綿矢りさのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレp.170
これほどたくさんの星があるのに、どの星とも交流せずに幾多の命を乗せて回っている地球は孤独だ。この宇宙のどこかに、地球以外にも生命体がいるとすれば、と考えると気が遠くなりそうだが、本当に地球にしか生命体がいない、と考えた方が余計恐ろしかった。宇宙では流れている時間の尺も桁違いだから、もし違う星に生命体がいたとしても、もう何億年も前に滅びたとか、何億年もあとにならないと生まれないとか、誕生する時期が違ったらめぐり会えない。
p.196
「そもそもあんたは奏のこと好きなの?」
返答に困る質問を萌音は簡単にしてくる。好きだの愛だのという言葉を聞くと、どうしてもかつての拒否反応が甦ってきて、自分の気持ちを問いただしてみても、たまねぎのどこまでが皮か分からなくなって全て剥き切ってしまい、残るは無みたいな感覚に陥る。
p.197
「やっぱ私のアシスト効いてるじゃん。でも判定としてはグレーかな、誰だって真っ暗な海に男と二人でいたらドキドキしてくるよ。普段の何気ない日常でちょっと目が合っただけで電気が走るのが、恋だね」
「そうなんですかね、自信ありません」
恋とはそんなにも細かく条件が決まっているものなのか。年頃の人間全員がこの条件を共有しているのだろうか。
私にとって恋愛とは、最近になってから発見した、自分の心に建つ家の隠し部屋みたいなものだった。その部屋は二階の奥にあり、壁だと思っていた部分が実は戸で、押すと開く。なかには入れたけど、暗くて見えないから、手探りで照明のスイッチを探す。壁に手をすべらせて、探して、探して、見つからなくて。
ようやく雲に隠れていたほの白い月の光が部屋を照らしたときに、スイッチ自体がそもそも存在しないと気づく。ショックよりも先に予期していた絶望が頭を涼しくして、逆に冷静になれる。
みんなの家にきちんとあるこの部屋が、私の家では壊れている。
p.252
「特殊能力をわざわざ起こそうとしなくても、生き物は生きてること自体が不思議である種の特殊能力なんだから、無理に発揮する必要はないよ。生命の光が身体の内側に灯り続けていることぐらい、不思議で奇跡的な出来事は無いんだからね」
奏樹の言葉を聞いていると、力を示そうと無理をしていた自分が、何もない場所に向かって必死にパンチやキックを繰り出していたように思えてきた。
「私は一人でいても、つらくないんです。誰かと一緒に生きることは、やればできる気がしていますが、きっと他の皆さんはやればできるとかじゃなくて、自然に一緒に居たいと思うようになって、付き合ったりするんですよね。私はそこまでの欲がどうしても身体の内から湧かない。おそらく私は、一人で足りすぎているんだと思います。足りちゃいけないところまで、足りているんだと思います」
「僕はきっと、ミルちゃんの足りているところが好きなんだし、羨ましいんだと思う。欠けている人間は誰かをいつまでも探し求めなきゃいけないし、満たされたなら満たされたで、相手がいなくなったらどうしょうって怯えたり、"人は一人では生きていけない”って言葉を呪文のように唱え続ける人生になるからね。
僕は世界じゅう色んな国を旅しても、どれだけ楽しくても”誰かとこの素晴らしい景色を共有したい”って思いが強くて、まあ白状しちゃうとミルちゃんと一緒に見たいって気持ちが強くて、一二〇%は楽しめてはいない実感があった。それが僕の弱さなんだよね、一人でいるのが完全体じゃないっていう。ミルちゃんが美しいものも楽しいことも悲しいことも、すべて自分一人で受け止められるタイプの人なら、それはそれで、素敵だと思うよ。だから……あれ、おかしいなあ、僕」
p.254
「周りの皆が言ってるような通常の「好き”とは違うかもしれませんが、私は奏樹のことが好きです。あなたの傍にずっと居てもいいですか」
奏樹が大切だという気持ちは、ずっとぶれずに自分の内にあった。二人で一緒に色んな景色を見たい欲望は、確実に私にもある。
私の動悸は激しく、奏樹の顔も見られないほど緊張していたが、笑顔の彼が私の顔を覗き込んだ。
「もちろんだよ。好きの形は人それぞれだし、一人でも満たされてるミルちゃんは素敵だと思う。でも二人で一緒にいたらもっと温かく楽しくなれるように、努力していきたい」 -
Posted by ブクログ
純文学は、一か所でも知っている感情に出会えればいい。
というわけで私が知っていた感情。↓
「自分の内側ばっかり見ているから、何も覚えていない。学校にいる間は、頭の中でずっとしゃべっているから、外の世界が遠いんだ。」
ここだ。
これはまさしく高校生の時の私だ。
なんならおばさんになった今でも若干そうだ。
綿矢りさと同世代なので、雑誌を集めたり、ラジオを聴いたり、ライブに行ったり…あの感じがリアルに想像できた。まぁ同世代じゃなくても想像できるだろうけど、90年代後半~00年代前半のあの感じ。
ていうか、主人公よりもにな川にシンパシーを感じてしまっている(笑)
好きなアーティストに心酔して、痛いことしちゃうよね。はたから見たら引くよね。
主人公への共感ポイントはまだある。
運動部ではなかったのでスポーティな格好ではなく制服だが、夏に部活のあとお店に入ってひんやりする感じ、懐かしかった。少し場違いな変な感じ。
思春期の学生生活特有の、グループ面倒臭い、人間関係面倒臭い、というか他人をとことん見下している、基本いら立っている、そのくせ認められたい。
わかる。わかりすぎる。もう戻りたくないな、と思いながら読んだ。
しかし読後、「こういう感情の時期はもう戻らないのだな」とちょっと寂しくなった。
そして「好き」という単純明快な表現では絶対に収まりきらない「蹴りたい」という感情。なったことはないけどわかる気がする。
こういう人間は20代になってもこじらせた恋愛をしそうに思えてきた。
やっぱり戻りたくない(笑)
忘れていた感情を思い出して懐かしむことができるから、読書ってやっぱりいいよね。 -
Posted by ブクログ
「いなか、の、すとーかー」は、綿矢りささん特有のオチが読めるのに奇妙で、あり得ないだろっていう描写がたっぷりなのに人間の"あるある"が詰め込まれてる感じ。
表題作である「ウォーク・イン・クローゼット」は、特に28歳の私自身の"あるある"が詰まっていてちょっと苦しくなった。
主人公の早希は自意識過剰で自己肯定感が低くて生きづらくて人に期待しては傷ついていく弱くて強い女の子。
親友のだりあは反骨精神で生きてて強いけど純粋で実は柔らかい女の子。
そんな2人の幼馴染のシスターフッドが描かれている。
「死んだら皆が泣いて惜しむような人間になろうって」と気高く生きてた芸能人のだりあが出産を経て大量の服を手放すのも
デート相手に合わせて服をチョイスし、着ていく服に4.5時間悩み、体目的の男の甘い言葉にいちいち騙されてたOL早希が人の反応を気にせず趣味は"お家でお洋服クリーニング"と他者に話すようになり、だりあから貰ったお洋服を愛でて暮らすのも
女の子ってかわいくて最高だなぁって思えてとても好きだった。
コピーライター尾形真理子さんのあとがきもよかった。
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早希は「私たちは服で武装して、欲しいものを摑みとろうとしている」といって、〝対男用〟の洋服をクローゼットに揃えます。だりあは「きれいな服は戦闘服なのかも」といって、自分の存在を肯定するために服でウォーク・イン・クローゼットを満たします。なぜ女の子は、こんなにも自信がないのでしょうか。自己肯定が苦手というか。彼氏を作らなきゃダメ、結婚しなきゃダメ、というのは「誰かに選んでもらえなきゃダメ」という感覚と同義になっているのかも知れません。
良い場所に並ぶ努力をしたり、POPをつけたり、できるだけ素敵なお客さんに選んで欲しい。だけど売れ残るのは最悪だから、どこまでなら値下げできるか必死で計算する……みたいな。狡猾なようで、けなげであり。
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「服は口ほどにモノをいう」
自分と他者の間に服はあるということ。人間を知ってないとおしゃれはできないということ。
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私の胸に刺さった等身大感を言語化してくれた!
女の子は安売りしちゃいけないし、胸張って好きな事を好きでいていいんだ。
おしゃれって難しいけど、自分の状態、相手をどう捉えてるかが表れるから楽しい。
女に生まれたからにはおしゃれ楽しんで生きてこう。 -
Posted by ブクログ
どこに共感できたか。
恋に狂気がかるくらい情熱的な奈世と、いかにも冷静なユヅルのお話。好きになればなるほど、度がいきすぎてしまうナヨに、私と通ずる部分があって、自分も気をつけようと思った。
ナヨの父親も言っていたが、「結婚とは、努力して得た結果ではなく、流れで、スムーズになるもんだ」という言葉が印象に残った。
今の私と彼は、付き合いが続くように、無理矢理頑張っている状態だと思った。その結果、お互いの心が疲れてしまい、結婚しても幸せを手に入れられないと考えてしまう。
私は、そんな彼との関係性を客観的に見直せる作品だったと感じるし、カップルにはカップルなりタイミング・流れがあり、無理して付き合うものでもないと思った。
途中で、3ヶ月の時を経てナヨには気持ちが無くなってしまったのかと、ドキリとさせられた場面があったが、すぐに調子を変えて彼と東京に戻る姿には驚いた。両親もびっくり。私も両親を大切にしようと思った。また、ナヨの友達が「ユヅルくんの時の速さは3ヶ月だったんだね」と言ったその一言にも納得した。 -
Posted by ブクログ
良かった!
他の方も書いているが分厚い書籍で、読み切る自信がなかった。が、読み始めてすぐ、惹き込まれた。
寝る間も惜しんで、読み進めた!
読みやすい文章だ
久乃も綸も幼稚でワガママで実に自己中
綸が久乃に惹かれた理由はよくわからない
というか綸の体たらくなとこや、久乃の失言、卒業式での暴力騒動、清盛と別れたといいつつ久乃を裏切った綸、、、
久乃と綸どちらにもイライラしたり、自分ならどこかのタイミングで別れるなと多々思った。
だから駄作だったのかと問われると「否」だ
間違いなく良作だった
↑
上のように読者に感じさせたのは、こういうダラダラな関係や理屈だけでは語れないのが現実の恋愛でリアリティがあり身近に感じさせた著者の表現力が優れている証だ
実写で見てみたい
中学時代の久乃
・當真あみ
・清原果耶
・松本穂香
30代久乃
・綾瀬はるか
・徳永えり
・波瑠
・小芝風花
綸
・河合優実
・土井志央梨
・小松菜奈
・見上愛
・中村ゆりか
思い浮かびました -
Posted by ブクログ
出だしから最高。こういうセンス抜群の豊かな感性で自在に綴っていく語り口の読み物を欲していたことに気付かされました。自分に足りない、渇きを覚えていた成分がここに。
と思っていたら、文章の色合いは日常ドラマを綴るものへと少しシフトします。情感を喚起するものとは違うフィールドをつかって、現実的な感情の生々しい部分も描いています。それでも、カミソリの刃によるようなドギツイ切り付けはありません。淡々とした日常生活が尊重されている作品ですから、まあ、前原という男性上司のような面倒くさくて怖いタイプの人が出て来はするのだけど、全体的にいえば、あたたかな物語になっています。付けくわえて言うと、あたたかな物語の中にも人の怖さや悩みなどがしっかりでてきて、そこは楽天的には書かれていないので、横に流れていくストーリーの起伏としても、その最中で縦へ広がっていくイメージとしても、飽きさせない刺激となってもいて、読者を楽しませてくれます。
長女・綾香は婚期を逃したのではないか、と焦っている。次女・羽依はモテ女で男性関係で苦労しているが、そこで育んだ哲学を持っている。そして、三女・凛は大学院で難しい研究をしていながら就活もしていて、秘かな望みをこころに抱いている。そして、父の定年を機に自らも定年宣言し食事を作らなくなった母、一家で唯一の男である父・蛍。仲のいい五人家族です。でもそのぶん、家族のなかに縛られる目に見えない力も働いているふうです。
さて。
マジョリティの世界でそこいる人たちに辟易したり、深く傷ついたりして、そのために社会の細い傍流の世界で生きていく、というような作品が「文学的」と認められるように、ステレオタイプ的にではありはするのだけれど小説というジャンルについては思い浮かんだりするのです。それが綿矢りささんは、マジョリティに踏み込んでいって、見事に闘い続け、そこでの経験を言葉にしてしまう。マジョリティの世界で獲物として持ち帰ってきたものたちが、本書を成している。マジョリティの世界の計算高さや虚栄や意地悪や貪婪さやモラルとか節操のなさや自己中やら様々なストレッサーと取っ組み合いつつ、マジョリティの世界を謳歌することで経験できる煌びやかさや健全さや楽しさや恋しさや愛おしさなど様々な幸福的な体験を味わう。絶対、しんどいと思う。でも転んでも、なにくそ、と立ち上がり大地を踏みしめて進んでいくかのように、食らいつくバイタリティを感じさせる。どちらかというと自分は健康なタイプらしいから、とそうではない人たちにできない道を進むかのように、こういった、現実の美しさと醜さをその速いスピードで過ぎていくまま流してしまわず正対して、みんなに伝わるような客観的な状態に創り上げてこの時代の文化に刻み込む。いつしか、そんな勇猛といえるような作家になっていた。繊細なセンスを失わず、蛮勇を奮える作家という高みに到達していた。
では、引用しながら書いていきます。
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京都の伝統芸能「いけず」は先人のたゆまぬ努力、また若い後継者の日々の鍛錬が功を奏し、途絶えることなく現代に受け継がれている。ほとんど無視に近い反応の薄さや含み笑い、数人でのターゲットをちらちら見ながらの内緒話など悪意のほのめかしのあと、聞こえて内容で間違いなく聞こえるくらいの近い距離で、ターゲットの背中に向かって、簡潔ながら激烈な嫌味を浴びせる「聞えよがしのいけず」の技術は、熟練者ともなると芸術的なほど鮮やかにターゲットを傷つける。(p91)
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→次女・羽依が主人公の章です。このあと、社内ではひとりだけ土産のお菓子を配られない「お菓子外し」が起こり、休憩室に居ても率先する先輩女子の空気を読んで女子社員みんなに避けられ、新しい私服を着ていくと非難がましい目つきで見られ、仕事で聞きたいことがあってもつっけんどんにしか教えてくれないので要領が分からず、ミスが増えて無能だと叱られることも出てきます。
こういった事柄を自分事として言葉にしていくのは、たとえばその渦中に居ながらでは相当な心的負担がかかるものです。作者は過去にこういった激しい「いけず」の経験があったのだろうか、観察していたのか、それとも社会で勤め人をしている友人や家族などから話を聞いて咀嚼して落とし込んで使ったのか、ちょっと知りたくなります。いずれにせよ、フィクションのなかでしっかりリアリティを持たせてこういった内容が繰り広げられているのは見事だし、読者としてもこの部分を読むと自身がうまく言語化できなかったことが書かれていてありがたい気持ちになる人もいるのではないでしょうか。言葉にしたいのになかなかうまくいかないものが無意識に沈み込んでいくとコンプレックスになったりして、ある瞬間にそれが出てきて元気を失くすことがあるものです。そういった点で、無意識の言語化という行為は健全だったりもして、こうやって小説作品から助けを得られたりもするものなんだよなあ、とあらためて感じました。
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私を嫌いな人もいれば、好きな人もいる。みんなに好かれるなんて無理。当たり前のことなのに、ときどき憔悴するほど傷ついてしまうのは、自惚れがあるせいだろうか。(p101)
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→これも次女・羽依が思い考えているところです。こういうふうに、「いい人」でいたいという気持ちがデフォルトである人は珍しくはないでしょう。そこを、自惚れがあるせいだろうか、と内省できるところがとてもいいですね。
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前原は自分では気づいてないかもしれないが、人を本気で好きになった途端、その相手を苦しめ始めるタイプだ。普段周りの人間を己のパワーで従わせているから、誰かを好きになっても、歪んだ方法で相手との距離を無理に縮めるやり方しか知らないのだろう。傍目から痛々しく思えるほど、前原は一歩外に出たら自分のキャラを完璧に演じ通していた。(p187)
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→続いても、羽依。僕はこういった人の内面の奥のほうを考えてしまうほうです。不安障害だ、とか、パーソナリティ障害の傾向だ、とか、認知の歪みだ、とか。いわば本質ばかりみようとするため、どう表面に出ているかについては薄い認識になりがち。この箇所は、どういう行動になっていて、それがどういった理由なのか、行動原理を端的に突いているのが人に読んでもらうものとしての技術だなあと思いました。
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私にもそんな時期はあった。日常生活なのにまるでTVタレントのようにイメージ通りの自分でずっといるために、体内の電池を毎日新しいのに取り替えた。裏では暗い顔しているのに、人前に出たとたん明るくふるまって話したりしていた。高校生でもう卒業したけど、不思議なことに、大人になっても演技をやり通している人が時々いる。常にテレビカメラに撮られているかのごとく、弱みを見せず、誰にでも同じ笑顔を向け、妥協は許さないと努力を努力を続けてゆこうとする人間が。(187-188)
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→最後も羽依。言いかえると、「人前では仮面を被って生きていた」といえそうで、これは僕がそういうふうに生きてきたから(今でもその傾向はあります)とても刺さる箇所です。初めて就職した会社でも、先輩の女子社員に「社会では演技しなさい」としつけられました。それはそれで、建前なんかのことを言っていたのでしょう。くわえて、僕の場合は世間に母の病状のことを隠し続けねばならなかった。子どもの頃からそうやって生きていると、もうそういうもんだっていう生き方になっていきます。ただ、こうやって、仮面を被るような性格的要素が珍しいものではないことを知れる、というのはありがたいものです。
というところですが、モテ女・羽依は味わいのあるよいキャラクターなのでした。水商売でも成功しそうな、市井の哲学をもった女性という感じ。