あらすじ
物干台で凧を揚げていて、東京初空襲の米軍機に遭遇した話。戦中にも通っていた寄席や映画館や劇場。一人旅をする中学生の便宜をはかってくれる駅長の優しさ。墓地で束の間、情を交わす男女のせつなさ。少年の目に映った戦時下東京の庶民生活をいきいきと綴る。抑制の効いた文章の行間から、その時代を生きた人びとの息づかいが、ヒシヒシと伝わってくる。六十年の時を超えて鮮やかに蘇る、戦中戦後の熱い記憶。
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戦中戦後に、吉村昭氏が目にしたり聞いたりした、生死にかかわるものすごいことどもが、驚くほどたんたんと書かれている。氏の他の作品と同様、読み終わるのが惜しい。深く味わいたくて、何度も同じところを読んでいる。ゆっくりと、よく噛みしめたい。
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「東京での戦争は、開戦から5ヶ月後の昭和17年4月18日の東京初空襲からはじまった」
その日、著者は凧揚げをしていて、通過する爆撃機の風防の中にオレンジ色のマフラーを巻いた2人のパイロットを目撃する。オレンジ色のマフラーとともに、機体に描かれた中国国旗の星印もしっかり見た。
本書の中では触れられてはいないが、「中国国旗の星印」を付けた米軍機による東京初空襲とは、真珠湾奇襲への報復として決死の計画で米側が決行した「ドーリットル空襲」作戦に違いない。映画『パールハーバー』で詳しく描かれたこの作戦は、未経験の航続距離を飛び決行後の帰還はかなわず、中国本土に不時着し保護を求めるという、冒険的報復作戦であった。
15歳の著者が目撃したのは、リメンバー・パールハーバーの最初の一撃であったのだ。
著者の語り口はいつもどおり淡々としている。カメラのように事実のみを冷厳に写し取っている。冒頭の目撃談にも、「凄いだろう」といった気負いはかけらもない。
「千人針」の空しさにいての記述にも、空しいとは一言も書いてない。出征する男の母や妻が、「お願いします」と一人ひとり声をかけ、頼まれた女性も必ず一針結び目をつける。その千個の結び目のついた白布を肌身に付けていると戦死しないと信じられていた。著者はその風習を淡々と記す。牛乳屋の店主のために妻が銭湯の前に立ってお願いする様子。著者の母が兄のために駅前に立って「お願いします」と声をかけていた様子。そして、牛乳屋の店主も兄も戦死したこと。全てが淡々と事実のみが写し取られている。
焼けた遺体も餓死者の遺体も、空襲の最中に露になった人の姿も、戦後の窮乏生活の中逞しいとだけはいえぬ人の姿も、すべてはクールなカメラ映像のように事実が記録され語られている。
「悲惨」とも「無残」とも語らない。「醜い」とも「憎い、悔しい」とも決して言葉にしない。
事実の重さだけでもって物語らせる。
その著者流の「重さ」をこの頃ひとしお感じる。ある偶然から、著者と亡父が同じ生まれ年であったことを知ってからかもしれない。
事実のみに語らせるのが著者のこだわりであったとするならば、昔話は一切固く口にしないというのが亡父のこだわりだった。亡父も著者も、同じ時期、同じように東京の町工場と一体の家に暮らしていた。著者の体験を読むとき、亡父の「語らなかった」昔話を盗み聞きするような気になる。そして、淡々とした語り口から伝わる「事実」を思い知り、「語る気になれなかった」父の心情に思い至る。私自身もいつも黙り込んでしまう。
「大戦下の首都で日々をすごした人間は限られていて、その庶民生活を書き残すのも、一つの意味があるのではないか」
と著者は言う。
その著者も昨年亡くなられた。
だが数多くの事実が、著者により書き残されていることは、救いである。
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14歳から19歳にかけて戦争と終戦直後の混乱を体験した著者の個人的な回想記。
作風は違うが色川武大の「怪しい来客簿」を思い出す。戦争をバックにして、虚無主義的な感覚が通底しているのだろう。
空襲の焼け跡から電柱を掘り出して木材にする逞しさは、たぶん今の日本人だとないよなあ。電柱が木じゃないことを別にしても。
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終戦を兵士としてではなく、かといって幼子としてでもなく、出征間際の年齢で迎えた著者の回想録である。
「生れついてから××事変と称する戦争がほとんど切れ間なくつづき、遂には「大東亜戦争」と称されたあの戦争に一個の人間として直接接したことが珍しい経験なのかも知れぬ、と思うようになったのである」
とあるように、著者の一歳年上の男子は徴兵され東京を離れていたし、小学生であれば学童疎開でやはり東京を離れていた。東京で生まれ育ち、東京で終戦を迎え、戦後も東京で暮らした庶民の生活というのはなかなか貴重であろうという話である。
本書には戦中戦後の明日をも知れぬ日々の中にたくましく生きる姿がある。もちろん東京大空襲もある。
「私は、防空壕の中で耳を塞ぎ突っ伏していたが、爆弾が頭上に迫ってくる音は、貨物列車が機関車を先頭に落下してくるのに似たすさまじい大轟音で、体が瞬時に飛散するような激しい恐怖におそわれた。爆弾が落ちると、体は大きくはずんだ」
そこらじゅうに死体が転がる異様さの中にあっても、少年が懸命に日々を生きる様子がそこにある。
苦しいことも多く、両親を始め兄弟も次々と他界する。だがどうしてか、悲壮感はさほどない。60年後の回想録だからだろうか、かなりニュートラルな描写である。その淡々とした筆致が、むしろ生々しく戦時中の暮らしを浮かび上がらせる。
大混雑する列車や、地方への買出しなどの風景は他の本でもよく見られるものであるが、それでも人それぞれに見てきた光景は異なるわけで、また一つ「新しい戦争」を垣間見ることができた。
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昭和20年、日本の都市は、アメリカの無差別爆撃にさらされた。一説にはその爆撃で、50万人の日本人が死亡した。大東亜戦争の日本の死者300万人の、1/6である。
マリアナを失陥した時点で、戦争の帰趨は決まった。
日本は、すべてを投げうって、その時点で降伏すべきであった。そうすれば、多くの日本人が死なぬに済んだ。
戦争を始めるのは難しいが、終わらせるのはさらに難しい。教訓とすべきである。
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昭和2年生まれの著者が下町で見た戦争下の生活。時刻どおり運行する市電、しかし悲惨な車両。山梨に八王子から乗り継いでぶどうを一人で採りに行った思い出。空襲下で感じていたこと。病気の母を亡くし、電報を駅長に見せて切符を無理矢理売ってもらった話。墓場で見た出征による別れを惜しむ若い男女の逢い引き(セックス)シーン。食糧事情・・・。戦争をこのように日常生活の観点から書いた本は新鮮でしたが、段々このようなことを書くことが出来る作家は減っていくと思うと、貴重な体験談です。