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「自分が生きやすい」社会に必要なのものとは?
感情的な共感の「シンパシー」ではなく、
意見の異なる相手を理解する知的能力の「エンパシー」。
この概念を心理学、社会学、哲学など様々な学術的分野の研究から繙く。
うまく活用するために、自治・自立し相互扶助のアナキズムを提唱。
新しい思想の地平に立つ刺激的な一冊。
他者はあまりに遠い。“共感”だけではたどり着けない。
ジャンプするために、全力で「考える」知的興奮の書!
――東畑開人
※この電子書籍は2021年6月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
難しい言葉ではなく平易な表現をたくさん使ってくれるおかげで、かなりとっつきやすいと思う。それでもなお奥が深い(アナーキック・)エンパシー。読んでる間は少しわかった気になって、でも日常に戻ると自分のものにしたとは言えなくて、かといって全然距離が遠いものでもなくて、本書を通じて自分の中の視座が少しだけ豊かに、エンパシーの輪郭に触れられたような気がする。
特に視点だなあと感じたこと。
コグニティブエンパシーは底から湧きあがるものではなく、頭から時間をかけて理解しておろすもの。トップダウン型。それはスキルであり、後天的な育成・習得が可能なもの。
他者の靴を履いたからと言って自分の靴を見失わない。自分の靴の所在をはっきりわかっていて、それに囚われすぎない確固たる自分があるからこそ、あえてそれを脱いだり履いたりできる。
ブルシットジョブ、ブルシットエコノミー、ブルシットソサエティーの中で頭を使わない生き方は楽かもしれないけど、それに鈍らされない。なにが大事でなにが本質なのか、ちゃんと頭で考える。
何千の赤ん坊の命よりも優先すべき負債の支払いなど本来存在しない。単純な優先順位を見失い、決まりだからと思考放棄するならもはやゾンビと一緒。
個人は心臓、社会は肺。心臓は肺のために存在するわけではない。肺が心臓のために酸素を供給するのであり、逆転など本来はありえちゃいけない。
Posted by ブクログ
意見の異なる相手を理解する能力の「エンパシー」について様々な角度で考えるこの1冊、自分の関心ど真ん中ですごく興味深かった。
ただ、「他者の顔色を窺う」ことになり、抑圧的にはならないよう、自分は自分、と「他者とは決して混ざらない」ことを意識し、「その上で他者が何を考えているかを想像・理解しようとする」ことが大事と、アナキズムの思想も同時に持つことを説いているのが、海外からの視点という感じで新鮮。
これからの時代は、自分も他人も楽しく、というのがキーワードになっていきそう。
あらゆる哲学書、時には小説も引用され、実際の歴史や事例もたくさん盛り込まれていて情報量が多いので、読みやすいのだけど一度読むだけでは内容がまだしっかり血肉になっていないように思う。
2回目も読み直して、自分の言葉でアナーキック・エンパシーを語れるようにしたい。
Posted by ブクログ
エンパシーとは、他者の感情は他者に属するものであると考え、自分の解釈を押し付けず、他者の生活を、彼らが属する集団の歴史的なコンテクストの中で理解することである。同一化とは違い、それは自己を投影したり、喪失したりするものではない。
これを技術と呼び、「人」に還元される利他的な行為となり、そして民主主義へと繋がっていく。
そして、他者を理解することで自己理解にも繋がり、結局は利己的になる。
誰かのことを蔑む前に、決めつける前に、その人の靴を履いてみよう!
さて、民主主義ときいて私は真っ先に、成田悠輔著「22世紀の民主主義」の中の一節、
「民主主義という理念の背景には、「メディアや教育を通じてそれなりにしっかりと考えて判断できる人々が、集まって議論した上で投票して何をやるか決める」という人間観・社会観がある。」
という主張を思い出した。
しかし、本書ではエンパシーの根幹は民主主義であるとして、グレーバーの書籍を引用し
「重要なのは普通の人々が討議の場に集まって座り込み、自分たちの課題に自分たちで対処できるということを、さらにまた、無理だったということになるとしても、彼らには試してみる権利があるのだということを、私たちが心から信じることだ。」
と語り、まさに子どもたちがこれと同じことを、緑色のブランケットを囲んで教育プログラムの一環として実践しているという。
そこでは大人たちは、子どもたちに試してみる権利があるということを心から信じなければいけないと。
つまり、成田の主張する民主主義における人間観・社会観というのはまさに、本書で語られているエンパシー能力ではないか! とい思い至った。
専門的知識やGDPをあげるのに役立つだけの教育を受けても、それは結局狭い範囲での議論しか生まず、民主主義にとって本当に大切なのは、他者について想像する能力ではないのか。
私たちは子どものころから協調性や集団生活でのふるまいを教わるけれど、誰かのおかれた状況について考えるとき「自分ならこうされたら、こういう気持ちになるからあの子もそうだよ」を正しい道徳観として強調する。
この考えこそが正しい正義だと振りかざす。けれど、そういった決めつけがマイノリティーに疎外感を与えていることに気づかないし、異質なもの(自分ごととして捉えられないもの)を排除し、はてには憎み、それが憎悪の連鎖になったりもする。
エンパシーは技術である。技術であるからには、学んで修練していくことが必要不可欠だ。
それを怠らないように、私も努力し続けよう。
Posted by ブクログ
「他者の靴を履く」という表現が使われるエンパシーについて、色々な視点から考察した1冊。アカデミックなようで、かつ著者のお子さんの話など、身近な事例も織り交ぜられていて、面白かった。
エンパシーとシンパシーの違いは、「気持ち」の問題なのか、あとから会得できる能力なのかであること。
エンパシーは他者の立場に立って物事を考えることだが、それが行き過ぎると他者に自分を明け渡すことになる。だからこそ、アナキズムに言われるような、自分が自分である自由を追求する姿勢と共存する必要がある。
エンパシーの身につけ方は、幼児期までに遡り、色々な人や本の中の登場人物の気持ちを、「この人はどういう考えで、こういう行動したのか」を考える癖をつけることから始められるという。
そして、エンパシーには、感情に寄り添うことを指すケースや、相手の立場を理解することなど様々な種類のエンパシーがあって、それらに対してそれぞれ議論が起こっていることも知った。
私はもし将来子供ができたら想像力のある子になってほしいと思い続けていたけれども、他者の靴を履く能力が高すぎることにも弊害が現れることや、それを悪用することもできるという見方は目に鱗だった。それでもエンパシー能力がある人が増えることで、結果的には皆より自由で幸せな世の中にはなるのではないだろうか。
個人的には仕事について、人のケアをする職(看護師、介護士、教師など)とブルシット・ジョブ(別になくても特にこまらない職)の2種類があり、大半はブルシット・ジョブをしている、という記述が耳に痛かった。今から介護職にはなれないものの、そういった人のケアをする職の人を支えること、あるいはいつかケアをする側の人間になることにも興味がわいてきた。
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