吉村昭のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ・あらすじ
江戸時代末期、福井藩で町医者をしていた笠原良策が天然痘撲滅のために生涯を賭けて奮闘する話。
・感想
人間の性質ってのはやっぱりそんなに変化しないものなんだなと思った。
未知に対する恐怖心は動物であるなら当然持っている生存に必要な能力ではあるので、それがいい方向に行く時もあればそうじゃない時もある。
己の立場や既得権益を守りたい権力争いなんかも「あるあるだなー」と思って読んでた。
私財を投げ打ち自分の全てを賭けて天然痘撲滅のために尽力した笠原先生はとても尊敬する。
でも11月に雪山を超えて福井に帰るくだりは、おそらく作中で1番過酷でドラマッチくな部分だろうとは思うんだけど、個人的には「あと3ヶ月くらいまって春になってから山越えでいいのでは…?付き合わされる家族も大変だし、これで死んじゃったら元も子もないような。4年待ったんだから3ヶ月くらい待ちなよ」と吹雪や苦難を乗り越え山越する良策に感動するよりも無謀さを不振に思ったりしてしまった。
随行家族は山越えせず街道で帰宅してたし…。
そんな数ヶ月も待てないほど一刻も早く福井藩に種痘を持ち帰りたかったんだろうけども。
致死性の未知の病気が蔓延した環境で、人間はどういう反応、行動を起こすのかってのは数年前から散々見聞きして実感したことでもある。
この辺りは江戸時代だろうが現代だろうがそんなに変わらないんだろうな、と思う。 -
Posted by ブクログ
明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)、そして平成23年(2011年)。
改めて巨大津波の恐怖を感じるとともに、巨大津波は数十年~百数十年と日本列島を割かし頻繁に襲っていることに気づかされた。
(後でネットで調べると、平安、室町、江戸時代等、過去にも巨大津波が日本を襲っていることが分かった。)
自然の予兆(急に豊漁になったり井戸水が枯れたり)ってゆうのは、大事なメッセージだなあって本当に思った。
そういった過去の貴重な証言がとてつもなく貴重な情報だということに気づいて、自分の足で津々浦々足を運んで情報を集めてしっかりとまとめ上げた吉村昭、流石!信頼できるなあ!
(なんせ東日本大震災の前にこの本を書き上げている。本当にすごいと思う。)
一方で、では海から離れた高台住居と巨大な防潮堤が津波の解決策なのか、というと必ずしもそうではなく、多様な意見があると思うので、時間は遅れるだろうけど、短期間での決断は分断を生むだろう..............、と思い、色々大変な問題だなあと考えさせられた。 -
Posted by ブクログ
江戸後期の測量家・探検家である間宮林蔵の人生を描いた壮大な記録。
歴史の教科書では「江戸後期には外国船が日本沿岸に来るようになり、幕府の警戒態勢が高まった。そのような状況の中で間宮林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見した。」程度のインプットしか無かった。
これまで吉村昭の小説を何度か読んで、新たな史実を学び、毎回自分の中で歴史観が変わる衝撃を受けてきた。折しも会社の後輩が北海道に赴任することになったので、読んでみることにした。樺太からアムール川の地域はとても人間が住める環境ではないが、その厳しさをありのままに描くのは吉村昭の真骨頂であり、今回もどれほどの地獄絵図を見せつけられるのか、ある程度覚悟をしたうえでページを開いていく。
500ページ近くある長編の中で、主人公の間宮林蔵が樺太を探検し間宮海峡を発見するところまでが半分である。グーグルマップを横で開きながら、林蔵が辿ったであろう海岸、集落(おそらく現在は廃村になっているところもある)、地形や写真を確認しながら読んでいった。そして、死を覚悟しながら過酷な旅に飛び込んでいった間宮林蔵の尋常ならぬ情熱に思いを馳せた。
林蔵の探検(樺太だけでなく清領まで行った)は、現代の感覚では、無防備な状態で宇宙旅行に繰り出し、地球と交易するフリをして侵略しようと不気味に近づいてくるエイリアンと交渉しに行くようなものだろうか。アイヌやギリヤーク人の仲間を作り、彼らの言語や文化を学びながら突き進んでいた様子がたっぷり描かれていて、少年心をくすぐられた。グーグルマップをひととおり見た後は、ウィキペディアでいろいろと地名や民族名、登場人物名を調べてしまった。
間宮海峡を発見し江戸へ帰還したところで全体の半分であり、彼の後半生は伊能忠敬から測量技術を学んだり、シーボルト事件に巻き込まれたりと、江戸幕府の鎖国体制が少しずつ揺らいでいく様子を感じた。そのような不安定な社会情勢の中で、林蔵自身も完全鎖国&外国船排除という考えから、開国して交易をせざるを得ないという考えに少しずつ至っていく葛藤が描かれている。鎖国と開国、どちらも「他国の侵略を防止して国の防衛と発展を祈る」という根底の想いは共通しており、林蔵や周囲の関係者、さらには当時禁止されていた密貿易に手を出してしまう人達、先端の蘭学者達にもそれぞれの考え方(正義)があったのだろう。 -
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幕末、予防法のなかった天然痘に立ち向かった福井藩の町医・笠原良策の闘いを描いた作品。
今では当たり前になっている予防接種。江戸時代は鎖国政策もあり、東洋医学が中心であり、西洋医学への理解はなかなか進まなかった。そのため、西洋から持ち込まれた種痘を体内に入れるという考え方は、人々の恐怖心を煽り、なかなか浸透しなかった。
鎖国下の唯一の貿易港・長崎から福井まで、どのように種痘を運ぶか、藩の理解をどのように得るか、人々にはどうすればわかってもらえるのか。そうした内容が描かれていて、学校の授業では決して教わらないが、天然痘と闘った一人の人間の生き様は非常に興味深く、大切なことを教わることができる。 -
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ネタバレ
恐ろしい本でした。描写が時系列で丁寧にまとめられ読みやすかった分、凄惨な場面は読んでて不安や悲壮感を強く駆り立てられました。
地震は圧死よりその後の火事で多くの人が亡くなると聞いた事がありましたが、避難時に持ち出した家財などが更なる延焼の起因なってたのは勉強になりました。
また流言がまるで事実かのように報道され、朝鮮の方など多くの方が亡くなられたのは本当に悲しくなりました。視野狭窄になってるとは言え、排他的行為で簡単に殺人までしてしまう人間の愚かさに更なる震災の恐ろしさを感じました。
震災で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。 -
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高木兼寛は海軍に脚気が多いことを気に病み調査をしたところ白米中心の食事が原因であると推察した。食事の因果をはっきりさせるために軍に麦飯を導入し比較するよう進言するも白米という贅沢品をやめることに抵抗があった海軍はなかなか承諾しない。兼寛は明治天皇にまで提言し艦艇筑波にて実験を行うことができ白米が脚気の原因であることを突き止める。しかし森林太郎を中心とする帝国大学医学部界隈はドイツ医学の流れをくみ脚気は細菌によるものであると説を立て兼寛の説と対立する。帝国大学医学部出身者が多かった陸軍では依然白米が食事の中心としており、日清戦争・日露戦争では多くの脚気患者を出す一方で兼寛の説を受け入れた海軍では脚気患者はほとんど出なくなった。以上のような功績を上げたものの帝国大学医学部の学閥と説が対立したことから日本ではそこまで評価されることがなく陸軍軍医の方が賞をもらっていることを憂いた兼寛は明治天皇崩御をきっかけに一般人に向けての講演や禊などを多く行うこととなる。その後鈴木梅太郎がビタミンを発見し世界でも脚気はビタミンBの欠乏によるもので兼寛の説は正しかったことが証明されていく。南極大陸に高木という場所があり脚気の原因究明に貢献したことから名付けられたらしく世界ではしっかりと評価されててよかった。
僕もこの小説を読むまで高木兼寛という人物について全然知らなかったしこんな功績があったんだと勉強になった。兼寛がイギリスで見た貧困者にも医療を届ける医療体制に感銘し東京慈恵会医大を設立したのも意外だった