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Posted by ブクログ
朝廷は無知蒙昧な攘夷派の公卿と長州藩に牛耳られ、孝明天皇を悩ませていた。朝廷内ではついには天皇親征による攘夷論まで飛び出した。危機感を募らせた会津、薩摩を中心とした佐幕派は攘夷派の公卿と長州藩の朝廷からの駆逐をはかり成功する。しかし翌年、失地挽回をはかる長州藩過激派が京で挙兵し、朝廷警護の薩摩・会津との戦闘に及ぶ。「禁門の変」だ。その際、長州軍は御所に発砲するという暴挙にでる。これにより長州藩は賊軍となった。
下巻では維新の中心となる長州藩のことが主に書かれている。
長州藩も攘夷実行のため軍備の増強に努めていたが、それは薩摩のものより数段劣った。血気盛んなだけで、西洋の軍備に詳しい分別者が「こんな砲と台場では戦にならん!」と叫んだら、暗殺してしまうくらいだから、この時点では理想論だけ振りかざすただの世間知らずだ。
しかし下関戦争による諸外国との戦闘で、軍備の遅れを痛感した長州藩は薩摩藩と同様に攘夷をあっさりと捨てる。
この辺りは頭の硬直した幕府にはできない変わり身の早さだ。長州では若い藩士が自由に活躍できる風土があるのか、あまり藩主の意見がどうとか家老がどうのこうのという記述がない。暴走もするが謙虚なところもある。進取の気象に富んだ藩であることは間違いないのだろう。
その後、第一次長州征伐の後始末のときに西郷隆盛が幕府の意向に縛られず、寛大な処置をしたことなどもあり、長州と薩摩は急接近する。薩摩経由で外国から武器を購入し軍備増強を推し進め、討幕の中心へと躍り出る。
本書の最後は、江戸を明け渡した敗軍の将である徳川慶喜が、駿府の地へ都落ちする際に生麦村を通る描写で終わっている。
明治維新は生麦事件からはじまった。
余談だが、現在の生麦村(横浜市鶴見区)には石碑が建っている。国道1号線に面し車の交通量は多いが、人はあまり通らないし、目立たない。石碑の後方にはキリンビールの横浜工場がドーンと構えている。キリンビールは儲かっているし、麦つながりで、もうちょっとましな碑が建たないだろうか。
Posted by ブクログ
☆☆☆2016年1月☆☆☆
薩英戦争だけでなく、長州による赤間関を通過する外国艦隊への砲撃なども扱われている。
★★★2019年3月★★★
あまり知られていないが、薩英戦争後の交渉にあたった重野厚ノ丞という人物は立派だと思う。薩摩藩のメンツはつぶさず、戦争を終結させるという離れ業をやってのけた。まず、幕府に言われたからやむなく和議を結ぶという形に持って行ったこと。賠償金の支払いなど譲るべきところは譲るが、きちんと自分の主張もすること。
戦争開始前に薩摩藩の軍艦を拿捕したことについて激しく責めるというのも、主張すべきことは言うという明快さがある。武器の斡旋を依頼することで薩摩と英国の今後の付き合いを深めるきっかけを作ったのも、交渉術として見事だ。
幕末の歴史を大きく揺るがした生麦村。この街道沿いの小さな村を駿河に落ちていく徳川家の行列。さらに官軍の華やかな行列が過ぎてゆく。
そのような描写でこの長い物語は終わる。
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