吉村昭のレビュー一覧
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明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)、そして平成23年(2011年)。
改めて巨大津波の恐怖を感じるとともに、巨大津波は数十年~百数十年と日本列島を割かし頻繁に襲っていることに気づかされた。
(後でネットで調べると、平安、室町、江戸時代等、過去にも巨大津波が日本を襲っていることが分かった。)
自然の予兆(急に豊漁になったり井戸水が枯れたり)ってゆうのは、大事なメッセージだなあって本当に思った。
そういった過去の貴重な証言がとてつもなく貴重な情報だということに気づいて、自分の足で津々浦々足を運んで情報を集めてしっかりとまとめ上げた吉村昭、流石!信頼できるなあ!
(なんせ東日本大震災 -
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江戸後期の測量家・探検家である間宮林蔵の人生を描いた壮大な記録。
歴史の教科書では「江戸後期には外国船が日本沿岸に来るようになり、幕府の警戒態勢が高まった。そのような状況の中で間宮林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見した。」程度のインプットしか無かった。
これまで吉村昭の小説を何度か読んで、新たな史実を学び、毎回自分の中で歴史観が変わる衝撃を受けてきた。折しも会社の後輩が北海道に赴任することになったので、読んでみることにした。樺太からアムール川の地域はとても人間が住める環境ではないが、その厳しさをありのままに描くのは吉村昭の真骨頂であり、今回もどれほどの地獄絵図を見せつけられるのか、ある程度覚悟 -
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幕末、予防法のなかった天然痘に立ち向かった福井藩の町医・笠原良策の闘いを描いた作品。
今では当たり前になっている予防接種。江戸時代は鎖国政策もあり、東洋医学が中心であり、西洋医学への理解はなかなか進まなかった。そのため、西洋から持ち込まれた種痘を体内に入れるという考え方は、人々の恐怖心を煽り、なかなか浸透しなかった。
鎖国下の唯一の貿易港・長崎から福井まで、どのように種痘を運ぶか、藩の理解をどのように得るか、人々にはどうすればわかってもらえるのか。そうした内容が描かれていて、学校の授業では決して教わらないが、天然痘と闘った一人の人間の生き様は非常に興味深く、大切なことを教わることができる -
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ネタバレ
恐ろしい本でした。描写が時系列で丁寧にまとめられ読みやすかった分、凄惨な場面は読んでて不安や悲壮感を強く駆り立てられました。
地震は圧死よりその後の火事で多くの人が亡くなると聞いた事がありましたが、避難時に持ち出した家財などが更なる延焼の起因なってたのは勉強になりました。
また流言がまるで事実かのように報道され、朝鮮の方など多くの方が亡くなられたのは本当に悲しくなりました。視野狭窄になってるとは言え、排他的行為で簡単に殺人までしてしまう人間の愚かさに更なる震災の恐ろしさを感じました。
震災で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。 -
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高木兼寛は海軍に脚気が多いことを気に病み調査をしたところ白米中心の食事が原因であると推察した。食事の因果をはっきりさせるために軍に麦飯を導入し比較するよう進言するも白米という贅沢品をやめることに抵抗があった海軍はなかなか承諾しない。兼寛は明治天皇にまで提言し艦艇筑波にて実験を行うことができ白米が脚気の原因であることを突き止める。しかし森林太郎を中心とする帝国大学医学部界隈はドイツ医学の流れをくみ脚気は細菌によるものであると説を立て兼寛の説と対立する。帝国大学医学部出身者が多かった陸軍では依然白米が食事の中心としており、日清戦争・日露戦争では多くの脚気患者を出す一方で兼寛の説を受け入れた海軍では
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間宮海峡(タタール海峡)の名で知られる、間宮林蔵の知られざる生涯を描いた小説。前半はロシアの脅威から蝦夷地をはじめとした北方の防御を強める幕府の意向を受け、樺太からさらに海を渡ってアムール河口付近も探査するなど、冒険家としての未踏地帯を踏破していくサバイバル活劇となっている。後半は幕府の隠密として各藩の内情を探るといった動きが増えてきており、農家出身ながら幕府や体制維持に多大なる貢献を果たした人物である。
間宮林蔵の才能は、会うべき人と出会いその人々の資質や想いを着実に受け継いで事を為すところにある。間宮林蔵の資質を最初に見抜き幕府の役人に取り立てた村上島之丞、測量の技術を惜しみなく伝え貴重 -
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高木兼寛の伝記。兼寛は薩摩の軍医として戊辰戦争奥羽出兵に従軍しそこで蘭医関寛斎の治療を目の当たりにし自身の非力さと漢方の限界に気づく。戊辰戦争後鹿児島に帰り西洋医学を1からしっかり学ぶ決心をし師である石神良策の推薦で開成所洋学局に入学する。その頃中央政府では今後の日本の医学をドイツ式にするかイギリス式にするかで意見が割れ相良知安らにより当時世界で最も進歩的だったドイツ式を採用することになった。それにより内々でポジションが確保されていたイギリス医師ウィルソンがお役御免となり西郷隆盛、大久保利通らの画策で鹿児島へと派遣され兼寛はウィルソンから西洋医学について多くを学ぶ。その後石神の頼みもあり兼寛は
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▼久しぶりに吉村昭さんを読みました。相変わらず、地味で硬派でコリコリしていて、エンタメにイキきらない独特の語り口が一種オモシロイ。森鴎外を読んでいる気分にちょっとなります。
▼確か、江戸時代の(明治大正もあった)、「かたきうち」の実話を歴史小説として描いていらっしゃる。そこではエンタメ性やヒロイズムは徹底的に排除されています。実にハードボイルド。ひとをころす、というしんどい肉体作業。長年かけて敵討ちをする精神的疲弊感。などなどがビシビシと容赦なく描かれて。それでいて、ちゃんと小説になっている。面白く読ませる。独特の背筋の伸びる持ち味、悪くないです。