吉村昭のレビュー一覧
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東海道線の三島~熱海間を結ぶ丹那トンネルは、全長7.8㎞。大正7年に着工され、当初の工期を大幅に超過し16年をかけて67名もの犠牲者を出しながら昭和8年に開通しました。本書は丹那トンネルの掘削工事にまつわる数々の事故や災害の実情を詳細に描いたノンフィクションです。
今では様々な重機と工法の発達で安全かつスピーディーにトンネルは掘削されるようになりましたが、丹那トンネルは着工時は何と工夫による手掘りでした。工期途中からようやく電気による掘削機を使用されましたが、掘削した後の坑道を支える支保工は丸太などが多用され、掘削したズリ(掘り出した土砂)を坑道から搬出するトロッコも、着工当時は馬や牛が曳いて -
Posted by ブクログ
ネタバレ飛行機がまだ登場していない頃、ライト兄弟よりも先に飛行原理を自ら考案したが、資金や軍の協力が得られないために、道半ばで終わってしまった日本人、二宮忠八の話。
彼は、変化に富んだ激動な人生を送っており、非常に興味深い。
しかし、自ら考案した飛行機開発を軍に提案したものの、何度も却下されてしまう。後年に彼の飛行原理の考案は世間から認められるが時すでに遅し。欧州で既に開発され、それが日本に入ってきている状況であった。
解説にもあるとおり、日本人は優秀なのにイノベーションが生まれなかったのは、
貧しかったから
新しい発想を歓迎せず、時には変人として扱うといったような風土があったから
ということがよ -
Posted by ブクログ
物語の半分(か、それ以上)は放哉のお酒の失敗エピソードなわけですが、“酒”というよりは“病”というものが、あるいは、“金が無い”ということがどれだけ人を卑屈にさせ、孤立させるものなのかと恐ろしくなった。
最初に放哉の心に巣食った病はなんだったのか。
物語が始まる頃には既に終わりが始まっていて、知る由もない。
妻にも見捨てられ、彼には小豆島の寂しい庵しか、行くアテがない。
徐々に衰えていく身体から削り出されたかのような言葉は、どれも骨のように白く軽い。
放哉の句を読むことは、彼の骨を拾うような行為だと思う。
圧巻は放哉絶命のシーン。
ワンカット長回しのような臨場感、緊張感。
これは吉村昭に