅力が増した。(自費出版して、新聞で褒められて、でも会社はずっとやめられず、とかリアルだけど夢がある。)
シンジケート新装版出るようだし、買おうかな。 -
Posted by ブクログ
タイトル通り、書評ではなく感想が綴られていて、すいすいと読んでいける。それでも穂村さんなので、ところどころで、お、と思う。
・松浦理恵子「最愛の子ども」について、「社会的にはほとんど価値を持たない小さな感情の襞が丁寧に描かれていて、少女たちの心をこの上なく大切に扱おうとする書き手の意識を感じる。」とあるが、これに続く一文に、はっとした。「我々の未来を変える価値観は現在の他愛なさの中にあると思う。」きっとそうなんだろう。それが何かは今見えないけれど。
・つげ義春について色々述べられている。
「この『旅年譜』には『秘境』という言葉が何度も出てくるのだが、旅情を求めるという次元を突き抜けて、もはや異界への没入願望という印象である。考えてみれば、私がつげ作品に惹かれるのも同じ理由だ。いわゆるファンタジーとは異なる、現実の直下にあるマグマのような異界への憧れ。」つげ作品に感じるものをぴったり言い表していて唸った。
また、つげ作品独特の印象的な言葉遣いに触れて、「作品自体が素晴らしくて、その中のいわゆる名台詞とか決め台詞が記憶に残るのは勿論わかるんだけど、つげ義春の場合は、それだけではないのが不思議だ。」とあるのも、まったくそうだと思う。「サンビスしますから」(リアリズムの宿)「テッテ的」(ねじ式)「キクチサヨコ」(紅い花)などなど、妙に忘れられない言葉が次々浮かんでくる。
作品からうかがえるつげ義春の生き方を「ラディカルな自己放下」と穂村さんは言う。これもすごく腑に落ちた。
「このとき(『旅年譜』を読んだ時)以来ボロ宿に惹かれるようになったが、それが自己否定に通底し、自己からの解放を意味するものであることはずっと後年まで理解が及ばなかった。」なるほど、「自己放下」「自己からの解放」というとらえ方は実にぴったりくる。
・鳥飼茜の「前略、前進の君」では、非常に繊細な心理描写がされているとした後、こう書かれている。
「自分にもかつてそんなひりひりした思いがあった。というのは錯覚だ。どこまで時を遡っても、私はこんな気持ちを抱いたことは一度もなかった。ただどんよりしていただけだ。それなのに、いや、だからこそなのか、鮮烈な描写に惹きつけられる。」
そう、10代の心情を描いたものを読んで、自分もこんな風に感じていたと思うことがあるけれど、よくよく考えてみると「ただどんよりしていた」り、むやみに焦っていただけというほうが正しいのだなあ。
・あまり知られていない歌人らしいが、鈴鹿俊子の「蟲」という歌集が取り上げられている。「日常を詠いながら独特の危うさがある」と穂村さんが評する短歌と、実人生に強い印象をうけた。 -
Posted by ブクログ
極個人的な感覚だと思っていたものが、他の人によって鮮やかに言語化され、共有される驚きだったり、思いもよらない角度からのものの見方におお!となったり、かつて感じたことのある心の揺れがアルバムのように並んでいたり、31文字、季語がなくてOKな現代短歌の世界はとてもユニークで豊かでした。
このシリーズの他の本も、読んでみようと思います。
気になった短歌をいくつか
さかあがり靴を飛ばして落下するもう懐かしい地上ただいま
明日からも生きようとする者だけが集う夕べのスーパーマーケット
戦争はもうなかったよ 飴を噛む六歳にとって私はおとな
煮え切らぬきみに別れを告げている細胞たちの多数決として -
Posted by ブクログ
実に多彩な方々との対談集。どなただったか「学生に『穂村弘って知ってる?』と尋ねたら、『ああエッセイストの』と返ってきた」という話をされていたが、これはよくわかる。私も穂村さんのエッセイや書評、短歌の手引き的なものはとても好きで愛読しているが、歌集は手に取ったことがない。穂村さんの短歌って、一読、むむぅと困惑させられる感じで、うーん、これが今の鋭い短歌なのかと唸るばかり。短歌評なんかだといたってわかりやすくて、短歌を作りたくなってきたりするんだけどな…。
短歌って散文にはない制約があるけれど、俳句ほど切り詰めた表現ではなく、人の喜怒哀楽、人生の様々な場面に寄りそいやすい。また、五七五というリズムの心地よさが私たちにはしみついていて、多くの人が特に教えられなくても短歌的なものをひねり出せるだろう。そうした「新聞歌壇」的なものと、厳しい表現としての短歌とは、地続きではあるけれどかなり距離があるものだなとあらためて思った。
どの対談でもたくさんの短歌が引用されていて楽しい。北村薫さん、三浦しをんさん、保阪正康さんとのお話が、とりわけ興味深かった。ふんふんと読んだ点をいくつか。
・綾辻行人さんがどれだけ殺人を書いても、彼が殺人鬼だとは誰も思わない。「北の宿から」の歌詞を書いた阿久悠さんがセーターを編んだとも思わない。「そういう現象があらゆる表現において存在するのに、なぜか短歌だけが、そこに等身大性を見られてしまう」とあるが、確かにそうだ。これは古代和歌においても顕著で、歌から実人生を読み取ろうとしてしまうけど(たとえば額田王とか)、よく考えればヘンな話だ。でもなんかこう短歌には、リアルな息遣いを求めたくなるところがあるように思う。
・「ある時期までは、散文のなかにも韻文的な感受性があったと思うんです。つまり読者に”だけ”向けて書いているのではないという感覚。」「韻文は、まず神様に向けて書くということが前提になっていた。そうした芸術の在り方が、ユーザー第一という資本主義の精度が上がったことによって抹殺されつつある」
いつ頃からか、文学作品もまず商品としての側面が前面に出てきて、読者というよりユーザーとしてのレビューがあふれていると感じるようになった。資本主義が行き詰まっているかどうかはわからないが、あまねく行き渡っているのは間違いない。
・相変わらずしをんさんは面白くて鋭い。
穂村「短歌は、『二の線』を要求してくる表現だから」
三浦「確かに、普段だったら言えないようなことを、みなさん滔々と歌い上げていますものね。一方、小説の場合は、この線がキツイと『中二病』などと言われてしまう」
穂村「僕は『そんな言葉ができる前からそうだった!』といった自負を持っていますよ」
三浦「人類が永遠に罹患する病ですよね。その味わいがなくなったら、創作物はとてもつまらなくなってしまいます」
穂村「せっかく読むなら、抑制が効いているものより、恥ずかしいことを書いているものを読みたいですよね。与謝野晶子や若山牧水を見よ!ですよ。近代歌人の『我に返らなさ』加減は本当にすごいですから」
・短歌を詠むときは、無意識に自分の中の一番いいところを出そうとする気がする。
「短歌は『一瞬』の表現です。ごく短い瞬間であれば、良いことを書こうと思えば書ける」「だから僕は、意識レベルにおいては、ずっと良いイメージを浮かべながら歌を詠んでいるのです」とあってすごく納得。ナルシスティックだったり青春ドラマの主人公みたいだったり、「そういうメンタルがない人は、そもそも短歌の世界に入ってこないでしょうね」というのも本当にそうだと思う。
・詩人の文月悠光さんが、自分のエッセイに対する読者の反応にとまどったという話をしている。セクハラにあったことを書いたら「セクハラ相談室に行けば?」というような感想をもらうこともあったと。穂村さんが「本来、『表現』というものは、『私はこういう体験をしました』という個別性・現実性を、もっと大きな、本質的なものへと変換する行為なわけでしょう?それをまた元の個別性・現実性へと引き降ろしてどうこう言うのは、僕は最悪の反応だと思うんですけどね」と言っていて、背筋がヒヤッとした。思い当たることが多々あって、実に痛い指摘であります。