あらすじ
「咳をしてもひとり」「いれものがない 両手でうける」――自由律の作風で知られる漂泊の俳人・尾崎放哉は帝大を卒業し一流会社の要職にあったが、酒に溺れ職を辞し、美しい妻にも別れを告げ流浪の歳月を重ねた。最晩年、小豆島の土を踏んだ放哉が、ついに死を迎えるまでの激しく揺れる八ヵ月の日々を鮮烈に描く。(講談社文庫)
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読んでいる時と読後と、様々な感情が湧き起こる作品だと思った。そもそも『海も暮れきる』は、尾崎放哉の句の一部だが数ある句の中からこの語をタイトルにした理由を読みながら探したがわからなかった。
何が放哉をここまで追い詰めたのか、なぜ酒に溺れるようになったのか。私は彼の激しい自尊心が自身を破滅に追いやったように読んだ。思うようにならない現実と芸術の狭間の苦しみが酒に溺れる結果ではないかと。そして放哉はとても気の小さい人間だとも思った。その感情の浮き沈みを吉村昭は見事に描いたと感動した。そして最後になってタイトルの意味がわかってきた。暮れきった海は真っ暗で底も見えない。底には死があってその恐怖にずっと怯えていたのではないか。そしてそれは吉村昭自身も同じ思いだったのではないか。寒くて冷たい海の底への恐怖を孤独に震える2人の男が見えた。
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尾崎放哉はじめて知った
終盤はどんよりしていくが、お遍路さんの訪れや近所の看病してくれるおばさんのことなど、良いこともあり対比が素晴らしかった
薫さんはなぜ最後の最後に飛んできたんだろう。どういう心境なのか
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口語自由俳律で知られる尾崎放哉。その小豆島での最期の8カ月を描いた作品。享年41。
酒乱で酒を飲めば攻撃的になる。人の施しによってしか生きられない。どうしようもない人間だと思うのだが、「結核」を病み、家族から疎んじられ、長くは生きられないと悟ると、そうなるのかもしれない。もっと句を詠みたかっただろうし。
没後、放哉の師にあたる井泉水が「捨てて捨てきつて、かうした句境にはいつてきた」「大自然と同化していた」と表現したそうだ。俳人として名を残すには、この捨てきった8カ月が大切だったのかもしれない。
はるの山のうしろからけむりが出だした
春の訪れを誰よりも待っていた放哉だったのに。
吉村昭氏は、やはり島に渡って、徹底した取材をされたのだろう。8月の蝉の声、島では咲かない梅や桃の花のこと、島の季節が細部にまでわたって描かれている。
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人生の最晩年、肺を病み、小豆島に辿り着いた俳人・尾崎放哉。
五七五にとらわれず、自由な作風で知られた。
放哉の人生も作風と同じく自由であった。
むしろ自己中心的である。
俳人としては有能かもしれない。
しかし、人としては最低だ。
日に日に痩せ衰えてゆく放哉を冷徹に克明に描き切った大名作。
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新年早々、クズ男に出会ってしまった。
男の名は尾崎放哉。
俳人。
一高から東大、大手保険会社に就職。役職に付く。
エリート。
私生活が破綻。酒癖は悪い。友人知人に金借りまくる。
奥さんには一緒に死んでくれと言う。
クズっぷりに付き合いきれない。
最後まで付き合った。
小豆島へ渡り寺男として庵で暮らし友人知人に迷惑をかけながら結核で死んだ放哉。
海の波の音とお遍路の鈴の音が心に残る。
別れた最愛の奥さんが来てくれて良かったねぇ。
「こんなよい月を一人で見て寝る」
人格的にアレだからこそ心に響く俳句が読めたのだろう
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物語の半分(か、それ以上)は放哉のお酒の失敗エピソードなわけですが、“酒”というよりは“病”というものが、あるいは、“金が無い”ということがどれだけ人を卑屈にさせ、孤立させるものなのかと恐ろしくなった。
最初に放哉の心に巣食った病はなんだったのか。
物語が始まる頃には既に終わりが始まっていて、知る由もない。
妻にも見捨てられ、彼には小豆島の寂しい庵しか、行くアテがない。
徐々に衰えていく身体から削り出されたかのような言葉は、どれも骨のように白く軽い。
放哉の句を読むことは、彼の骨を拾うような行為だと思う。
圧巻は放哉絶命のシーン。
ワンカット長回しのような臨場感、緊張感。
これは吉村昭にしか書けない。
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どうしようもないアルコール中毒の俳人、尾崎放哉の最後をいとおしく描いた吉村昭の小説。戦艦武蔵などの戦記物しか知らなかった吉村だが、この放哉への心の寄せ方にこちらも心を動かされた。
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お酒は怖い…。一番の印象はこれ。才能があってもお酒に飲まれてしまう身体では、周囲も自分も損なってしまう。でも、お酒から離れられず醜い自分をさらし、あがきながらも生き永らえようとする放哉の姿は痛ましくも人間らしい。
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尾崎放哉の人間として最低な後半生を描く。いや前半生も最低な人間だったことも、章内のところどころで描かれており、典型的な才能のある禄でもない人間の人生と末期の苦しみがこれでもかと描写される。
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自由律俳句で有名な尾崎放哉の伝記小説。晩年の8ヶ月を描く。
尾崎放哉の俳句は、高校の授業で習った事がある。種田山頭火や高浜虚子、萩原井泉水などと共に明治大正の俳句について勉強したが30年経った今でも覚えているのは、山頭火の句と彼の「せきをしてもひとり」という哀愁漂う句くらいだ。
俳人の句は覚えていても、彼らの句がどのような背景で詠まれたのかは知らない。彼がどんな人物だったのか興味があって読んでみた。
彼は、東大卒で一流企業の重役を勤めながら、酒癖の悪さで身を崩し、妻には愛想を尽かされ、仏門に入るが酒のせいで上手く行かず、結核を患って死に場所を求めて小豆島に渡る。歌人としての才能は誰もが認めるのだが、酒のせいで堕落した生活は如何ともしがたい。正直、友人にしたくないタイプの人だ。それでも、才能を認める人達にとって、彼の存在は大きかった。プライドは高いけれど経済的に困窮して、多くの人にお金をせびる姿は哀れな感じもするけれど、それをサポートする人達がいるのは、この時代だからこそかもしれない。彼の人生は石川啄木と似ていて、共に才能を認められても、自分に対する甘さから自活する能力を失って厳しい時代を乗り切れなかった点がよく似ている。
この小説は、病に冒されていく様子の描写がいいと思う。著者も若い頃に結核を患ったそうだが、その体験をもとに病状が生々しく描かれている。彼の代表的な句も取り混ぜて、とても面白い小説になっていると思う。
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久しぶりに本を読みました。
尾崎放哉の、死に向かって一直線に向かう姿を、そして矛盾して抗う姿を、淡々と描いています。
生きることは、とてもかなしい。
Posted by ブクログ
「咳をしてもひとり」「いれものがない両手でうける」が中学校の国語の教科書(三省堂)に掲載されている。それらは自由律俳句の代表作として所収されているが、そを作った俳人尾崎放哉(おざきほうさい)の晩年を、吉村昭が描いた伝記文学。
放哉は、東京大学を卒業したエリートで、俳人としても認められている存在だった。しかし、酒癖の悪さが原因で仕事を追われ、妻とも別れて、俳句同人の、井上を頼って小豆島に渡る。そこで、 寺の離れの庵守りとして暮らし始める。
放哉は、生活力がないので、島の名士の井上や寺の住職、島の外の俳句仲間に無心をする。相手のちょっとした態度にすぐに怒ったり、同じ相手にちょっと親切にされると、感謝感激したりする。大人気ない。私はそれを読むと自分のことのように思えた。放哉の様に辛辣なことは言わないし、罵詈雑言も吐かないが、すぐに揺れる心持ちが同じだ。
結核菌に侵された最晩年は、何も食べられなくなりシゲ婆さんに世話になる。このシゲ婆さんがとても素晴らしい人で、他人の放哉に自然に当たり前のように世話をする。この本を読んでいる時、自分ばかり家事をやっていて腹ただしいと思うことがあった。でも、シゲ婆さんを思いすと何て小さいことでと考えること自体が馬鹿らしくなった。
読んでいて、放哉、オイオイと何度も思った。魅力的だが、周りは大変過ぎる。