【感想・ネタバレ】零式戦闘機のレビュー

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Posted by ブクログ

零式戦闘機の誕生から終焉まで、史実とともに読むことができます。開発者と発注元である軍部との関係や、実戦で示された最新鋭機の活躍、製造工場から飛行場までの輸送手段に牛や馬が使われていたことなど興味深い逸話も知ることができました。
吉村さんの作品は『熊嵐』以来でした。他の作品も手に取りたいと思いました。

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2023年12月15日

Posted by ブクログ

面白かった。飛行機の技術後進国だった日本が堀越二郎等の必至の努力と独創性で欧米を凌駕する驚愕の飛行機零戦を開発した。開発後の活躍とその黄昏を描いた作品。
普通新兵器は2年もすれば他国に追いつけれるものだが戦争末期までこの零戦はナンバーワンの性能を保っていた。逆に考えるとと物凄い先進的な技術なので他国が追いつく迄に時間を要したということ。
最後の方で地震の後空襲を受け工場が凄惨な状況になる。
描写が精緻なだけに暗澹たる気持ちになった。

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2022年03月13日

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軍部からの無茶な要求をできるだけ満たそうと思いつく限りのアイデアと改良を詰め込んだ結果、よもや大傑作の戦闘機が誕生してしまった。
その零式戦闘機が中国での初戦から太平洋戦争の半ばまで無敵を誇り、連合国側を恐怖に落し入れた。
大戦終盤には特攻機として無残に散っていくが、その姿は日本の太平洋戦争の興亡そのままである。
当時、世界に誇る戦闘機を作ったが、部品を調達するにもリュックを背負って電車で調達に行ったり、完成した機体を牛馬に引かせて砂利道を空港まで引かせたりと、全体最適が苦手な日本は今でも相変わらず健在だ。

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2020年12月15日

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ネタバレ


随分前に、柳田邦男の「零戦燃ゆ」を読んで
全6巻という、あまりにも長くて難しい作品だったため
太平洋戦争モノでも
零戦関係は、もういいかなぁーと思ってたところ

吉村昭の『戦艦武蔵』を読んでしまったからには
零戦も避けては通れないよなぁーと 笑

吉村先生なら、きっと
違う切り口だろうと、期待を込めて…


三菱名古屋航空機製作所で
初めて、艦上戦闘機が制作されたのは
大正十年十月

国産の航空機は存在せず
機体、発動機と共に
外国製航空機を輸入していた

その後も、外国機の制作権を入手して
外国人技師を招聘
その技術指導の元に
設計製作に従事していたに過ぎなかった


日本の造船技術が
世界的な水準を維持していた事と比較すると
航空機製作技術の水準は
欧米先進国から
大きな遅れをとっていた


第一次世界大戦終結後
それまで、木製又は
木と金属の組合せによる機体が常識的だったが
ドイツで開発された
ジュラルミンの製造が
日本を含めた、戦勝国側に譲渡された事で
陸海軍、民間企業を含めた
技術者が、ドイツへ留学する


昭和7年に勃発した、上海事変をキッカケに
国産軍用機製作技術の
自立を目指すこととなった

海軍は、横須賀に
海軍航空廠を設立し
民間航空機製造会社を
積極的に指導するようになった


そんな経緯から
三菱名古屋製作所の首脳部は
五年前に、東京帝国大学工学部航空学科を卒業し
入社した、30歳の堀越二郎技師を抜擢

研究熱心で、一切の妥協を許さぬ堀越は
社内でも、特異な存在として
高い評価を得ていた

入社後
イギリス、ドイツ、アメリカの航空会社を視察
特に、ドイツでは
機体設計研究をした実績もあった


若くして、設計主務者という大任に
当惑と、深い孤独感に陥るが
海軍からの戦闘機に対する
計画要求は、かなりの高水準が要求された

それまで、世界中で主流だった
複葉型の戦闘機から
無支柱単葉型という
独創性に満ちた設計をした

資料が極めて乏しい中
機の細部構造にも、新たな創意を凝らし
七試艦上戦闘機の試作機が完成

二機の試作機は、飛行実験に耐えられずに墜落
死者は出なかったものの
完全に無に化した


再び、海軍からの発注を受けた
単座戦闘機は
空気抵抗を減らし、機体の重量も
出来るだけ軽くすることに努めた

試行錯誤の結果
最高時速440キロ余りという
海軍から要求された速度を
100キロも上回る機を作り上げた

この高速戦闘機は
その後、一部の改良を加え
艦上戦闘機としての実用的な機能も備え
九六式艦上戦闘機として
正式に採用された


その後の飛行実験から
格闘戦性能も、九五式を遥かに越えた
画期的な戦闘機であった

この新戦闘機の出現が
小中型機の設計理念の進むべき方向を示し
一気に、日本の機体設計技術を
世界的水準まで引き上げた


じわじわと世界情勢が緊張感を増してきた中
前回よりも、遥かに厳しい要求を秘めた
「軍極秘」の発注を受ける事になる

速度、上昇力、旋回性能、航続力
離着陸性能、兵装艤装など
全ての要求項目は
互いにその性能を減殺し合う性格を持ち
一流の戦闘機の水準を遥かに越えたものだった


僅かに、余地といえる一点は
操縦席と燃料タンクに対する
防弾措置が無視されているところだった

血の滲むような研究と試作を重ねて
漸く完成した試作機は
牛車二台に分載されて
名古屋の航空機製作所から
各務原飛行場へ運ばれていった

製作所の近接に、飛行場を持っていないために
45キロの道程を、24時間もかけて
各務原飛行場まで
牛車で試作機を運ぶ

速度の速い航空機を
牛車で運ぶという事には
社内でも批判的な意見があったが

道幅が狭く、悪路を進む上で
機体を損傷させないための、唯一の輸送方法だった

欧州大陸では、ドイツ軍の侵攻が続き
日本をめぐる周囲の情勢も
ますます複雑な様相となってきた

中国大陸の戦火は
予想を超えて拡大し
収拾のつかない、長期戦に陥っていた

テスト飛行を、何度も重ね
都度改修を行った機体は
海軍の試乗テストも重ね
順調な成績をもって終了

航空廠と横須賀航空隊で
実用実験を繰り返した
十二試艦上戦闘機は

全ての問題点が解決し
海軍の正式戦闘機として採用された

その年の紀元2600年を記念して
その末尾をとり
零式艦上戦闘機11型と命名された

初戦は、中国重慶上空
陸上攻撃機の爆撃後
中国空軍戦闘機群が、重慶上空に戻って来た所を襲撃
敵戦闘機27機、零戦闘機13機だった

凄まじい空中戦を繰り広げた結果
残存する敵機は無く
僅か10分程で激烈な大空中戦が終わった

零式戦闘機の性能は
予想を遥かに超えた素晴らしいものだった

海軍内部の喜びは大きく
海軍航空本部は
この機を生んだ制作会社に対して
異例の表彰を決定
また、零式戦闘機の将来性を認め
大量生産に踏み切った

11月26日、アメリカ国務長官から
日本に手交された「ハルノート」により
日本陸海軍首脳部は、開戦を決意する

12月1日の御前会議に於いて
開戦日も12月8日と決定

対米英蘭戦に対する作戦計画は
真珠湾攻撃と、陸軍の南方侵攻作戦による
在東洋艦隊、航空兵力を壊滅する事に大別されていたが
そのいずれも、航空戦を主体とするものだった

真珠湾攻撃の奇襲に成功
暫くは、目覚ましい成果を上げていった

三菱重工名古屋航空機製作所では
工場の機能を最大限に振り絞って
軍用機の生産に取り組んでいた

作業面積も7倍に拡張され
工員の数も5倍に達していた
更に、陸海軍の第二次拡充命令によって
新たな航空機製作所の建設や
飛行場、格納庫の建設も計画された

名古屋航空機製作所では
相変わらず、完成した機の胴体や翼を
分載した牛車で運搬していた

それに対し、アメリカでは
大増産計画を打ち立てていた

日本陸海軍が、増産と改造に追われて
汲々としていたのに比べ
多数の優れた設計者達によって
新機種の設計試作が行われ
労働環境の良い工場で
優秀な工作機械も豊富で
航空機の生産は、流れ作業で順調に進められていく

昭和19年秋には
徴用工以外に、女子挺身隊や勤労学徒も動員され始め
部品の供給が、著しく低下してきた

部品や、機械以外にも
あらゆる日常必需仏師の欠乏により
休む間も惜しんで飛行機生産に励んだ

その頃の戦局は、最終的な段階に近づき
世界史上、前例のない
飛行機による、特別攻撃隊の出撃が考案された

前年に、一戦闘機が
B17に体当り撃墜したのを始めとして
翌年、陸軍戦闘機隊四機が
自発的にアメリカ艦艇に突入して
敵艦を撃沈していた

壮烈な体当り攻撃は
たちまち全軍に伝えられ
必死必殺の肉弾攻撃を行わざるを得まいという
気運が濃厚になって来た

そうした中
「零式戦闘機に、爆弾を装着させて突入する」という作戦が
組織的に行われる事となる

日米戦争の、一特徴ともなった
壮絶な体当たり攻撃は
初回の突入に端を発して
規模を大きくしていった

飛行機は、若者を乗せた一種の爆弾と化し
太平洋は、祖国の危機を救おうと願う
若者達の壮大な自殺場と化した

特別攻撃隊の相次ぐ突入は
アメリカ軍の一大脅威となった
殊に、アメリカ軍将兵に与えた恐怖は激しく
夥しい発狂者が出るようになった


やがて、戦局も終盤
沖縄本土上陸を許した日本軍は
あらゆる戦闘機から、練習機に及ぶまで
特別特攻隊として
多くの犠牲者を出した




「中国大陸での戦争から、太平洋戦争の終結まで
代表的兵器の一つであった
零式戦闘機の誕生から、その末路までの経過を辿ることは
日本の行った戦争の姿そのものを辿る事になる
という確信が、私に筆をとらせた」

と、あとがきにあるように
まさに、渾身の作品である

フィクション、ノンフィクション含めて
まあまあな数、戦記物読んできた中で
最高峰と言っても過言ではない

第二次大戦の流れから
日本とアメリカのモノの考え方の違い
ヨーロッパの情勢
設計者の苦悩や、将校達其々の思い
情報を遮断された、市井の人々

などなど
過不足なく、しっかりと描かれている

備忘録がてら、あらすじをまとめようとしても
どの部分も全く外すことができず
読書感想文の体をなしていないのが
我ながら、ほんと恥ずかしい

感情的な部分は、一切排除して
淡々と筆を重ねていく手法は
本作でも、変わらないのだけど

吉村氏が、如何に戦争を憎み
忌み嫌うかが、行間から滲み出ている

戦争を知らない世代こそ
一度は読んだ方が良いと思われる良作である事は間違いない



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#三菱重工名古屋航空機製作所
#各務原飛行場
#堀越二郎
#この作品は絶対に読むべき
#吉村作品中best3に入る

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2020年08月22日

Posted by ブクログ

吉村昭が書いた歴史文学の傑作の一つ。

ゼロ戦(零式戦闘機)の誕生からその最後までを綴ることにより、太平洋戦争を描き出した傑作小説。
恥ずかしい話だが、戦争末期のゼロ戦が無残に米軍の戦闘機や対空砲火に撃ち落とされていくイメージが強く、ゼロ戦もまた世界の水準に到達しえない兵器であり、そんな兵器で戦わされた将兵の悲哀のみ感じていた。

しかし、この本で描かれていたゼロ戦は、私の思っていたものと全く違っていた。
相反する要素を含んだ厳しい戦闘機の仕様に技術者堀越二郎が心血を注いで答えた結果生み出された航空機は、当時類を見ない長大な航続距離と速度そして優れた格闘戦能力を持った世界最強の戦闘機であった。

中国で初めて実戦投入されたゼロ戦の初陣は凄まじいものであった。
ソ連製戦闘機を使用する中国空軍27機に対しゼロ戦は13機で攻撃する。
戦闘結果は中国空軍27機全機撃墜に対してゼロ戦の損失無しというものであった。
太平洋戦争前半も優れたパイロットの駆るゼロ戦は、欧米の戦闘機に対し圧倒的な力を示しそれは畏怖の対象となっていた。
しかし、ミッドウェー海戦により主力空母四隻を喪失し、日本の敗戦への流れが加速してゆく。
圧倒的な数の敵機に果敢に立ち向かい散ってゆくパイロット達、そしてやがてゼロ戦の性能を凌駕する戦闘機が続々と投入されてくる。

戦争の恐ろしさは、吉村氏が淡々と文章に記載した撃破された軍用機や艦船、戦死した兵員の数から伝わってくる。
なんという膨大な数の人命と資源が消費されているのだろうか。
膨大な数の人命が、戦争においては正にリソースとて消費するだけのものとしか扱われていない事実に背筋に悪寒が走る。
しかもその傾向が特に顕著なのは米国より日本の方である。
戦争が長引くにつれ市民の被害も拡大していく。
米軍の爆撃機に攻撃されたゼロ戦組み立て工場の描写は感情を排して事実を克明に記述しているが地獄絵図としか表現できない。

戦局が悪化するに従いゼロ戦の生産数も激減し、終戦の八月に生産された数はたった6機であったという。

冒頭、試作機が牛車で飛行場まで運ばれるシーンと、最後に焼け崩れた工場から馬(途中で牛から馬に切り替えられた)が出ていくところ印象的だった。
最新技術の結晶たる戦闘機を運ぶ牛や馬の姿が当時の日本という国の実情を如実に象徴しているような気がした。

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2018年01月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

随分と長い間積読にしていた。
なんで今読み始めたのか…分からない。吉村昭を読みたいなと思い、それと書き途中の原稿のこともあったのかな。

読みながら何度も鳥肌が立った。
感情を排して書かれた文章はより胸に迫る。ある時は部品の置かれた格納庫に、ある時は皆が駆け寄ってくる滑走路、そしてその物量に押しつぶされていくしかない戦場に、自分も立っているような気持だった。

いつも思うのは、日本軍だから、なのではなく、日本人だからこうなったということ。
国力とは何か、きれいな言葉の裏にある、それを支える土台の危うさ、そういったものも思い返すことになって、読み終えた時ひどく疲れた。

また時折読み返したい本。

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2017年06月25日

Posted by ブクログ

零戦が企画される前から終戦までを追う。零戦が作られる上でどのような苦労があったか、裏話など大変おもしろい。

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2015年12月01日

Posted by ブクログ

 ゼロ戦の誕生から末期までを描いた小説で、人ではなく兵器から見た戦争ものである。ゼロ戦がこんなにも圧倒的な性能を有していたとはうかつにも知らなかった。
 劇的なデビュー、華々しい活躍、悲惨な戦場、やがて哀しく終えるのだが、感情を抑えた表現はかえってそれらが胸を打つ。さすがの吉村昭である。この人の小説はすべておもしろく、はずれがない。
 

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2014年10月31日

Posted by ブクログ

零式戦闘機の開発、その後迎えた絶頂期から特攻まで、零戦を中心とした日本の戦局が描かれています。記録的な書き方をされているので、読んでいても必要以上に感情的にならなくて済みます。大人になってから戦争関連の本を読むと、小学校で「ガラスのうさぎ」とかを読んでいた頃とは全く違った印象を持ちます。国民(特に子供)目線の話は、ただただ「悲劇」として、「こんな怖いことは二度と繰り返しちゃ駄目だよね」的なメッセージしか受け取れないけど、戦局や軍部の動きが分かる本を読むと、人間の愚かさや弱さや恐ろしさが非常によく分かります。こういうのこそ高校や大学で必修にしなきゃいけないんじゃないのか?恐らく個々の軍人には人間的にも素晴らしい人も多かったのでしょうが、戦局が悪化して以降の戦い方全般があまりにも非現実的。勿論そこには、日本人的な精神だったり、社会体制だったりも影響しているのでしょうが…。

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2014年03月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『永遠の0』を読んで感動したのと、作者が吉村昭だったのとで読んでみたのだけど、零戦が名古屋で作られていたとは知らなかった!知っている地名やなじみのある地名がたくさん出てきて、予想外におもしろかった。
まず冒頭の、試作機が牛車にひかれていく鶴舞から布池、大曽根という旧市電の道は、高校時代の通学路。たどり着いた先の各務原の飛行場ではその昔、父方の祖父が徴用されて飛行機を作っていたそうだ。ひょっとして零戦だったんだろうか…?そして名古屋が大地震に見舞われたあと工場疎開した先のひとつが松本の片倉紡績工場。学生時代、毎日のようにお世話になっていた、カタクラモールよね??牛車に変わって飛行機を運ぶことになったのペルシュロン種という馬は、帯広ばんえい競馬のばん馬にもなる種類だし。そういえばナゴヤドームも三菱重工業の跡地だ。
東京大空襲や硫黄島の決戦や南方での海戦とかは、映画やドキュメンタリーでけっこう知っていたけど、地元名古屋が戦時中どうだったかというのは案外知らなかったので、とても新鮮でした。

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2014年05月06日

Posted by ブクログ

きっかけは”風立ちぬ”でもなければ”永遠の0 ”でもなく
”艦これ”だ!(笑)

吉村昭作品はそれなりに読んでいたつもりだが、まだ未読作品が多いなと反省^^;

この種の本を読んだときにいつも思うことですが
あらためて、あの戦争は無理して・背伸びしてやった戦争だったんだ・・・
と思い知らされる。
して「本気で戦争をやる気があったのか!」とツッコミを入れたくなる・・・(理不尽なツッコミですが^^;)

道路や輸送手段が未整備で飛行機を工場から基地まで牛車や馬車で運んでいたとは知らなかった・・・。
そうだよね、作ったモノは運ばないと・・・。

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2013年10月16日

Posted by ブクログ

零式戦闘機が生まれるまでのストーリー。海軍の高い要望と三菱重工の設計者である堀越二郎の奮闘を描いている。話題の映画「風立ちぬ」だけでは表しきれないほど泥臭く、死者も出るほどの技術者の戦いが興味深い。戦闘機の試作と試験を重ねに重ね、高い要望を克服する日本人ならではの職人気質が、当時技術面で世界から遅れていると思われていた一般論を覆した。付録ページに零戦の設計図と部品名が書かれているので、それを参照しながら読むと更に面白いかもしれない。

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2013年09月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

紀元2600年、つまり零年に颯爽と中国の上空で空中戦において圧倒的な勝利を収めた零戦の緒戦での大活躍、そして4年後の戦争末期(昭和19年)も後継機が登場せず、米英の最新鋭機と闘う老兵としての零戦。この段階でも零戦の戦闘能力は引けを取らなかったが、米の物量の前に次第に劣勢に。これだけ制空権を握っていながら、新鋭機を開発できない日本はやはり負ける運命にあったのでしょう。零戦が海軍から常識はずれの極めて高い速度、航続距離、離陸・降下速度、銃などの装備、空戦機能を目標として提示され、実現していった三菱重工の技術者に思わず、今の自分の使命を重ねてしまいました。そして、その圧倒的な能力が米英ソ等の戦闘機を圧倒したのです。これも秀作でした。

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2013年08月24日

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 欧米に比べて格段に劣る工業力しかなく、航空技術でも一歩どころか、二歩も三歩も遅れていた日本が、突如として、世界でも群を抜く最新鋭の戦闘機を作りだした。 最高速度も旋回能力も航続距離も、そして攻撃力もそれまでの常識をはるかに凌ぐ戦闘機の誕生は皇紀2600年に海軍に正式採用され「零式戦闘機」、通称「零戦」と呼ばれた。


 中国大陸での快進撃の報に接しても、欧米は誤報と信じて疑わなかった。極東の二流国がそんな戦闘機を作れるとは想像だにしなかった。航空先進国の驕りと、黄色人種蔑視ゆえに、零戦に対する欧米の情報収集は遅れ、対策は皆無だった。欧米各国が零戦の驚くべき能力に刮目したのは太平洋戦争が開戦してからだった。


 零戦は無敵だった。敵機全撃墜に対して撃墜された味方はゼロということが何度もあった。10に1つも負けない。文字通り無敵だった。太平洋戦争における真珠湾奇襲と南方戦線の電撃勝利は零戦が敵戦闘機を悉く戦闘不能にしたことが大きい。


 『零式戦闘機』には、あまりにも高い軍の要求を技術者たちがいかにしてクリアにしたかという経緯が事細かに述べられている。その設計思想や、試作機の事故からわかった欠点の改良、そして機体を軽量化するためになされた技術革新。零戦は熟練した職工たちの技術の高さが可能にした、日本人にしか作れなかった奇跡の戦闘機だ。


 しかし、そんな戦闘機を工場から配備先の飛行場に運ぶまでに使われた動力は、なんと牛だ。舗装された道路が少ない日本では、トラックで運ぶと機体に負担がかかり過ぎ、躯体が歪んだり、穴があいたりした。牛に曳かせてゆっくりと24時間かけて運ぶ。道路を舗装すればいいじゃないかと思うが、高低差の激しい日本の国土を平らに舗装するほどの重機や予算もなかった。
 開戦当初はそれでも良かった。なにせ零戦は無敵だったし、撃墜され、機体数が減ることはほとんどなかったから。しかし戦局の悪化とともに、この原始的な運搬能力しかないことが、後々大問題になってくる。


 占拠した島に大型重機を続々と次ぎ込み、一気に飛行場を建設してしまうアメリカ軍と、鶴嘴とスコップによる人力で飛行場をつくっていた日本軍の差のように、国力の差が運搬方法にも表出していた。


 この本には戦争末期の特攻作戦に関する記述はあまりない。あくまで零戦とはいかなる性能の戦闘機で、いかに敵を圧倒し続け、そしていかに落日の時を迎えたのかが書かれている。まるで人の一生のように零戦の一生が書かれている記録文学の傑作だ。


 零戦は攻撃力に優れている一方で防御力(防弾装備)がほとんどない。それに対して、「人命軽視」だという意見もある。でもそれは違うと思う。仮に欧米と同じように防御に優れた「並み」の戦闘機を作っていたら、工業力に10倍以上の差がある米国と戦争を始めることすらできない。戦う前から負けが見えている。


 零戦の設計思想を敗戦後にとやかく言うのはおかしい。開戦の時点では、あれがベストだ。というより実現したことが奇跡だ。「人命軽視」どころか無敵を誇っていたし、撃墜もほとんどされない。撃墜されて命を落としていたのは、防御力に優れた敵戦闘機ばかりだ。「人命軽視」という捉え方はいかにもおかしい(これは吉村昭氏の意見ではなく、私個人の意見)


 零戦は強すぎた。そのため後継機種の開発が遅れた。それが零戦の凋落の一因だ。豊富な資源と工業力、経済力で米国が新型機を続々と投入し、次第に零戦を窮地に追い込んだ。その辺りの記述もこの本の中では詳しい。


 特攻機としての零戦はすでに老齢期の姿だ。その前に青年期の零戦の勇姿を知っておいてもいいのではないだろうか。零戦が日本人の心のみならず、敵国であったアメリカ人の心も捉えて離さない理由がきっとわかる。
 

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2017年08月15日

Posted by ブクログ

戦闘機という主人公が、生まれて死ぬまでのストーリーを当時の情勢と照らし合わせて描かれた一冊。欧米の模倣で生産されていた日本製戦闘機が、海軍厰と三菱重工設計者・その他全関係者の熱意と努力で世界一の性能に達し、第二次世界大戦にておよそ3年間は他を寄せ付けぬ大活躍を見せるが、米国の圧倒的な技術力・開発力・生産能力・人材資源を前に機も国家も敗れる。小説は敗戦と共に終わるが、その後のGHQによる統治で戦闘機生産は規制され、日本の航空機産業は競争力を失うも、50年以上を経た今、三菱は新たに旅客機でリベンジを図る訳ですな。とにかく歴史・技術・人間模様が見事なバランスで書かれていて、とても楽しめた!

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2013年10月04日

Posted by ブクログ

日本人の巧の技術を集め、不可能ともいえる厳しい要望を満たし、完成したゼロ戦。かつてない機動性と長距離飛行能力を備え、日中戦争への投入初期は敵無し状態。

しかし、あまりにも高性能だったため、日本軍の過信を招く。大型戦闘機が空中戦の主役になる時代にも、日本軍はゼロ戦に頼ろうとする。

結局、敗戦濃厚となった頃、性能を充分に引き出せるパイロットがいなくなりゼロ戦は特攻機として使われる。

最高の技術に与えられた最低の戦術。稚拙な日本軍の犠牲となった不運な戦闘機だ。

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2013年08月31日

Posted by ブクログ

「攻撃は最大の防御」と言う考えは大戦当時の日本軍の愚かな考えから来てた言葉なのか…
漫画なんかを通して美化された言葉として受け止めていたなぁ

第1線で4年間も活躍した戦闘機を日本の人達が作った事はとても誇らしく感じるけれど、重慶爆撃での活躍の場面で強い主人公が無双するような高揚感を少し感じてしまうのはなんとも言えない気持ち…
パヤオが良く言うのは戦争に対するこういった受け止め方なのか

遊就館や太刀洗記念館で実物見ましたが、沢山の人達の努力の結晶だとゆう事がまじまじと感じられ、とても感慨深かった

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2024年05月15日

Posted by ブクログ

「吉村昭」のノンフィクション作品『零式戦闘機』を読みました。

『東京の下町』、『歴史の影絵』に続き「吉村昭」作品です。

-----story-------------
日本が誇った名機を通して戦争の本質を抉り出した記録文学の大傑作。

昭和十五年=紀元二六〇〇年を記念し、その末尾の「0」をとって、零式艦上戦闘機と命名され、ゼロ戦とも通称される精鋭機が誕生した。
だが、当時の航空機の概念を越えた画期的な戦闘機も、太平洋戦争の盛衰と軌を一にするように、外国機に対して性能の限界をみせてゆき……。
機体開発から戦場での悲運までを、設計者、技師、操縦者の奮闘と哀歓とともに綴った記録文学の大巨編。
-----------------------

日本が世界に誇る傑作機で、当時の航空機の概念を超えた画期的な戦闘機… その無類の能力により敵国のパイロットを恐怖に陥れた零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の隆盛を通じて、日中戦争(重慶爆撃)から太平洋戦争における日本の緒戦の勝利、そして終焉(敗北)までの軌跡を冷静な筆致で描いた作品です。

ゼロ戦が長距離飛行能力と格闘能力に優れた精鋭機であり、傑作機であることは知っていましたが… 初期の戦果が、ここまで凄まじかったとは知りませんでしたね、、、

もちろんパイロットの技量も優れていたのでしょうが、ゼロ戦があったからこそ、そのスキルを存分に発揮することができたんでしょうね。

読み進むにつれて、太平洋戦争が日本にとって勝ち目の無い戦いだったことにに改めて気付かされました… そして、本作品の素晴らしさは、「堀越二郎」等の三菱重工業で設計や開発に携わった技師たちや実際の戦闘に携わった兵士たちだけでなく、三菱重工業名古屋航空製作所で厳しい労働環境の下で製造に携わった勤労学生等の市井の人々を描いていることだと思います、、、

敗戦前年の大震災や空襲による甚大な被害状況や、牛や馬を使って各務原飛行場への輸送等… 戦闘場面以上に印象に残る場面でしたね。

ゼロ戦を描いた秀作だと思います。

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2022年09月27日

Posted by ブクログ

太平洋戦争における日本の象徴でもあるゼロ戦。開発者たちの飽くなき探求心、人命を疎かにした意思決定、大地震後の空襲による勤労学徒などの惨たらしい死にざま...。目を背けてはならないものがここにある。『戦艦武蔵』とセットでどうぞ。

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2021年09月12日

Posted by ブクログ

神がかった性能を誇った零式戦闘機を通して、第二次世界大戦を描いた話。

零戦を使い、最初は優勢に見えた米国との戦争だったが、その工業力にかなうはずもなく、どんどんつんでいく日本の様子が淡々と描かれている。

最終的に零戦は特攻機として使われ、製造工場は地震と空襲でボロボロになり、その運命は哀れに思える。

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2021年06月22日

Posted by ブクログ

零式戦闘機、いわゆるゼロ戦がその名を轟かせている理由がこのドキュメンタリーにより理解できる。その十数年前までは、欧米に学ぶしかなかった航空技術は、戦闘機を世界一の座に4年余りも君臨させた。戦争は技術を過激なまでに進歩させる。もちろん戦争に利用するものではないことは言うまでもない。特攻機の描写には戦慄が走った。戦争の愚かさ、事実を忘れてはならない。2021.4.30

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2021年04月30日

Posted by ブクログ

優れた技術者とその傑作零式戦闘機の華々しいストーリーは日本人として読んでいて誇らしかった。
緻密さや真面目さは日本人が得意とするところだと本気で思う。(口に出してはいけない)

敗戦が続き出した頃、資源が足りなくなってきた頃からの軍の判断と意識は異常。まさに盲目。人命さえも爆弾保持装置くらいにしか考えられなくなる恐ろしさ。一般市民もそれが当たり前と思っていたとは。

全員気がおかしくなっていたんだろう。生涯この感覚を理解できないであろうが理解したくもない。

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2017年02月27日

Posted by ブクログ

戦艦武蔵と並ぶ吉村昭の戦争文学の傑作。零戦の開発から重慶爆撃・パールハーバーでの活躍、ソロモン・レイテでの苦闘、そして生産もままならない戦争末期の名古屋工場が地震と空襲で学徒の命と共にほぼ壊滅する終戦までを、零戦を軸に描く。
冒頭と掉尾を飾る零戦運搬用の牛馬の姿が、戦前の歪な工業国家としての日本の姿を鮮明に浮かび上がらせており、つくづくと上手い。

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2016年10月19日

Posted by ブクログ

国力の差か。
零式艦上戦闘機は、航空後進国の日本が生み出したとは誰も信じないほどの突出した性能(=質)を備えていたが、日本の国力が量を生産できなかった。
国力の差とは第一に量なのか。戦争とは量なのか。

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2014年09月15日

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「永遠のゼロ」を読み終えて、この小説を知りました。記録小説と言うものがあるとすればこの小説のことでしょう。この作家の作品は初めて読みましたが、読み応えのあるものでした。ゼロ戦は本当に凄い戦闘機だったのが分かります。ゼロ戦の高水準の性能を背景に太平洋戦争に突入して行ったように感じました。序盤では向かうところ敵無しの状況で、圧倒的な勝ち方でした。格段の性能に海軍が妄信して更なる戦争拡大に突き進んでしまったようです。戦争末期まで性能の優位性は保たれていましたが、残念ながら後続機を開発する余力がなかったのが残念でした。また出だしに詳細に書かれていますが、組立て前の戦闘機パーツの国内移動手段がまさか牛車だったとは正直驚きでした。

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2013年11月06日

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〜13.10.22
日本の航空技術が世界を超えたことを零戦によって示された。それまで日本は海外の技術の真似でそれが最善だと考えてた。九六艦戦で追いつき、零戦で抜いたという印象を持った。
その零戦の質に賭けて日本があの大戦に突入していったようにも思える。

アリューシャン海戦でその質の神秘性が薄らぎ、日本全体の神秘性も失われアメリカの物量による押しに負けたように思う。

また、その戦争の裏でどのように製造されていたかもしっかりと描いている。戦場の側面と実際の製造現場の2つの側面からより客観的に零戦について知ることが出来た。
また牛車の輸送からも日本自体の未熟さも感じさせ、逆に零戦という世界水準を超える技術を持ったことの日本軍の思いの強さがあると思った。

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2013年10月23日

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ネタバレ

当時の世界トップレベルの戦闘機だった零戦を軸に、開発から終戦まで丁寧に描き出す。

一切の感情を排したドキュメンタリーのような小説だったけど、それが却って悲惨さ無謀さ必死さを伝えてた。パブアニューギニア、硫黄島、学徒動員の名古屋軍需工場への空襲とか、つらい過去。何度も何度も思うけど、何故に開戦に踏み切ったのか。せめて、終戦をもう少し早められなかったのか。

工場から飛行場まで牛車で戦闘機を運んでるのにかなり驚いたんだけど(@風立ちぬ)、飼料不足、牛の疲労、長時間に渡る運搬時間を解決するために取られた方法が、今度は馬だったって…。こういう国力、圧倒的な工業力の差を分かっていても開戦したのは、無謀?勇気?

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2013年08月22日

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零戦を通してみた、第二次世界大戦というのが正しいだろう。零戦を超えた戦闘機が現れたという書き方をしなかったのが、救いではあるが、あまりにも経済力、工業力が違いすぎアメリカに完敗してしまったのである。
日露戦争の幻想を引きずっていたのは間違いないだろう。

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2016年01月30日

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無茶な要求を乗り越え作成した戦闘機。
要求をほぼ満足したその機体の性能は世界一。
なんだけど、人命軽視な姿勢は、恐ろしい。
裏付け無いまま、、、
技術者として、無理無茶な要求にも答える姿は学びたい。

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2015年06月16日

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第二次世界大戦を、零戦の歴史とともに振り返る。

戦争を美化することも、零戦を美化することもできない。



ただ、特攻のイメージが強い零戦であったが、
零戦が恐れられていたのは、その捨て身の攻撃だけでなく、機体性能にもあったことを知った。

そして、開発の裏側も。

なぜ、防弾設備がない戦闘機ができてしまったのか、
なぜ、特攻のようなかたちにはしっていってしまったのか。

たしかに、設計者の苦労はすごい。
技術力があったということだろう。

しかし、
物量や資本で劣る日本の限界は、悲しいくらいである。

もどかしいくらいの悲しい歴史。

なんども言うけれど、美化はできない。
零戦や日本のパイロットがどれだけ優れていたとしても、美化はしたくない。

“出羽は、近代的な飛行機工場の機体運送が牛によるものであることにすっかり呆れてしまったらしく、各務原飛行場についてもしばらくの間黙りこんでしまっていた。やがれかれらは、異口同音に「ペルシュロン」という言葉を口にした。
「なんです、それは」
田村が、いぶかしそうにたずねた。
「馬の種類ですよ」
卓次郎が、言った。”

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2013年08月31日

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