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Posted by ブクログ
京都で過ごしている人、京都から離れた人。どんな年代でも、「京都での大学時代」は共通言語のようなところがある。
私たちはいつも四条に出かけ、河原町で楽しみ、鴨川に助けられてる。時に行く寺社仏閣の歴史には驚かされるし、四季折々に見せる都の姿は言葉を失う美しさ。
これが京都かと圧倒される。
・大企業に勤めながらのんびり過ごしていたが、
結婚に焦る長女。
・入社した会社で恋愛のいざこざに悩む次女。
・理系の大学院に進学し京都を出たい想いで
東京就職を目指す三女。
誰もが持つ悩みと、京都での最高な日々と、美しい街と…とっても共感できる、大切な時間が詰まっている!
私が京都を離れてから読んだらきっと涙してしまう…
これからも大切にしたい一冊。
Posted by ブクログ
出だしから最高。こういうセンス抜群の豊かな感性で自在に綴っていく語り口の読み物を欲していたことに気付かされました。自分に足りない、渇きを覚えていた成分がここに。
と思っていたら、文章の色合いは日常ドラマを綴るものへと少しシフトします。情感を喚起するものとは違うフィールドをつかって、現実的な感情の生々しい部分も描いています。それでも、カミソリの刃によるようなドギツイ切り付けはありません。淡々とした日常生活が尊重されている作品ですから、まあ、前原という男性上司のような面倒くさくて怖いタイプの人が出て来はするのだけど、全体的にいえば、あたたかな物語になっています。付けくわえて言うと、あたたかな物語の中にも人の怖さや悩みなどがしっかりでてきて、そこは楽天的には書かれていないので、横に流れていくストーリーの起伏としても、その最中で縦へ広がっていくイメージとしても、飽きさせない刺激となってもいて、読者を楽しませてくれます。
長女・綾香は婚期を逃したのではないか、と焦っている。次女・羽依はモテ女で男性関係で苦労しているが、そこで育んだ哲学を持っている。そして、三女・凛は大学院で難しい研究をしていながら就活もしていて、秘かな望みをこころに抱いている。そして、父の定年を機に自らも定年宣言し食事を作らなくなった母、一家で唯一の男である父・蛍。仲のいい五人家族です。でもそのぶん、家族のなかに縛られる目に見えない力も働いているふうです。
さて。
マジョリティの世界でそこいる人たちに辟易したり、深く傷ついたりして、そのために社会の細い傍流の世界で生きていく、というような作品が「文学的」と認められるように、ステレオタイプ的にではありはするのだけれど小説というジャンルについては思い浮かんだりするのです。それが綿矢りささんは、マジョリティに踏み込んでいって、見事に闘い続け、そこでの経験を言葉にしてしまう。マジョリティの世界で獲物として持ち帰ってきたものたちが、本書を成している。マジョリティの世界の計算高さや虚栄や意地悪や貪婪さやモラルとか節操のなさや自己中やら様々なストレッサーと取っ組み合いつつ、マジョリティの世界を謳歌することで経験できる煌びやかさや健全さや楽しさや恋しさや愛おしさなど様々な幸福的な体験を味わう。絶対、しんどいと思う。でも転んでも、なにくそ、と立ち上がり大地を踏みしめて進んでいくかのように、食らいつくバイタリティを感じさせる。どちらかというと自分は健康なタイプらしいから、とそうではない人たちにできない道を進むかのように、こういった、現実の美しさと醜さをその速いスピードで過ぎていくまま流してしまわず正対して、みんなに伝わるような客観的な状態に創り上げてこの時代の文化に刻み込む。いつしか、そんな勇猛といえるような作家になっていた。繊細なセンスを失わず、蛮勇を奮える作家という高みに到達していた。
では、引用しながら書いていきます。
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京都の伝統芸能「いけず」は先人のたゆまぬ努力、また若い後継者の日々の鍛錬が功を奏し、途絶えることなく現代に受け継がれている。ほとんど無視に近い反応の薄さや含み笑い、数人でのターゲットをちらちら見ながらの内緒話など悪意のほのめかしのあと、聞こえて内容で間違いなく聞こえるくらいの近い距離で、ターゲットの背中に向かって、簡潔ながら激烈な嫌味を浴びせる「聞えよがしのいけず」の技術は、熟練者ともなると芸術的なほど鮮やかにターゲットを傷つける。(p91)
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→次女・羽依が主人公の章です。このあと、社内ではひとりだけ土産のお菓子を配られない「お菓子外し」が起こり、休憩室に居ても率先する先輩女子の空気を読んで女子社員みんなに避けられ、新しい私服を着ていくと非難がましい目つきで見られ、仕事で聞きたいことがあってもつっけんどんにしか教えてくれないので要領が分からず、ミスが増えて無能だと叱られることも出てきます。
こういった事柄を自分事として言葉にしていくのは、たとえばその渦中に居ながらでは相当な心的負担がかかるものです。作者は過去にこういった激しい「いけず」の経験があったのだろうか、観察していたのか、それとも社会で勤め人をしている友人や家族などから話を聞いて咀嚼して落とし込んで使ったのか、ちょっと知りたくなります。いずれにせよ、フィクションのなかでしっかりリアリティを持たせてこういった内容が繰り広げられているのは見事だし、読者としてもこの部分を読むと自身がうまく言語化できなかったことが書かれていてありがたい気持ちになる人もいるのではないでしょうか。言葉にしたいのになかなかうまくいかないものが無意識に沈み込んでいくとコンプレックスになったりして、ある瞬間にそれが出てきて元気を失くすことがあるものです。そういった点で、無意識の言語化という行為は健全だったりもして、こうやって小説作品から助けを得られたりもするものなんだよなあ、とあらためて感じました。
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私を嫌いな人もいれば、好きな人もいる。みんなに好かれるなんて無理。当たり前のことなのに、ときどき憔悴するほど傷ついてしまうのは、自惚れがあるせいだろうか。(p101)
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→これも次女・羽依が思い考えているところです。こういうふうに、「いい人」でいたいという気持ちがデフォルトである人は珍しくはないでしょう。そこを、自惚れがあるせいだろうか、と内省できるところがとてもいいですね。
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前原は自分では気づいてないかもしれないが、人を本気で好きになった途端、その相手を苦しめ始めるタイプだ。普段周りの人間を己のパワーで従わせているから、誰かを好きになっても、歪んだ方法で相手との距離を無理に縮めるやり方しか知らないのだろう。傍目から痛々しく思えるほど、前原は一歩外に出たら自分のキャラを完璧に演じ通していた。(p187)
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→続いても、羽依。僕はこういった人の内面の奥のほうを考えてしまうほうです。不安障害だ、とか、パーソナリティ障害の傾向だ、とか、認知の歪みだ、とか。いわば本質ばかりみようとするため、どう表面に出ているかについては薄い認識になりがち。この箇所は、どういう行動になっていて、それがどういった理由なのか、行動原理を端的に突いているのが人に読んでもらうものとしての技術だなあと思いました。
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私にもそんな時期はあった。日常生活なのにまるでTVタレントのようにイメージ通りの自分でずっといるために、体内の電池を毎日新しいのに取り替えた。裏では暗い顔しているのに、人前に出たとたん明るくふるまって話したりしていた。高校生でもう卒業したけど、不思議なことに、大人になっても演技をやり通している人が時々いる。常にテレビカメラに撮られているかのごとく、弱みを見せず、誰にでも同じ笑顔を向け、妥協は許さないと努力を努力を続けてゆこうとする人間が。(187-188)
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→最後も羽依。言いかえると、「人前では仮面を被って生きていた」といえそうで、これは僕がそういうふうに生きてきたから(今でもその傾向はあります)とても刺さる箇所です。初めて就職した会社でも、先輩の女子社員に「社会では演技しなさい」としつけられました。それはそれで、建前なんかのことを言っていたのでしょう。くわえて、僕の場合は世間に母の病状のことを隠し続けねばならなかった。子どもの頃からそうやって生きていると、もうそういうもんだっていう生き方になっていきます。ただ、こうやって、仮面を被るような性格的要素が珍しいものではないことを知れる、というのはありがたいものです。
というところですが、モテ女・羽依は味わいのあるよいキャラクターなのでした。水商売でも成功しそうな、市井の哲学をもった女性という感じ。
Posted by ブクログ
今まで読んだ綿矢りさ作品の中でいちばんのお気に入りになった。京都という土地の四季の描写と共に感情の移ろいが描かれているからか、綿矢作品の中では比較的穏やかな作品だなとも感じた。波のように荒ぶる感情の「お腹いっぱい!」感がないので個人的にはとても好みだし、もう一度繰り返して読みたいとも思った。
綿矢りさ作品に時折出てくる「毒」のあまりの生々しさに、私は読むたびに時に胃もたれを起こしそうになったり時に大笑いしたりしている。いずれにせよこの「毒」は良いも悪いも作品の中の特に印象に残るシーンとして記憶に残されている。今回この作品を読んで、なるほどこの毒は京都という土地が生み出したものなのだな、と思わされた。作中にもあるように、京都は日本を代表する華やかな観光地であるが、さまざまな死や人間ドラマが蠢いてきた一千年の歴史の舞台でもある。そんな歴史のある京都という土地で生まれ考えてきたことが、人間を面白おかしく、シニカルに、そして的確に描写する綿矢作品の魅力に繋がってるのだろうか、とも思わされた。
作中に、
「京都の伝統芸能『いけず』は先人のたゆまぬ努力、また若い後継者の日々の鍛錬が功を奏し、途絶えることなく現代に受け継がれている」という一文が出てきたのだが、私はこれを見て思わず笑ってしまった。人間模様をこんなに描写できる綿矢りさも「いけず」な人だと私は思う。ただ、それは作中に出てくるような人を傷つけるようなものではない。「いけず」のスキルポイントを文章表現力に振り切って出来上がったのが綿矢りさなんだろうな、などと考えた。
「約束の日が近づいてくると憂鬱さは増し、前原への怒りも増した。いつかあいつの葬式に部下として行ってやろう、と前原のうちへ行くために乗った電車のなかで羽依は決意した。位牌にオリーブオイルを塗ってテカテカにしてやる。焼香の葉を深蒸し緑茶の茶葉にすり替えて香ばしい匂いを漂わせてやる。棺桶の顔のとこのミニ観音扉には、生前の似顔絵をマジックで雑に描いてやる。棺のなかに花を手向けるときにはキッチンタイマーも一緒に入れて、ちょうど出棺のときに合わせて、ピッピピッて鳴るようにしてやる。」
この文章も非常に印象に残った一節だ。しつこく迫ってくる元彼前原に対して、苛立っている感情を「怒り」という一言で終わらせずに(しかもほぼ感情語がないのに)じわじわと湧き上がる怒りの感情がよく伝わってくる。上手い文章は「形容詞を使わずにどう表現を変えるか」で決まる、と聞いたことがあるが、まさにこれが的確な例だと思う。
Posted by ブクログ
京都で暮らす三姉妹。 結婚、恋愛、仕事、上京と、それぞれ違う方向に悩みながら自分の人生を選んでいく。
三姉妹の中なら羽依が好き。 恋愛体質で、時にはほぼキレ芸人。それでも自分の中に一本芯が通っていて、納得できないことにはちゃんと立ち向かう。その強さが気持ちいい。 慎重すぎる綾香には「そこまで気にせんでいい」と言いたくなるし、京都を離れる凜には「正解かどうかなんて行ってみないと分からん」と言いたくなる。 気づけば蛍父さんのような気持ちで三人を眺めていた。
そして、ぼんやり見守っていた蛍父さんが最後にちゃんと父親として格好をつけてくれるのもいい。
相変わらず絶妙な人間観察と、「分かるような気がするのに、その表現は思いつかない」と唸らされる言葉選び。 そこに京都弁と京都の四季が加わって、笑いながら読めるのに文章では何度も立ち止まらされる。
女は強し。 安心して読める綿矢りさの家族小説だった。
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