吉村昭のレビュー一覧
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表題の「敵討」及び「最後の敵討」を収録している。
どちらも大変印象深い作品であり、さすがドラマ化された作品だけある。
吉村作品のよいところは、全てが全てハッピーエンドではないということ。本2作品の中で敵討を果たした人物は、敵討を果たしたあと何事もなく人生を終えているわけでない。
例えば「最後の敵討」では、主人公が監獄から出たあと出獄祝いの宴に参加するが、その時そこにいた大物が演舞を行った人物の師匠によって殺されてしまうという事件が起こる。一方「敵討」では、敵討の助太刀役をした人物は、他藩に召し抱えられることなく、吉原の商店の店主としてその生涯を終えている。
その時は一躍脚光を浴びるが、人々の興 -
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ネタバレ『永遠の0』を読んで感動したのと、作者が吉村昭だったのとで読んでみたのだけど、零戦が名古屋で作られていたとは知らなかった!知っている地名やなじみのある地名がたくさん出てきて、予想外におもしろかった。
まず冒頭の、試作機が牛車にひかれていく鶴舞から布池、大曽根という旧市電の道は、高校時代の通学路。たどり着いた先の各務原の飛行場ではその昔、父方の祖父が徴用されて飛行機を作っていたそうだ。ひょっとして零戦だったんだろうか…?そして名古屋が大地震に見舞われたあと工場疎開した先のひとつが松本の片倉紡績工場。学生時代、毎日のようにお世話になっていた、カタクラモールよね??牛車に変わって飛行機を運ぶことにな -
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組織論として読むとき戦慄を感じる。
極端な話、組織内の一人の不満分子が何千人もの命を奪い組織を破壊させることができる。
たとえ他のどんな組織より規律が厳しくと統率が執れていたとしても。また、組織が危急存亡の時で困難に取り組むべき状況にあったとしても。
陸奥爆沈という結果に対して、その原因はあまりにも些細なことに感じる。
本書の結論は憶測にすぎないが、想像上確かにありうべきことだった。
そしてどのような組織でも同じリスク、可能性を秘めている。
組織が直面し続ける宿命ととらえるか、
いつか克服すべき悠久の課題ととらえるか、読み手の置かれている組織内のポジションによって読後の感想が様々分かれるのだ -
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欧米に比べて格段に劣る工業力しかなく、航空技術でも一歩どころか、二歩も三歩も遅れていた日本が、突如として、世界でも群を抜く最新鋭の戦闘機を作りだした。 最高速度も旋回能力も航続距離も、そして攻撃力もそれまでの常識をはるかに凌ぐ戦闘機の誕生は皇紀2600年に海軍に正式採用され「零式戦闘機」、通称「零戦」と呼ばれた。
中国大陸での快進撃の報に接しても、欧米は誤報と信じて疑わなかった。極東の二流国がそんな戦闘機を作れるとは想像だにしなかった。航空先進国の驕りと、黄色人種蔑視ゆえに、零戦に対する欧米の情報収集は遅れ、対策は皆無だった。欧米各国が零戦の驚くべき能力に刮目したのは太平洋戦争が開戦し -
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[翻った忍耐の証]陸海の両面で大戦となり、多くの人命と資材が費やされた日露戦争。両国共に戦争継続のための能力に陰りが見られる中、アメリカ大統領ルーズベルトの仲介の下、ポーツマスにて講和会議が開かれることに。のっぴきならない調整の結果、決裂間近で結実に至った会議の模様、そして日本側全権の小村寿太郎らを始めとする人々に焦点を当てた歴史小説です。著者は、『破獄』や『ふぉん・しいほるとの娘』など、多くの歴史の一場面に光を当ててきた吉村昭。
外交交渉をつぶさに、そして臨場感をもって読者に追体験させるという小説は珍しいのではないでしょうか。息詰まる交渉はもちろんのこと、それを取り巻く会議への参加者やポ -
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古本で購入。
吉村昭はやっぱり凄いな、と改めて思う1冊。
飛行艇の遭難により古賀連合艦隊司令長官が殉職、更には参謀長らの携行した極秘作戦書を米軍が指導するゲリラに奪われた事件を描く「海軍乙事件」。
巻末に付された「調査メモ」によると、吉村昭がこの事件を調べ始めたのは、昭和47年のことだという。
僕はここに驚いた。僕の生まれる10年程度前のことでしかないのだ。
当たり前だが、今でも大勢の戦争体験者の方々がご存命である。
兵役に就いたご老人と会ったこともある。
しかし「海軍乙事件」という、日本の敗勢を加速させた歴史的事件の関係者がその頃に生きていたということに、驚いてしまった。
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本書は、同時代を書いた、司馬遼太郎「坂の上の雲」と対比されるが、同書が、坂の上の雲を仰ぎ見ながらひたすら上り続けた、明治人の意気軒高さと心意気を、書いているのにくらべて、書き出しがバルチック艦隊の出航の模様から始まり、敗軍の将となった、ロゼストヴェンスキー総督の末路にまでおよぶ壮大な史劇となっている。
私がここで留意したいのは、当時の国民の熱狂とは裏腹に、当時の政府や軍のトップの人たちが、国力の限界を正確に把握していて、積極的に
米国大統領に仲介を依頼したことである。
それから40年後の、政府や軍のトップたちが、戦況の劣勢をひたすら隠し本土決戦や一億玉砕を呼号して、いたずらに国土を疲弊させ犠 -
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幕末時、水戸藩の尊王攘夷派である天狗党の悲劇を描いたもの。
水戸藩は、御三家でありながら尊王の旗を立て、当初は政治思想的に幕末をお膳立てした藩であったにもかかわらず、内ゲバを繰り返すことにより、維新時には全く政治力を失った。その中心にあったのが天狗党の争乱であり、この過程で多くの有為な藩士を亡くしている。
士道にも反するような数百名の天狗党の処分は、幕府及び徳川慶喜の権威を大きく損ね、結果的に幕末を早めるひとつの要因になった。
その意味でも、この史実の考察を確りと行うべき。
(薩摩藩の暗躍、一橋慶喜と幕府の関係、水戸藩と彦根藩の怨念等、興味深い歴史背景も理解できる)
明治維新後に、今度は門閥 -
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下巻では帰国がなかなか叶わぬロシアでの苦難な生活から女帝エカテリナへの謁見、また、その後の帰国・日本での余生まで、まさに波乱万丈の一生に心を動かされた。
ロシアで光太夫等の帰国に労を惜しまないキリロの子息がラクスマンであることは歴史の繋がりも実感できるところ。
厳冬の中、死に至るメンバー、改宗せざるを得ずロシアに残るメンバー等々、心の描写を巧く捉えており、読みながら胸を締め付けられる思いを何度も抱く。
光太夫が日本に戻ってから行ったロシアに関する情報提供、語学指導等は、当時の日露の外交政策に大きく影響を与えているはずであり、単なる漂流者ではなく、知識人・政府役人等へ啓蒙にも多大な影響を与えて -
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朝廷は無知蒙昧な攘夷派の公卿と長州藩に牛耳られ、孝明天皇を悩ませていた。朝廷内ではついには天皇親征による攘夷論まで飛び出した。危機感を募らせた会津、薩摩を中心とした佐幕派は攘夷派の公卿と長州藩の朝廷からの駆逐をはかり成功する。しかし翌年、失地挽回をはかる長州藩過激派が京で挙兵し、朝廷警護の薩摩・会津との戦闘に及ぶ。「禁門の変」だ。その際、長州軍は御所に発砲するという暴挙にでる。これにより長州藩は賊軍となった。
下巻では維新の中心となる長州藩のことが主に書かれている。
長州藩も攘夷実行のため軍備の増強に努めていたが、それは薩摩のものより数段劣った。血気盛んなだけで、西洋の軍備に詳しい分別 -
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今年は生麦事件から150年の節目にあたる。生麦村は東海道の川崎宿から神奈川宿の間にあり、人馬の交通量の多い場所だった。江戸と横浜の往来には必ず通る。当然西国からの大名行列は普く生麦を通過する。
事件は薩摩藩の島津久光が江戸から薩摩へ戻る道中で起こった。横浜の居留地から川崎大師へ馬で遠乗りに出かけたイギリス人4人が大名行列に出くわしたが、街道が狭かったため行列を避けることができず、列の前面に押し出されてしまった。それに対して護衛の武士数人がが斬りかかり、一人がその傷がもとで絶命してしまった。
これを知ったイギリス公使は激怒し、横浜に駐留する諸外国の軍事力を背景に、幕府と薩摩藩に下手人の斬首 -
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下巻は、十四歳のイネが長崎の親元から離れ、独り宇和島の二宮敬作を訪ね、医学を学びところから始まる。
イネは、その後、波乱の人生を送り、彼女が76歳で亡くなるまでの、まさに大河ドラマを描く。
イネは二宮敬作の勧めにより、日本で初の女性産科医としてのキャリアを歩む。舞台は幕末から維新にかけての激動の時期と重なり、西欧との接点でもあった医学が政治的に結びつく時代、村田蔵六など登場人物との繋がりも興味深い。(司馬遼太郎の「花神」ほどは登場しないが)
明治に入ると福沢諭吉とも懇親を深め、女性の社会的地位向上に一役を買う。(福沢諭吉の口添えにより宮内省御用掛となる)
一方で未婚のままの出産などイネを