あらすじ
何の自覚症状もなく発見された胸部の白い影――強い絆で結ばれた働き盛りの弟を突然襲った癌にたじろぐ「私」。それが最悪のものであり、手術後一年以上の延命例が皆無なことを知らされた。「私」は、どんなことがあっても弟に隠し通すことを決意する。激痛にもだえ人間としての矜持を失っていく弟……。ゆるぎない眼でその死を見つめ、深い鎮魂に至る感動の長編小説。毎日芸術賞受賞。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ある冷夏の年の8月、主人公の「私」の弟の肺に影がみつかる。残念ながらそれは、悪性腫瘍の中でも特にタチの悪いものであり、1年以上の生存例が皆無であることを、「私」は医師から告げられる。「私」と親族たちは、弟が癌であることを隠しておくことを決める。手術後、弟は一時的に体調を回復させるが、徐々に痛みを訴え、体調を崩していき、再度入院することになる。癌は進行するが、治療する方法はなく、病院での措置は痛みを和らげること、そして、出来るだけ長く生きてもらうことしかない。徐々に身体の自由を失い、痛みが耐えられないものになっていく弟。まさに、闘病である。そして、残念ながら、前年とは打って変わった翌年の猛暑の夏に、弟は息を引き取る。本書は、その間の出来事を綴った長編小説であるが、吉村昭の弟さんは実際に癌で亡くなられており、本作品は一種のノンフィクションと言っても良いものでもある。
作品の中で、吉村昭は、弟の病状や家族の様子などを、客観的に、淡々と記述している。時に子供時代の弟との思い出を描いたり、自分自身の崩れそうになる感情を書いているが、全体としてはあったことを出来るだけ記録しておこうというような態度をとっているように思える。
ネットで調べてみると、吉村昭の弟さんが実際に癌で亡くなられたのは1981年の8月、そして、本作品が発表されたのが1984年7月である。その間に3年間の時が経過している。吉村昭がこの体験を小説にするには、3年の歳月が必要だったのだろう。そして、書くことは、弟さんの霊を慰めることであったと同時に、吉村昭自身の魂を鎮めることでもあったのだろうと思う。
Posted by ブクログ
読むのを止められなくなって、一気に読んでしまいました。最後にこれが、作者の体験した実話だと知りました。
弟の凄絶な癌との闘いの様子に、正直ほぼ恐ろしさだけを感じて読み終わったくらいです。
たくさん兄弟がいる中の、末の2人である作者と弟。上の兄弟とは歳が離れていることもあり、2人の結び付きは幼い頃から強く、作者は弟のためにずっと傍に寄り添います。弟に「癌」という病名を隠して…。
癌であることを本人に知らせないこと、モルヒネの取り扱い方など、医療に関してど素人の私でも、
かなり違和感を感じたのですが、1980年代前半の話であったことに深く納得しました。
そして、この40年間でものすごく進化し、癌が絶対的な不治の病ではなくなったことや、緩和ケアもすごく良くなってきていることに、心から喜びを感じます。
当時から本人に告知をしていた欧米と、まだ本人に隠すのが主流だった日本の、死生観の違いについて作中で書かれていたのですが、とても興味深く感じました。
作者にも興味を持ち、経歴を調べていたら、作者本人も2006年に癌で亡くなられているのですが、その最期の死に方に衝撃を受けてしまいました…。
めざましい進化を遂げているがん治療ですが、更に研究が進んで、がんで亡くなる人がいなくなるといいのにと思います。
Posted by ブクログ
作者と弟の熱い結びつきに心の底から熱いものが込み上げてきた。
徐々に弟の体を蝕んでいく癌細胞。
実際に体験した作者でないと描けない緊迫感。
吉村昭は、弟の死をどう見つめたのか。
魂を揺さぶられる傑作。
Posted by ブクログ
途中で読むのを止められず、一気読みしてしまった。
最後までガンだと告げられなかった弟さん、それでも末期がんで痛みに苦しみながら、ガンの薬を打ってくれという…
兄にも弟にもガンを隠し通し、そして周囲に「あなたが私にガンじゃないよと言っても信用しない」とまでいわれる著者のすさまじさ。身の中から食われていく気持ちだったのではないか。
そして当人も最後はガンになり、自ら管を抜いて死んでいったことを思うと鳥肌が立った。
Posted by ブクログ
肉親を癌で失う家族のつらさ、闘病の苦しさ、身にしみて考えさせられました。
氏が亡くなったとき、どんな気持ちで延命器具をはずしたのか
少し気持ちがわかりました。
Posted by ブクログ
実弟の末期癌闘病生活を描く。病名を本人に隠し通しながら看病する、心苦しさ、辛さや苦労・・・体験したくないけれど、いつ自分や大切な人の身に降りかかるかわからない「死病」という存在・・・。吉村昭作品は淡々とした文体が特徴的だけれど、実体験記だけあって感情的なところがイイ
Posted by ブクログ
作者自身の親兄弟のがん実体験であるので、がん末期の過酷さと看病する周りの疲弊が詳細に書かれている。
当時、がん告知を本人にしないのが普通であったのを思うと、周りの人のストレスは相当だっただろう。
作者の体調が終始悪いのが心配であった、そんな中仕事と両立しきったので、弟への愛情が大きかったのが分かる。
Posted by ブクログ
著者の弟が肺癌となり、亡くなるまでの1年間を綴った実体験小説。特徴的なのは、弟に癌であることを隠すこと。1980年頃の話のため、告知しないのが一般的だった時代とはいえ、どうしても不憫さを感じてしまう。
弱っていく弟さんの様子と日々見舞いに訪れる著者のやりとりが淡々と描かれているのでそれが迫力を増しています。
身近な人で癌患者が出たら、と考えさせられる本。
Posted by ブクログ
夜中に読み始めて、一気に読み終わった本
お陰で目が腫れぼったい
私たちの親に対する考え方は、はるかに城戸的なもので、人体が決して物体ではなく、主は安らぎを意味する
50歳で死んだ弟の一年ほどの闘病過程を私吉村昭の視点から実のまま描いているのだが、それ自体は特に凄絶と言うほかない内容だ。苦痛にのたうち回る弟の姿にはいたたまれない思いがする
Posted by ブクログ
癌に侵された弟が死に至るまでを見つめた「私」。余命一年の肺がんだと診断された後も弟には癌ではないと突き通す。兄弟が多い中幼少期からずっと親しく過ごしてきた弟への愛情が伝わり、彼が弱っていく姿を見るのはとてもつらかった。今や3人に1人が癌になる時代だ。広志のような境遇は珍しくないのだろう。人は皆死ぬ。しかし親しい家族がなくなること、それまで共に過ごしてきた思い出があることを考えると、やはり胸が苦しくなる。
Posted by ブクログ
母を癌で亡くしたわたしとしては、当時を思い出し共感するとともに、いたたまれない気持ちにさせる内容であった。身内の死は必ず訪れるのだが、亡くなったことに整理をつけなければ、残された者たちは不幸である。人生折り返しを過ぎ、自身の死生観をあらためて問われた作品である。
Posted by ブクログ
小説というかノンフィクションにいれてもいいと思われる。
著者の体験記。ガンを宣告され余命1年の弟にガンということを隠し通し、死に至るまでのお話。
やはり自分にも弟がいるので、こういうことは可能性はなくはないかと。
でもその際に助け合えるのが兄弟なんだろうなと感じた。
重苦しくて悲しい一冊。
Posted by ブクログ
作者の弟の癌が見つかってから臨終までの、約1年間のドキュメント。
この頃はまだ告知をしないケースが多かったようで、癌を疑う本人に、
何としても隠し通す親族の葛藤と、傷みと闘う弟の詳細な描写に読むのが苦しくなる。
現在とは時代背景が違うので、しかたのないことだと思うが、癌を隠し通されたことで、
命が尽きる瞬間まで、誰とも腹を割って本音で語り合えなかった彼は、本当に可哀想だ。
全編を通じて重苦しく凄まじい内容なので、闘病中の方、
またはご家族がそうである方にはお勧めしません。
Posted by ブクログ
本当はハードカバーで読んだんですが,こちらにレビュー。
文庫版も解説読みたいなあ。
吉村昭さんの弟さんが肺癌に侵され,亡くなるまでを描いたノンフィクション。
辛いですね。読みながら何度も涙ぐみました。
これは身内や親類を癌などの病魔で亡くした人にとって,色々なことを想起させるきっかけになる本です。
私は祖母が癌で亡くなった時のことを思い出しながら読みました。
吉村さんと弟さんのつながりの深さや愛情が感じられました。時折元気だったときの弟さんの回想が入るんですが,それが病気の描写よりも切ないです。
弟さんの心臓が強いことが,命を存えさせるのに役に立った,との記載があり,私の祖母は心臓が弱かったために,長い間苦しむことなく息を引き取ることができたのが幸せだったねと話していたことを思い出しました。
弟さんの闘病記を見る限り,心臓が強くて存えられることも,結構辛いことだなと感じました。本当に最後のほうは読むのが辛い。
でも,最後は弟さんを看取ることができてよかったなと思います。
私の祖母は,たった数十分,タオルを取りに伯母がその場から離れた間に突然急変して亡くなり,病院関係者しか看取ることができませんでした。ベッドの上で誰かに看取られて息を引き取ることができてよかったね,と話したけれど,最後を看取ることが出来なかった伯母や母は当然のことながら悔いていました。
吉村さんの弟さんは信頼できる親族みんなに見守られながら,息を引き取ることができて,きっと幸せだったろうなと思います。
吉村さんと弟さんの体験を通して,考えるきっかけを与えてくれる本。
きっと誰もが経験する肉親との死別。私もこれから父や母との死別が必ず待ち受けています。その時を考えると辛いですが,この本はそれまで心の片隅に置いておきたいです。
Posted by ブクログ
弟の壮絶な闘病と、取りまく家族の葛藤。
医療技術、インフォームドコンセント、緩和ケア、QOLの考え方などが、作品が描かれた1980年代と現在とでは大きく異なる。その違いに戸惑いをおぼえるが、死に向き合うそれぞれの立場の苦悩が圧倒的な迫力でリアルに伝わってくる。
Posted by ブクログ
弟の癌発見から死に至る1年弱の間の病状の変化と、それによる作者自身の心の揺らぎを、冷酷とも思える醒めた筆致でただ綴る。
肉親の病気による変化と死が、残される者にどのような想いを呼び起こすのかを、自らの経験を書き記すことで形にしようという意図で生まれた作品であろうか。
石原慎太郎にも似たような作品があるし、誰が書いても同じような雰囲気になるのかもしれないが、死と生が作家の究極のテーマであることは共通。
それにしても、この作品を読むと癌はやはり告知しないほうがいいのかもしれない、と感じる。
Posted by ブクログ
悲しい物語である。
悲しくて、こういう状況下でいたときにはとても読めない小説だろう。
肺ガンの手術後、1年間にわたって死んでいく弟を見つめる兄を主人公とした小説。
吉村氏の告知、延命に対する考えが述べられている。
が、それは人それぞれである。
自分としては、他人に病名を隠されたくないし、自分の意向が無い延命は徹底拒否である。
「自分の意志」で延命を伝えたい。
伝えられない状況下に置かれていたとしても、今のうちから、妻に言っておく。
Posted by ブクログ
刻一刻と癌に蝕まれて行く弟に、少しでも希望を持っていて欲しいと願う兄。
自分の祖父も闘病の末に癌で亡くなったので、リアルすぎる描写が読んでいて辛かった。
本書の時代からは考えられないくらい、医学は進歩しているのに、いまだに癌の特効薬ってないんだなぁ。
Posted by ブクログ
肺癌で死にゆく弟に告知をしないで隠し通し、見送った記録。
時代を感じる。
麻酔の打ち過ぎで廃人のようになった母の記憶。
何度も持ち直し、疲弊する妻や付き添い人。
死ぬ、死なない、死ねない、死なさない、死にたい、死にたくない。
死生観を問われる小説。
Posted by ブクログ
あらすじ
癌に侵された弟が死んでいく迄の様子を兄の目線から描いた物語
感想
兄は弟に癌であることを頑なに隠すが、私は正直に伝えた方がいいと思います。苦しい状態が続き、明らかに死ぬであろう状況を本人も自覚しているにも関わらす隠し通す意味がわかりませんでした。
末期癌の厳しい病状が描かれますが、あんなに苦しいのかと恐ろしくなりました。昔の話なので今はもう少しましだとは思いますが。
人がいくら苦しんでいても、他人は痛みを感じず酒を飲んだり食事をしたり日常生活を送れるのですね。当たり前の事ですが。
Posted by ブクログ
実体験を元に描かれているので、言葉のひとつひとつに重みと説得力を感じます。
ただ、筆者の主張がそのまま呑み込めるかというとそうではなく、
「私なら…」「私だったら」など反駁しながら読み進めていきました。
癌の進行や闘病の様子はリアルなのに登場する医師や看護師、葬儀社が
みな信頼のおける「いい人」ばかりなのには違和感を覚えました。
Posted by ブクログ
弟が癌になり、死まで1年に及ぶ闘病と周囲が献身的に看病する。癌であることをひた隠し、1ヶ月前から葬儀の手配をする自分を冷たい人間だと責めつつ、自身の闘病経験から行動せざるをえない。深い愛情を感じる。14.1.13
Posted by ブクログ
今とはガンの告知に対する認識が違うのか。徹底的に弟に嘘を突き通す主人公の態度に、ある種の自分勝手さや独善を感じてしまう。本当に隠すのが良いことなのか、告知が患者にとって本当に悪いことなのか。深くて重いテーマの作品でゆっくり考える必要がある。
Posted by ブクログ
肺癌になり、五十歳で死んだ弟の一年ほどの闘病過程を「私」=吉村昭の視点から「事実そのまま」描い(───引用:解説)た長編小説。
医療技術や、告知の概念など今とは違う常識が興味深かった。
ノンフィクションとは知らずただ小説として読んだが、壮絶。
弟が衰弱し幻覚に囚われ苦しみ死へ向かう過程は胸が苦しくなるようなものだった。だが、「私」と双生児のようなといわれるほどの弟本人に癌であることをひた隠し、兄弟達にも妻にも隠し、悪化を隠し、嘘を言い連ね死の前に自分ひとりで葬儀を手配し、まんじりとしていてもどうにもならぬと仕事に出、弟が病状を悟らぬよう子供達に見舞いを禁じ、弟の友人が会いに来たのを病室に入れることを断りと、もうダメかもしれないとの連絡に何度も夜中に病院へ掛け、とひたすらに続く「私」の葛藤や蓄積する疲労、絶望感がなにより苦しかった。
Posted by ブクログ
シンプルに医療ものかと思ったら、吉村昭氏の最愛の弟の、末期がん診断から死までを綴った壮絶なノンフィクションだった。
末期がんで余命が少ないことを本人に告知するなどとんでもない、という時代背景があるので、現代からしてみると無理があるんじゃないかと違和感がどうしても否めず、(実際に治療の非常に難しいがんであったにせよ)ここまで絶望的な筆致は読んでいて苦しい。
しかし、さすが作家だけあって、感情的にもかなり突き動かされている状況でありながら、一方でかなり冷静に物事の成り行きを見ているところは驚き。
Posted by ブクログ
もっとも読みたかった本
この夏亡くなった作者。最期は妻が看取る前、自身で自身の命を絶ったと報道されれている。
それを聞いて読みたかったのがこの本だ。弟が自覚症状のない末期肺ガンになり、それをひたすら隠し通しながら弟の死を看取る兄の心模様を描く。私小説であり、主人公である兄は自分自身だそうだ。
凄絶という言葉がふさわしい弟の闘病の様子、それを見守る兄弟たちの葛藤、そして隠し通した主人公の心模様が赤裸々に小説として記録されている。
いつ電話が鳴るかわからない状態の中で小説は進行する。主人公が弟の急変を聞きつけて病院に駆け込むが、病室に入らず自身の心の準備をするという下りがある。
現在の世の中のように「もし携帯電話があったら?」と思うとおもしろい。情報はすぐに流れるだろうし、情報そのものの正確になっていることだと思う。
よって、判断もより正確だろう。しかし、人の行動はその速度と正確さについていけるだろうか。もっと遅く、もっと受け身で、もっとあいまいなものになるんだろうなぁ。人の死ってそんなものなんだろうなぁ。