町田そのこのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人が亡くなった時、最後に強く願ったものが、赤い珠となり残るという話。いくらのような見た目からぎょらんと呼ばれていた。
1つ1つのエピソードが遺された人が故人を思い、悲しむ場面はどれも悲しくて切なかった。
もっとしてあげられたことはなかっただろうかと私も祖父を亡くした時は思ったし、後悔などない遺族はいないのではないか、、
エンディングノートは印象的で
人が良かった人ほど、最後まで迷惑をかけないようにする姿は切なかった
ぎょらんは遺されたものたちの捉え方次第で、幸せな珠にも憎しみの珠にもなりうるのではないかな
朱鷺の、その人と楽しかった思い出を思うようにしてくださいという言葉が沁みた
後悔の -
Posted by ブクログ
『私の人生は私のもの』がテーマの作品。
自身の息がしやすい場所は娘の居場所ではないと感じ娘を捨てる決断をした母親の無責任さに酷く憤慨した。
自分が母から受けた歪んだ愛を娘にも向けてしまわないよう母なりの守り方だったのかも知れないが、愛していたら育てる責任は放棄しても良いはずがない。
"不幸を親のせいにしていいのは、せいぜいが未成年の間だけ"
言っていることは分かるがこの言葉も素直には呑み込めない自分がいる。
自分を捨てた母が若年性認知症を患っていると知る娘。
自分が傍を離れ幸せに暮らしていると思っていた娘が元夫からのDVに苦しんでいることを知る母。
思い描いていた姿 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私も10代の時から自分の嫌な部分を全部家族のせいにしてきた。特に母親。捨てられたわけじゃないけど、当時の私の気持ちを大切にしてくれる人があまりいなかったと思う。寂しかったし、自分でも自分を認めることができなかったから苦しかった。
「私が歪ませた人生」という言葉に、そうだなと思った。子どもの時は欲しかった愛情を十分にもらえなかったけど、それを自分の価値と結びつけて性格を歪めたのは私だった。恵真さんみたいに愛情をもらえず育っても捻くれてない人って本当にいるから。私はどこかで解釈を間違えた。
「わたしの望む世界では母が生きられず、母の望む世界では、私が生きられなかった。」という一文が私にとってア -
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ネタバレ子どもって、大人が思ってるよりも大人。
だからこそ、護られなきゃいけないし、「誰か」が、側にいないといけない。
物語には、純粋な子どもと、ちょっと身勝手な大人がたくさん出てくる。
その「ちょっと身勝手」な中で、子どもたちがどう大きくなっていくか、が描かれたおはなし。
宙が、いろーんな大変に向き合いながら、ちょっとずつ大きくなっていくなかで、終盤。
やっちゃんが死んだ時は、どうして殺しちゃったのー!って、町田さんを恨んだ。
でも、伝えたかったのはこれかな、とも思った。
赦しを乞うことは、時に暴力になる。
それぞれが乞うた、赦し。
でも、みんな、赦されなかった。
でも、それを背負って、生き -
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自分も、リセット症候群の節があると感じている。
小さなことが気になるため、
相手のネガティブな反応(気に留める必要すらないものでも)を見ると心が離れてしまう。
また、飽き性が高じて、刺激が感じられないことで
逃げ出してしまうこともある。
また、環境に慣れると共に、自分の我儘な性質が出て
相手を尊重できなくなり、そんな自分が嫌になることもある。
とにかく息苦しくなって、
同じ場所、組織、コミュニティに長く居続けられないことが、自分の大きな欠点であると思っていた。
この本を読んで、同じような欠落感を感じているのが
自分だけではないと知って救われた。
「生きるために身軽でいることを選んでい -
Posted by ブクログ
途中までは通勤時間に読んでたけど、これダメだなと気づいてからは家で盛大に泣きながら読み切った。
大切にしたい人をただ大切にするということの難しさ、あるよな。
誰かともう二度と通じ合えない、どうやっても触れられないし届かないというのは本当に苦しい。
けどその苦しさから救い上げてくれるのがまた生きてる人たちとの繋がりだったりする。
私は誰かと別れる苦しみを乗り越えられる気がしなくて、それなら誰とも深く繋がらなければ良い、と思ったこともあったけど、なんかそういうことじゃないかもしれない。
誰かを心から大切に想った記憶が、失った空白を埋めてくれるのかもしれない、と思った。 -
Posted by ブクログ
町田そのこさんの短編集
「おつやのよる」が一番良かったかな。
久しぶりに泣いた。
ばあちゃんの溢れる優しさと章吾の高邁な考え…かな。
ほんまの愛とは、嫌いな部分を受け入れることはもちろん、相手が今のカタチに至った背景まで愛することなんだと思った。
「入道雲がうまれるころ」
「子供という殻を被ることで、大人を満足させる」
なんだか、刺さってしまった。敷かれたレールに乗ることが、一番喜ばれるし周りからも評価されるって思考が自分の中では強かった気がするが、それは環境要因に寄るものだと思ってた。でも、どうだろう。どっかのタイミングで意志は持ってるわけで、オモテ化できてなかったのは、自分の弱さな気がし