ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
昭和十五年=紀元二六〇〇年を記念し、その末尾の「0」をとって、零式艦上戦闘機と命名され、ゼロ戦とも通称される精鋭機が誕生した。だが、当時の航空機の概念を越えた画期的な戦闘機も、太平洋戦争の盛衰と軌を一にするように、外国機に対して性能の限界をみせてゆき……。機体開発から戦場での悲運までを、設計者、技師、操縦者の奮闘と哀歓とともに綴った記録文学の大巨編。
ブラウザ試し読み
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
零式戦闘機の誕生から終焉まで、史実とともに読むことができます。開発者と発注元である軍部との関係や、実戦で示された最新鋭機の活躍、製造工場から飛行場までの輸送手段に牛や馬が使われていたことなど興味深い逸話も知ることができました。 吉村さんの作品は『熊嵐』以来でした。他の作品も手に取りたいと思いました。
面白かった。飛行機の技術後進国だった日本が堀越二郎等の必至の努力と独創性で欧米を凌駕する驚愕の飛行機零戦を開発した。開発後の活躍とその黄昏を描いた作品。 普通新兵器は2年もすれば他国に追いつけれるものだが戦争末期までこの零戦はナンバーワンの性能を保っていた。逆に考えるとと物凄い先進的な技術なので他国...続きを読むが追いつく迄に時間を要したということ。 最後の方で地震の後空襲を受け工場が凄惨な状況になる。 描写が精緻なだけに暗澹たる気持ちになった。
軍部からの無茶な要求をできるだけ満たそうと思いつく限りのアイデアと改良を詰め込んだ結果、よもや大傑作の戦闘機が誕生してしまった。 その零式戦闘機が中国での初戦から太平洋戦争の半ばまで無敵を誇り、連合国側を恐怖に落し入れた。 大戦終盤には特攻機として無残に散っていくが、その姿は日本の太平洋戦争の興亡そ...続きを読むのままである。 当時、世界に誇る戦闘機を作ったが、部品を調達するにもリュックを背負って電車で調達に行ったり、完成した機体を牛馬に引かせて砂利道を空港まで引かせたりと、全体最適が苦手な日本は今でも相変わらず健在だ。
吉村昭が書いた歴史文学の傑作の一つ。 ゼロ戦(零式戦闘機)の誕生からその最後までを綴ることにより、太平洋戦争を描き出した傑作小説。 恥ずかしい話だが、戦争末期のゼロ戦が無残に米軍の戦闘機や対空砲火に撃ち落とされていくイメージが強く、ゼロ戦もまた世界の水準に到達しえない兵器であり、そんな兵器で戦わさ...続きを読むれた将兵の悲哀のみ感じていた。 しかし、この本で描かれていたゼロ戦は、私の思っていたものと全く違っていた。 相反する要素を含んだ厳しい戦闘機の仕様に技術者堀越二郎が心血を注いで答えた結果生み出された航空機は、当時類を見ない長大な航続距離と速度そして優れた格闘戦能力を持った世界最強の戦闘機であった。 中国で初めて実戦投入されたゼロ戦の初陣は凄まじいものであった。 ソ連製戦闘機を使用する中国空軍27機に対しゼロ戦は13機で攻撃する。 戦闘結果は中国空軍27機全機撃墜に対してゼロ戦の損失無しというものであった。 太平洋戦争前半も優れたパイロットの駆るゼロ戦は、欧米の戦闘機に対し圧倒的な力を示しそれは畏怖の対象となっていた。 しかし、ミッドウェー海戦により主力空母四隻を喪失し、日本の敗戦への流れが加速してゆく。 圧倒的な数の敵機に果敢に立ち向かい散ってゆくパイロット達、そしてやがてゼロ戦の性能を凌駕する戦闘機が続々と投入されてくる。 戦争の恐ろしさは、吉村氏が淡々と文章に記載した撃破された軍用機や艦船、戦死した兵員の数から伝わってくる。 なんという膨大な数の人命と資源が消費されているのだろうか。 膨大な数の人命が、戦争においては正にリソースとて消費するだけのものとしか扱われていない事実に背筋に悪寒が走る。 しかもその傾向が特に顕著なのは米国より日本の方である。 戦争が長引くにつれ市民の被害も拡大していく。 米軍の爆撃機に攻撃されたゼロ戦組み立て工場の描写は感情を排して事実を克明に記述しているが地獄絵図としか表現できない。 戦局が悪化するに従いゼロ戦の生産数も激減し、終戦の八月に生産された数はたった6機であったという。 冒頭、試作機が牛車で飛行場まで運ばれるシーンと、最後に焼け崩れた工場から馬(途中で牛から馬に切り替えられた)が出ていくところ印象的だった。 最新技術の結晶たる戦闘機を運ぶ牛や馬の姿が当時の日本という国の実情を如実に象徴しているような気がした。
零戦が企画される前から終戦までを追う。零戦が作られる上でどのような苦労があったか、裏話など大変おもしろい。
ゼロ戦の誕生から末期までを描いた小説で、人ではなく兵器から見た戦争ものである。ゼロ戦がこんなにも圧倒的な性能を有していたとはうかつにも知らなかった。 劇的なデビュー、華々しい活躍、悲惨な戦場、やがて哀しく終えるのだが、感情を抑えた表現はかえってそれらが胸を打つ。さすがの吉村昭である。この人の小説...続きを読むはすべておもしろく、はずれがない。
零式戦闘機の開発、その後迎えた絶頂期から特攻まで、零戦を中心とした日本の戦局が描かれています。記録的な書き方をされているので、読んでいても必要以上に感情的にならなくて済みます。大人になってから戦争関連の本を読むと、小学校で「ガラスのうさぎ」とかを読んでいた頃とは全く違った印象を持ちます。国民(特に子...続きを読む供)目線の話は、ただただ「悲劇」として、「こんな怖いことは二度と繰り返しちゃ駄目だよね」的なメッセージしか受け取れないけど、戦局や軍部の動きが分かる本を読むと、人間の愚かさや弱さや恐ろしさが非常によく分かります。こういうのこそ高校や大学で必修にしなきゃいけないんじゃないのか?恐らく個々の軍人には人間的にも素晴らしい人も多かったのでしょうが、戦局が悪化して以降の戦い方全般があまりにも非現実的。勿論そこには、日本人的な精神だったり、社会体制だったりも影響しているのでしょうが…。
きっかけは”風立ちぬ”でもなければ”永遠の0 ”でもなく ”艦これ”だ!(笑) 吉村昭作品はそれなりに読んでいたつもりだが、まだ未読作品が多いなと反省^^; この種の本を読んだときにいつも思うことですが あらためて、あの戦争は無理して・背伸びしてやった戦争だったんだ・・・ と思い知らされる。 そ...続きを読むして「本気で戦争をやる気があったのか!」とツッコミを入れたくなる・・・(理不尽なツッコミですが^^;) 道路や輸送手段が未整備で飛行機を工場から基地まで牛車や馬車で運んでいたとは知らなかった・・・。 そうだよね、作ったモノは運ばないと・・・。
零式戦闘機が生まれるまでのストーリー。海軍の高い要望と三菱重工の設計者である堀越二郎の奮闘を描いている。話題の映画「風立ちぬ」だけでは表しきれないほど泥臭く、死者も出るほどの技術者の戦いが興味深い。戦闘機の試作と試験を重ねに重ね、高い要望を克服する日本人ならではの職人気質が、当時技術面で世界から遅れ...続きを読むていると思われていた一般論を覆した。付録ページに零戦の設計図と部品名が書かれているので、それを参照しながら読むと更に面白いかもしれない。
欧米に比べて格段に劣る工業力しかなく、航空技術でも一歩どころか、二歩も三歩も遅れていた日本が、突如として、世界でも群を抜く最新鋭の戦闘機を作りだした。 最高速度も旋回能力も航続距離も、そして攻撃力もそれまでの常識をはるかに凌ぐ戦闘機の誕生は皇紀2600年に海軍に正式採用され「零式戦闘機」、通称「零...続きを読む戦」と呼ばれた。 中国大陸での快進撃の報に接しても、欧米は誤報と信じて疑わなかった。極東の二流国がそんな戦闘機を作れるとは想像だにしなかった。航空先進国の驕りと、黄色人種蔑視ゆえに、零戦に対する欧米の情報収集は遅れ、対策は皆無だった。欧米各国が零戦の驚くべき能力に刮目したのは太平洋戦争が開戦してからだった。 零戦は無敵だった。敵機全撃墜に対して撃墜された味方はゼロということが何度もあった。10に1つも負けない。文字通り無敵だった。太平洋戦争における真珠湾奇襲と南方戦線の電撃勝利は零戦が敵戦闘機を悉く戦闘不能にしたことが大きい。 『零式戦闘機』には、あまりにも高い軍の要求を技術者たちがいかにしてクリアにしたかという経緯が事細かに述べられている。その設計思想や、試作機の事故からわかった欠点の改良、そして機体を軽量化するためになされた技術革新。零戦は熟練した職工たちの技術の高さが可能にした、日本人にしか作れなかった奇跡の戦闘機だ。 しかし、そんな戦闘機を工場から配備先の飛行場に運ぶまでに使われた動力は、なんと牛だ。舗装された道路が少ない日本では、トラックで運ぶと機体に負担がかかり過ぎ、躯体が歪んだり、穴があいたりした。牛に曳かせてゆっくりと24時間かけて運ぶ。道路を舗装すればいいじゃないかと思うが、高低差の激しい日本の国土を平らに舗装するほどの重機や予算もなかった。 開戦当初はそれでも良かった。なにせ零戦は無敵だったし、撃墜され、機体数が減ることはほとんどなかったから。しかし戦局の悪化とともに、この原始的な運搬能力しかないことが、後々大問題になってくる。 占拠した島に大型重機を続々と次ぎ込み、一気に飛行場を建設してしまうアメリカ軍と、鶴嘴とスコップによる人力で飛行場をつくっていた日本軍の差のように、国力の差が運搬方法にも表出していた。 この本には戦争末期の特攻作戦に関する記述はあまりない。あくまで零戦とはいかなる性能の戦闘機で、いかに敵を圧倒し続け、そしていかに落日の時を迎えたのかが書かれている。まるで人の一生のように零戦の一生が書かれている記録文学の傑作だ。 零戦は攻撃力に優れている一方で防御力(防弾装備)がほとんどない。それに対して、「人命軽視」だという意見もある。でもそれは違うと思う。仮に欧米と同じように防御に優れた「並み」の戦闘機を作っていたら、工業力に10倍以上の差がある米国と戦争を始めることすらできない。戦う前から負けが見えている。 零戦の設計思想を敗戦後にとやかく言うのはおかしい。開戦の時点では、あれがベストだ。というより実現したことが奇跡だ。「人命軽視」どころか無敵を誇っていたし、撃墜もほとんどされない。撃墜されて命を落としていたのは、防御力に優れた敵戦闘機ばかりだ。「人命軽視」という捉え方はいかにもおかしい(これは吉村昭氏の意見ではなく、私個人の意見) 零戦は強すぎた。そのため後継機種の開発が遅れた。それが零戦の凋落の一因だ。豊富な資源と工業力、経済力で米国が新型機を続々と投入し、次第に零戦を窮地に追い込んだ。その辺りの記述もこの本の中では詳しい。 特攻機としての零戦はすでに老齢期の姿だ。その前に青年期の零戦の勇姿を知っておいてもいいのではないだろうか。零戦が日本人の心のみならず、敵国であったアメリカ人の心も捉えて離さない理由がきっとわかる。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
零式戦闘機
新刊情報をお知らせします。
吉村昭
フォロー機能について
「新潮文庫」の最新刊一覧へ
「歴史・時代」無料一覧へ
「歴史・時代」ランキングの一覧へ
羆嵐
試し読み
暁の旅人
秋の街
味を追う旅
アメリカ彦蔵
一家の主
海の祭礼
海の史劇
「吉村昭」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲零式戦闘機 ページトップヘ