林望のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「人が何か自分の人生というものについて非常に懊悩して、底深い問題意識があって、人生とは何なんだ、己というものは何なんだろう。こういうふうに思ったときにね、たとえばニーチェを読むとか、サルトルを読むとかいうようにして、自分の人生に対する1つの答えをそこへ求めていく。読書っていうのは、そういうときに、ここにカッコをつけて強調したいんだけど、
『その人にとっての意味』があるんだと思う」
→この林望という人、1980年代のイギリスにおける研究生活において多感な日々を送ったためか、世俗にとらわれない自由奔放な考え方をもっていて、中々興味深い。部類の読書好きで、一日中寝転がって読書することが最高の幸せとか言ってる辺り、ちょっと浮いてるんだけどね。でも、自分の仕事を「この地球の小天地に、かすかに息をしていたいということの証し」とか、ニクイことをおっしゃる^^ -
Posted by ブクログ
ネタバレ今さら現金主義に戻るつもりはないが、キャッシュレスのリスクもよく分かる。
特にネットの買い物。ワンクリックとクレジットカード決済では、”モノを買った””お金を遣った”実感がまるで無い。モノを買うハードルを格段に下げる仕組みがネット販売”と”キャッシュレス”。
つまり、お金を気軽に遣わせるため社会全体が生活者に仕組んだ罠なのだ、ぐらいに思っておいたほうがいいのだと思う。
一方で「我々団塊の世代が額に汗した高度経済成長はもう望めない」だとか(それは結果論でしかない)、「4800万円で買ったマンションが2800万円でしか売れずに2000万円の大損」だとか(でもその間の家賃相当額は損してないよね)とか、ツッコミどころもままあるが、これはリンボウ先生の芸風。
お金のことや、効率重視のあまり心地よさを失いつつある社会について、考え方の幅を広げることができる一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ合理的で透徹した頭脳の持ち主、世阿弥の『風姿花伝』を、主だったところ現代語訳しつつ補足を加えた書。演劇論というだけでなくて、仕事とかもっと言えば人生とかにも広く当てはまる内容だと思った。とにかく謙虚で努力家の世阿弥の人となりが垣間見えた。上手は下手の手本、下手は上手の手本。今のように流派が厳しく分かれていなかった時代、勉強になると思えば他派の演者にも白拍子の女にも学ぶその姿勢。
花というのは、その時分に合っていて観客に珍しいと思わせるもののこと。秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず、って聞いたことがあったけれど、たしかにオチとか見どころを最初に全部公開されてしまったら、珍しさは死んでしまう。だから花というのは絶対的なものではなくて、観客の心の中にある。観客層やその場の雰囲気に応じて変わり、一期一会の、「今のこの場ならこれが花だ」というものをぱっと取り出して演じる力であって、観客と演者とが作り上げる場の中で生まれてくるものなんだと思った。だからどんな場にも対応できるように、稽古している必要がある。
それに陰陽和するという話もあって、観客が陽ならこちらは陰で行くことで観客を引き込むことができるし、逆もまた然りだ。観客がガヤガヤしていて落ち着かない時はこちらはことさら静かにゆっくりと演じ、観客が静かで散漫ならこちらは動いてメリハリをつける、みたいなのは学校の授業でも一緒だと思う。生徒がガヤガヤしてる時に大声を張り上げて授業するのは三流、って前聞いたのをすごく思い出す。
だから能も授業もとても共通すると思った。観客とその場の雰囲気と設定と、そうした状況に応じて演者も演じて一つの作品を作り上げていく相互作用というか。
怒る人を演じる時は足音は小さく優しく。怒りながら全てを大声で演じると麁い芸になってしまう。傲慢な人間は自分を傲慢だとは思わず、謙遜な人ほど傲慢だと自己評価するように、人間とは矛盾した存在だから、というのになるほどなと思った。
尊敬する父を52歳で亡くし、若くして一座を担った天才世阿弥の、良い能を残していくためにどうすればよいか、現実的に合理的に冷静に考えて残した書、という感じ。
余談だけど、幼名は藤若だと思っていたけれどそれは二条良基から賜ったもので、もともとは鬼夜叉と言ったらしい。世阿弥、というのは後世の通称で、署名は大体世阿、というのも初めて知った。80歳過ぎまで長生きしたものの、晩年は長男元雅が横死し、弟四郎とその子を贔屓にした将軍義教に嫌われて佐渡に流罪にまでなった、その生涯に切ない気持ちになった。