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「ブレイディみかこ」の「誤訳するこの世界で僕は」「SISTER “FOOT” EMPATHY」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
『例えば、「男性に対する力」「部下に対する力」「市場に対する力」など、支配力を高めていくことがフェミニズムの文脈で言うパワーではないのだ。むろん、女性の支配力を高めて権威になること(女性の指導者を増やすこと、女性がもっといろんな分野に進出して成功することなど)がエンパワメントだという意見も根強い。最近は、このような個人主義的フェミニズムを新自由主義的フェミニズムと呼んだりもするが、これは「~に対する力」希求型フェミニズムでもある。家父長制に抵抗し、女性だってやれるんだと頑張ってトップに立ったら、自分が家父長みたいになっていた、というやつだ。しかし、本当のところ、女性のエンパワメントとは、「~の力」をつけ、やがて「~と共有する力」となることをめざす、いわばアナキズム的でなければ真に社会を変える力にはならないのではないか』―『第6章・「個人的なことは政治的なこと」を再考する/「POWER」に対するアナキズムの考え方』
意識的に男尊女卑の考えを支持している訳ではないけれど(と言い訳めいているけれど)、「力」を持とうとする女性解放運動的な動きからは生理的に距離を置いてきたせいもあり、何となくブレイディみかこはこれまで読んでいなかった。それは、内田樹とは主義主張的に同じリベラル左派的な立場にありながら相容れない考えであることをお互いに公の場で主張し合った上野千鶴子に対する個人的な感情も災いしているような気がするけれど。もちろん、それは先入観というか偏見と邪推に満ちた考えだ。そんな風に見て見ぬふりをして来たのだけれど、新刊の刊行に際して内田先生との対談をしているのを偶然に読み、本書を手に取るに至る。
著者は本書を「言葉を解きほぐす」というテーマで記したという。そんな風に言葉にすると如何にも解説書的な一冊を想像してしまうが、長年英国に住み、自ら体験してきた苦労や彼の地の階級社会において感じてきた思いからの「解きほぐし」は非常に示唆的で判り易い。もちろん、学術的に(ということはある種の権威付けされた価値観に裏打ちされた、というやや否定的な意味合いを含ませている言葉遣いだが)正鵠な解説ではないのかも知れないが、人々がその言葉に寄せている思い、あるいは無意識の内にその言葉が言い表しているものに絡め捕られている現実への言及は、著者の肌感覚にもしっかりと根差した感があり、思わず唸る。
前半の三つの章では日英での政治的な言葉の意味の微妙な違いも含めて、著者の情報収集の広さ、解読する立場の普遍性などが感じられ、素直に勉強になるという雰囲気。そこから後半の章に移るにつれて、徐々に著者の主義主張のようなものが滲み始めて来るのだが、だからと言ってそれも読んでいて忌避するような感情が湧くものではない。特に第6章の「力」に関する論考には感心させられる。なるほど、自分がウーマンリブ的なフェミニズムに対して一歩引いてしまうのは、やはり全体主義的なものへの予兆がその運動の要求する「力」の在り様の本質にあるからなのだな、と認識したり。ブレイディみかこの説く「Power」という言葉の多義性(権力というような何かに対する力の意味がある一方で、持久力というような何かに内在する力の意味もあり、それが得てしてすり替わり易いこと)についての言説は、社会的な構図に常に存在するレトリックを上手く説明できるように思う。また、アナーキズムとフェミニズムの親和性に関する論考には、ただただ感心する。
一方、内田樹との対談でも話題となっている昨今の人々の志向の変化についての著者の見立てもまた、よく練られたもののように感じる。そこにはやや左派的な色合いの濃い視点が(本人はパンク好きのアナーキストを奉じているようだが)あり、「クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界」の著者であるヤニス・バルファキスの思考に共感する世界観もあるようだけれど、以下に引用した「待つ」という行為に関する思考などを読むと、むしろユダヤ教的な教え(ここではカトリック的なものとして「待つ」ということに言及されてはいるけれど)に共鳴するものが著者の中にあるような気がしてくる。なるほど、だからレヴィナスを信奉する内田樹との対談も弾んでいるように見えるのか、というのは勝手な、そして余計な感想。
『ああでもない、こうでもないと議会で話し合って決めるより、独裁制のほうがいいのではという感覚も(コロナ禍のときにこういう論調は高まっていたが)、「待つ」ことが単なる不快な経験として認識されている時代の反映かもしれない。キリスト教では「待つ」ことは「祈る」ことだとよく言われる。カトリック教会の「主の祈り」には「天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように」という言葉があるが、これこそ神の国を期待して「待つ」信徒たちの祈りの言葉だ。祈りは受動的で消極的な行為と思われがちだが、そこには忍耐と希望という人間の生に不可欠の要素があり、互恵的利他主義に必要な要素が含まれている。テクノロジーは、「待つ」という人間の行為を、いままさに無理ゲーにしようとしているのではないか』―『第5章・テクノ大衆の誕生/「無理ゲー」になっていく「待つ」行為』
堪え性がない、というのはテクノロジーの発達のもたらし禍福(物事には必ず良い面と悪い面がある、とは言いつつ今や、呪い、と言った方がより適切か)の結果としての傾向なのではないかと自分も思うけれど、そこに欠如しているのは「理解」という行為が「意識的な思考」のみではなく「身体的な馴染み」も本来は必要とされるという感覚ではないかと思う。卑近な例に寄せて言えば、かつては技術論文で展開されていた新しい考え方を実地に応用すべく齷齪[あくせく]とプログラムを考え考え書いたものだったが、その過程で正に身体に滲み込む理解もあったように思う。一方、昨今は生成人工知能に命じるだけで欲しいプログラムを書いてもらえてしまう。「無駄がない」と言えばそれはそうなのだが、何かが抜けているなあ、という感覚をどうしても拭い切れない。
そんなこんなを、あれこれ考えさせられる一冊であることは間違いない。
Posted by ブクログ
小説として特別優れているとは思わない。一人の大人に全負担のかかるハッピーエンド、ほとんど孤立しているミアの最終的な救いの一つが恋愛(の種)で着地。きれいにまとまっちゃったなあと。
でも、いわゆる弱者である女の子(家庭環境的にも性別的にも)が、どうにもならない状況を前に、それでも顔を上げて中指を突き立て進んでいく様を、ここまでじゃないけど毒親育ち的に共感しつつ尊敬しつつで読んでいました。ほんとはこんなに闘わなくていいはずなんですけどね、子どもって。
その上でミアかっこいい。そして前述と矛盾するけど、ミアを「かっこいい」と表現してくれる人が作中にいてよかった。
この本に出会えてよかったです。
Posted by ブクログ
「それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗」
イギリスの話が中心だが、アメリカにも日本にも通じる。こんなに酷いのは日本だけではないのだなと安心できる。できるか(笑)。
この感じで誰か日本に絞って現在の政治や社会を論じてくれないかと読みながら思った。ブレイディみかこさんがいてくれてうれしい。
「責任」
極中
クラス・シーリング
プラットフォーム・ポリティクス
テクノ大衆
アナキズム
リマイグレーション
「偽善」と「誇り」
あとがきのラスト
"この「誇り」という尊厳こそが地べたのわたしたちに残された砦であり、それを守るという意志、何があってもそれだけは守り切るという意地があるかどうかが、この薄気味悪い時代の先にある地平を決定するのだと思う。"
舐められきっているのに、まるで自分たちが権力者側に立っているかのような気分でいる人たち、いまだに「日本はすごい」と錯覚している人たち、排外主義者たち、ものすごく傷つけられ、そう思うことでしか立っていられない自分に気づいて欲しい。