Posted by ブクログ
2022年04月16日
海に囲まれた、孤立したある村。村人たちは漁で獲った魚と海水から作った塩を隣町に売りに行き、穀物や米などと交換してもらいながら生活をしていた。しかし一年のうちで漁ができる時期は限られるため、金の工面がつかず家族を隣接する村に年季奉公に出さざるを得ない家がほとんどだった。
困窮を極める生活の中、村...続きを読む人たちは数年に一度の「お船様」の訪れを心待ちにする。村の近海で座礁した船を回収し、残された積荷を頂戴し、船を解体して木材にする。村に有り余るほどの恵みをもたらすとされる「お船様」だが、実際は船に残っていた水夫(かこ)を証拠隠滅のため打ち殺したり、わざと船が座礁するように仕向けたり、いわば村ぐるみの犯罪だった。そしてある年、待ちに待った「お船様」が訪れるが、この船はによって村は思いもよらぬ厄災に見舞われることになる。
どんよりとした不気味さがまとわりつく、どこまでも救いのない物語だった。読んでいる間ずっと、この不気味さの正体はなんだろうと考えていた。
不気味さの根源のひとつはもちろん「お船様」の存在だ。その残酷な実態とはかけ離れた、妙に神秘的な呼び名(タイトルではその真の姿を捉え「破船」とぶった斬っている)。船の転覆を祈願して毎年執り行われる、妊娠した女が村長の家で食膳を蹴り上げるという奇怪な儀式。願いが叶えば村人総出で船を回収し、水夫を殺し、狂喜乱舞で積荷を分配する。生きるためには仕方ないと割り切っている彼らの、罪の意識の欠如に戦慄する。
もうひとつは、村人がみな徹底した「役割分担」の中で生きていること。男は漁、女は家事・出産・育児、子どもは親の手伝い。結婚と出産は新たな労働力確保の手段でしかない。病や怪我で働けなくなった大人は「口べらし」のため食料を十分に与えられなくなって死ぬ。死んだ人間は「魂帰り」をして胎内に戻り、嬰児となって蘇るとされているため、死を長期間嘆き悲しむようなこともない。淡々と火葬され、埋葬される。昔からの風習が強く根付いたこの村では、みなが共同体の存続のために自らのなすべきことを何一つ疑わう、無心にこなしていく。家族を身売りに出すことも、「お船様」にまつわる人道に反した行為も、すべて「仕方ない」こととして片付けられる。思考停止。絶対服従。そこに反論や希望、自我の入り込む余地は一切ない。
物語の終盤、主人公の伊作が感情をあらわにするシーンが二箇所ある。とある理由により、母と弟に今生の別れを告げねばならなくなったときと、年季奉公に出ていた父親がおもむろに帰還したときだ。冒頭からじわじわと読者の心を浸食していく鈍い絶望感の中で、最後の最後のほんの数ページに、この物語で唯一とも言える感情の爆発が集約されているように思えた。別れの絶望、再会の歓喜。しかしその喜びのあと、奉公に出発したときは五人いた家族が伊作ただ一人になってしまったことを、伊作は自らの口から父親に伝えねばならない。そのことに思い至ると、これも決して素直に歓喜とは呼べないのだと呆然とする。
最後に、伊作を遺し村を去ることになった母親が荷造りをする場面で、このような記述がある。
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伊作は、母の動きを眼で追った。あばたのひろがる母の顔には、不思議にも悲しみの表情はない。眼の光は澄み、穏やかな笑みに近いものすら口もとに浮んでいるようであった。(p.229)
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この母親が笑ったり幸福そうにしたりという描写は、ここ以前にひとつもない。奉公に出た父親の「誰も死なせるな」という言いつけを守ることだけを考え、伊作にも常に厳しく接した。「お船様」の到来で一時的に食糧や物資が潤ったときも、この先また何年も船が来ない可能性を恐れて生活水準を変えることはなかった。その彼女が、自らにこれから訪れる宿命を受け止め、なお穏やかな笑みをうっすらと浮かべている。有り余るほどの米を手に入れたときも、消費を抑えるため粥しか作らなかった彼女が、このときばかりは硬い米を炊き、握り飯を作っている。わたしはこの物語の不気味さの根源の一つとして、村人たちの罪の意識の欠如を挙げた。けれどこの母親の様子を想像してみると、実はずっと心の根底には深く深く罪の意識を抱えながら、生きていくためには「仕方ない」と蓋をしてきたけれど、ついにそこから自由になれると思ったが故に、あのような穏やかな表情が浮かんだのかもしれないと感じた。
この本を読み終えたのは昼頃で、そのときはただただ茫然自失という感じだった。夜になってもう一度最後の場面を読み返したら、どんな残酷な運命も、最終的には「仕方ない」と諦める習慣が染み付いてしまった伊作のいじましさと健気さに胸が苦しくなって、思わず少し泣いた。