吉村昭のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
往来堂書店「D坂文庫 2017夏」からの一冊。
吉村昭の作品はこれまでに何冊か読んでいたけれど、短編小説は初めて。しかも、これは昭和33年から42年にかけて書かれた作品を集めた、実質的なデビュー作ということらしい。
その筆致は、後に書かれる社会派作品群と同様、緊張感にあふれて鋭い。しかし、本書はそう評するだけでは不十分だろう。何しろ、収められた6編はいずれも生と死をテーマに書かれていて、鋭さに重さが加わっているからだ。
表題作の「星への旅」は、そのメルヘンっぽいタイトルとは裏腹に、日常の倦怠感と無力感から集団自殺を企てる若者の話であるし、「鉄橋」ではボクサーが列車に轢かれて不可解な死を遂げる。 -
Posted by ブクログ
・小村は部屋の重苦しい空気も気にならぬらしく、平然としていた。ルーズベルトの質問にも適切な言葉で答え、表情になんの感情も現れていない。随員の竹下中佐は、その折の小村の態度について、「露国一行ハ大ニ畏敬ノ念ヲ生ジタル如ク見ヘタリ」と日記に記し、ロシア側の主席随員コロストヴェッツもその日誌に、「日本側の態度は謙虚で、分別と節度があり、立派であった」と述べている
・(講和条約妥結後)コロストヴェッツの日誌には「日本側は、何も特別なことが起こったわけではないように、泰然自若としていた」と、その折の小村らの印象が記され、本会議ははじまってからも、ウイッテが興奮を抑えきれぬように紙をしきりにちぎっている前 -
Posted by ブクログ
世の中と隔絶した名も無き漁村を舞台に描かれる、江戸時代の極貧生活。わずか17戸の小さな貧村では、夜の岬で塩焼きという風習が行われていた。しかしその本当の目的は、遭難した船をおびき寄せ座礁させるためものであった。
口減らし、年季奉公という名の身売り、死を意味する山追いなど、一般庶民がまともに食えない時代である。遭難船は「お舟様」と呼ばれ、村にとって恵みをもたらす一大慶事であった。前年に、大量のコメを積んだ「お舟様」によって潤った村が、2年連続で新たな「お舟様」を迎えた。しかし、船には積荷はなく、20数名の乗船者は皆一様に、謎の赤い布を身に付けて死に絶えていた。村長はその着衣を村民に分配する。しか -
Posted by ブクログ
日本海海戦を描いた吉村昭の記録文学の傑作。
日本海海戦と言えば司馬遼太郎の傑作小説「坂の上の雲」のクライマックスシーンとして有名である。
私も手に汗握りながらあのシーンを読んだものである。
それ以来日本海海戦には関心を抱いていたが、他にも同じテーマを扱った作品で良いものがあると聞いて本書にたどり着いた。
非常に緻密な調査の上に成り立っている作品と感じた。
これを読んでしまうと司馬さんの作品は、彼の評価している人物とそうでない人物の書き分けが極端で、小説としては面白くなるのだろうが、現実とは乖離してしまうの
だろうなと思ってしまう。
日本海海戦とは日本史だけではなく世界の海戦史においても -
Posted by ブクログ
間宮林蔵といえば、江戸時代、樺太を調査し、世界で初めて樺太が島であることを発見。その功績で「間宮海峡」という地名を後世に残した。というのが、教科書的説明。本小説でも、林蔵の樺太探検は詳細に描かれ、当時の乏しい装備で死を覚悟して赴く林蔵の覚悟が伝わってくる。
しかし、間宮林蔵がアドベンチャーというのは彼の一面に過ぎない。彼の人生の真骨頂は樺太探検後、豊富な地理の知識と行動力が認められ、スパイや政治アドバイザーとして幕府に貢献したことだ。
何よりも、林蔵は正義を重んじる。若き頃、日本領土にロシア人が侵入したとき、徹底抗戦を主張する。樺太探検のために異国のユーラシア大陸にまで足を踏み入れてしまっ -
ネタバレ 購入済み
開拓地での惨劇
入植間もない集落が、文字通り羆の餌食になった事件を扱っている。
厳しい気候のもと農作物を育て、農閑期には出稼ぎをする。貧しさに耐えながら必死に生きようとする人々。
集落の人達はもちろん、隣接集落の人達も羆のことを詳しく知らない。
これは意外なことだった。
-
Posted by ブクログ
吉村昭が書いた歴史文学の傑作の一つ。
ゼロ戦(零式戦闘機)の誕生からその最後までを綴ることにより、太平洋戦争を描き出した傑作小説。
恥ずかしい話だが、戦争末期のゼロ戦が無残に米軍の戦闘機や対空砲火に撃ち落とされていくイメージが強く、ゼロ戦もまた世界の水準に到達しえない兵器であり、そんな兵器で戦わされた将兵の悲哀のみ感じていた。
しかし、この本で描かれていたゼロ戦は、私の思っていたものと全く違っていた。
相反する要素を含んだ厳しい戦闘機の仕様に技術者堀越二郎が心血を注いで答えた結果生み出された航空機は、当時類を見ない長大な航続距離と速度そして優れた格闘戦能力を持った世界最強の戦闘機であった。