吉村昭のレビュー一覧
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珍しく、美味しいところ、よりも著者がどう感じているか、が
気になる食の本でした。
もちろん、美味しい地方、お店の紹介も魅力的で
行きたくなってしまいます。とくに、長崎。
ただそこでも、
これは美味しいぜ、すごいだろ、的な要素が全くない、
素晴らしい内容です。
解説に書かれていたが、著者の貧困時代があるから
決して高くて美味しいものを、わざわざ食べたいと思わないという
姿勢が素敵。
、
「あなた、夕ご飯、食べる?」といういい方に腹を立てる同僚に
同じ気持ちを語る場面。吉村さんの根底にある食べ物に対しての
気持ちがあらわれていると思います。 -
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表題の「敵討」及び「最後の敵討」を収録している。
どちらも大変印象深い作品であり、さすがドラマ化された作品だけある。
吉村作品のよいところは、全てが全てハッピーエンドではないということ。本2作品の中で敵討を果たした人物は、敵討を果たしたあと何事もなく人生を終えているわけでない。
例えば「最後の敵討」では、主人公が監獄から出たあと出獄祝いの宴に参加するが、その時そこにいた大物が演舞を行った人物の師匠によって殺されてしまうという事件が起こる。一方「敵討」では、敵討の助太刀役をした人物は、他藩に召し抱えられることなく、吉原の商店の店主としてその生涯を終えている。
その時は一躍脚光を浴びるが、人々の興味関心が薄れると、あっという間にスポットライトは当たらなくなってしまう。元の通りごく普通の一般人に戻る。それはまるで真っ暗な舞台上でスポットライトを浴びながら演技をする役者のようである。そのような、役者にスポットライトがあたっていないところまでしっかりと目を当てている吉村作品は素晴らしい。特に本作は、そのような人生の深みを感じることができる作品である。 -
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ネタバレ『永遠の0』を読んで感動したのと、作者が吉村昭だったのとで読んでみたのだけど、零戦が名古屋で作られていたとは知らなかった!知っている地名やなじみのある地名がたくさん出てきて、予想外におもしろかった。
まず冒頭の、試作機が牛車にひかれていく鶴舞から布池、大曽根という旧市電の道は、高校時代の通学路。たどり着いた先の各務原の飛行場ではその昔、父方の祖父が徴用されて飛行機を作っていたそうだ。ひょっとして零戦だったんだろうか…?そして名古屋が大地震に見舞われたあと工場疎開した先のひとつが松本の片倉紡績工場。学生時代、毎日のようにお世話になっていた、カタクラモールよね??牛車に変わって飛行機を運ぶことになったのペルシュロン種という馬は、帯広ばんえい競馬のばん馬にもなる種類だし。そういえばナゴヤドームも三菱重工業の跡地だ。
東京大空襲や硫黄島の決戦や南方での海戦とかは、映画やドキュメンタリーでけっこう知っていたけど、地元名古屋が戦時中どうだったかというのは案外知らなかったので、とても新鮮でした。 -
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組織論として読むとき戦慄を感じる。
極端な話、組織内の一人の不満分子が何千人もの命を奪い組織を破壊させることができる。
たとえ他のどんな組織より規律が厳しくと統率が執れていたとしても。また、組織が危急存亡の時で困難に取り組むべき状況にあったとしても。
陸奥爆沈という結果に対して、その原因はあまりにも些細なことに感じる。
本書の結論は憶測にすぎないが、想像上確かにありうべきことだった。
そしてどのような組織でも同じリスク、可能性を秘めている。
組織が直面し続ける宿命ととらえるか、
いつか克服すべき悠久の課題ととらえるか、読み手の置かれている組織内のポジションによって読後の感想が様々分かれるのだと思う。(個人的には、根本的に克服すべき課題だと思うのですが楽観的でしょうか)
内部告発のチャンネルが増えて容易になっている現状を考えれば、昔よりも今の方が組織は内部リスクを多く抱えているはずであり、本書はより注目されるべき小説のはず。 -
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欧米に比べて格段に劣る工業力しかなく、航空技術でも一歩どころか、二歩も三歩も遅れていた日本が、突如として、世界でも群を抜く最新鋭の戦闘機を作りだした。 最高速度も旋回能力も航続距離も、そして攻撃力もそれまでの常識をはるかに凌ぐ戦闘機の誕生は皇紀2600年に海軍に正式採用され「零式戦闘機」、通称「零戦」と呼ばれた。
中国大陸での快進撃の報に接しても、欧米は誤報と信じて疑わなかった。極東の二流国がそんな戦闘機を作れるとは想像だにしなかった。航空先進国の驕りと、黄色人種蔑視ゆえに、零戦に対する欧米の情報収集は遅れ、対策は皆無だった。欧米各国が零戦の驚くべき能力に刮目したのは太平洋戦争が開戦してからだった。
零戦は無敵だった。敵機全撃墜に対して撃墜された味方はゼロということが何度もあった。10に1つも負けない。文字通り無敵だった。太平洋戦争における真珠湾奇襲と南方戦線の電撃勝利は零戦が敵戦闘機を悉く戦闘不能にしたことが大きい。
『零式戦闘機』には、あまりにも高い軍の要求を技術者たちがいかにしてクリアにしたかという経緯が事細かに述べられている。その設計思想や、試作機の事故からわかった欠点の改良、そして機体を軽量化するためになされた技術革新。零戦は熟練した職工たちの技術の高さが可能にした、日本人にしか作れなかった奇跡の戦闘機だ。
しかし、そんな戦闘機を工場から配備先の飛行場に運ぶまでに使われた動力は、なんと牛だ。舗装された道路が少ない日本では、トラックで運ぶと機体に負担がかかり過ぎ、躯体が歪んだり、穴があいたりした。牛に曳かせてゆっくりと24時間かけて運ぶ。道路を舗装すればいいじゃないかと思うが、高低差の激しい日本の国土を平らに舗装するほどの重機や予算もなかった。
開戦当初はそれでも良かった。なにせ零戦は無敵だったし、撃墜され、機体数が減ることはほとんどなかったから。しかし戦局の悪化とともに、この原始的な運搬能力しかないことが、後々大問題になってくる。
占拠した島に大型重機を続々と次ぎ込み、一気に飛行場を建設してしまうアメリカ軍と、鶴嘴とスコップによる人力で飛行場をつくっていた日本軍の差のように、国力の差が運搬方法にも表出していた。
この本には戦争末期の特攻作戦に関する記述はあまりない。あくまで零戦とはいかなる性能の戦闘機で、いかに敵を圧倒し続け、そしていかに落日の時を迎えたのかが書かれている。まるで人の一生のように零戦の一生が書かれている記録文学の傑作だ。
零戦は攻撃力に優れている一方で防御力(防弾装備)がほとんどない。それに対して、「人命軽視」だという意見もある。でもそれは違うと思う。仮に欧米と同じように防御に優れた「並み」の戦闘機を作っていたら、工業力に10倍以上の差がある米国と戦争を始めることすらできない。戦う前から負けが見えている。
零戦の設計思想を敗戦後にとやかく言うのはおかしい。開戦の時点では、あれがベストだ。というより実現したことが奇跡だ。「人命軽視」どころか無敵を誇っていたし、撃墜もほとんどされない。撃墜されて命を落としていたのは、防御力に優れた敵戦闘機ばかりだ。「人命軽視」という捉え方はいかにもおかしい(これは吉村昭氏の意見ではなく、私個人の意見)
零戦は強すぎた。そのため後継機種の開発が遅れた。それが零戦の凋落の一因だ。豊富な資源と工業力、経済力で米国が新型機を続々と投入し、次第に零戦を窮地に追い込んだ。その辺りの記述もこの本の中では詳しい。
特攻機としての零戦はすでに老齢期の姿だ。その前に青年期の零戦の勇姿を知っておいてもいいのではないだろうか。零戦が日本人の心のみならず、敵国であったアメリカ人の心も捉えて離さない理由がきっとわかる。
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[翻った忍耐の証]陸海の両面で大戦となり、多くの人命と資材が費やされた日露戦争。両国共に戦争継続のための能力に陰りが見られる中、アメリカ大統領ルーズベルトの仲介の下、ポーツマスにて講和会議が開かれることに。のっぴきならない調整の結果、決裂間近で結実に至った会議の模様、そして日本側全権の小村寿太郎らを始めとする人々に焦点を当てた歴史小説です。著者は、『破獄』や『ふぉん・しいほるとの娘』など、多くの歴史の一場面に光を当ててきた吉村昭。
外交交渉をつぶさに、そして臨場感をもって読者に追体験させるという小説は珍しいのではないでしょうか。息詰まる交渉はもちろんのこと、それを取り巻く会議への参加者やポーツマスの様子など、漏らすことなく往事の雰囲気を伝えることに成功していると思います。特に後半、会議決裂かに思われた段階からの両者のつばぜり合いには、結末を知っている後代の私たちが読んでも興奮を覚えること間違いなしです。
小説ではあるのですが、あまりに緻密なため、一つの外交のテキストも読めてしまうのではないかと思います。会議に至るまでの周到な準備、仲介者との間での細かな連絡・報告、そして「敵」にすらなりかねない交渉相手との信頼など、(参加したことはまだないのですが)現在の交渉の実態にも近いものがあると思います。交渉の内幕というのはあまり表に出てこないと思いますので、そういった意味でも価値ある読書体験でした。
〜歴史の浅い日本の外交は、誠実さを基本方針として貫くことだ、と思っていた。列強の外交関係者からは愚直と蔑称されても、それを唯一の武器とする以外対抗できる手段はなさそうだった。〜
それにしてもルーズベルトのあの仲介にかける意気込みはどこから来ていたのだろう☆5つ -
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古本で購入。
吉村昭はやっぱり凄いな、と改めて思う1冊。
飛行艇の遭難により古賀連合艦隊司令長官が殉職、更には参謀長らの携行した極秘作戦書を米軍が指導するゲリラに奪われた事件を描く「海軍乙事件」。
巻末に付された「調査メモ」によると、吉村昭がこの事件を調べ始めたのは、昭和47年のことだという。
僕はここに驚いた。僕の生まれる10年程度前のことでしかないのだ。
当たり前だが、今でも大勢の戦争体験者の方々がご存命である。
兵役に就いたご老人と会ったこともある。
しかし「海軍乙事件」という、日本の敗勢を加速させた歴史的事件の関係者がその頃に生きていたということに、驚いてしまった。
この矛盾と言うか違和感と言うか、妙な感覚は何だろう。
現在が戦争と敗戦からの文脈上にあることを頭で理解している一方で、戦争を完全に「歴史化」しているのだろうか。
ともかくも一次資料の読み込みと多数の関係者からの聞き取りとによって、この短編は「記録文学」「ドキュメント」という以上に、「史料」の域に達している。
彼の調査ノートなんかは1級の資料だろうなぁ。聞き取りの録音テープも残ってるのかな。
徹底的な調査を通じて得た推測が真相を言い当てていたことが後に明らかにされるなど、吉村昭の面目躍如と言えると思う。
他の収録作品は…
視察に赴く山本連合艦隊司令長官の搭乗機が米軍機に待ち伏せされ撃墜、戦死した事件を描く「海軍甲事件」。
ポツダム宣言受諾後、日本軍の軍法会議により裁かれた「戦犯」を描く「八人の戦犯」。
日清戦争時、弾丸を胸に受けながらもラッパを吹き続け絶命したラッパ手が白神源次郎から木口小平へと訂正されたことで起きた騒動を描く「シンデモラッパヲ」。
吉村昭の淡々とした、冷徹に見えてその実は人間を描くことに徹している文章が心地いい。
事件を描くんじゃなくて、そこにいた人間を描いてるんだよね。
右にも左にもぶれない、記録者としての軸もまた、吉村昭の魅力だな。 -
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本書は、同時代を書いた、司馬遼太郎「坂の上の雲」と対比されるが、同書が、坂の上の雲を仰ぎ見ながらひたすら上り続けた、明治人の意気軒高さと心意気を、書いているのにくらべて、書き出しがバルチック艦隊の出航の模様から始まり、敗軍の将となった、ロゼストヴェンスキー総督の末路にまでおよぶ壮大な史劇となっている。
私がここで留意したいのは、当時の国民の熱狂とは裏腹に、当時の政府や軍のトップの人たちが、国力の限界を正確に把握していて、積極的に
米国大統領に仲介を依頼したことである。
それから40年後の、政府や軍のトップたちが、戦況の劣勢をひたすら隠し本土決戦や一億玉砕を呼号して、いたずらに国土を疲弊させ犠牲者を増やしたことを思い起こしてもらいたい。
国のトップの劣化は、結局国民を不幸にするものである。 -
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幕末時、水戸藩の尊王攘夷派である天狗党の悲劇を描いたもの。
水戸藩は、御三家でありながら尊王の旗を立て、当初は政治思想的に幕末をお膳立てした藩であったにもかかわらず、内ゲバを繰り返すことにより、維新時には全く政治力を失った。その中心にあったのが天狗党の争乱であり、この過程で多くの有為な藩士を亡くしている。
士道にも反するような数百名の天狗党の処分は、幕府及び徳川慶喜の権威を大きく損ね、結果的に幕末を早めるひとつの要因になった。
その意味でも、この史実の考察を確りと行うべき。
(薩摩藩の暗躍、一橋慶喜と幕府の関係、水戸藩と彦根藩の怨念等、興味深い歴史背景も理解できる)
明治維新後に、今度は門閥派が厳しい処分を受けるのだが、その悲劇までは描かれていない。
以下引用~
・西郷は、一橋慶喜との対立をふかめていて、天狗勢と京都から出陣している諸藩との全面衝突にとって、慶喜を窮地におとしいれようとはかっていたのである。
・慶喜は、狼狽した。追討の任をあたえられながら戦闘を回避しようとしている、とみられては、幕府の怒りをまねき、自分の立場が危うくなる。
・天狗勢を加賀、福井、彦根、小浜の四藩にあずけることも決定した、と伝えた。
・公(慶喜)は、かなり微妙なお立場におられる。幕府との関係は好ましくなく、ささいなあやまちをおかせば、たちまち身が危うくなる。
・352人が首をはねられたが、このような大量斬首は全く前例のないものであった。
・薩摩藩大久保利通は、「この非道な行為は、幕府が近々のうちに滅亡することを自らしめしたものである」 -
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下巻では帰国がなかなか叶わぬロシアでの苦難な生活から女帝エカテリナへの謁見、また、その後の帰国・日本での余生まで、まさに波乱万丈の一生に心を動かされた。
ロシアで光太夫等の帰国に労を惜しまないキリロの子息がラクスマンであることは歴史の繋がりも実感できるところ。
厳冬の中、死に至るメンバー、改宗せざるを得ずロシアに残るメンバー等々、心の描写を巧く捉えており、読みながら胸を締め付けられる思いを何度も抱く。
光太夫が日本に戻ってから行ったロシアに関する情報提供、語学指導等は、当時の日露の外交政策に大きく影響を与えているはずであり、単なる漂流者ではなく、知識人・政府役人等へ啓蒙にも多大な影響を与えているのだろう。
大黒屋光太夫は、確かに歴史の一ページを担っている。 -
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朝廷は無知蒙昧な攘夷派の公卿と長州藩に牛耳られ、孝明天皇を悩ませていた。朝廷内ではついには天皇親征による攘夷論まで飛び出した。危機感を募らせた会津、薩摩を中心とした佐幕派は攘夷派の公卿と長州藩の朝廷からの駆逐をはかり成功する。しかし翌年、失地挽回をはかる長州藩過激派が京で挙兵し、朝廷警護の薩摩・会津との戦闘に及ぶ。「禁門の変」だ。その際、長州軍は御所に発砲するという暴挙にでる。これにより長州藩は賊軍となった。
下巻では維新の中心となる長州藩のことが主に書かれている。
長州藩も攘夷実行のため軍備の増強に努めていたが、それは薩摩のものより数段劣った。血気盛んなだけで、西洋の軍備に詳しい分別者が「こんな砲と台場では戦にならん!」と叫んだら、暗殺してしまうくらいだから、この時点では理想論だけ振りかざすただの世間知らずだ。
しかし下関戦争による諸外国との戦闘で、軍備の遅れを痛感した長州藩は薩摩藩と同様に攘夷をあっさりと捨てる。
この辺りは頭の硬直した幕府にはできない変わり身の早さだ。長州では若い藩士が自由に活躍できる風土があるのか、あまり藩主の意見がどうとか家老がどうのこうのという記述がない。暴走もするが謙虚なところもある。進取の気象に富んだ藩であることは間違いないのだろう。
その後、第一次長州征伐の後始末のときに西郷隆盛が幕府の意向に縛られず、寛大な処置をしたことなどもあり、長州と薩摩は急接近する。薩摩経由で外国から武器を購入し軍備増強を推し進め、討幕の中心へと躍り出る。
本書の最後は、江戸を明け渡した敗軍の将である徳川慶喜が、駿府の地へ都落ちする際に生麦村を通る描写で終わっている。
明治維新は生麦事件からはじまった。
余談だが、現在の生麦村(横浜市鶴見区)には石碑が建っている。国道1号線に面し車の交通量は多いが、人はあまり通らないし、目立たない。石碑の後方にはキリンビールの横浜工場がドーンと構えている。キリンビールは儲かっているし、麦つながりで、もうちょっとましな碑が建たないだろうか。
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今年は生麦事件から150年の節目にあたる。生麦村は東海道の川崎宿から神奈川宿の間にあり、人馬の交通量の多い場所だった。江戸と横浜の往来には必ず通る。当然西国からの大名行列は普く生麦を通過する。
事件は薩摩藩の島津久光が江戸から薩摩へ戻る道中で起こった。横浜の居留地から川崎大師へ馬で遠乗りに出かけたイギリス人4人が大名行列に出くわしたが、街道が狭かったため行列を避けることができず、列の前面に押し出されてしまった。それに対して護衛の武士数人がが斬りかかり、一人がその傷がもとで絶命してしまった。
これを知ったイギリス公使は激怒し、横浜に駐留する諸外国の軍事力を背景に、幕府と薩摩藩に下手人の斬首と賠償金を求めた。幕府はそれに応じたが、薩摩藩は勅命で京に急がねばならぬと早々に逃げ、要求を事実上拒否した。
これにより日本は、隣国の清のように諸外国との戦争に突入する可能性が大きくなり、存亡の危機に瀕した。
なんとなく攘夷の騒乱のひとつだろうくらいに思っていた生麦事件が、実は日本の行く末を揺るがす一大事だったことがこの本を読んでよく分かった。早く下手人を引き渡して謝罪すれば、賠償金も多少は値切ってくれただろうに、それをしない薩摩はなんて傲慢なんだ、と当初は思った。でも読み進めていくうちに、薩摩は薩摩なりに、そんな卑屈な態度をとらなくても切り抜けられるとの目算があったことがわかる。
薩摩は以前から藩財政の再建に着手しており、琉球との貿易(不平等貿易)と、奄美の糖きびの専売により、利益を上げていた。それを軍事の増強と西洋式の兵法改革に注いでいたため、攘夷にそれなりの自信を持っていたのだ。
しかし実際に薩摩の地でイギリスと戦うことで、彼我の戦力の差に歴然とする。そもそも威嚇をする程度に考えていたイギリスは、悪天候もあり、まずは引き揚げた。
戦争はひとまずは引き分けとなった。しかし本腰を入れてイギリスが攻めてきたらひとたまりもないことがわかった薩摩は攘夷を捨てた。
薩摩が攘夷を捨てたこと。これが明治維新への大きなターニングポイントとなる。
始めから終りまで抑制が効き、緊張に満ちた描写で、事件の全容が次第に明らかになる。幕府や薩摩の武士の立場だけでなく、街道沿いの庶民の目線や居留地の外国人の目線からも詳細に描かれており、まるで自分が当事者かと錯覚するくらい引き込まれた。吉村昭はすごい。
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下巻は、十四歳のイネが長崎の親元から離れ、独り宇和島の二宮敬作を訪ね、医学を学びところから始まる。
イネは、その後、波乱の人生を送り、彼女が76歳で亡くなるまでの、まさに大河ドラマを描く。
イネは二宮敬作の勧めにより、日本で初の女性産科医としてのキャリアを歩む。舞台は幕末から維新にかけての激動の時期と重なり、西欧との接点でもあった医学が政治的に結びつく時代、村田蔵六など登場人物との繋がりも興味深い。(司馬遼太郎の「花神」ほどは登場しないが)
明治に入ると福沢諭吉とも懇親を深め、女性の社会的地位向上に一役を買う。(福沢諭吉の口添えにより宮内省御用掛となる)
一方で未婚のままの出産などイネを取り巻く数奇な運命の数々は、歴史小説としての読み応えを提供しているのだろうか。
幕末維新の歴史小説からは、当時の人々の志の高さに心を打たれ、魅了されるのだが、この小説では、女性で混血、という社会的には弱い立場に置かれながらも、志を強く生きたある意味ではユニークな生涯を知ることができ、今の自分を振り返ると身が引き締まる思いがした。
以下引用~
・「私は、女医者になります。多くの妊婦の命を救いとうございます」
・シーボルトは帰国後、オランダ政府の植民省に日本に関する報告をおこない、イギリス、アメリカの関心が日本に向けられていることを憂慮し、即位前のウイリアム二世に謁見して日本とオランダの貿易の現状と将来、鎖国政策を堅持する日本の国際的位置などに対して意見を申し述べた。
・宇和島藩の財政建直しは産業の奨励によるが、その中心は製蝋業であった。・・・宇和島藩の蝋は品質が良く、蝋燭、鬢つけ油として需要もさかんであった。そのため藩の収入は増大し、窮乏していた財政は好転した。