深町眞理子のレビュー一覧
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ホームズを一切読んだことがないというのが長年の読書におけるコンプレックスだった。一年程前からBBCのドラマ「SHERLOCK」にハマり、そこからこの長年のコンプレックスの解消へと、やっと気持ちが向かった。順を追って読むよりも兎に角原作がどのようなものか知りたかったので本作にした。読後の感想はやはり面白いと言わざるを得ない。翻訳物への苦手意識があったが、本作はたまに元の英文が透けて見えつつ、それでも読める日本語できちんと書かれていた。全体的に舞台となる土地の暗さ、陰惨さが書かれ、思わず後ろを振り返りたくなるような雰囲気。そう考えると少しホラーなのかもしれない。
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ダニーと、彼の持つ不思議な力“輝き”が中心に描かれているだけでなく、父親の心理描写も原作では多く描かれている。
アルコール中毒になった父親が、教師という仕事から離れざるを得なくなったことや、アルコールが原因で息子ダニーを傷つけてしまったことなどに悩み、後悔し、アルコールを断ち切ろうと努力するが、うまくいかない生活のためにアルコールに依存したくなり迷い葛藤する。
こういった描写がされているのは、キング自身がアルコール依存症であったからかもしれない。
物語のラストも映画と原作では随分異なっている。
映画では、ダニーに焦点が当てられていないため、ダニーを救おうと孤軍奮闘するハローランといった描写はあったのかどうかさえ憶えていない。
不思議な力や迷い悩む父親など単なるホラーというよりは、ファンタジーな要素もある作品だった。
確かにキングの描いた「シャイニング」と映画「シャイニング」とは同じであって同じでない。キングに不満があっても仕方ないかもしれない。
それでも映画は視覚的な効果は最大限に活かされた魅力のある作品だと思う。
映画には映画の、原作には原作の、それぞれに面白さのある「シャイニング」。
映画を観てから原作を読んだわたしは、またもう一度映画を観たくなった。 -
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昔、小さい頃に観た映画「シャイニング」は衝撃だった。
エレベーターホールに流れ込む大量の血液、ぶち破ったドアから覗き込むジャック・ニコルソンのニヤリと笑う狂気あふれる顔、などなど。
映画史にもわたしの記憶にも刻みこまれる一作だった。
小さかったわたしは「シャイニング」というタイトルは、呪いとか恐怖といったようなものだと思っていた。
今ならわかるこのタイトルは“輝き”。
でも映画にはそのような要素は無かった。
何故あの映画が“輝き”なのだろう。
キングは映画を気に入っていなかったということも知ったため、もしかしたら映画と原作は内容に違いがあるのかもしれないと思った。それでも暫くは原作を読んでみようとは思わなかったけれど、先日「キャリー」を読んでみて、そういえば「シャイニング」ってどんな物語なんだろうと気になりはじめた。
ということで今回ようやく原作を読んでみようとなった。
読みはじめてすぐに、ただの恐ろしいホテルに取り憑かれて狂気に走った父親によって家族が恐怖に陥るという物語ではないと気づいた。
映画では主人公は父親だが、原作では息子であるダニー。
このダニーの持つ不思議な力、それこそが“輝き”。
家族三人が冬の間閉鎖されるホテルの管理として住み込む。
家族以外は誰もいない雪に閉ざされたホテルで、父親はだんだん精神を病んでいく。
ホテルの霊に取り憑かれ父親が変わっていくのを見てダニーは、自分と同じ“輝き”を持つホテルのコックであるハローランに救いを求めて思いを飛ばす。
ダニーと家族はどうなってしまうのか。
下巻へ。 -
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ネタバレ怖い、怖い、まだ何も起きてないけど絶えず不穏な空気が漂っているよぉ。
冬の間雪に閉ざされたホテルで管理人?として家族3人で住む話し。
この旦那が今はお酒を断っているけど、飲むと凶暴になり息子ダニーの腕を骨折させた過去がある。
妻のウェンディは心配性で実母との確執があり息子の予知能力(かがやき)を感じてこのホテルから去りたがっている。
まだ5歳に息子ダニーがある意味この小説の主人公。
聡明で常人には見えないものが見える。
パパを愛していて、離婚しないで欲しいとおもっている。
で、いよいよ下巻。
とうとうジャックがお酒に手をだして凶悪犯になってしまうのか! -
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読者は、誰もが自問したことだろう。もし、主人公と同じ極限的な悲劇に見舞われ、そこから逃れられるすべがたったひとつ残されているとすれば、それを選択するか否か。例え、倫理観に背こうと、非人間性を咎められようと、或る瞬間を「無かった」ことにする方法があるとしたなら。もしそれが、己の命に代えても惜しくない我が子を、「再び取り戻す」ことが可能であったならば……。スティーヴン・キングは、そのあまりにも残酷で、震えるほどに哀しいカタストロフィーを、類い希なる筆致で描き切っていく。
ホラーの要素が濃い終盤よりも、不慮の事故により息子を失った父親、その妻と娘、義父母ら家族の絆が崩壊していく展開がとにかく読ませる。愛する者の死がもたらすもの。正気を保てるか、狂気の淵へと堕ちるかは、恐らくは紙一重なのであろう。その後に待ち受ける耐え難い喪失感と悔恨が息苦しいまでに伝わってくる。 -
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・R・F・ヤング「たんぽぽ娘」(河出文庫)の 「編者あとがき」にかうある。「ヤングの短編集を編むとき、ぼくが特化したのは、ロマンスものーーというか、彼のボーイ・ミーツ・ガールものである。ほか の作家ならいざ知らず、彼の作品中ずばぬけた出来ばえを見せているのはボーイ・ミーツ・ガールものとそのさまざまなヴァリエーションだった」(384 頁)。確かに、これはこの通りの短篇集である。これ以上でもなくこれ以下でもない、ボーイ・ミーツ・ガールもの集成である。巻頭の「特別急行がおくれた日」から最後の「ジャンヌの弓」までの全13編、外れはない。どれもおもしろい。
・巻頭の「特別急行がおくれた日」は蒸気機関車運転手ルークの片思ひである。最後はプロポーズしようと思つたルークが「そんな日が決して来ないことも彼は知つてゐた。」(17頁)と終はる。想像通りだし、ありきたりで予定調和だとも言へる。しかし、主人公の雰囲気、物語の雰囲気が良い。これは他の作品にも言へることで、ヤングの特質でもあらう。3作目「エミリーと不滅の詩人たち」は異色作であらう。ボーイ・ミーツ・ガールならぬガール・ミーツ・ボーイズで ある。しかもそのボーイズは生きた人間ではない。「アンドロイドの詩人」(53頁)である。エミリーは博物館の補助学芸員であつた。そこに展示されるテニ スン、ブラウニング、フィッツジェラルド等々、エミリーはこれらの「誰からもかえりみられない詩人たちに、深い同情を寄せ」(55頁)てゐた。ある時展示 替へとなり、詩人達は文字通りお蔵入りとなつた。ところが、エミリーが新展示の自動車にその詩人達を乗せてみたところ、それは上司にも好評であつた。「そうだね、お手柄といってもいいかもしれんな。ミス・メレディス。理事会も喜ぶんじゃないか。」(72頁)といふわけで詩人達は展示の中で生き延び、エミ リーは詩人達との朝の対話を楽しむのであつた。恋愛ではなく、しかも相手は生身の人間ではない。それでもこれはロマンスと言へばロマンスであらう。これは私の好きな作品である。普通のロマンスが好きではないからかういふのを好むといふことがあるかもしれない。しかし、それ以上に「アンドロイドの詩人」の機械さ加減、いや奇怪さ加減と、それに対するエミリーの反応、態度が楽しい。ある意味、これも恋は盲目である。そして、これが古めのSFであるからこそかういふ味が出せたのである。最新の知見をもとにしたSFであつたらとてもこんな雰囲気は出なかつたはずである。「第一次火星ミッション」はたぶん火星探検ものである。物語はかう始まる。「宇宙船はラリーの家の裏庭で建造された。」(204頁)そして、その「最後にコントロールパネルを取り付けた」(205 頁)。それは「一九五七年型フォードのダッシュボードである。」(同前)そんな宇宙船で火星に行つた少年は〈火星の女王〉(210頁)に会ひ、ナイフを忘 れてきてしまつた。それがかうなるのである。「地球管制官『リード中佐、いましがたかがんで、なにか拾いあげていたが、ひょっとして科学的に興味を引きそうなものでもあったか?』」(218頁)さう、「真実をいったとしても、誰が信じてくれるだろう?」(同前)これはSFといふよりファンタジーであらう。 少年が会つたのは〈火星の女王〉であつたが、成人した中佐は何を見るのか。錆びたナイフだけなのか。科学的でないSFであるからこんな雰囲気が出るのであ る。表題作「たんぽぽ娘」はおもしろい。正統的なボーイ・ミーツ・ガールもののSFである。しかし、私はこれらの相当に崩れた変奏の方により惹かれたのであつた。 -
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ネタバレ【本の内容】
ゴールドラッシュに沸くカナダ・アラスカ国境地帯。
ここでは犬橇が開拓者の唯一の通信手段だった。
大型犬バックは、数奇な運命のもと、この地で橇犬となる。
大雪原を駆け抜け、力が支配する世界で闘い、生きのびていくうちに、やがてその血に眠っていたものが目覚めはじめるのだった。
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ゴールドラッシュ時代のアメリカで活躍するそり犬バックに焦点をあてた物語です。
『もののけ姫』に出てきたあの白くて大きい犬を思い浮かべていただくとわかりやすいかもしれません。
原書は1903年に出版されました。
主犬公(?)バックの目から見た人間の愚かさや優しさ、当時の社会がうかがえる歴史小説としても読めます。
1905年に発表された『吾輩は猫である』と比較しながら読むのも面白いかもしれません。
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]