遠藤周作のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『夫婦の一日』★1
占いを信じて必死になる妻がその行動一つで知らない人のように思える話。陳腐な設定に陳腐な行動や心情。何もなく終わった。つまらない。印象に残らない。
短編なので仕方ないと思うけど別人のように見える前の妻の描写があまりないので「私」が感じている感情(憤りとか怖さとか)を読者があまり共有できないのではないかと思う。平たく言うともともとそういう人だったのでは?何をいまさらという感じ。こういうテーマは時代とともに陳腐化してしまうように思う。具体的には2chや小町、増田なんかでよくみかける話。「私」の妻への対応についても妻を理解することを放棄しているようにみえてあまり共感できない。もともと妻を少し下に見ているように感じる。
『授賞式の夜』★1
何か起こりそうな予兆はあるけどここからというところで終わる。印象に残らない。
『ある通夜』★1.5
国語の教科書にのりそうな話。お行儀の良い小説家の私と顔は似ているが品行は正反対の親戚、高さんの話。設定は陳腐だけど構成は王道。
『六十歳の男』★4
面白いし巧い短編。60歳というお年寄りの心情を書いた話はあまり読んだことがなく新鮮でリアルに感じた。主人公が抱くのは性欲ではなく若さへの嫉妬。著者の別小説『イエスの生涯』で、捉えられたイエスに対して掌を返した民衆がイエスをひどく虐めることを自分の言葉で噛み砕いて書けていないと感じており、その一つの答えとして、この短編の主人公で表現している。純粋なものへの嫉妬であると。
『日本の聖女』★4
ある程度面白さもあるし、歴史上の人物を登場させてとても巧く構成している。豊臣秀吉が表向きキリスト教を禁止した時代のお話。布教のためには教えを捻じ曲げることも厭わないパードレ(司祭)を上司に持つ信心の強い修道士目線の物語。『沈黙』で井上様やフェレイラが言っていた日本で魔改造されたキリスト教の話。修道士の考えは遠藤周作の考えなのではと思わされる。高山殿や細川ガラシャは魔改造されたキリスト教を信仰し棄教を拒絶し殉教をも厭わない。キリスト教徒の民衆はそれが美しく正義であると支持する。修道士はその考えに疑問を呈し、ガラシャの殉教は逃げであるとする。表向きは棄教して裏切り者扱いをされ裏ではキリスト教徒のために動きながらも最期まで報われなかった小西殿こそ美しい殉教だとする。嫉妬から、仕え主であるガラシャが不幸になることを悦びとする(と修道士が考える)小従徒は『六十歳の男』と少し繋がっている。実在の人物を上手く動かし、これが本当の話である可能性を100パーセント否定することはできない作りが巧い。 -
Posted by ブクログ
上巻は荒木村重をメインに題名の通り反逆へと傾いてゆく村重の心の変化を細かく描写されている。下巻のメインになるであろう明智光秀がどの様に信長へ反逆を決意すのかどう表現するのか期待をしたが意外にあっさりしていた。秀吉も信長に対して心から心腹している訳ではなくいつか信長と決戦を考えているが最後まで具体化する事がなかった。本能寺の変で終わると思っていたが予想外に賤ヶ岳の戦いで話しが終わる。勝家も秀吉も利家も本編ではあまり出ていなかったので急な登場で全体的に内容が薄くなってしまった印象。読み手としての自分の実力が足りないのかもしれないが・・作品としてはとても読み易い作品でした。
-
Posted by ブクログ
中高時代はプロテスタントの学校に通っていたのに、キリスト教がなんなのかちっとも説明できない自分が残念で勉強として読んでみる。遠藤周作のわかりやすい解説で目からうろこなのは、新約聖書の福音書は、各民間信仰をベースに書かれているため、なにが真実かはわからないということ。いってしまえば壮大な二次創作?!という。遠藤周作も強調しているのは、神とは存在ではなく、「働き」という言葉になんとなくしっくり。また民間信仰ベースだからこそ、自分にとってしっくりくるイエス像があってもいいのではないか?と私には読めた。父性的なイエス、母性的なイエス。神とは非常にパーソナルなものだ、という解釈に聞こえた。
-
Posted by ブクログ
イエスがゴルゴダの丘で貼り付けにされる迄の物語と戦時中キリスト教の学校に通い小説家となった主人公がエルサレムの地で旧友と出会い巡礼に近い旅をする物語が交互に語られる。
キリスト教に対して無知な私は奇跡の人=イエスキリスト
と思っておりましたが本作では違った語られ方をしております。
本作を読み思った事は宗教にとって教会とはなんなのだろう、戒律とはなんなのだろう?奇跡は本当に必要なのか?という事です。
争い事の火種、集金と得票の為のシステムとなる宗教に興味と敬意を持つ事は出来ませんが、本作の著者が書く『イエスの生涯』を読んでみたいという興味が湧きました。